- part:Vartok -
目を開けると、見覚えのない真っ白な天井が見えた。
ここはどこだろう、と男が横になっていた体を起こそうとすると、ガンガンと頭に痛みが走った。
「・・・ってえ」
「あ、目が覚めたんですね!」
高いアルトの声がした方を頭をおさえながらのっそり振り向くと、軍服を着た爽やかな青年が丸椅子に座ってこちらを見ていた。男はしばらくぼーっと彼を見ていたが急にガバッと起き上がり、きょろきょろと何かを探すように辺りを見回し始めた。
何事かと心配そうに青年が声を掛ける。
「あの・・・どうかしました?」
その声も無視して男は出口のドアに向かって歩き出した——が、三歩目に地面がなく盛大にすっ転んだ。
「・・・ってえ」
どうやらベッドに寝かされていたらしい。
昨日も同じ様に転んだ記憶がある気がするが、よく覚えていない。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てふためいて青年が男に駆け寄るが、男は大丈夫だ、と言って自力で体を起こし、頭と体の痛みにはーっとため息をついてベッドを支えによろよろと立ちあがった。
「ここは・・・?」
「軍本部の医務室です。昨日の夜中に、酔いつぶれていた貴方を運んできたんですよ」
あのままじゃ危ないですからね、と青年はにこやかに説明する。
男は昨夜のことを思い出そうとするが、ふわふわした光くらいしか思い出せなかった。記憶がほとんど飛んでいて、目の前の爽やか好青年を思い出すどころの話ではない。
「あー・・・悪かったな。俺はもう大丈夫だから」
「あぁーっ!待って下さい!!上の者が聞きたいことがあるそうなんで!!」
出口に向かって歩き出そうとすると、青年が慌てた様子で立ち上がり、男の腕を掴んで阻止した。男はとても嫌そうな顔で青年を振り返った。
「・・・聞きたいこと?」
「あ、はい・・・もう少しでこちらに来ると思うので、それまで待って貰えませんか?」
少々怯えながらもお願いをする青年の顔をじっと見て、男は少しだけ考える素振りを見せたかと思うと、ふう、とため息をついてベッドに腰掛けた。その様子を見て良かった、と心底ほっとしたように呟き、青年も丸椅子に座る。
男はポケットから煙草とライターを取り出し、煙草に火をつけた。
——面倒なことに巻き込まれたな。飲みすぎるとろくなことがない。
そう心の中でぼやいていると、青年が間を持たせようと話しかけてきた。
「あの僕、ニニ・マルティと言いますが、・・・貴方は?」
「・・・ヴァルトーク」
面倒臭そうに短く男が名乗る。
青年——ニニはにへらっと人懐っこく笑って続けた。
「ヴァルトークさんはお酒が好きなんですか?でも飲みすぎはほどほどにして下さいよ?アルコール中毒って怖いですから」
「ああ・・・」
「まあ、僕が言えることじゃないんですけどね!僕、お酒にすっごく弱いんで、いつもダウンして大尉に迷惑かけてます」
てへへ、とニニが苦笑する。
一人で良く喋る奴だな、とヴァルトークは変に感心した。
「で、昨日どちらで飲んでいたんですか?」
「酒場に決まってんだろ」
またそっけなく答えるヴァルトークに灰皿を渡しながら、ニニはへー、と感嘆の声を出す。
「あそこの路地にあったんですねー!僕、全然知らなかったなぁ」
「だから何だよ?」
「あ、そうです・・・よね・・・あははは・・・あー、・・・ヴァルトークさんっておいくつなんですか?」
「25」
「普段は何されてるんです?」
「お前の知らないこと」
「えーなんですかそれー」
なんだかんだ根掘り葉掘り聞いてくるニニに嫌気が差したのか、ヴァルトークはほとんど吸っていない煙草の火を灰皿にグシャッと押しつけて立ち上がった。
ニニが彼を見上げて首をかしげる。
「あ、どうかしました?」
「帰る」
「え!?待ってくれるんじゃないんですか!?何で急に・・・ちょっ!ヴァルトークさん!!」
必死で止めようとするニニを完璧に無視し、ヴァルトークは素早く部屋を出ていった。左右に伸びている廊下を迷わずに左に曲がっていく影を慌てて追うが、ニニがドアから顔を出した時には——ヴァルトークの姿はなかった。
「——え・・・?」
——どうしよう。
「少尉、どうしたの?」
呆然と突っ立っているニニの後ろから、凛とした声が響いた。
ギクッとして振り返ると、そこにはポニーテールの女性が立っていた。
「た、大尉、その・・・」
「あの人はまだ寝てる?」
「あの、すみません・・・帰っちゃいました・・・」
あはは、とひきつった笑顔を浮かべるニニ。
そんな顔になる理由は、先程言った「ヴァルトークに聞きたいことがある上官」とは彼女のことであり、でも彼女が来る前にヴァルトークは帰ってしまったことになるからつまりは命令を遂行できなかったという訳で。
「——いつ!?」
「つい今しがたです!!!」
案の定、怒気のこもった声が返ってきたのでひぃい!!と涙目になってニニが叫ぶように答えると、女性は急いでヴァルトークの後を追っていった。
+ + +
ヴァルトークは軍の建物を出て、白い城壁のような壁にある立派な門までの道を歩いていた。そして煙草を取り出し、ポケットを叩きながらライターをごそごそと探すが、見当たらない。
——あ・・・忘れてきたか。
チッと舌打ちをしつつ、火がないとどうにもならないので煙草をしまい、門を出ようとした——その時だった。
「そこの人、止まって!!」
自分に言われていると思わず無視をしていたら、後ろから腕を掴まれた。
ヴァルトークが後ろを振り返ると、ポニーテールの女性が息を切らしてこちらを見上げている。何となく見覚えがある気がしたのでどこで会ったのか考えていると、相手が話し掛けてきた。
「貴方・・・にっ・・・聞き、たいことが、あるの・・・っ」
途切れ途切れに言葉を繋ぎながら話す女性の胸元のピンバッジをチラリと見て、ヴァルトークはああ、と苦笑した。
「銅色が3本ってことは、あんたもしかして、さっきのニニっていう奴の上官?」
「そうよ、待っててって言われなかった?」
「悪い悪い、女だって言ってくれれば待ってたんだけどな」
ヴァルトークがにやりと笑いながら言うのを聞き、女性は心底嫌そうな顔をした。
「昨日助けなきゃ良かったかしら・・・」
女性の顔を見ていて、ヴァルトークはだんだんと昨夜の事を思い出してきた。
——酒場を出て、ランプの灯りが近づいてきて、転んで、ランプが割れて、女性の顔が見えて——あれ、何か違う。
そこでヴァルトークの回想は遮られた。
「ねえ、貴方。——昨日酒場で飲んでたって言ったわよね?」
ニニとは違い、何か探っているような女性の聞き方。それに引っかかりつつ、ヴァルトークは億劫そうに答えた。
「ああ、そうだけど?」
「その場所を教えてくれないかしら?」
—— 一瞬押し黙ったが、ヴァルトークはすぐにふっといたずらっぽく笑った。
「あんたのようないい女に教えるほど、お洒落な店でもないぜ?」
「関係ない、いいから教えて」
その言葉と一緒に、ヴァルトークを掴んでいる女性の右手に力が入る。
ヴァルトークは面白そうに聞き返した。
「あんた、何でそんなに知りたがるんだよ?」
「それは言えない」
「ふーん・・・」
真っ直ぐに見つめてくる彼女と、しばし目を合わせた後、ヴァルトークは自分の右腕を掴んでいる彼女の手をそっと外して残念そうな声を上げた。
「何だ、デートの誘いだったら良かったのに」
「え・・・?」
女性が虚を衝かれた顔をしているの見て、ヴァルトークはいじわるそうな笑みを浮かべた。
「昨日は良く見えなかったけど、あんた結構美人だし」
「な、何言って——」
「名前、何て言うの?」
ヴァルトークが唐突に尋ねる。
え、と驚いた声を出す女性に、彼はもう一度問う。
「名前教えてよ?」
「——サラ」
「サラ、ね。俺はヴァルトーク」
遅い名乗り合いをしたところで、ヴァルトークは女性——サラの頭をぽんと軽く叩いて軍本部の門を出た。
そして人通りの多いにぎやかな表通りを少し歩いた所でサラを振り返る。
「今度俺とデートしてくれたら教えてやるよ!サラ大尉!」
「な・・・っ」
サラが呆気に取られているうちに、ヴァルトークは手を振りながら人ごみに消えて行った。
+ + +
カランカラン——。
無機質な金属の音が鳴り響き、ドアが開く。
酒場の若い店主はグラスを拭いていた手を止め、入口を見やった。
「いらっしゃいませ。ああ、昨日はちゃんと帰れましたか?ヴァルトーク」
透明感のある柔らかな声色で問うたのは、綺麗な金の長髪を高い位置で結び、黒縁の眼鏡を掛けている20代後半くらいの青年だ。
ヴァルトークは煙草を吹かしながら店主の前のカウンター席に座ると、苦い顔をして呟いた。
「・・・途中でぶっ倒れた」
「全く・・・だから言ったでしょう、泊って行きなさいって」
呆れた風に言い、店主はグラスを後ろの棚にしまった。
ヴァルトークはバツが悪い顔で押し黙る。そんな彼に、店主は再度問いかけた。
「で、一晩道端で寝てたんですか?」
「いや・・・あー・・・女に助けて貰った」
「へえ・・・それはまた情けないですね。飲みたい気持ちも解りますが、自分で帰れる程度で飲んで頂かないと」
ふわりとした柔らかい笑みを上品に浮かべているが、何処か感情が感じられない。
ヴァルトークは少々寒気を覚えながらも弁解した。
「昨日はいいじゃねえか!兄貴の誕生日なんだしさ」
「それはそれ、これはこれ。私が言っているのは酒は飲んでも呑まれるなってことですよ」
「・・・イリスは相変わらず客にうるせぇな」
「こちらとしても迷惑なんですよ。何かあったらね」
イリスと呼ばれた店主は苦笑しているヴァルトークに鋭くそう返し、灰皿を彼に差し出した。ヴァルトークは礼を言って新しく買ったライターで煙草に火をつけると、そういえば、とイリスに切り出した。
「あいつはまだ帰ってないのか?そろそろだろ」
「えぇ、今日手紙が届きました。明後日到着する列車で来るそうです」
「ふーん・・・じゃあ俺もその日は開けとくかな」
ヴァルトークが嬉しそうに微笑むと、イリスも微笑みを返した。
「貴方はいつでも暇でしょう?」
「あぁっ!?・・・ひっでぇなぁ、おい」
自分の吐いた毒に声を上げるヴァルトークを見て、イリスはそれはそれは面白そうに笑った。すっかり遊ばれているヴァルトークはムッとした表情で煙草を吹かす。
「なんだよ、イリスだって暇人だろうが」
「私が働くのは夜なので」
「あぁ?夜だって対して客入ってねえだ——」
「喧嘩売ってるんですか?ヴァルトーク」
最後まで言わせず、黒い雰囲気を醸し出しながら少し低い声色でヴァルトークに問うイリス。彼の急変にヴァルトークはごほっごほっ、と煙草の煙にむせた。
「しょうがないでしょう?ここは隠れ家みたいなものなんです。それとも何ですか?貴方がお客様連れてきてくれますか?」
「わ、悪かったって!怒るなよ」
「そういう失言があるから、貴方はいつまでも独り身なんですよ」
「お前に言われたくねえよっ!!」
——お前だって独り身だろう、この若づくりめ。
ヴァルトークはそう心の中で呟いて煙草を吸おうとしたら、イリスがそれを取り上げる。何すんだ、と文句を言おうしたが、彼の冷たさを宿した目に臆して何も言えなくなった。
「若づくりじゃないですから」
「・・・あ、はい。すみません」
ヴァルトークはひきつった笑みを浮かべた。
——俺、今声に出したっけ?
イリスは取り上げた煙草をヴァルトークに返すと、バーにある年代物のスクエア・ピアノを見ながら優しい微笑みを浮かべた。
「・・・会えるのが楽しみですよ、クロード」
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