日曜日

 泣きたい時は泣いたらいいと分かってる。だけど、こんなことで泣くのは悔しいから泣きたくない。その思いが余計に涙を呼ぶ。

 なんでまじめに働いているだけなのにこんなに辛いんだろう。

 それとも自分が甘えているだけなのか?

 誰か教えてくれ。


「どうしてこんなにしんどいんだぁっ!」


 人通りがほとんどない夜道を自転車に乗りながら叫んだ。

 店に着くと、事務室にはマネージャーがいた。


「おはようございます。あれ? 若き店長は?」


 てっきり、若き店長がいるものだと思っていたので意外だった。時刻は夜七時。俺は若き店長に呼び出されたので、準夜勤務よりもだいぶ早くお店に来ていた。

 若き店長から電話があったのだ。


「てめぇ、万引きされてるじゃねえか!」


 開口一番がそれだった。うんこブリーフ男が実は栄養ドリンクを一本盗んでいたのだ。


「なんでちゃんと見ていなかったんだ? あん?」


 だって、くさかったんだもん。


「てめぇ、今日は早めに店に来いっ!」


 そういうわけで、お店に早めに来たんだけど。

 マネージャーは若き店長のイスに座って机に肘をついて俯いていた。

 見るからに元気がない。


「珍しいですね。いつもは帰ってる時間ですよね?」


 若き店長は夜型を好むので午後から出勤し、マネージャーは午前中から出勤する。二人の勤務時間はズレているので、いつも先にマネージャーが上がるから準夜勤務の俺は会う事はほとんどなかった。


「若き店長はいないんですか? 休憩で外食ですか?」


 マネージャーはチラリとこっちを見ただけで、すぐに視線を落とした。仕事をしているようにはどうしても見えないし、帰りたいようにも見えない。こういうのはめんどくさい。


「じゃあ、俺は若き店長に呼ばれているんで、電話しますね」

「もう止めてよ!」


 マネージャーは突然叫び出した。


「知っているんでしょ?」


 マネージャーはイスから立ち上がった。

 何をですか?


「いや、俺は何も知らないと思うんですけど」


 まじであなた方に関わりたくないし。


「嘘よ」


 マネージャーは目に涙を浮かべていた。これはヤバい。どう考えても自分が巻き込まれている状況だ。

 マネージャーはその場にうずくまってとうとう泣き出した。


「何があったんですか?」


 こういう時は聞かないわけにはいかない。どうせろくなことじゃないんだと予想できても。


「若き店長が、サポーターとできてたのよ!」


 マネージャーがしゃくり上げながら口にしたのはそれだった。

 マネージャーは俺を見上げた。


「あなたも知っていたんでしょ?」

「はい。それはまぁ」

「やっぱり!」


 目をまっ赤にしたマネージャーは一層、泣き出した。こんなに大きな声で泣いたら、レジの外にも聞こえているはずなんだけど、めんどうを避けてスタッフは誰も事務所の様子を見にこない。

 おい、天下取り、巨乳。お前ら俺に押しつけないでくれよ。でもここには俺しかいない。

 あぁ、もう!


「マネージャーは若き店長と付き合っていたんですか?」


 肩を震わせて泣き続けていたマネージャーの動きが止まった。どうやらそうみたいだ。それで、若き店長がサポーターともデキている事を知って詰め寄ったら若き店長に逃げられたっていう状況なんだろう。

 あまりにも簡単に事の顛末を想像できて、俺はため息をついた。

 若き店長の事だから、手当たり次第、女性には手を出していると思うんだけどな。なんで最初から疑わないんだろうか。だって若き店長は言ってた。


「肩書きだよ。一流企業で務めている事も、俺が店長であることも、本部社員である事も女を釣るいい餌なんだよ。分かるか? うちのコンビニチェーンで働いている社員は、同じ女性社員やうちのコンビニのスタッフに手を出すのだけが楽しみなんだよ」


 それが事実らしいです、とマネージャーに言いたいんだけど、それを言って自殺されたりしたらやばいからなぁ。

 俺はマネージャーの肩に手を置いた。


「大丈夫です。きっと、いいことありますから」

「うるさい!」


 マネージャーの腕が振り上がってきたかと思うと、左の頬がじんじんしていた。ビンタだった。


「みんな私のことをバカにして!」


 俺の言葉が逆鱗に触れたようで、マネージャーは今度は怒りで顔を真っ赤にすると、乱暴に自分のカバンと上着をもってすぐに事務所を立ち去った。

 今度は俺が頭を抱えてイスに腰を下ろした。

 ため息が口から漏れる。


 俺はどうしたらいいんだろうか?

 いつまでこの店で働いているんだろうか?

 答えは出なかった。そうしているうちに、不死鳥がやってきた。

 不死鳥は無精髭で、目は濁っていて、顔は土気色だった。俺と目が合うと、「あ、昨日はごめん。助かったよ」と肩を叩いて来た。


 言葉が出てこない。

 不死鳥が遅刻してこなかった事だけで感動している自分がいた。


「どうしたんだよお前?」

「え? 何が?」


 やばい。俺もっと頑張らなきゃ。悩んでいる場合じゃない。不死鳥もこんなに頑張っているんだ、俺もやらなきゃ。俺は元気よく立ち上がる。


「よし! 今日は頑張ろう!」


 やっぱり一人じゃないのは嬉しい事だ。ここには仲間がいる。仲間と一緒ならどんなことも乗り越えられる。

 そう思ったら本当に嬉しくて、この一週間で一番テンションが上がった。


「じゃあ、ウォークインのドリンク補充は俺がやってくる」


 センター便が終わると、不死鳥は自ら進んでそう言った。


「いいのかよ?」

「ああ、任しとけって」


 不死鳥は濁った目を俺に向けて、力強く頷いた。頼もしい奴だぜ。

 それから一時間経っても不死鳥は戻ってこなかった。


「おはようございます」


 守護神がお店にやってくる。お店に不死鳥の姿がないのを見ると、


「あいつバックレですか?」


 迷わずそう聞いて来た。俺はバケツに水を汲みながら首を横に振る。


「いや、来てはいますよ」


 バックレてはいない。


「なんでバケツに水汲んでいるんですか?」


 レジカウンターの周りで放置されている雑誌や書籍の束を見て、守護神は聞いて来た。


「分かってます。ただちょっと待ってください」


 バケツ一杯に汲んだ水を持って、俺はまっすぐウォークインへ向かった。ウォークインにはドリンクが保管されている。不死鳥がさっきからここで、ドリンクを陳列してくれているはずだ。

 ドアを開けると、空のドリンクケースを逆さまにしてイスにして座っている不死鳥の姿が会った。顔は下を向いている。近づくと、寝ているのが分かった。


 俺はバケツを両手で持って、「せーの!」と中の水を彼の顔にぶっかけた。


「うぎゃあっ!」


 悲鳴を上げて驚きのあまり、不死鳥は仰向けに倒れて頭を床に打つ。


「いてえっ!」


 頭を抑えて悶絶する不死鳥を見下ろす。


「お前はいつもいつもよくこんな寒い所で寝れるよな。早く戻ってこい」


 お坊ちゃんほど堂々とサボらないってこと以外は同じじゃないか。キャラかぶってんじゃねえよ。

 一瞬でも信じた俺が馬鹿だった。強い後悔を胸に抱いて俺は店内に戻った。

 シフト上がりに事務所に戻った時、不死鳥はさすがに謝って来た。


「まじでごめん。ずっと寝てなくて」

「昨日まっすぐ帰んなかったの?」


 不死鳥はヘラヘラ笑う。


「いやぁ、盛り上がったから今日の午後までオールしちゃってね。あのまま寝てたら遅刻してたからさぁ、そのまま起き続ける事にして遊んでたんだよぉ。仕方がないだろ?」


 なんで自分を正当化してるんだよ、こいつ。


「バイトリーダーといい、お前といい、ウォークが大好きだね」

「バイトリーダーはあれだろ? 男喰いを口説いているんでしょ?」


 制服を脱いで、若き店長のイスを借りて腰を下ろした。

 やっぱり口説いているんだ。


「とっくに付き合っているんだと思ってた。いつも一緒に帰るから」


 不死鳥は壁に立てかけていたパイプイスを開いて座る。


「いや、男喰いは誘われたら断らないから。でも体は許していないらしい。食事おごってくれたり欲しいもの買ってくれるからついていってるだけだってさ。せっかくバイトリーダーが若き店長を言いくるめて三人にしてもらったのにな。知ってたか? バイトリーダーは金曜日は実はただ働きしているんだぜ? 男喰いと一緒に働きたいからだって。健気なのかアホなのか」


 ああ、だからあんなにも手を抜いて仕事しているわけか。いない方が男喰いも動いてくれるからはかどりそうだ。

 それにしても、まるで聞いて来たように言う不死鳥にまさかと思った。


「え? 男喰いと付き合っているとか?」

「おいおい、勘弁しろよ」


 女遊びが大好きな不死鳥が珍しく真剣な顔をして否定した。不死鳥は、足を組んだ。それから思い出したように急に笑った。


「この間さ、男喰いがうちに来たんだよ」

「え?」

「いきなり夜に電話かかってきて今晩は泊めてくれませんかって尋ねてきた」

「ええ? バイト以外で接点あったの?」


 不死鳥は目の前で大げさに手を振った。


「いやいや、なんもないって。まぁ、断る理由はなかったからいいよって言ったんだけど、さすがに手は出せなかったよ」


 思わず身を乗り出す。


「え? お前が?」


 不死鳥は苦笑いすると、イスにもたれた。その目は天井をを見上げる。


「同棲している彼氏とケンカして俺の家に来たらしいんだ」

「ああ、だからか。さすがのお前でも面倒は避けたいよね」


 不死鳥は鼻で笑った。

 なんだよ、そうじゃないのかよ。


「彼氏とのケンカの理由なんだと思う?」


 知らないよ、そんなの。当ててもいいことないし、どうでもいいよ。


「そう言うなって」


 不死鳥がニヤニヤした顔で俺を見てくる。


「ん〜じゃあ・・・・・・いや本当に分からないよ」

「浮気がバレたんだなぁ」


 不死鳥は笑顔で答えを言った。

 え?


「お前との?」

「だから俺じゃないって。つまりだよ、あの夜彼女は、他の男と浮気してたことが彼氏にバレてケンカして、違う男の家に泊まりに来たんだよ。俺は三番目!」


 大きくため息をついた。


「もう帰ろっか」


 人の恋路なんてどうだっていいや。

 立ち上がって、上着を手に取る。


「彼氏ってお坊ちゃんだよ。浮気相手は天下取りね。ああ、若き店長とも最近は遊んでいるらしい」


 俺はゆっくりと腕を組んだ。

 う〜ん。

 辞表書こうかな。でも、二ヶ月前だからすぐに辞められないか。そうなると、これから起きる事から逃げられないなぁ、


「っておい! やべえじゃん。この後ドロドロの修羅場がこの店で起きるのにどうすんだよ!」


 一体なんなんだよ。外でやってくれよ。俺はまじめにバイトしたいだけなんだよ。

 うわ〜ん。


「おいおい落ち着けって」


 ガシャンと、ものすごい音が店内から聞こえた。

 とっさに若き店長の机の上にあるモニターで防犯カメラの映像を見た。

 ガテン系の格好をした男性が、の機械を仕事道具だろうレンチで殴りつけている。

 守護神がその周りで右往左往していた。


 え?

 いつの間にこんな事態が起きていたの?

 不死鳥と目を見合わせる。不死鳥は頷くと、すぐに店内側のドアへ走って鍵をかけて戻ってくる。


「おい、そっちは?」


 画面では守護神は、を壊し続けるお客さんをまだなんとか止めようとしていた。


「鍵かけたのか?」


 不死鳥が必死の形相を俺に向ける。

 確かに、勤務時間外だしなぁ。

 大きくため息を吐いた。上着を置いて制服を手に取る。


「おい!」


 不死鳥の制止が後ろから聞こえてくる。

 仕方がない。

 こんなお店でも頑張っていかなくちゃいけない。

 コンビニでバイトすることを選んだんだから。

 さて、まずは警察を呼ぼう。

 でもきっといつも通りすぐには来てくれないんだろうな。


 コンビニを襲う百鬼夜行。

 迎え撃つは一騎当千の兵達。

 されど、密閉されれば蠱毒壷の運命。

 ただ違うのは、絶えず壷に補充され続けるということ。

 コンビニは永久不滅。

 ここは日夜、生き残りをかけて争われる戦場。


 店内に出ると、守護神がこちらを向いた。

 俺は苦笑いを浮かべる。

 さて、誰が生き残るんだろうか。

 これからまた新しい一週間が始まる。

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