ricercare -リチェルカーレ-

さくのゆず

「僕はね、音楽は旅みたいなものだ、と思うんだ——。」

前奏 - preludio - 

- part:Claude -



「クロード!ここから逃げるんだ!早く・・・!!」



 それが燃え盛る炎の中で聞こえた父の最後の声だった。

母は炎に塗れ襲い掛かってきた家具の下敷きになって、俺を護って死んでしまった。

嫌だ——と、泣きじゃくっていた俺に手を差し伸べたのは、一人の男。


—— その男も今はもう、居ない。





+   +   +




 室内に響く繊細な旋律。それを奏でるのは一人の幼い少年だった。

白と黒の鍵盤の上を踊るように駆け抜ける、少年の細い指先。それから響く美しく切ない物語は部屋中に溢れだしていた——が、少年は急に指をとめる。

 途端にシーン、と室内は静まりかえった。


「・・・なんだよ」


 不機嫌そうに呟く少年。

目線と指を鍵盤から離さずに意識だけを後ろに飛ばしている。


「いやあ、演奏に聞き入ってただけなんだがなあ」


 少し間が空いてから笑いが混ざった返事が返ってきた。男の声だ。少年はため息をつき、ようやく後ろを振り返った。


「うるせえ。演奏してる時は邪魔するなっていってんだろ」


 少年は綺麗な藤色の髪をかきむしってギロリと相手を睨む。深い紫紺の瞳が細められ、眉間にしわがよっており、おまけに先ほどの綺麗な演奏をするとは思えない口の悪さだ。


「怒るなよー。可愛い顔が台無しだぞ?クロード」


 対する相手はあっけらかんと返し、腕を組んで不敵な笑みをこぼしている20代後半くらいの背の高い筋肉質な男。口には煙草をくわえている。

 男は煙草を口から離すとぷはー、と息を吐き出した。


「生意気な口聞いちゃって・・・ほーんと可愛くねえ甥だこと」


「うるせえんだよ。それとタバコ吸うな。臭い。今すぐ消せ」


 少年——クロードは、煙たそうに顔を歪める。

男はあはは、と軽くあしらうように笑って、何も聞かなかった風にもう一度タバコをくわえた。


「わりーな。これだけはやめれない」


「早死にするぞ、馬鹿」


「ご忠告どうも」


 鼻で笑い、悪びれる様子もなく男は続ける。


「で?ピアノ大好きな甥っ子君。あっちの方はどうなんだ?練習してるか?」


「・・・」


 沈黙で返すクロード。男ははあ、と今度はため息をつき、そして吸い込まれそうな紫紺の瞳で幼い少年を真っ直ぐに見つめた。


「男たるもの自分の身は自分で護るもんだ。俺はお前が危ない目にあっても、護る気なんてさらさらねえからな。勘違いするなよ」


「・・・だったら最初から助けんなよ」


「おー、心にも無い事を」


「なんでだよ・・・っ!」



 クロードは男をキッと睨み付けた。そして思い切り立ち上がったかと思うとその勢いのまま男に殴りかかる。が、あっけなく避けられてしまった。

 男は楽しそうに笑みをこぼしながら飄々としてからかうように言った。


「あぶねぇなー暴力反対だぞー」


「だったら・・っ・・!何で助けたんだよ・・・!?」


 クロードは悔しそうにグッと両手を握り締め、叫ぶように怒鳴った。

男はすっと笑みを消し、無言で返す。


「あの時、父さんと母さんと一緒に死ぬはずだったんだ・・・っ!俺が荷物になるなら何で助けたんだよっ!?」


「・・・甘ったれんな」


 先程とは打って変わった冷たい声で呟き、男はクロードを睨み返す。

氷の様な冷たい眼光を真に受け一瞬にして動けなくなったクロードは、あまりの緊張感に背筋に冷や汗が流れるのを感じた。


「そんなに死にたいなら、今此処で殺してやってもいいんだぞ?」


 男は懐から一丁の拳銃を取り出すと、銃口をゆっくりとクロードの頭に向けた。


「死にてえなら、俺が殺してやる」


「や・・・やめ・・・」


「だったら何で自分の身を護らねぇ?誰かの助けを待ってたら、お前は死ぬぞ?」


 やっとの事で声を絞り出したクロードだが、男の殺気に否応なく黙らせられる。

張り詰めた空気が二人を支配していたが耐えきれず助けを求めるようにクロードは叫んだ。


「お・・・俺には、無理だ・・っ!無理だよ・・・!撃てるわけないだろ!?」


「そうか、じゃあ——」


カチッ——黒く光る拳銃が音を立てた。男は恐ろしく鋭い眼差しで、表情もなくただクロードを一点に見つめて言い放った。


「死ね——」



——殺される・・・!

ひっと息を飲み、クロードは両目をギュッとつぶった。





——クワックワッ。




「あ、れ・・・?」


 本来ならば銃声がするはずだが、間抜けなアヒルの声が響いている。

クロードがそおっと目を開けると、銃口から一羽のアヒル人形が飛び出していた。



——沈黙。


クワックワッ——アヒルがもう一度鳴いた。





「ぶあっはっはっは!!!」



 そして盛大に響き渡る男の笑い声。先ほどまでの鋭さが嘘のような馬鹿笑いにクロードは放心した様子でへたんと膝をつくと、涙目になりながら男を睨んだ。


「フィーノの馬鹿!!吃驚しただろ!?」


「はははっ悪ぃ悪ぃ!!お前があんまりにもムカついたんでな、脅かしてやろうと思って」


 男——フィーノは、悪びれた様子もなくアヒル拳銃をしまった。

クロードはむむっと怒りを爆発させて捲し立てる。


「本当に死ぬかと思ったんだからなっ!!無駄に脅かしてんじゃねえよ!!あーもう何だよっこのアヒルっ!!クワクワ鳴いてんじゃねえよ!!」


「えー可愛いだろーアヒルー」


「そういう問題じゃないだろ!!」


 クロードの悲鳴に近い叫びを軽く聞き流し、フィーノは崩れ落ちている彼に目線を合わせ、ふかしていたタバコを手に持ち息を吐いた。ぶわっと白い煙を直撃させられてクロードは咳き込みつつも散々な仕打ちに文句を垂れる。


「げほっげほっ・・・!!おま・・・いい加減に・・・!」


「——二度と『死ぬ』なんて口にするなよ。可愛い甥っ子」


 フィーノのクロードと同じ紫紺の瞳が、寂しげに細められた。

クロードははっとすると、唇をぎゅっと噛みながら搾り出すように声を出した。


「・・・ごめん」


「俺は・・・お前の知ってるとおり、裏の世界の人間だ。何時殺されるかわからねえだろ?お前の保護者としての役割を果たせなくなる前に、お前には強くなって貰わないといけねえんだよ」


フィーノは少し悲しそうな顔をしながら、クロードの頭をくしゃっと撫でた。






+   +   +







「クロード様。まもなく終点でございます」


——その声に、青年は目を覚ました。

うーん、と伸びをして、青年は欠伸をしながら声に返事した。


「あー・・・ごめん、寝てた?」


 青年は何処かのパーティーに行くかのようなタキシードを着ていた。驚くほど似合っている。目を擦りながら、彼は右にある窓の外を見た。

 ビルや街灯などの明かりで輝く夜の都会が広がっており、それは流れ星のように後方へと流れていく・・・。



 彼は、列車の中にいた。

——ガタンゴトン、ガタンゴトン。一定のリズムを刻みながら、大きな旅客列車は次の目的地へ走っていく。


 綺麗な藤色の長髪をかきあげ、青年は深い紫紺の瞳を静かに細めた。


「・・・アヒル拳銃って卑怯だよね」


「はい?」


「——ううん、なんでもないよ」


 怪訝そうに返す車掌に、青年はクスッと笑みを向けて立ち上がった。そして茶色いトランクを右手で持ち、ボックス席を出て通路に出る。



——叔父さん。

俺は、何で生きてるんだろうな?


あんたは——俺を助けてくれたあんたは、もう——・・・。




「じゃあ、また」


 青年は車掌へ最後にそう挨拶すると、星空のような大都市の街へと足を向けた。




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