- part:sarah -



 月が満ちた夜だった。

首都・カルディネも昼間の賑やかな様子が嘘のように、夜の静寂につつまれている。

 国王が鎮座するこの街の中枢にこの国の軍本部はあった。青い屋根と白い壁の縦長の建物が横に三つ連なり、他の二つより少し高い中央の建物の壁には軍の紋章が飾られ、それらの周りを白く厚い壁が囲んでいる。それはまるで牢獄のようにもみえた。


 そんな軍本部の中の一室で、窓から外を眺める一人の女性がいた。

長い黒髪のポニーテールに凛とした綺麗な顔立ち。年齢は20代前半くらいか。

 つけっ放しのテレビを背にし、手にコーヒーカップを持って窓際の小さな椅子に座っている。彼女はすっと温かいコーヒーを一口飲んで嘆息すると、夜空に向かって静かに呟いた。


「——あの時と同じね」


 寂しげで何処か悲しい声色。その言葉を遮るかのように「続いてのニュースです」とつけっ放しのテレビから声が響いた。

『カルディネの悪夢』——そうテロップが流れ、キャスターの女性が淡々とニュースを読み上げる。


『皆様の記憶にも鮮明に残っていることでしょう。三年前の今日、首都・カルディネの路地裏で起こった悲惨な殺人――「路地裏殺人事件」』


 女性は振り返りはしなかったが、意識は完全に夜空からテレビへ移っていた。


『この事件の被害者はルカ・ウル・ジェルマ少尉、16歳。発見当時、現場には誰もおらず、犯人は逃走したものと思われます。現場には大量の血痕が残っていた為、被害者だけでなく犯人も多量の血を流していると思われており、軍本部は当初、犯人はそう遠くへは逃げられないと踏んでいましたが、捕まらないまま現在に——』


—— ブツン

と、女性は唐突にテレビを切った。そしてまたコーヒーを一口飲んでからカップをテーブルに置いて立ちあがると、彼女は軍服に着替え始めた。

 軍服は上下共に濃紺で上着の襟の部分にキラキラと輝く銀色の糸で軍の紋章が刺繍がしてある。二つの胸ポケットの片方には位を表すピンバッジが三つ留めてあった。

三本の銅色のそれが表す軍位は——『大尉』。


 女性は上着の上からしっかりとベルトを締め、拳銃を腰に差した。

自分の道を表す象徴であるそれらはいつ纏っても本来の重さ以上の重みを感じる。


——三年経つのか。


 彼女は心の中で呟き、眉間にしわを寄せて悔しそうに唇を噛んだ。


 自分をこの道へと追いやった、あの事件。

 愛する人を奪った、あの満月の夜。


貴方を殺した犯人を、絶対に捕まえる。たとえ何年かかろうとも、諦めない。

 そう、自分に——彼に、約束をしたのだ・・・。


 コンコン——とドアがノックされる音で、彼女は回想から現実に引き戻された。

「どうぞ」と応えると、「失礼します」の声の後にドアが開き、爽やかな笑顔の青年が顔を覗かせた。


「失礼します!大尉、パトロールの時間ですよ」


「ええ、行きましょう」


 女性は凛とした声でそう返した。






+   +   +







「今日は泊まっていったらいかがですか?」


「大丈夫だ。じゃあ、またな」


「ええ、お気をつけて」


 カランカラン——無機質な金属の音と共に、男は千鳥足で酒場を出た。入口の横の小さなランプが足元を照らしているが、ほんの1メートル程しか光は届いていないので、他に電灯のない路地裏はすぐに真っ暗になる。男は周りの建物の壁を支えにしながらゆっくり歩いていくが、案の定、途中で盛大にすっ転んだ。

 はあ、と息を吐きだし、仰向けに寝転んで、やはり酒場に泊めてもらえば良かったか、と朦朧とした頭で考えていた時、ふわりとした灯りが視界に入った。

 男は自嘲するような薄笑いを浮かべて呟く。


「幻覚?幽霊か?——俺、本当にやべーかもなぁ・・・」


「貴方、大丈夫・・・?」


凛とした女性の声がして、男はその灯りがランプであることに気が付いた。

それによって浮かび上がったその持ち主の気の強そうな美しい顔に一瞬見惚れたが、急にがばっと跳ね起た——が、ふらついてまた地面に倒れかける。

 しかし女性が素早く彼を支えたので、男はなんとか踏みとどまり、代わりに彼女の手からランプが落ちた。ガシャン——!という音が盛大に響き渡り、一瞬にして辺りが暗闇に包まれてしまう。


「あー・・・もう、ランプ落としちゃったじゃない」


「——悪いな」


露骨に迷惑そうな女性の声とランプが割れた音で少し意識がはっきりしたのか、男は先ほどよりもしっかりとした声で女性に謝った。彼女はいいえ、と冷ややかに返し、男に問うた。


「それより、何故こんなところに?」


「別にいいだろ、そんなの・・・」


ぶっきらぼうに返すが、女性は引き下がらない。


「喧嘩、じゃないわね?怪我もなさそうだし・・・あ、お酒の臭い」


—— あー・・・面倒くせぇ・・・。

と、男は思ったことをそのまま口に出しそうになったが、一応助けて貰ったのだと考え直し、くらくらする頭を押さえながら答えた。


「飲んでたんだよ、酒場で」


「酒場・・・?」



怪訝そうな顔で女性がつぶやくが、男は気付かずに続ける。


「兄貴の、誕生日でさ。毎年祝ってやっててつい飲みすぎただけだ。兄貴、酒にすげぇ強くて、まあ、俺はそんなに強くないんだけど・・・って、あんたにゃ関係ねえよな。あはは・・・悪かったな面倒かけて」


そして勝手に話を終わらせて歩き出すが、女性が腕を強く掴んで阻むので思わず不機嫌そうに振り返るが、彼女はひるむことなく言った。


「待って、そんな状態じゃ帰れないわよ。送ってくわ」


「いや・・・さっきよりは大丈夫だ。ありがとなぁ」


男はにへらっとした笑顔で返すと、女性を背を向けて歩いて行き——三歩目を踏まないうちに崩れ落ちた。女性の駆け寄ってくる音がして、男は悪いな、と言おうとしたが言葉にならなかった。

 女性に抱き起こされているのを遠くで感じながら、男は意識を手放した。







+  +  +







 眠りに落ちた酔っ払いを抱えてどうしようか考えていると、前方からランプの光が走ってきた。そして、自分達に光が届いたところで相手がほっとしたように声を上げた。


「大尉!やっと見つけた!!・・・ってどうしたんですか、その人?」


 大尉、と役職で自分を呼んだのは同じ軍服を着た青年。

目をまんまるくして男を見ている彼の胸のピンバッチは銅色1本——少尉である。


「少尉。悪いけどこの男性をお願い」


「え!?ちょ、どうすれば・・・」


「軍本部の医務室にでも連れて行ってくれる?」


「あっ・・・は、はい!!!」


少尉は慌てて男性を担ぎあげ、少しよろよろしながら歩いて行く。

 大丈夫かしら、と心許なさそうに彼を見たが、視線を路地裏に戻して呟いた。



「—— 路地裏の酒場、ね」


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