第144話 消えない火 一
仙吉 「それが、かっぱ寺なんすよ。ねえ、まったく…」
何でも屋の仙吉が、真之介からの言伝を持って来た。
仙吉 「真之介旦那が姉さんにお会いしたいそうです。それで、ご都合のほどを
伺ってくれって。姉さんがお忙しくなきゃいいがともおっしゃってました」
お駒 「別に、今のところは忙しくないけど、それで」
それが、かっぱ寺だと言う。
仙吉 「せっかく、姉さんとお会いになるのに、もう少し、気の利いたところがあ
りそうなものなのに、ねえ」
お駒 「私ゃ、別に、どこでも構やしないさ」
仙吉 「その様に、伝えときます」
お駒の都合を聞いた仙吉は早速に帰って行く。
----さて、今度は何事かしら。
真之介とは、先日の大風の日に偶然会ったが、その時は取り立ててのことはなさそうだった。子も生まれ、自身は免許皆伝、あの因縁の仁神安行ともうまくやっていると聞いている。それも、呼び出す先がかっぱ寺とは…。
かっぱ寺とは当然通称であり、昔、この辺りの川に河童が出たとの言い伝えがあり、今の和尚の風貌が河童に似ているところから、この名で呼ばれるようになったのである。
この和尚と真之介は幼馴染である。和尚の父親が喧嘩の挙句、相手を刺してしまったことから、母親とともに夜逃げをする場面に偶然、出くわした真之介は巾着に着物、下駄を押し付けて走り去ったものだ。それから、十年後。夜逃げをした少年は、荒れ寺の和尚として戻って来た。そして、罪人の子供たちを引き取り面倒を見ている。
その後、何かあればこの寺は真之介たちのたまり場、隠れ処となっている。そんなところへ、お駒を呼び出すとは…。
----女、絡みか…。
そう、それは、とんでもない、女だった。
ある日、真之介は仁神家から呼び出しを受ける。
女中 「こちらにございます」
と、その日は女中に案内される。
----これは、女の部屋だ…。
では、ここは安行の正室、
その時、襖が開き、入って来たのは安行の母の八千代と側女中だった。そして、茶が運ばれて来る。
八千代「急に呼びつけてすまなかった」
真之介「ご無沙汰を致しております」
八千代「日頃は殿の良き相談相手になってくれているとか、礼を申す」
真之介「相談相手などと、お暇な時の只の話し相手にございます。町方の与太話を
お聞かせ致しているにすぎません」
八千代「釣りはそなたが勧めたそうではないか」
真之介「はい、少しはお体を動かされた方がよろしいかと」
すっかり釣りにハマった安行は、近頃では少しくらい遠くても歩いて行く。もっとも、どこへ行くのも先ずは歩きの時代、三十分くらいの距離ではちょっとそこまでの感覚でしかない。
八千代「殿がお元気になられたのはよいが、私の方が大変なのじゃ」
真之介「大変と申されますと?」
八千代「まあ、体だけは、何とか、やっておる…ところで、子は大きくなったか」
真之介「はい、お蔭さまにて。こちらの若君様は、それはお健やかにお育ちのご様
子。あやかりたいものにございます」
八千代「まだ、乳離れは致さぬのか」
真之介「はい、今少し…」
八千代「左様か。いや、構わぬ」
真之介「……!?」
何が構わないのだ。
八千代「有態に申す…。ふみ殿を、私の許へ」
真之介「奥方様の許へとは…」
八千代「私の側に置きたい。その者が隠居を願い出ておるで…」
その者とは、長年八千代に仕えて来た女中のことである。今も伏し目がちに座っている。
八千代「見ての通り、齢を重ね、屋敷務めも身に堪えると申してな」
真之介「それは…。しかしながら、どうして我が愚妻なのでしょうか。まだ、子も
小さく母と離すのは酷と言うものにございます」
八千代「別に、子と離れろと言っているのではない。子も一緒でよい」
真之介「では、私に三下り半を書けと仰せられるので」
八千代「まあ、そう言う、ことであるわ。いや、急がずともよい。最初のうちは通
いでもよい」
真之介「何ゆえ、私から、妻と子をお取り上げになられるのか。しかるに、その意
図は」
言うに事欠いて、真之介に夫婦別れをせよとは…。
八千代「ああ、急なことで驚かれたであろう。まあ、ここは、私の心情も察してほ
しい。先ほども申したように長きに亘り、側勤めをしてくれた者が去るの
じゃ。寂しいが致し方ない。それで、後任をと言うことになり…。これは、
これは、その者の推薦である。その者が申すには、ふみ殿が良かろうと…」
真之介が側女中に目をやるも、目は伏せたままである。いや、目を合わせたくないのかもしれない。
八千代「いや、私もかねがね、ふみ殿のような娘がいてくれればと、幾度思ったこ
とか。茶会の席での受け答え、品の良さ、姿かたち、どれを取ってもあの様
な
真之介「お待ちください!確かに、私には不釣り合いの妻にございます。それでも、
縁あって夫婦と今は子も生まれ、親子三人仲よう暮らしております。それを
なぜに。また、妻をこちら様へご奉公に出さねばならぬほど、わが家は困窮
致してはおりませぬ」
八千代「それは良くわかっておる。おるが、これは、私のわがままである。見ての
通り、今の仁神家は嫁の天下。すべてに嫁が取り仕切っておる。孫すらも寄
り付きはせぬ。そなたはまだ若くわからぬであろうが、年を取れば取るほ
ど、話し相手が欲しいものじゃ。そこのところ、聞き分けてくれぬか」
真之介「では、私の子には父などいらぬと仰せられるので。人として生まれ、何が
一番幸せでございましょう。先ずは五体満足に生まれること。幸い、我が息
子は元気に育っております。その次は、両親揃っていることではないです
か。私の母は、私を生んだ後に力尽きました。その後、父は新しい母を迎え
ました。今の母にございます。この母も私を可愛がってくれ感謝しておりま
す。世には何らかの事情にて、親子が別れてしまうこともございましょう。
さりとて、何ら、問題のない親子を引き裂くようなことをなされるので」
八千代「そなたの気持ちも良くわかる。わかるが、子はまだ小さい、そなたも若
い。これからも子は生まれるであろう。したが、私は、それこそ後何年生き
られるやわからぬ。そこで、残り少ない人生を、ふみ殿のような娘と孫とで
過ごしたいと思ったような訳である。ここは、そなたが得心してくれれば、
のう、わかってくれぬか」
本当にそれだけだろうか…。
口では弱音を吐いているが、今も目許は鋭い。
この仁神家と真之介夫妻との間には、妙な因縁がある。現当主の安行であるが、若い頃より、素行が悪く。町を歩けば、娘から若妻まで身を隠す。目を付けられたが最後、逃れる
その間に、父播馬の友人の坂田が真之介との縁組を持ちかける。安行のような乱暴者のところへ側室に行くよりは、御家人株を買い町人から侍になった男の方がマシとばかりに話を勧める。一方の真之介は、もし、ふみとの縁組が整えば安行のことだ。今度は妹お伸に魔の手を伸ばすのではとの懸念にかられ、思い切った行動に打って出る。
安行と接触することが出来た真之介は彼らを料亭に誘う。そして、すっかり油断させたある夜、彼らを襲い、あろうことか安行の髷を切ってしまう。
町人でさえ、ざんばら髪では町を歩けない。ましてや、侍が髷を切られたとあってはこの上ない恥辱であった。その後の安行は病気を理由に、髪が伸びるまで屋敷に籠るしかなかった。
その間に真之介とふみは夫婦になるも、時が経ち、安行の髪が伸び、髷を結える様になれば、今度は仕返しが懸念された。だが、退屈しきった安行は、今売り出し中の中村夢之丞と言う役者を屋敷に呼び寄せる。なんと、この夢之丞、真之介と瓜二つなのだ。そこで、二人を並べてみたい衝動にかられ、急遽、呼び出しを食う。
これが、きっかけとなり、二人は「昨日の敵は今日の友」状態になって行く。真之介にしても、ある意味、安行の近くにいる方が「安全」と言えた。
しかし、そうはならないのが女同士である。元はと言えば、ふみが黙って安行の側室に来ていれば、起きなかったことである。息子を盲愛する八千代にしてみれば、真之介が屋敷に出入りするのも気に入らない。そこで、茶会にふみを招く。茶会と言っても、茶菓子を前によもやま話をすると言う女ばかりの集まりである。だが、真の八千代の目的は憎き、ふみに満座の中で、何か恥をかかせてやろうともくろんでのことだったが、なぜか、すべて不発に終わっている。
父の死により、名実ともに仁神家の当主になった安行には待望の男子が生まれていた。だが、蜜花と言う芸者にすっかり夢中になっていた安行は意気消沈していた。父の死や息子の誕生でざわざわしている間に、蜜花は見受けされてしまったのだった。さらに、その後、当時は贅沢病と言われていた飲水病(糖尿病)を発症してしまうのだ。そして、女に興味の持てない体となってしまう。
そのことを周囲の女たちに知られたくない安行のために、真之介は釣りを勧め、美少年を側に置くように進言したものだ。そして、安行も元気を取り戻しつつあると言うに、今度はあろうことか、八千代が真之介から妻と子をを取り上げようとしている。
----どこまで、やれば気が済むのだ。この親子は…。
八千代「それに、遠く離れるわけではない。この屋敷に参ればいつでも会える。先
ほども申したように、最初のうちは通いでもよい」
真之介「さあ、我が愚妻がそれを承知いたしますか。もし、嫌と申しますれば」
八千代「これ、私が何も知らぬと思うてか!見え透いた小細工をしおって!私は当主、
安行の母である!」
八千代は真之介を睨みつける。
八千代「ふん、惚けおって。安行の病のことである!そのことを、ふみ殿にも話せ。
さすれば、嫌な顔もしまい」
何と言うことだ。何より、母に知られるのを嫌がったのは安行ではないか。そのために、今田とともに手を尽くしたと言うに…。
八千代「どうして、私に黙っておったのじゃ」
真之介「それは、殿のご意向にて」
八千代「はっ、今田と同じことを言いおって。今田も今田じゃ、母である私がいつ
までも気づかぬと思うてか。それを男色などとは…。汚らわしいわ!」
先程までの気弱さはどこへやら、今は目も吊り上がっている。まさか、安行の「病」を黙っていたことへの腹いせか…。
いや、それはないだろう。いくら何でも、それは…。
真之介「申し訳もございませぬ。すべては私の浅知恵から出たこと。今田様は見て
見ぬ振りをされただけにございます」
八千代「とにかくである。これからは、何でも私に話すように。下手な小細工をす
るでない!」
真之介「その様に致しまする」
と、頭を下げる真之介を見て、八千代は焦る。いつもの調子で、またもきつく言ってしまった。ここは下でに出るつもりだったのに…。
八千代「で、あるから故。まあ、急がすとも、ゆっくり考えてくれてよい…。ふみ
殿ともよく話し合うがよい。決して、悪い話ではないと思う」
----何を言うか、悪い話ではないか。
真之介「では、妻子を売る代わりに、私には何を?」
八千代「売るとは穏やかならぬ物言いであるな。まあ、良かろう。先ずは、旗本に
推挙する」
真之介「旗本ですか…」
以前、安行も同じことを言った。密花を身請けしてくれと泣きついて来た時だ。その時は、父は病気、母は芸者嫌い。正室の亜子は金を出さない。密花を諦めきれない安行が最後の頼みとばかりに、真之介にすり寄って来た。当の密花も身請け話が持ち上がっていた。無理なものは無理と言っているうちに、父が亡くなり、身動き取れないうちに、密花は江戸一番の材木商に身請けされてしまう。
もっとも、この話にはとんだオチがある。
安行が相思相愛だと思っている芸者密花だが、その実は男であり、また、安行のことなど、何とも思ってない。さらに、最後の別れの手紙は、お駒が代筆したものであり、また、その文面を考えたのは、あの役者、中村市之丞なのだ。
それやこれやの後、安行は「病気」になってしまう。正室、側室を始め、周りの女たちにそのことを知られたくない、特に、母の八千代には知られたくないと言うので、女には飽きて男色に走った態にした。小細工と言えばそれまでだが、それ以外に何があったと言うのだろう。また、ここに来て、ふみに目を付けるとは…。
八千代「不服か」
真之介「はい」
八千代「何と!ならば、何を」
真之介「大名にしていただけるのなら」
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