中編

バイトを終えて着替えると、時刻は既に10時15分になっていた。

バイト自体は10時までだけど、引き継ぎやら何やらやってれば多少時間は伸びるし、その後着替えたらいつもこんなもんだ。

定時まではあと5分だったけど、彼氏さんが本当に待っているとしたら20分も待っていることになる。

慌てて外へ出てみると、コンビニ前の歩道にあるまだ咲いてない桜の木の下で、彼氏さんはポケットに手を突っ込んで佇んでいた。


「すみませんっ遅くなりました」

「おー、お疲れさま」

夜はまだ肌寒いこの季節、じっと待っているのは辛かったろうに…彼氏さんは責める様子もなく優しく笑った。


「…で、どうする?一緒に飲む?」

改めて質問をされるが、帰り支度をしながらさんざん悩んだものの、結局どうしていいかわからなかった。

「や…えと、でも、オレじゃなくて彼女さんとかは?」

「……アイツと飲む気分じゃないの。アイツいたらいつも飲みたくても飲むどころじゃないし」

それはどういう意味だろうかと思いつつ「……他の友達とか…」と言うと

「オレは瀬名さん誘ったんだけど。嫌なら無理しなくてもいいのに、律儀だね」

そう言って前髪をぐしゃっと撫でられる。


その笑顔に見惚れながらも、慌てて

「嫌じゃないです!…嫌じゃなくて、オレでいいのかなぁって思って…」

と訂正を入れると、彼氏さんは少しきょとんとしてから優しく笑った。

「いいに決まってんじゃん。オレから誘ったんだから。嫌じゃないなら行こう」

そう言って彼氏さんは歩道をゆっくり歩き出した。

それでもオレが躊躇って動き出せずにいると彼氏さんが振り返ったので、慌てて横に並んだ。





「そんな片付いてないけど、どうぞ」

「…お邪魔します」

コンビニから徒歩10分くらいの距離にあったアパートは1Kで、脱ぎっぱなしの部屋着や部屋干しの洗濯物がそのままだったため綺麗とは言えなかったが、物が少ないからそこまで散らかってるようにも見えなかった。


「適当に座ってー。何飲む?今買ってきたの以外に冷蔵庫にもカクテルと酎ハイ入ってるけど。あとビール」

そう言いながら彼氏さんの手はせわしなく動いて、こたつの上にお酒とお菓子が並べられ、テレビも暖房も手際よくつけられる。

「あ、じゃあこの柚子酒貰ってもいいですか?」

「どうぞどうぞー」

彼氏さんがビールを持ちながらいつもの定位置なのだろうか。こたつを挟んでテレビの真ん前に座ったので、オレはそこから右斜め前に座らせてもらうことにした。


「じゃあ乾杯」

「乾杯」

そう言ってゴクゴクと喉の渇きを潤してから、ずっと気になってた質問をしてみる。

「……彼氏さんは学生ですか?」

「ぶふっ…!」

すると彼氏さんは勢いよく咳き込んで、むせた。

同い年くらいかなと思ってたから大学生かと思ったんだけど、変な質問したかな?とむせる彼氏さんを見て動揺していると

「何その彼氏さんて…!もしかしてオレのこと?!オレ名前言ってなかったっけ?」と言われる。


「あ…そうです。はい」

オレの中では"彼氏さん"で定着してたから、全然不思議に思ってなかったけど…よく考えたらオレ名前も知らなかったのか。

名前も知らない相手に恋をして、その人の家に飲みに行くなんて…オレは結構すごいことしてたんだなぁと感心する。


「鳴澤海人、大学生です…てか名前知らなかったら普通学生かどうかより先に聞くよね?瀬名さんおもろいわー」

そう笑われて、まだ酔ってもないのに顔が火照る。

それから「お互いのこと何にも知らないね」と、お互い大学生で21歳であることや、どこの大学で何専攻して地元が何だの話をしながら飲んだ。

そんなことしてたら飲み物が減るのも時間がたつのもあっという間で、気づいた時には1時を回って、彼氏さん改め鳴澤さんはニコニコしながらも船を漕いでいた。


「…鳴澤さん、もうこんな時間だったんで、オレ帰りますね」

酔って怠い体を叱咤させて、何とか立ち上がると

「えー?何言ってんの、こんな時間に帰るとか危ないからー」と

眠くて開かない目を何とか開けようとしながら、オレの服を引っ張って止めてきた。


「大丈夫ですよ…オレ男なんだし、家そこまで遠くないですから」

「だめだめだめ!ほら、オレのベッド使っていいから泊まっていきなさい!ね!」

とろんと眠い目で上目づかいしながらオレの足に縋り付く鳴澤さんが、あまりに可愛すぎて思わずひるんでしまう。

「や…でも…」

「ど―――しても帰るっていうんなら、オレが瀬名さん送ってって、そんでそのまま瀬名さん家に泊まるからねー?それでもいーい?」

「えぇ?」

酔ってるからなのか眠いからなのか…鳴澤さんの言うことはむちゃくちゃだった。


「じゃぁ…このこたつで寝させてもらっていいですか?」

妥協点を探って、こたつを借りようと決意し、もう1度座りなおすと、鳴澤さんはまた眠たくて開かない目をそのまま閉じて、ニコニコして

「よし。じゃあおれもこたつで寝ましょうかーねー?」

そう言ってごろんとこたつに横になった。

「え、鳴澤さん、ベッドで寝て下さいよ!鳴澤さん家なんだし、こたつに男2人はせまいですよ…」

「だーじょーぶだいじょーぶ。オレこっちに寄るから、したら足ぶつかりにくいでしょ?ほら、はやく寝るよー、電気消すよー」

そう言って鳴澤さんはまるで添い寝するかのようにオレの方へ寄ってきて、リモコンでテレビと電気を消した。


仕方なく足がぶつからないように気を付けながら寝転がると、既に夢の住人になった鳴澤さんの顔がとても近くて、息遣いさえもよく聞こえた。

酔ってる上に疲れているせいか、その寝顔に緊張することなく、むしろ安心して隣で眠った。






それから鳴澤さんは、週末コンビニ来ると時々オレを誘うようになった。

どこかに出かけたりするわけではなくて、主に鳴澤さんちで宅飲みして、そのまま雑魚寝。

1度「何でオレを誘ってくれるんですか?」と聞いてみたら、「瀬名さんてなんか安心するから」とオレの肩にこてんと頭を預けてきた。

その行動も、そう言ってもらえることもたまらなく嬉しかったけど、それはきっとオレ恋愛対象して意識してないからだろう。…そう思うと一瞬舞い上がった自分がなんか空しかった。


初めて鳴澤さんの部屋へ行った時は緊張と酔いでロクに見えていなかったが、何度か部屋に行くにつれてところどころ彼女さんの物があることに気づく。

おそろいのコップに可愛い箸、2つ並んだ歯ブラシ、女性用のスカートやジャージ。部屋干しの中に彼女の下着があった時は本当に気持ちが参った。

徐々に親しくなっているはずなのに、鳴澤さんちに行くたびに、彼女の物を見るたびに、彼女の話を聞くたびに…

オレには可能性がないんだと思い知らされているようで、部屋に行くのは嬉しいのに辛かった。




「…鳴澤さん、もう、どうしてベッドで寝ないんですか。こたつで寝るにしてもちゃんと布団かけないと風邪ひきますよ?」

今日も今日とて鳴澤さん家で飲んでいて、トイレに行って戻ってくると、こたつ布団を腹の上にのせて鳴澤さんはすっかり寝る体勢に入ってた。

声をかけても反応がないので仕方なく布団を首元まで持っていこうとすると、

「ん~、美月、ごめん」と布団を持った手に鳴澤さんが触れてきた。


(美月って…彼女さんだよな…)

さっきまでさんざん一緒に飲んだのに、彼女に間違えられるなんて…気持ちがすぅっと冷えていく。




いったいオレはいつまでこの空しい恋を続けていくんだろうか。

最初は会話できただけで嬉しかった。

飲みに行けるだけで嬉しかった。

泊まれるような関係になるなんて思ってもみなかった。

親しくなれるだけで良かった筈なのに、それが満たされればまた次の欲が出てきてしまう。


(彼女と別れてくれないかな)

(オレのことを好きになってくれないかな)

そんな汚い下心を隠しながら、いったいオレはいつまで鳴澤さんのそばにいられるんだろうか。

色々考えてたらなんか無性に泣けてしまって、気づいた時にはこぼれた涙が鳴澤さんの顔に数滴落ちてしまった。

慌てて自分の顔を袖で拭っても一向に止まる気配はなくて、むしろ嗚咽さえも出てきてしまって。

鳴澤さんを起こさないようになるべく息を殺して、一旦キッチンか外へ移動しようと立ち上がろうとすると



「……なに?瀬名さん…?ないてるの?」



鳴澤さんがうっすら目を開けて、オレの袖を握っていた。


「…っ…いえ…すみまっせ…何でも…ないっです」

嗚咽交じりでちゃんと返せないでいると、鳴澤さんが目をこすりながらゆっくりと起き上がった。


「…どうしたの?何があったの?ほら、なかないなかない…」

眠たいせいか、オレの背中を撫でてきた鳴澤さんの手に全然力が入ってなくて…それがあまりにも優しく感じられた。

「ほんとっうに…なんでも、ないんです…」

「なんでもないのになくわけないでしょ?泣き上戸じゃなかったよね…?なにがあったの?いってみ?」


「なんでも…ないんです…自分が…ダメなっ人間だな…って、思って…それで…」

そう言うと鳴澤さんがため息をついたので呆れられたかと思って焦ってが、鳴澤さんの顔は眠そうな優しい顔のまんまだった。


「…なにそれー?誰かにいわれたの?瀬名さんはだめじゃないよ、いい人だよ。オレがしってるから。オレは大好きだから」



(…でもそれは、オレの好きとは違うでしょ)

鳴澤さんの言葉に余計に涙が溢れてしまって、年甲斐もなくしゃべれなくなるほど号泣してしまった。

鳴澤さんは「そういうときは考えちゃだめなんだよ。ほら、ねよう」といつものようにオレをその場にごろんと寝させて、ぽん…ぽん…と優しく宥めてくれた。



オレが落ち着いてきた頃にはもう鳴澤さんは眠っていて、いつのまにかあやすのを止めた左腕が、オレの体にのせられたままで。

まるで抱き合って寝てるようなその光景が、やっぱり嬉しくて、空しかった。

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