第一楽章 独奏- solo - 

豪華列車と少女

 大通りから少し入った小さな暗い路地裏に、血だらけで壁に寄りかかって座っている人影があった。荒い息使いが暗闇に響いている。


「死にたく、ない・・・」


 か細く呟いたその声は声変わりをしていない少年のもののようだ。

体が小刻みに震えており、手にある黒い拳銃がカタカタと音を立てている。彼の傍らには全く動く様子が無い別の少年と思しき人影が倒れていた。


——何故、こんな事になったのだろう。


 もうすぐ軍もここへ来るのではないだろうか。

先程誰かの足音が聞こえた気がする。きっともうすぐ捕まるのだ。


こんなはずじゃなかったのに——と、人影はふっと空を仰いだ。


 路地裏の淀んだ紅とは反対の、夜空の澄み切った黒が見えた。

 吸い込まれそうな、遠い、星空が見えた。


「・・・もう、戻って来ないのにな」


悲しげな笑みをこぼし、人影は天に向かって呟く。


「なあ、俺はどうしたらいいんだよ?教えてくれよ、いつもみたいにさ」


天に向けた問いかけは、答えのないままただ吸い込まれていくだけで。

 人影から一筋の光が反射し、紅へ零れ落ちていった——。







+    +    +







 雲ひとつない青空が広がっている昼時。

首都に続く第二の都市・オーヴェストにある『リヴ・ロワレ駅』のホームは、沢山の人で溢れていた。人と人との隙間が殆どなく、移動すら困難な状態である。

 その光景を駅構内の喫茶店のガラス越しで、優雅に紅茶を飲みながら見ている一人の青年がいた。藤色の長い髪を一つに緩く結び、正装を見事に着こなしている。歳は二十歳くらいか。大小サイズの違うトランクを傍らに置いていることと腕時計を気にしていることから彼もまた旅行者であることが判る。これからホームの人の群れに飲まれていくことだろう。


「さて、そろそろ行くかな」


青年はそう呟くと、胸ポケットから切符を取りだした。


『ルーナ・レアーレ急行 13時4分発

     リヴ・ロワレ―カルディネ間 S-103号室』


 チケットに書かれている時間と腕時計を交互に見て15分前であることを確認すると、彼はチケットを胸ポケットにしまって立ち上がり、両手にサイズの違うトランクを持って会計を済ませ店を出た瞬間、———ドンッ!!


「おっと・・・」


「きゃっ・・・!!」


—— 出会い頭に人とぶつかった。

 相手は叫んで尻もちをつき、その手に持っていたトランクも音を立てて地面に落ちた。青年は慌てて自分の右手に持っていた大きい方のトランクを地面に置き、相手に右手を差し出した。


「すみません!大丈夫ですか!?」


「あ・・・ええ、ありがとうございます」



 そう言って青年の手を取ったのは、長い黒髪と蒼い瞳を持った小柄な少女だった。

ミルキー色のブラウスと茶色系のロングスカートを着ている。歳は15歳前後くらいだろう。

 少女は青年の手を取って立ち上がると困ったように笑って謝罪した。



「すみません、よそ見してて・・・」


「あ、いいえ。お怪我はありませんか?」


「ええ。優しいお兄さんね」



そうクスクスと笑う少女に、いえいえ、と青年も微笑んで返す。



「お嬢さんはどちらまで?」


「カルディネよ。初めて駅に来たから何処に何があるのか全然わからなくて・・・」


「あ、それなら僕も首都まで行くから一緒に行く?」



 青年がそう申し出ると、少女は笑顔を消して考え込む仕草をする。

どうしたんだ、と青年が訝しげに見ていると、少女が真剣な表情で聞いてきた。



「お兄さん、本当に列車に乗るの?」


「え・・・?」



 予想外の質問に思わず口から声が漏れる。

 少女は疑わしげに言った。



「お兄さん、実は悪い人かもしれないもの」



青年は唖然として少女を見つめ返し、そして、クスクスと笑いながら少女に切符を見せる。



「これでいいかな?」



少女はまじまじとそれを見ると、納得した様子で頷いて青年に微笑みかけた。



「確かに電車の切符ね。——疑ってごめんなさい。一緒に行ってくれるかしら?」


「ええ、喜んで」



青年はそう快く返すと、腕時計を覗いて時間を確認した。——12分前だ。

 自分と少女のトランクを右手で持つと、彼はふわりと微笑んだ。



「さて、早くいかないと遅刻しちゃうよ。急ごう」


「あ!自分の荷物は自分で持つわ!」


「女性に荷物を持たせるなっていうのが親の教えでね」



そう言ってさっさと歩き出す青年の後を少女が慌てて追って行き、横に並ぼうと足早で駆け寄る。



「お兄さん、待って・・・!」


「あ、僕はクロードって言いますが、君は?」



青年は優雅な笑みを浮かべながら少女を振り返って名乗った。少女はその脈絡のなさに呆気にとられつつ、同じように名乗る。



「ルナ・・・」


「ルナ、か。——いい名前だね。今から乗る列車と同じ名前だ」



そう手放しで褒められてルナは顔を赤らめた。

ちょっと違うんだけど、と口の中だけで反論したが、クロードには届かなかった。





 五分程歩いて、二人は目的の列車に辿りついた。


——豪華列車「ルーナ・レアーレ急行」。

 10輌もあるとても豪華な寝台列車である。料金の高い順にSクラス、Aクラス、Bクラスと分かれており、各クラス2車輌ずつで1車輌につき4部屋の寝室がある。それぞれに1輌ずつ食堂車があり、SクラスとAクラスの輌間には、バーになっている車輌が1輌ある。

 二人が今いる位置はAクラスの寝台車輌の前だ。車窓の内側に高価そうなカーテンが掛かっていて中は見えない。

 ルナが物珍しそうに列車を眺めているところに、クロードが聞いた。


「ルナはどの車輌に乗るの?」


そう質問され、ルナはごそごそと切符を探し、クロードに差し出した。


「これが私の切符なんだけど・・・」


「どれどれ・・」



『ルーナ・レアーレ急行 13時4分発

     リヴ・ロワレ―カルディネ間 S-105号室』



——「S」。

 Sクラスを意味する文字。クロードは少々驚いてそれを見返したが、何でもなかったかのようにルナに微笑んだ。


「 一緒の車輌だね。僕の隣の部屋だよ」


「あ、そうなの?良かったわ」


ルナがほっとしたように返し、二人はSクラス車輌の方へと向かう。

 やがてキラキラと輝くシャンデリアと大理石と見られる壁が車窓の中にチラリと見え始め、またルナが立ち止まった。それに気付いてクロードは彼女を振り返る。


「どうかした?」


「いや・・・さっきもすごかったけど、こっちの方がもっとすごいから・・・」


それに、と少女は車両の前に大勢いる乗客達の方を見やった。

 男性はクロードのような正装、女性はドレスが大半を占めている。


——こんなにお金持ちの列車だったなんて。



「——・・・」



ルナの小さな呟きを聞き逃さなかったクロードが怪訝そうにルナを見つめていると、「発車時刻3分前で御座います」と言う車掌の声が聞こえたので我に返り、慌ててルナを呼んだ。


「ルナ、もうすぐ発車するから早く乗ろう」


「あ・・・うん!」


二人はやっとSクラス車輌の入口へ到着し、クロードがそこに掛かっている階段に一歩足を乗せた——その時だった。


「お客様!お待ち下さい!!」


慌てた様子の車掌に引き止められた。二人が振り返ると、二十代半ばの若い男が少し引きつった笑顔でそこに居た。

 クロードは驚いた声で聞き返す。


「えっと、何か?」


「恐れ入りますが、切符を拝見して宜しいでしょうか?」


「ええ・・・」



クロードが胸ポケットから切符を取り出そうとしたが、それを途中で車掌が止めた。



「いえクロード様ではなく、そちらの女性の方のものを」


「あ、はい・・・!」


ルナが慌てて切符を探しだす傍ら、クロードが柔和な笑みを浮かべて車掌に問うた。


「何故、彼女だけなんですか?」


「クロード様がご乗車されることはすでに確認致しておりますので、それに最近『偽物』が流通しているとの噂もありますので」


車掌はそう口早に説明すると、ルナに一礼する。


「切符を拝見致します」


車掌は微笑んでいるが、瞳は早く見せろ、とルナに命令していた。

 ルナは素直に切符を差し出し、車掌はそれを念入りに調べる。



「ありがとうございました」



そう言って切符をルナに返すと、去り際に小さく吐き捨てた。



「あんな貧相な服でこの列車に乗るなんて・・・身の程を知らずが」


「・・・っ!?」



聞き間違えだろうか、とルナが面くらって車掌の背中を呆然と見ていると、



「——あまりにも失礼じゃないですか?車掌さん」



と、クロードが車掌に声をかけた。

慌てて振り返った車掌に、クロードは紳士的な笑みを向けた。



「彼女は私の友人です。そのような暴言はなさらぬよう」



表情とは裏腹に、酷く冷たい声色のクロードに車掌が狼狽えた様子で弁解した。



「クロード様!暴言だなんてそんな・・・ただ、何と言いますかその・・・」


「王家御用達の列車の車掌が、随分酷い事をおっしゃる。それに偽物だと疑いをかけておいて謝罪の一言もないのですか?」


「いや・・・相応しいお召し物をといいますか、至って庶民的な恰好をされていたもので、疑わしいと思い——」


「なるほど、人を見た目で判断するわけですね」


言い返そうとして、車掌は恐怖の表情で固まった。

——クロードの眼が全く笑っていないことに気付いたからだ。


「——『身の程知らず』は貴方だ」


 クロードはそう低く言うと、目をまん丸く見開いて自分を見ているルナに視線を滑らせて、ふわりと微笑んだ。


「ルナ、乗るよ」


「・・・う、うんっ!」


ルナはハッとして返事を返し、すでに列車に乗り込んだクロードの後に続く。クロードは車輌の中へ荷物を置いて振り返ると、すっとルナに手を差し出した。


「・・・ありがとう」


にこりと満面の笑みで言い、ルナはその手を取った。


「ルーナ・レアーレ急行、発車致します」


アナウンスの声の後、発車のベルが鳴り響く。

 ルーナ・レアーレ急行は蒸気の音を豪快に鳴らしながら、首都へ向かって出発した。






+    +    +






——ガタンゴトン、ガタンゴトン。

規則正しい音が響いている。

 ほんの少し車体を揺らしながら、豪華列車「ルーナ・レアーレ急行」は、東西に広大な国土を持つこの国・リマロアを横断するように敷かれる最も大きな鉄道を走っていた。

 この鉄道は西から、第二都市である西のオーヴェスト、ほとんどが山と放牧地である北のロヴァイオ、中央に位置する首都・カルディネ、貿易港のある南のメリディオ、最後に有名な観光地である東のオルトを通る。

 その列車の一室で、ルナはふかふかしている高級そうなソファーに落ち着かない様子で座っていた。彼女の居るSクラスの寝台車は約六畳ほどの広さで、廊下と同じようにキラキラと輝くシャンデリアが天井に飾られており、壁は大理石でできていた。ベッドもまたふかふかで真新しいシーツが敷かれ、掛け布団もおしゃれである。

 一部のお金持ちしか乗れないSクラスの寝台車に気おくれしていると、コンコン、とドアがノックされた。


「僕だけど、ちょっといいかな」


その声に「どうぞ」と返事をすると、クロードが優雅な笑みでドアから顔を覗かせた。


「ど、どうしたの?」


「僕の部屋で一緒にお茶なんてどうかなって思って」


少し照れたように笑うクロードに、ルナはドキドキしながら返した。


「ええ、いいわよ」






 クロードの部屋もルナの部屋と変わらない造りだった。

ルナとは違い、落ち着いた様子で乗務員に持ってこさせた二つの紅茶をテーブルに置き、クロードはルナの向かいにあるソファーに静かに腰を下ろした。その一連の動作はとても優雅で、ルナはいつの間にか見惚れていた。

 クロードは早速紅茶を一口飲み、息をついた。


「ルナは首都へ何しに行くの?観光?」


「——・・・っ」


そう切り出され、ルナは驚いた表情でクロードを見返した。その表情を見てクロードは慌てて付け足す。


「あ・・・女の子が一人旅っていうのがちょっと気になっただけなんだけど」


「あ、えっと、『ラファエルル・レアーレ』ってホテルで人と会う約束をしてるの」


ルナがそう言うと、クロードはとても驚いた様子で聞き返した。


「ラファエルル、って・・・あんな高級ホテルで・・・?」


「え、あ、うん・・・」


「——そうなんだ」


 いまいち歯切れの悪い答えに若干の不信感を覚えたが、クロードはそれ以上は踏み込むのをやめた。


——不思議な子だな。

服装は普通なのに、この豪華列車に乗って高級ホテルで人と会う、なんて。


 クロードがそう疑問に思いながら紅茶を飲んでいると、今度はルナがクロードに問うた。


「クロードは、首都には何しに行くの?」


「僕は——僕も君と同じ、かな」


少し考えてからクロードはそう言い直し、でも、と微笑む。


「列車に乗ることも目的、かな」


「え・・・?」


ルナが首を傾げると、クロードはふわりと笑った。


「ここは僕の仕事場だから」


「——仕事場・・・?」


ルナが聞き返したその時、コンコン――とドアがノックされた。

クロードがああ、と微笑む。


「丁度いい。——どうぞ」


前半は呟くように言い、後半はドアの向こうに投げかけた。

 すると、「失礼します」という声と共に、乗務員がドアを開けて室内に入ってきた。


「クロード様。本日から3日間、宜しくお願い致します」


「ええ、宜しくお願いします」


「本日の日程ですが、初日ということで18時からと21時からの計2時間の予定でございます」


「あれ・・・?もう少し多くても良かったのに・・・」


「長旅になりますので、お体を大事になさってください」


「・・・解りました。有難うございます」


クロードがふわりと微笑み返すと、乗務員も笑顔で一例し「それでは失礼いたしました」と出て行こうとした時、「あ、待って下さい」とクロードが呼びとめた。

 乗務員は振り返り、クロードにまた向かい合う。


「他に何か御座いましたか?」


「ええ、彼女にドレスを仕立てて頂きたいんです」


——え?

 言葉を理解できずにルナは目を見開いてクロードを見たが、そんな彼女を尻目にクロードは話を続けていく。


「できれば可愛らしい感じのものがいいんだけど」


「かしこまりました」


乗務員はにこやかに一礼し、クロードに微笑みかけた。


「可愛らしいご夫人ですね。クロード様」


「あ、いや・・・彼女は・・・」


クロードが赤面し、しどろもどろに返す。


——あれ?今・・・何て・・・。


 ルナは聞き間違いかと、クロードから乗務員に視線を移した。

すると乗務員はそれに気づいてルナに微笑みかける。



「では奥様、準備が出来ましたらお呼び致します」


「は・・・?」


——『奥様』

 何だかとんでもない言葉が耳を通り抜けていった気がする。

ぽかんとしているルナと照れているクロードに、乗務員は「失礼致します」と言って静かに部屋を出て行った。

 そして、少し経ってからルナは顔を真っ赤にして叫んだ。


「今、奥様って言ったよね!?あの人!」


「あー・・・何か訂正するタイミングを見失っちゃったなぁ。まあ、そういうことにしといてもいいけどね」


「も・・・もう・・・」


ごめんね、と微笑んで返すクロードにドキドキしつつ、そういえば、とルナは疑問を述べた。


「さっき言ってた日程って・・・?それに何で私にドレスなんて・・・」


「んー・・・ドレスは君の今の服が変に目立つから着替えて貰おうと思って。Sランクの車両にいる女性はほとんどの方がドレスを召されてるからね」


クロードが後者を先に答えると、ルナが呟くように返す。


「でも私・・・お金が・・・」


「心配しなくていいよ、いらないから」


「でも・・・!!」


ルナが声を上げると、クロードは身を乗り出してルナの口の前で人差し指を立てた。


「僕の好意だから。受け取ってくれないかな?」


綺麗な笑みを浮かべてそう言ったクロード。ルナは真っ赤になって固まった。

 そして彼女がこくっと頷くのを満足そうに確認すると、クロードは立ち上がって小さいトランクを取りに行き、テーブルに置いた。


「後、仕事のことだけど」


そう言いながら小さいトランクを開く。

 すると、中には沢山の紙の束と本が入っていた。クロードは束になっている紙を一つ取り出して広げて見せる。


「・・・楽譜?」


「そう、僕のとても大切なもの」


クロードはふわりと優雅に微笑み、大事そうに楽譜を撫でる。

 そして、ルナにも同じ笑みを向けて言った。



「——僕は、ピアニストなんだ。この列車にはピアノを演奏しに来たんだよ」

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