第143話 晴れて…

 夜半から降り出した雨は、止むことを知らないかのようだった。舗装などされてない時代、道はぬかるみ、余程のことがない限り、人は家から出なくなる。また、室内には縄が張られ、洗濯物がぶら下がり、食事も保存食の出番となる。

 真之介もここのところ、子守ばかりさせられている。片手に我が子、片手で本を読もうとすれば、すぐにぐずり始める。


真之介「晴耕雨読とは行かないものだな」

ふみ 「何が晴耕雨読ですか。畑を耕したこともないのに。それでは、雨でも降ら

   なければ、我が子の相手をする気にもならないのですか」

真之介「ちょうど読みたい本があったのだ。少し読んだが、これが面白くてな。続

   きが読みたいで。そなたも読んでみればいい」

ふみ 「旦那様、今の私に本を読む間がございますか。ちょっと、一息ついて茶で

   も思っていると、すぐに泣き出し…。ほんに、父親とは、のん気でよろしゅ

   うございますこと」

真之介「ならば、今日はゆっくりされよ」

ふみ 「そのように、させていただきます。何しろ、ここのところ、ずっと寝不足

   ですので」

 

 と、ふみは自分の部屋へと行ってしまう。


----まこと、子育てとは大変であるわ。


 やっと、寝付いたので、そっと、布団に寝かそうとすれば、すぐに目を開け、寝てないアピールをする。どうやら、抱き癖が付いてしまったようだ。そこへ、忠助がやって来た。これ幸いと我が子を忠助に託す。


真之介「お咲は?」

忠助 「それが…」


 なんと、こちらも、居眠りをしているとか。


真之介「風邪ひかぬか」

忠助 「大丈夫ですよ」

 

 きっと、何か掛けてやったのだろう。


真之介「早く、止んでほしいものよ」

忠助 「早く、止んでほしいものです」

 

 と、男は雨が止んで外出できることを望んでいるが、女は洗濯物が乾くことを望んでいる。

 そして、待ちに待った雨が止んだ。

 その雨の止むのを待っていたかのように、白田屋と人形屋の顔合わせが行われた。梅花亭の三浦家と本田家の顔合わせの時と同じ部屋だった。これは、拮平が設定したものだった。

 見合いだと思って出向いた梅花亭で、父の嘉平から後添えのお芳と引き合わされ、面白くない拮平が庭に出て見れば、そこには、真之介とふみがいた。


----あの時は、遠目にはきれいな鳥が二羽いるように見えたなあ。今はどう見えるかなあ…。


 拮平も今は相手の娘、お花と庭にいた。


----そうだ、真ちゃん。何て言って、奥方の手、握ったんだろ。あの野郎、口うまいからな。いやいや、そんなこと、考えるんじゃない。俺はそんなことしないっと。


 真之介は、ふみにこの結婚を思い留まらせようとして、あの様な「暴挙」に出たのだったが、敢え無く撃沈し、現在に至っている。そんな経緯など知る由もない拮平は、先ずは無難に天気の話をする。


拮平 「雨、よく降りましたね」

お花 「はい、よく降りました」

拮平 「これでも、私、意外と晴れ男なんですよ」

お花 「そうですか、私も、そこそこ…」

拮平 「よかったですね。お互い、晴れ晴れで」

お花 「はい、あのぅ」

拮平 「あの、いえ、どうぞ、お先に」

お花 「いえ…」

拮平 「どうぞ」

 

 と、じれったいことこの上ない。


お花 「あの、お店の方に…。その…」


 お花は輿入れ先の拮平の店を見てみたいのだ。


拮平 「小さい店ですよ」

お花 「私の実家はまあ大きいですけど、その分、人も多くて、結構騒がしいで

   す。そちらは」

拮平 「そんなに騒がしくはありません。みんな、必要以外、二階に上がってきま

   せんから」

お花 「そうですか…」

拮平 「でも、隣の本田屋に比べれば小さな店です」


 数日後、母とお花が白田屋にやって来れば、一気に賑やかになった。お花も母と一緒で気が大きくなったのだろう、先日のじれったさはどこへやら、嬉々として部屋を見て回っている。 


母  「まあ、では、二階は夫婦二人で使えるのですね。お花、良かったではあり

   ませんか」

お花 「ええ、四つもお部屋が使えるなんて、夢のようですわ」

拮平 「ここは客間です。そちらが父の部屋だったところで、隣が母の、私の部屋

   は」

お花 「では、客間はこのままで、私はこちらの部屋がいいですわ。それと、隣の

   部屋も」


 お花が使いたいと言ったのは、父と母の部屋だった。嫁を迎えれば、父の部屋に移るつもりにしていた拮平だが、どうやら、それもはねのけられそうだ。

 お花は実家では、当然のことだが一部屋しか使えない。それが白田屋へ輿入れすれば、二部屋も使えることが嬉しくてならないようだ。


拮平 「近いうちに、畳もふすまも新しくしますので」


 畳もふすまも、お芳が輿入れしてきたときにやり替えたままだ。こうなったら、畳は表替えでなく、床からやり替えたいくらいの拮平だった。


母  「ああ、ふすま屋はいいところを知っております。もう、絵が素晴らしいの

   です。ぜひ、そちらで」

拮平 「はい」

母  「これだけ部屋に余裕があれば、箪笥も二竿、三竿くらいあっても、いいの

   では。それと長持ちも…」

お花 「でも、おっかさん。それでは着物が間に合わないでしょ」

拮平 「あの、隣が呉服屋ですので、着るものは追い追い、今は柄の流行りすたり

   も早いので、そんなにたくさんは…」

お花 「そうでしたわね。じゃ、おっかさん。帰りに隣に寄ってみましょうよ」

母  「そうね、私も一枚欲しいし」

お花 「おっかさんより、私でしょ」

母  「そうだけど、やっぱり、欲しいものは…」

お花 「じゃ、拮平さんにも」

拮平 「いえいえ、私は間に合ってますから」

母  「あら、遠慮なさらなくても、よろしいのよ。大事な娘の婿殿ではありませ

   んか」

お花 「まあ、おっかさん。ここのからの眺め、なかなかのものでしてよ」

母  「そうお」


 と、今、着物の話をしていたかと思えば、すぐに窓辺へと移って行く母娘…。


----これは、相当賑やかになりそう…。


 その後、隣の呉服屋に行けば、小太郎はじめとした一同に出迎えられるが、逆に彼らのイケメンぶりに驚きを隠せない、お花と母だった。


   「この度は、おめでとうございます」


 早速に色とりどりの反物が広げられる。婚礼衣装は出入りの呉服屋に発注済みだが、これからは季節の着物は本田屋で誂えようと思う母娘だった。


お花 「拮平さん、どちらがいいと思う?」

拮平 「どちらもいいねぇ」


 こういう時は、二枚とも買うに限る。


母  「まあ、そう言えば、本田屋さんの婿選びも大変だったそうじゃないです

   か。その中から選ばれた、それこそ三国一の婿殿ではございませんか」

小太郎「いいえ、子供の頃から、拮平兄さんには色々教わって参りましたので、今

   も兄さんには頭が上がりません。兄さんこそ、三国一の花婿です」

母  「そうね。何より、舅姑がいないもの」

亀七 「ええ、前の、あのお芳さんがいた日にゃ、とてもじゃないですけど、どん

   なによくできたお嫁さんでも務まりゃしませんよ」

母  「そんなにひどかったの」

亀七 「ええ、そりゃ、もう」

小太郎「これっ、余計なことを言うものではありません。申し訳ありません。も

   う、過ぎた昔のことでございますので、お気になさらないで下さいませ」


 と、小太郎が言えば、ますます好感を持つ母だったが、その間、拮平はにこにこしている。


----顔は普通だけど、こっちはこっちでいい婿ね。


 あまり、顔のいい男を夫にすれば浮気が気になるところだけど、拮平ならそこまでのことは…。だが、男も女も顔がいいから、モテるとは限らない。


母  「そうだわね。では、三国一の婿殿にも何か一枚選んでやってくださいな」

拮平 「あっ、いえいえ、おっか様。どうぞ、お気遣いなく、私のことはうっ

   ちゃっといてください」

お花 「おっかさんがいいと言うのだから、いいでしょ」

鶴七 「まあ、さすがは人形屋のお嬢様。今から、お婿様のことを考えていらっ

   しゃるのですね。きっと、良きご新造様になられます。はい、ご馳走様」


 そんなこんなで、本田屋を後にし、お花母娘を送って行った拮平が、白田屋の近くまで戻って来た時だった。小さい子供がぶつかるように、拮平の前にやって来た。  


拮平 「危ないよ、気を付けるんだよ」


 と、拮平が言い終わらないうちに、子供は思い切り手を伸ばす。その手には小さな紙切れが握られていた。紙切れを渡すとすぐに走り去って行く。

 紙切れには「や」の文字が書かれていた。素早く辺りに目をやれば、赤ん坊を抱いた弥生がいるではないか。拮平は人目に付かないところまで、弥生を連れて行く。


拮平 「どうしたの。この次、会っても通り一遍の挨拶だけにしようって約束した

   じゃない」

弥生 「先ほどの方が、お相手ですか。明るくて優しそうないい方ではないです

   か。おめでとうございます」

拮平 「……」

弥生 「いいえ、私もほっとしておりますの…」


 と、弥生は拮平に赤ん坊の顔を見せる。


弥生 「かわいいでしょ。ほら、父上ですよ」

拮平 「……!」


 ひょっとしての思いはあったが、現実に父だと言われた衝撃は大きかった。


弥生 「よかったわね、父上に会えて…」


 拮平は財布から金を取り出し、弥生に握らせようとした。


弥生 「そんな、そんなつもりで来たのではありません。ただ、一目、会わせた

   かっただけです」

拮平 「わかってる」


 弥生が金欲しさにやって来たとは思ってない。また、弥生がそんな女ではないことは、誰よりもよく知っている。


拮平 「でもさ、少ないけど、これでおもちゃでも買ってやって。これくらいのこ

   としか出来ないけど、これくらいはさせてよ。父とは言えないけどさ。あ

   の、旦那様はどんな方」

弥生 「真面目ないい方です」

拮平 「そう、それは…」


 きっと、我が子と信じていることだろう。それを思うと、同じ男として胸も痛むが、今となってはどうしようもない。


弥生 「本当に、これが最初の最後です。これからは、もう、どこで会っても、声

   を掛けたりしません。陰ながら、拮平さんのお幸せをお祈りしています」

拮平 「元気に育ってくれることを祈ってる。弥生さんも体に気を付けて…」

弥生 「ありがとうございます。お元気で…」

拮平 「ありがとう、名前は」

----生んでくれて、ありがとう。


 最後に子供の顔を見れば、目が合った気がした。


----ごめんな、こんな父親で…。


 去って行く弥生の後姿を見送るしかない拮平だった。


----元気に育ってくれよ…。


 これからは、あの子のためにも、商売を頑張ろう。そして、真之介に頼んで、金や着物を届けてもらおう。


 こちらは、致し方なく別れてしまった父と子だが、一方には、引き裂かれようとしている父と子もいた…。


















 

 





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