木曜日
新しい人か代わりが見つかるまでは、俺がバックレのシフトに入らないといけないようだ。
この日も、バックレの夕方勤務のシフトに入った。
「あ、めずらしいですね。今日は夕方勤務ですか?」
事務所に入ると、まだ十五分前だというのに天下取りがスタンバイしている。机に座っている若き店長の前で手の平と手の平をこすり合わせていた。
天下取りは、高校生の時からこの店でアルバイトをしていて、高校を卒業しても引き続きこの店で働いている。ただし、大学にも専門学校にも進学はしていない。フリーターとしてもう二年目になる。勤務歴は俺よりも長い。
なぜ彼は進学しなかったのか。家庭の事情ではなく本人の意志だ。
彼はこの店で天下を取りたいらしい。
天下取りは、体が反るぐらい胸を張って俺の所までドスンドスンと歩いてくると、手を腰に当てて見上げた。
「大変でしたね、話聞きましたよ。バックレがバックレたって」
「うん、そうだね」
もう否定しようがない事実だった。さすがに、まだどうしようもない事情があるのだと思うほどお人好しではない。
「なるほど。ん〜」
天下取りは手で顎を触りながら壁に貼られたシフト表を眺めた。
「しばらく、お願いできるんですよね?」
こちらを振り向かずに、シフトをチェックしたまま彼は聞いた。
「うん、まぁ」
「オッケ。じゃあ、そういうことで。今日もよろしくお願いしますね」
天下取りは頷くと、胸を張りながらドスンドスン歩いてレジ側の入り口から店に出た。
ため息が漏れる。
自分はいつからこんなにため息をつくようになったんだろう。
着替えてから、反省文を若き店長に提出した。
反省文の内容は要約すると、「自分の心に油断があって、仕事が終わらなかった。これからは、お金をもらっているという事を改めて強く認識して取り組む」というものだった。
若き店長はA4用紙3ページにおよぶ内容に十秒ほど目を通して、机の上に放り投げた。
「これでもいいけどよ。もう一回書き直すチャンスをやってもいい」
それだけで、相手が要求したい事をすぐに理解した。
おそらくは自分で自分にペナルティを科せという意味だろう。きっと昨日の夕方勤務の時給はいらない、とか言わせたいんだと理解してその場を立ち去った。
そんなこと書くわけがない。気を取り直してお店に出た。
うちの店は立地条件の面から夕方勤務は、それほどまでに混むわけじゃない。とは言っても、お客さんは途切れないし、仕事も時間内にギリギリ終わるかどうかの量なので気を抜く事はできない。幸い、今日のパートナーの天下取りは野心に見合うだけの働きをする男なので、先日のアイドルと入った時と比べたらずっと仕事がはかどった。けれどあれはアイドルに非があるわけじゃないな。
レジカウンター内に山積みになった宅配の荷物が気になった。片付けるか。
「ちょっと待って下さい。何をやっているんですか?」
後ろから呼び止められて、俺は宅配の荷物を持ち上げたまま止まった。
「え?」
宅配の荷物はレジカウンター内のスペースに無造作に置かれる。そうすると、レジカウンターの中の足場が埋まってしまうので、溜まってくると事務所の中に運ぶのが決めごとだった。宅配の集荷は昼間なので、夜はここに置いてあっても邪魔なだけだ。
「勝手な事しないで下さいよ!」
天下取りがいきなり声を荒げたので、戸惑いを隠せなかった。
なんで?
「どこに何を置くかなんて分かるんですか?」
天下取りは顔を真っ赤にして叫んだ。店内のレジカウンターから離れたお客さんに聞こえてもおかしくないボリュームだ。
「分かるよ。事務所の中に置くって決めごとでしょ?」
「そういうんじゃなくて! 普段は夕方勤務やらないんだから、俺に聞いて下さいよ。確証ないでしょ? 困るんだよなぁ、シロウトに自分の判断で動かれると」
だ、誰がシロウトだよ。
天下取りは大きく肩を落とした。
「まいったなぁ、超やりずれぇ」
「いや、ただ荷物を事務所の中に置くだけじゃないの?」
天下取りは俺の質問には答えず、レジの下にある引き出しから紙切れを一枚取り出した。
「これ」
その紙切れを俺の目の前に差し出す。そこには、夕方勤務の時間ごとの仕事のマニュアルが手書きで書かれていた。
「これ、俺が作ったマニュアルなんで、この通りにやってもらえますか? 余計な事は一切、やらないでください。いいですか?」
俺はため息が漏れるのをなんとか押さえ込んだ。
「分かったよ」
てか、俺ら同じただのバイトだよね?
言うだけ無駄なのを知っていたので、俺は荷物を置いて紙を受け取った。この通りやればいいって言うのならそれはそれで楽だからいいさ。
天下取りはどんどん、めんどくさくなってくなぁ。若き店長も何も言わないから、どんどん増長している気がする。本人は、自分が若き店長に信頼されていると思っているから始末が悪い。若き店長は、キツイわりには時給が一番安い夕方勤務を進んでフルで入ってくれて、自分の言う事も素直に聞く駒にしか思っていないだろうに。
以前に、若き店長が俺に言った事を思い出す。
若き店長がこの店にやってきたばかりの頃、俺はずっと思っていた疑問を聞いたんだ。
「なんで店長はこんなに休めないんですか?」
朝から晩まで、月に400時間以上働かなくてはいけないことがどうしても理解できなかったからだ。
若き店長は、机に肘をつきながら鼻で笑った。
「お前バカ? んなことも分からないのかよ」
「いや、その理由は分かります。そうじゃなくって、どうしてうちだけ、こんなにハードワークしなきゃいけないシステムになるんですか?」
「だから、深夜の時間帯の赤字、商品の廃棄、店の維持費といったマイナスを少しでも浮かすには、人件費を削る事が一番最初にやる事だからだよ。だから最低限の従業員数で店を回して、俺がその分働いてんだよ」
「だから、それは分かってます。なんで、うちのコンビニチェーンはそんな厳しい状況下に店長を置くのかってことですよ。若き店長は本部社員の研修中だから店の利益を上げるために体張っているんでしょ? 出世に繋がるから。でもうちのコンビニチェーンは、八割以上は外から個人経営者として本部と契約して店を出店して店長になるわけじゃないですか? 本部と契約するんですよね? そんなハードワークしないといけない条件に置かなくてもいいじゃないですか? 例えば、深夜勤務の赤字や商品の廃棄分を少しでも補填してあげるとかすればいいのに」
「バカやろう! それじゃ本部が儲からないだろ!」
若き店長はイスから立ち上がって怒鳴った。
「いいか? 外からうちのコンビニチェーンの店長になる奴なんてのは、ほとんどが金を持っていないんだよ。金がないのにお店を作りたい、商売を始めたいと言うんだぞ? そんな甘えた考えをしたような奴が楽できるわけがないだろうが! 出店するのに足りない分の金は本部に借りる事になる。そうなると、ロイヤリティという名の毎月の上納金を高く設定した本部に有利な契約を結ばされて搾取され続けるんだ。うちのコンビニの商品の売り上げ単価なんかたかが知れてるだろ? ほとんどロイヤルティで取られるから儲けなんかたいして残らないんだよ、バーカ! 深夜勤務の赤字、商品の廃棄、店の維持費に加えてロイヤルティも引かれるんだ、休んでいられるわけねえじゃん! そうやって、とくに苦しい店はどうしたって赤字の出る深夜勤務に店長自ら出るようになるんだ。その代わり、金持ちは違う。地主とか、個人経営で儲かっている会社の税金対策で本部と契約結ぶ所は違う。お店を出店する時にたくさん金を出すから、ロイヤルティなんかほとんどないような低い数字に設定される。それなら儲かるよ。ここまで言えばもう分かるだろ?」
ここまで一息に言って、若き店長はイスに腰を下ろして大きく背もたれた。
「自分の身銭を多く切った奴は、当然多くの報酬を受ける。それに対して、本部のネームバリューに乗っかって看板を借りただけの奴は儲けが少ない。わかりやすいだろ? 頑張って金を稼いで多く支払った奴はいい思いできるだけの話なんだよ。人によって条件が違うのは当たり前だろ。おかしいことは何もないんだよ!」
そうやって聞くと、もっともな話に聞こえてしまう。
でも、店舗数を増やすために、立地条件が悪くて採算が取れる見込みがないような場所でも出店を勧めたりもするじゃないか。最初は、儲けられると言って口車で丸め込んでおいて、後でその店がお尻に火がついても、「経営努力が足りない」とか言って知らん顔するやり方が真っ当だとは思わない。
若き店長の説明は、うちのコンビニチェーンが最低なのがよく分かる説明だった。よくもまぁ、今も続けられていると思う。うちは通称・地獄のコンビニチェーンだもんな。他を見習って改善してほしい。
記憶から現実に戻って、レジを見ながら発注をしている天下取りを見た。彼は、将来は自分で出店するつもりなんだろうか?
この店は本部の直営だから、店長にもマネージャーにもなることはできない。そうなると、お金を貯めて出店するしかないんだろうけど、一日数時間、週に数日ぐらいしか勤務しないで稼げるお金なんてたかが知れてると思う。うちのコンビニチェーンの店長になるなら待っているのは、本当に地獄だ。
我慢できなくて、天下取りに歩み寄った。
「天下取り」
「ん? どうした?」
天下取りは顔を発注機から上げないまま返事する。
ところどころため口を挟んでくるな。まぁ、いいけど。
「お前はすごく一生懸命なのに、ずっとうちにいるのか? コンビニ業界が好きだって言うなら、せめて他のコンビニチェーンの方がいいんじゃないか?」
余計なお世話だと言う事は分かっていた。だけど、言わずにはいられなかった。
すると、
「え? 何? 俺のポジション狙ってるんですか?」
顔を上げた天下取りは、眉間に皺を寄せた。
「やだなぁ、もう。本当に競争が激しい職場だよなぁ。でも、まだ早い。まだ俺のレベルまで来てないですよ。出直して来て下さい」
彼も話が通じる相手ではなかった。俺はすぐにマニュアル書に書かれた仕事に戻った。
ため息が自然と漏れた。若き店長が事務所から出てくる。制服を脱いでいたので帰りなのだと分かる。また今日も準夜勤務の人は二人でセンター便をやるのか。でも、今日は自分が入っていないので気にしない。
「おう。じゃあ、あとよろしく」
「はい! 俺に任せて下さい」
レジ前を素通りする若き店長と、一番端のここまで聞こえるぐらいの大声で叫ぶ天下取りが見えた。
若き店長が帰ってすぐに店は混み出した。ちょうど夕方勤務では一番忙しい時間帯だった。
二人ともレジに立って、列を作って並ぶお客さんを次から次へと接客する。
列はいっこうに途切れない。
こういう時は、コンビニはサービスよりもスピードだと思う。接客ついでに日常会話なんかしたら、次のお客さんに睨まれるし、そのお客さんも、「そんなの求めてない」とはね除ける。それなのに、ちょっとしたことが気に食わないとすぐにクレームだから訳が分からなくなる。例えば、列を並ばないで割り込んだお客さんを注意しただけで、「てめえ殺すぞ」と言われる事も日常茶飯事だ。
パジャマの上から腹巻きを巻いた中年女性のお客さんが、目の前のお客さんの前に割り込んで来た。
「トイレ貸して」
こちらが注意しようとして口を開くよりも早く、相手はそう言った。うちのコンビニでは、建物の構造上の問題でトイレは事務所にしかないから貸せない。
「すみません、トイレはお貸ししておりません」
一瞬、トイレがありませんとどっちを言おうか悩んだ。
女性客は飛び跳ねた。
「え? 漏れちゃうよぉ」
おっとりした口調とは反対に、飛び跳ねる動きは俊敏だ。
「申し訳ありません」
それしか言いようがないから頭を下げて諦めてもらう。女性客は、唸りながらレジを離れた。その間も、後ろのお客さん達の視線が俺には注がれていた。
勘弁してほしい。
「もういいや。ここでしちゃおう」
え?
誰かの悲鳴が上がった。
すぐにその方向を向くと、あの女性客がその場にしゃがみ込んで、ズボンを脱いで尻を見せたまま小便をしていた。周りのお客さんが逃げるようにして、その場を離れる。
全員の視線が俺と天下取りに向けられた。
俺は無視して、レジの接客を続ける。ここで止める事もできない。
「ちょっと」
天下取りが俺を呼ぶ。注意して掃除しろと言う意味だ。
だけど、
「もらった紙には書かれてないよ? 余計な事は一切するなって言ったじゃん」
天下取りは口をあんぐりと開けて固まった。
用を足した女性客が腰を上げて、レジ前を横切って行く。
「あ」
天下取りが何か言おうとするけど、レジから手を離せない。お客さんも床に流れた小便を避けるが買い物を止めない。コンビニはいつも通り回り続ける。決して止まらない。
ああ、開き直った方が楽になれるな。
お客さんが途切れた後、モップでゴシゴシ床をこする天下取りを尻目にレジ点検を始める。
「くそっくそっ」
天下取りは悔しそうに床をこすっていた。
「若き店長に活躍は報告しておくよ」
天下取りがこっちを恨めしそうに見る度に、そう言うと文句は返ってこなかった。
もうちょっとでシフトを上がれる。
今日は準夜勤務に出なくていいから気が楽だった。
それなのに。
「あれ?」
時間になっても準夜勤務の二人はいっこうに姿を現さなかった。
天下取りが何度も電話をするけど繋がらない。
二人同時に遅刻ってこと?
「おはようございまぁす」
挨拶につられて期待を込めて店の入り口を見ると、センター便の到着だったので失望に変わる。センター便来ちゃったよ。
今日の準夜勤務は、不死鳥と留年だ。
不死鳥は遅刻常習犯で、バックレること数知れず。最悪、今日はもう来ないかもしれない。
留年は、遅刻したとしても来てくれると思うんだけどな。
「じゃ、俺上がっていいですか?」
すぐ隣りで軽い口調で話す天下取りを向く。夕方勤務がこの後、どれだけ残っていようと時給は発生しない。定時でカットされる。
「すみません、あとはお願いします」
息を吐き出し肩を下ろして、一仕事終えた体でドスンドスンと事務所へ歩いていく。
天下狙っているんだったら、こういう緊急事態に体張るもんじゃないの?
え?
まじで?
二人とも来ないんだよ?
センター便来てるんだよ?
お客さんが次々にお店に入ってくるんだけど?
レジを離れるわけにもいかないから後を追って事務所に入れない。お客さんは次第にこちらのレジだけに並び出し、センター便の配達の人は次々にケースを積み重ねて行く。
「お疲れさまでしたぁ」
事務所から出た天下取りは、ドスンドスンと歩いてレジの前を横切っていった。
レジで接客中だから、余計な言葉も発する事ができない。レジに並ぶお客さんもどんどん増えていく。
なんで俺は一人なの?
お店に二人からの折り返しの電話はかかってこない。
つかの間、お客さんが途切れた間に電話をかけるけど、二人とも出ない。
センター便の検品をやりながらレジをやって三十分が経った。
お店にやっと電話がかかってくる。
「あ、ごめん。寝てたっ!」
「すぐに来て。何で誰も来ないんだよ!」
電話は不死鳥からだった。レジでお客さんを待たせていたからそれだけ言って電話を切った。不死鳥は家が近いので、十分で駆けつけてくれた。
「ごめんっ!」
「どういうことだよ。本当にいいっ!」
悲鳴に近い叫びだった。不死鳥の遅刻は予想できても、二人とも来ないなんて考えられるものか。シフトが繋がってないじゃないか。
センター便が来てしばらくはお客さんが途切れない。不死鳥が来て三十分後に留年もお店に来た。
「すみませんっ。寝てました!」
寝ぼけまなこの留年を見て固まった俺の前で、不死鳥が留年の襟を掴んで引っ張った。
「てめぇ、何やってんだよ!」
「す、すみませんっ!」
目の前で、四十分遅刻した奴が一時間遅刻した奴を叱っているのを見て、気持ちがどんどん冷めていく。
「お前のせいで、センター便片付けるのにもう一時間遅れてんだぞ。あん?」
不死鳥は自分の事を完全に棚に上げて留年にすごむ。留年は身を縮こませる。
俺はそっと、その場を離れて事務所に入った。
タイムカードをと退勤登録してから、イスに腰を下ろすとどっと疲れが押し寄せて来た。肉体ではなく精神的な疲れだ。
大きなため息を吐いた。
留年が事務所に入ってくる。
「本当にすみません。俺のせいでお二人に迷惑をかけてしまって」
留年は目の前で深々と頭を下げる。
二人とも遅刻したんだけどね。不死鳥だけとぼけてるけど。
「俺、本当になんて言ったらいいか……」
「勉強疲れ? 単位ヤバかったって言ってたもんね」
責める気力も残っていなかったから、適当に話して終わりにしようと思った。
「いえ、学校はもう諦めたんで」
留年は長い間の迷いがやっと晴れたというような力強い口調だった。
逆だよ。迷走してるぞ。
「俺、潔く留年します。やっぱり、変に焦りすぎてもダメだと思うんです」
いや、潔かったらだめでしょ。必死になれよ。
留年は前期を0単位で折り返し、後期フルで取らないと留年が決まっていた。
「後期も0単位っぽいんで」
てへへと頭を掻く留年のしぐさが気持ち悪かった。
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