8 武

「また会いましたね」


「絶対付けてたでしょ」

 会社帰りの駅のホームを階段に向かうと見知った顔にわたしが気づく。

 わたしと健、両方の名前を持った男。

 セックスは普通。

 

「偶然だなんて信じないからね」

 

「ところが半分は偶然なんだ」

 

 取引先らしい会社の名刺をわたしに見せる。

 その所在地がわたし勤める会社の近く。

 わたしが歩く父の姿を見つけたときと同じような状況なのか、それともこの男の嘘なのか。

 

「いったいどこまで作ってるわけ」

 

「もう一度会いたいと思ったのは本当だよ」

 

 路線変更して都内に向かう。

 わたしの会社がある地区は郊外とまではいかないが川を渡った県内の準工業地区にある。

 長引く不況で持久力のない企業がバタバタと潰れ、わたしの会社の周りでも跡地の多くが共同住宅に変わりつつある。

 

「どこがいいの」


「危なっかし気なところかな」


「伝えてないけど好きな人がいるから、あなたとは付き合えないわよ」


「きみの憂いの元はそれか」


 結局、居酒屋に入ってしまう。

 お洒落な店まで行く気力がない。

 それでも普段は降りない駅で降りる。

 わずかだが気を許してエスコートを任せたからわたしの負けだ。


「金曜日に現れるなんてズルイわね」


「こっちだって平日は何かと忙しいのでね」


「真っ当な会社員なの」


「少しは関心を持ってもらえたかな」


 マズイな、だんだんこの人のことが気になってくる。

 でも……。


「酔いたいな。河岸変えよ。飲めるところに連れてって……」


「それはいいけど、ほどほどにしないと」


 三十分もしないで居酒屋を出る。

 ああ、あの男の家へ行くんだな、と思った客の数は何人か。


「オレのアパートでも酒が飲めるよ」


「厚顔ね」


「そうでなけりゃできない商売もあるさ」


「わたしの方は人間相手じゃないからそうもいかない」


「……というと」


「装置にトラブルがあって仕様のデータが出なくても装置は何処が悪いんだが教えてくれないでしょ。だから最初はとにかく邪念を捨てて思い込みも捨ててじっとその動きを観察するのよ。ただひたすら……」


「機械の声を聞くってことかな」


「そんなに詩的じゃないけど、まあそんな感じ」


 連れて行かれたのはターミナル駅から程近いショットバー。

 老ウエイターが魔法みたいにアイリッシュコーヒー作ってくれる店だ。


「なんだ知ってたのか」


「知らない振りをした方が良かった」


 けれどもアイリッシュコーヒーは頼まない。


「グレンモーレンジをダブルで……」


「シングルモルトの革新だね」


「良く知ってるわね」


「名前だけだよ。オレも戴いていいかな」


「ご自由に……」


 わたしにだって飲み比べができるわけではない。

 でもこれはたぶんオリジナル。

 前の一〇年は味にもっと厚みがあったはずだから……。


「ずいぶん腺が細いな。日本語だと端麗なのかな。甘みも儚い感じ。どうしてこれを」


「ハイランダーが好きなのよ」


 通じるとは思わなかったが言ってみる。


「確かに北の高地人が作っていますが、スコットランドがお好き」


「……というほどでもないわ」


 やはり通じない。

 リサーチが甘いな。が、健にだってわからないだろう。

 心のイメージが読めれば見当が付くかもしれないが……。


「ばかばかしいけど悲しい男の映画があるのよ。主役の顔が好きって訳じゃないけど」


「調べときます」


「いいわよ、きっとあなた向けじゃないから……」


 が、わたしにそんなことがわかるはずがない。

 この人が健じゃないから……。

 でもわたしの健はもういない。


「宿木にくらいなれますよ」


「バカ」


 三杯目にドライマティーニを頼んで〆る。

 もっと飲みたかったが、まあいいだろう。

 さて、これからどうするか。


「タカコさんの家に行ってみたいな」


「厚かましいわね。傲慢無礼、鉄面皮」


「じゃ、うちに来ますか」


「それも嫌。今日は帰る」


「送りますよ」


「大丈夫。でも本当はアパートの場所も知ってるんでしょ」

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