12 二つの想い
「パパのおかげで危うく殺されそうになったわ」
「そうか。でも生きていて良かったな」
「本当にそうよ」
「雅代から電話があったよ」
「お母さん気づいたんだ」
「おまえ、わざとじゃないのか」
「ううん。誰にも言ってないから知らないはず。でもあの人、行動力があるから」
「そうだな」
「何て言ってたの」
「未練はありませんが今日一瞬だけすごく懐かしくなりました。それで声が聞きたくなりました、だとよ」
「お母さん、可愛い」
「おまえの前では可愛い顔はできなかったからな。せいぜい大事にしてやれよ」
「自分のことは棚に上げて、よく言うわね」
「おれは別れた者を追わないよ」
「でもパパを思って死んだ人はいたわ」
「聞いたのか」
「教えない。でも新作のモチーフだったとは……。息子に会いたいなら住所を教えるけど」
「いや、遠慮しとこう」
「怖いの」
「おれは逃げも隠れもせんよ。それに向こうはもう知ってるんだろ」
「窓の下にいるわ」
役目を果たし終えるとわたしは父の許を足早に去る。
想いは複雑だが、後は母の違う兄と父との問題だ。
わたしを逆恨みしたのは異母兄の短絡思考だったが、実は兄は最初からそれを知っていて、けれども自分の気持ちをずっと誤魔化して来たのだろう。
それがわたしの最終解釈。
肉親といえども他人事ならば話は簡単。
そうでないのは結婚のことだ。
わたしに健が奪えるのか。
すべてを捨てて想いに忠実になれるのだろうか。
あの夜、わたしの部屋で鳴ったチャイムはどれほどの気持ちで押されたのだろう。
それを思うとわたしは怖い。
怖い以上に自分が惨めで恥ずかしくなる。
「ごめんなさい。もしかして間違いだったら許してください」
ドアの外にいたのは一人の女。
本来ならば今現在幸せの絶頂にいるはずの女なのだ。
が、女からその事実を知らされるまでわたしはそれに気づきもしない。
一瞬の勘は働いたが、わたしの防衛本能がそれを遠ざけてしまったようだ。
「荻原日向さんですよね。上野健さんの元恋人の……」
開口一番そう訊かれて、わたしには返す言葉がない。
それで心にもない事実を喋ってしまう。
「健とはその昔とても仲が良かったけど恋人だったことは一度もないわ。で、あなたは誰」
すると支離滅裂が絵を描いたように展開する。
相手が焦って埒が開かないので仕方なく久方ぶりに男気のない部屋に招き入れて紅茶を出す。
飲み物はスコッチでも良かったが、それはまだ後のことだと判断する。
「でも健さんのことをずっとずっとずっと好きなんですよね。健さんもあなたのことがずっとずっとずっと好きなんです。でもどうしてか、こんなわたしと結婚することになってしまって……。もちろんそれを願ったのはあたしの方なんですけど、だけどどうしても割り切れなくて……」
「呆れたわね。それでわたしに会いに来たの」
「はい、そうです」
「一途なのね。健が惚れるのもわかるわよ。でも大丈夫。健はあなたを生涯愛し続けるでしょうし、わたしもそんなあなたたち二人を邪魔立てしない」
額面通りのわたしの回答。
でもそれだってわたし自身の本心だ。
健は良い娘を選んだな。
まあときどき、ちょっと面倒臭いかもしれないが……。
「嘘です」
「えっ」
「そんなのダメです。
嘘はダメです。
あたしに同情しないでいいです。
だからここまでやって来たんです。
あたしは健が大好きなんです。
だから健には好きな人と一緒に居て欲しいんです。
いえ、本当は欲しくないんです。
でも自分に嘘はつけないんです」
「困ったわね」
「ごめんなさい。
謝ります。でも怖いんです。
今のあなたの言葉に嘘がないことは知っています。
でもそれが十年後、二十年後まで本当かどうかはわかりません。
健も荻原さんも、どちらも意地を張り過ぎています。
でもそんなもの何十年も持たないんです。
若い頃なら平気でも、いよいよ歳を取って死ぬとなったらどうしますか。
歳を取らなくたって病気で死ぬとなったらどうしますか。
事故で死ぬとなったらどうしますか。
他にも何かあったらどうしますか。
あなたは健を奪いに来ます。
きっときっと奪いに来ます。
いえ、健の方があなたの居場所に駆けつけるかもしれません。
きっときっとそうします。
絶対絶対そうします。
だから覚悟を決めてください。
死んでも近づかないなら安心します。
そうと誓っていただけるなら、あたしは健と結婚します。
だけどもわずかでも荻原さんの心に迷いがあるのなら今すぐにでも健を奪ってください。
直ちに健を奪ってください。
お願いします。
頼みます。
わたしと健の結婚式まであと一月もありません。
常識的には引き返せません。
それでもあたしは構いません。
だけど結婚式が終わったら健をあなたには渡しません。
殺してだって荻原さんには渡しません、
猶予は結婚式当日までです。
披露宴の最中だって奪いに来るならあたしはあなたを許します。
他の家族/親戚/友人全員が反対しても許します」
結局健の婚約者にグレンモーレンジを出す機会はない。
言うだけ言うと女は去る。
わたし一人が取り残される。
ああ、困った。
すごい勢いで足やら目玉やらが生えてくる。
鬼の腕やら二股のペニスやらが生えてくる
。不定形の内臓たちが所狭しとあらゆる道路を這い回り、奇怪で奇形なケモノたちがそこいら中で、この世のモノではない咆哮を上げる。
わたしの行く道だけを塞がずに……。
健と婚約者との結婚披露宴が今まさに開催されているホテルへの路を塞がない。
あそこへ進めと強要はしないが、無音の圧力で攻め立てる。
わたしの気分が毀れてくる。
ついでに背中に白くてしなやかで大きな羽根まで生えてくる。
ちゃんと声が出るかな。
「健!」と大声で叫べるかな、と不安になるが、どうやら心は決まったようだ。
本当に……。
いや、それはまだこの先の問題だ。(了)
そして白い羽根がわたしに生えて…… り(PN) @ritsune_hayasuki
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