4 双子
健がわたしの姿を想い描いてマスターベーションをしていると気づいたのはいつだろう。
直接確かめたわけではないので真偽のほどは不明だが……。
健がわたしの姿を想い描いて初めてマスターベーションをしたのはいつだろう。
あるいは記念すべき第一回目――ただし夢精?――がわたしだった可能性は……。
わたしがピンナップガールだったならば、それはきっと名誉なことだ。
けれどもわたしはピンナップガールではないし、当時のわたしはまだ中学生だ。
不思議なことに健のその行為に対する不快感はわたしの中のどこにもない。
ただ困ったなと少し思っただけだ。
わたしたち二人は奇妙な生き物。
子供の頃はまるで一心同体。
生まれた場所も血筋もまるで違うというのに……。
健と長い間一緒にいて、わたしは飽きを感じたことがない。
健の方がどうだったか聞いたことはないが……。
わたしの母がわたしの父と離婚して、生まれて半年経たないわたしを連れて健の家がある街に移り住む。
その偶然が、わたしには必然にしか思えない。
出会うべきして、わたしたち二人は出会ったのだ。
詳しい経緯までは聞かされていないが、わたしの母が健の母の世話を受けたのも必然だろう。
健の家は半分わたしの家でもある。
母が働きに出ている間、わたしは健の家に預けられる。
母が出張で家を数日空けるときにも、わたしは健の家に預けられる。
健の母は半分わたしの母なのだ。
健の父の方はそうでもなかったが、それでもわたしを邪険に扱ったことは一度もない。
だからわたしには現実的に父はいないが、まったく父がいなかったとも言い難い。
健の父は十分わたしの父なのだ。
健の母が十分以上にわたしの母であるように……。
わたしと健はほぼ双子だ。
実際には擬似姉弟だが、歳の差はたったの数ヶ月。
子供の頃にはいつも二人だけで遊んでいる。
そこに近所の子供たちが割り込むことがあっても、その本質は変わらない。
変わらないと知っている。けれどもそれが変わってくる。
時間経過とともに変わってくる。
関係性が変わってくる。
初めは信じられないが、嘘とは思えなくなってくる。
身体の形が変わってくる。
それにつれて変わってくる。
心の形が変わってくる。
それにつれて変わってくる。
そこに気持ちの揺れが加わって変化が大きくうねるのだ。
やがて二度目の身体の変化がやってくる。
心の変化がやってくる。
気持ちの振れ幅も変わってきて健がわたしに恋をする。
いや、それは恋ではなくて純粋な身体の欲求だろう。
何故なら第二次性徴期が訪れるまで健はわたしにそんな気持ちを抱いたことがなかったからだ。
その同じ時期にわたしも第二次性徴期を迎えていたが、わたしは健に恋をしない。
どうしてだろう。
わたしに本当の父親がいないからか。
それともわたしの視る幻視のためか。
わたしが初めて視た幻視が何だったのか、わたしはまったく憶えていない。
が、それは道理で幻視が幻視とわかるには現実と幻との区別がつかなければならないからだ。
けれども幼稚園に上がる前には見えていたはずだ。
自分にはっきりと見えるモノが他人には見えないのだと自覚したのが幼稚園のときだったから……。
幼稚園の友だちには剥き出しの丸い目玉が見えないのだ。
下半身だけで徘徊する奇妙な怪物が見えないのだ。
ときには音まで伴って笑う口が見えないのだ。
うねうねと天井を這う肺や心臓が見えないのだ。
訊ねると健にもそれらが見えなくて幼いわたしが絶望を知る。
同じクラスの幼稚園児たちに嘘つき呼ばわりされて困惑してしまう。
幸いわたしの母には似たような気質があって、自分ではまるで見えないくせにわたしに見えたモノや景色を事細かく描写させ、それを空想して楽しむ度量があったおかげで、わたしの心は完全に毀れることなく現在に至る。
わたしが成長した分だけ母は歳を取ったが、母の心は変わらない。
度量は却って大きくなって、勤める会社では本部長まで昇り詰める。
種類は違うが、わたしと同じ理系の企業で、とある科学分野ではかなり有名なメーカーだ。
もっとも本部長とはいっても中小企業なので給与は安い。
が、それでも優にわたしの倍以上は稼いでいる。
臨時の手当てを入れればもっと多いだろう。
そんな母は昔から健のことが大好きで、どうして健と結婚しないのか、と今でも時折言われてしまう。
実家に帰ると毎度のことだ。
現実の健の居場所をわたしは知らない。
訊けばわかるが、積極的に訊く気がしない。
今に至るもわたしと健の一心同体性は残っているというのに……。
都内では珍しいジンギスカンパーティーをするからと健の母に呼ばれてわたしが母と一緒に健の家に出向くと健もまた呼ばれていて、久しぶりに会って実感する。
健は女と付き合っている。それがわたしに感じられる。
わたしがワンナイトラブに明け暮れている。それが健に感じられる。
互いに一瞬でそれがわかる。
感じられたことが感じられる。
感じたことが感じられる。
でもわたしたち二人は今では他人だ。
だから何処にでもいる幼馴染がするような一過性の会話を繰り返すことしかできないのだ。
どうしてこうなってしまったのだろう。
第二次性徴期に健に恋をしなかった自分に頑ななわたしのせいか、それとも他に理由があるのか。
わたしにはそれがわからない。
今となってはわかりたくもない。
けれどもそう思う脳裏にはチラチラと動く影がある。
捕えなければ良いものをわたしは捕らえて気づいてしまう。
気づけば形になってしまう。気づけば言葉に化けてしまう。
ああ、世間ではこのような心の動きのことを恋というのではなかろうか、と。
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