2 日向

「あああぁ……」

 

 右耳の後ろにはまだアレがいる。

 わたしの上にいる男は誰だ。

 気配しかないが、確かにいる。

 でもわたしにしか感じられない。

 

「はあはあはあはあ……」

 

 そう思うと天井から腕が生えてくる。

 腐った女の腕みたいだ。

 しばらくすると逞しい男の腕も生えてくる。

 にょきにょきにょっきりと何本も……。

 

「いい、いい、いい、いい……」

 

 そんな光景を見たくないから男を誘う。

 ベッドを共にするのにまるで効果がない。

 まったくの無意味。

 意味が無さ過ぎて笑ってしまう。

 無駄無駄無駄と白けてしまう。

 

「ああ、逝く、逝っていいかい」

 

 だから頭は冷静なのに身体は熱く火照っている。

 快感に我を忘れることができるなら、それが一番だから。

 

「いいわよ、わたしも逝く」

 

 自分で言った言葉の通りに小さなうねりが局所的に訪れる。

 もちろんそれは味わうが、最大限にまで持って行こうとは思わない。

 この前、気を失うほど高みに昇ったのはいつだろう。

 そして誰のときだっただろうか。

 

「ああ、あああ……」

 

 どうやら男が逝ったようだ。

 コンドームを付けるのが条件だったから、わたしの身体の奥深くに侵入するモノは何もない。

 けれども内臓に汗を感じる。

 熱い臓器を冷やすわたし自身の汗か。

 

「重いわ」

 

「ああ、ごめん」

 

 放出して空っぽになって女の上に落っこちてきて男は朦朧と気持ちが良いのだろうが、わたしにとってはただ重いだけだ。

 それでも気分によっては数十秒間我慢できるが……。

 今日はダメだ。

 セックスが上手くないのはたぶんお互い様だから、そのことについて文句は言わない。

 でも男よ、わたしはおまえの下僕じゃない。

 

「シャワーを浴びてくるわ」

 

 言うと男が唇を求める。

 体毛の少ない腕を伸ばして、わたしの顔を自分の顔に引き寄せる。

 その仕種が滑らかだったから、わたしは男にキスを許す。

 でもディープじゃない。唇の先を軽く触れ合わせるただけだ。

 

「……」

 

 男の熱い視線が背中を襲う。

 無言が重い。

 少しでもいい女だと思ってくれているなら嬉しいが、おそらく単にデカイ女だという印象だろう。

 わたしの身長は一七五センチメートルまで伸びて止まる。

 少なくともこの歳になる数年前から伸びていない。

 体調にもよるが体重は五〇キログラムを前後している。

 筋肉はあると思うが今のままではフルマラソンは無理かもしれない。

 そういえばずいぶん本気で走ってないな。

 

「あっ、失敗した」

 

 頭の上に持ち上げて固定した髪の毛の先を濡らしてしまう。

 いやだな。いろいろと面倒だ。

 そんな瞬間。

 胸と股間と踝を念入りに洗う。

 アンダーヘアーもそろそろ手入れをした方がいいかしら。

 ああ、面倒臭い。

 

「本当に面倒臭い」

 

 濡らした髪をリカバリーしながら声に出して言ってみる。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 見れば、

 バスタブから足が生えてくる。

 その大きな足の裏にはぎょろりとわたしを睨む目が付いている。

 はて、どう対処すればいい。

 笑えばいいのか、叫べばいいのかわからない。

 

「失敗したなぁ」

 

 健の恋人になっていれば良かったなとわたしは思う。

 またしても……。

 それで奥さんになって子供を産んで日々あくせくと暮らすのだ。

 そうすればバスタブから目の付いた足が生えてくる余裕だってないはずだ。

 

「でもねえ……」

 

 健に男としての魅力を感じたことは一度もない。

 だから恋人になることを止めたのは当時のわたしが正直過ぎたからだろう。

 けれども奥さんだったら恋人に与える愛情は必要ない。

 赤の他人が一緒に暮らすのは、どこから見ても生活だ。

 そして子供はまた別か。わたしは良いお母さんには成れそうもないが、健の子供だったら良い子のはずだ。

 健は今何処にいるんだろう。

 同じ都会の中にいることはわかるのに今のわたしにはまったく会える気がしない。

 

「はあ……」

 

 バスタオルを身体に巻いて取り敢えず男が待つベッドに戻る。

 体格に自身があるのか違うのか男はまだ裸でいる。

 背中に毛がないのは当然として脛の毛も薄いのが好印象だ。

 鼻がバランスを毀しているが、それを除けば十分イケメンの部類だろう。

 わたしのことは気に入ってくれたかな。

 聞く。

 

「良かった」

 

「良かったよ」

 

 聞いたらすぐに返事が返る。

 

「どう良かったの」


「きみの反応が素敵だった」


「ありがとう。でもしている間、他のこと考えてるような女だよ」


「確かにね」


「わかったの」


「わからいでか」


「でもいいんだ」


「きみは自分にもっと自信を持った方がいいと思うな。だけどお節介だから、それ以上は言わない」


「そうね、言われてすぐ直るわけでもないし……」


「順番が逆だけど、これからご飯を食べに行かない」


「いいけど、わたしはあなたのカノジョにはならないわよ」


「なれない、じゃなくて、ならないわ、ならば少しは脈がありそうだね」


「楽天家なのね」


「名前くらいは教えてよ」


「ダメ。それは最初に約束した通り。でも仮名をあげましょうか。背が高いからタカコでどう」


「色気がないな……。ま、いいけど。オレの方は日向武(ひゅうが・たける)。軍艦と日本神話の混合物だよ。さすがに尊の字は付いてないけど」


 わたしは男の名前を聞いて驚愕する。

 健とわたしが入っていたから……。

 瞬時、神様もたまには面白いことをするなと感じるが、同時に疲れもドッと出る。

 

「何が食べたい」

 

「任せるわ。女の扱いに慣れていないわけでもないでしょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る