6 父

「また来ちゃった」


「雅代が知ったら間違いなく怒るぞ」


「相変わらずの部屋ね」


 そして画材の匂い/臭いが渦巻いている。


「畳の染みもすごいわね」


「ああ、そっちのマラカイトグリーンはまだ新しいから付くぞ」


「わかった」


 父の居場所を見つけたのは偶然ではない。

 けれども最後は偶然だ。


「引っ越すの」


「もう少しは居られそうだが、金払ってないしな」


「次の女の人はいるの」


 わたしの父は画家だが、世間的には自称画家だ。

 でもちゃんと画は描いている。

 今度の新作はわたしと出会う前から描き始められていて、もう六年が経ったと言う。

 

「なんだ、人のことをドンファンみたいに……」


「だってそうじゃない。赤貧だけど……。何人泣かしてるの」


「忘れたな。だが一人も殺してないぞ。親だってな。だからこの部屋に石像は来ない」


「でも愛したことはないんでしょう。見返りなだけで……。お金だったり、食べ物だったり、住むところだったりの」


「こっちから声をかけたことは一度もないよ。全部向こうからだ」


「表面上はね。でもパパが心の中で画策したのよ」


「本当にその気があれば金持ちを狙うよ。まあ、金持ちがいなかったわけじゃないが……」


「ねえ、パパを援助するっていったら、わたしを抱いてくれる」


「雅代はいい女だったよ。おれたちがまだ夫婦だったら、娘とこんな会話できないだろうな」


「お母さんと比べてみない」


「吹っかけるぞ」


「お金に気の弱いパパの言う額面くらい都合できるわよ」


 わたしが頭に思い浮かべた金額は五百万円。

 今ある貯金の五倍近いが何とかなる。

 けれども提示額が一千万円以上だったら、わたしは降りる。

 

 母が父との結婚を解消したように……。

 

 その判断は遺伝だろう。

 でもわたしは父のDNAも持っている。

 

「じゃ、八百万円でどうだ。娘だから五十万円マケて七百五十万円」


「降りるわ」


「なんだ、意気地なしだな」


「今のわたしじゃ無理だからね」


「十年経ったら、こっちも十歳老けるぞ。足りない分は彼氏に出してもらえばいいのさ」


「残念ながら、そんな人はいません」


「命の切り売りをしてるのか」


「どういう意味」


「ま、いいだろう」


 すると畳から右足が生える。

 築五十年以上のボロアパート六畳間アトリエの真ん中に……。

 父とわたしのちょうど中間。


「パパ、この部屋で人を殺してない」


「物騒だな」


「正直に答えて」

「殺してないよ。その昔、自殺した男はいたらしいが……」


「じゃ、きっとそれだ」


「見えるのか」


「うん」


 わたしの視線を父が追う。


「おれにも見えたよ」


「そう」


「でも薄いな。おまえに言われなければ、きっと見えなかった」


「消えたわ」


「何時からだ」


「どっちが」


「おまえに見えるようになった方」


「たぶん最初から。パパにも見えるのね」


「でも本当にはいないぞ」


「知ってるわよ。ねえパパ、他に子供はいないの」


「種無しなんだよ」


「じゃあ、お母さんは頑張ったのね」


「おれも付き合わされたけどな」


「他に付き合わされた人はいないの」


「おれが結婚したのは雅代だけだ」


「パパが浮気をしていて、それで精子が薄かっただけじゃないの」


「おまえな」


「じゃ、お母さんといたときパパは浮気をしなかったの」


「雅代はおれを縛らなかったよ」


「ならパパも浮気をしなかったはずだわ。その辺りは律儀なのよね」


「日向はどうだ」


「ぜんぜん律儀じゃないわよ。パパの半分もない」


「背中に羽根があるせいか」


「見えるの」


「ああ、薄いがね」


「そっか、わたしの背中には羽根があったのか」


「本当にはないぞ」


「うん。でもパパにはわたしを飛ばしてくれる気があるのね」

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