第141話 江戸の風 一

 一人の少女が口減らしのために、江戸へ女中奉公にやって来た。遊女に売られないだけ、まだ良かったと言えるが、上昇志向の強い少女、お里は、花のお江戸にすっかり魅了されてしまう。


----ここなら、きっと、玉の輿にのれる。


 奉公先の店には、若い後妻を迎えた主人と、のん気そうな息子の拮平がいた。


----まあ、この息子も悪くない。差し当たっての、玉の輿要員に加えておくか。


 仕事は思ったより大変だった。当時の女中頭のお熊は厳しかったが、そこはまだ、子供であるところをアピールして、若旦那にくっ付いていればよかった。何より、若旦那は顔が広いのだ。色んなタイプの友人がやって来る。もう、嬉しくてたまらない。この中から、誰か、一人を…。

 しかし、余程の美貌の持ち主でもない限り、誰も、女中などに見向きもしないことにすぐ気が付くも、それでも、いざとなれば、拮平がいる。この拮平なら何とかなりそうと余裕をかましていた。だが、そんな拮平に好きな娘が出来てしまう。焦ったお里だが、さりとて何をどうすればいいのかもわからない。

 そんな頃、八百屋お七の事件が発生する。あろうことか、拮平が好きになった娘は、火付け犯のお七と名、齢、家業までが同じだった。その煽りを受け、家は没落、都落ちしてしまう。

 ことの成り行きに、安堵したお里だったが、これまた、拮平と同い年の父の後妻、お芳の容赦ない娘への悪態に嫌気がさした拮平は家を出てしまう。だが、のん気者の拮平のことだ。すぐに戻って来るだろうと誰もが思っていた。事実、一度戻って来た。だが、それは、きちんと「挨拶」をするためだった。

 それでもお里は、拮平は戻ってくると思っていた。そう、嘉平が病気にでもなれば…。

 しかし、拮平のいない毎日は面白くないことばかりだった。極めつけは、拮平の幼馴染で、金を使って侍になり、旗本の娘を妻にした真之介のところの女中のお房が、義弟の三浦兵馬の側室になったことだ。

 以下に、貧乏旗本とはいえ、後ろには本田屋が付いている。そして、この次会った時には、頭を下げなければならない。もう、嫉妬ではらわたが煮えくり返りそうだった。そんなお里を救ったのが、嘉平の病気だった。居場所を知っている真之介によって、拮平はまたも戻ってきた。


----今度こそ、逃がすものか!


 やがて、嘉平が亡くなり、口うるさい後妻のお芳も実家へ帰り、拮平は名実ともに白田屋の主人となった。この上は、一日も早く、白田屋の内儀に納まりたいお里だが、そこに、とんだ伏兵が現れる。

 真之介の妻の、ふみの許へ来た新しい側女中、名を弥生と言った。奇しくも、拮平が愛した娘と同じ名だった。お七と言う名は火付け犯の八百屋お七を連想するところから、三月生まれと言うことで、拮平は「弥生さん」と呼んでいた。

 そして、この側女中も弥生だった。たまたま、名が同じだけである。それより何より、この弥生には目元に大きな傷があった。これでは、評価の対象にもならない。いや、お里は弥生を軽蔑していた。

 それなのに、あろうことか、拮平がこの弥生を気に入ってしまったのだ。そして、今度こそと結婚へと意気込みを見せる。周囲は主人が気に入ったのなら仕方ないという態度だった。

 怒りが込み上げて来て、どうしようもないお里だった。


----この私が、あんな女に負けるなんて…。許せない!呪ってやる!!

  弥生、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!死ね!弥生!死ね!


 と、呪い続けた結果、なんと、弥生の姉の方が死んでしまう。

 姉妹二人の家である。姉が死ねば妹が後を継ぐ。これで、拮平とは終わってしまった。

 さあ、これからは自分の出番だとお里が喜んだも束の間。今度は今までにない「最強」の相手が現れた。世間のひまでお節介な連中が拮平に縁談を持って来る。それが、人形屋と言う屋号の履物屋の娘であり、何と、持参金付き…。

 内輪のいざこざの影響もあり、苦しい経営の中、商人である拮平がこの縁組を受け入れるのは火を見るより明らかだった。


----これで、終わり。そんな…。


 そんな葛藤の日々、偶然かわら版屋の佐吉と再会する。この佐吉と言う男、嘉平の後妻のお芳が只で女中を使いたいばかりに仕組んだ、かわら版記事に乗せられてやって来た女中の一人。その中に愚図でのろまで、病気持ちのお恭と言う女がいた。業を煮やしたお芳が、お恭に何かの目的で近づいで来た佐吉と急ぎ、夫婦にさせたという経緯のある男だった。

 正直、お里は佐吉とお恭のことなどどうでもいい。それでも、久しぶりにお恭ののろまぶりを聞いて見るのも悪くないと思いつつ話をすれば、そこはかわら版屋、その後の白田屋のこともそこそこ知っているではないか。また、佐吉の話は面白かった。


佐吉 「へえ、あれから、そんなことがあったのかい。そりゃ、お里さんも大変だ

   ね」

----お里さん…。


 初めてさん付けで呼ばれた。いや、呼んでくれた佐吉だった。何だが、急に大人になったような気がした。初めて一人の女として、見てくれた…。

 

お里 「あら、もう、外、こんなに明るくなっちゃって、帰らなきゃ」


 気持ちとは裏腹に、つまらないことを口走ってしまう。そんなお里を明るく見送ってくれた佐吉だったが、夕刻の散歩の時にも、そこの場所にいた。


佐吉 「話の続き、なんか、気になって…」


 男でも女でも、話を聞いてくれる相手にはつい、気を許してしまうものだ。ふいに、口を突いて出た言葉から、佐吉はお里の「野望」に気付く。


----そう言うことか…。

佐吉  「それに付いちゃ、秘策があるんだけどさ」

お里 「秘策って?」

佐吉 「一つはお前に色気がないってこと。そんなんじゃ、男は振り向かねえぜ。

   あと一つは、実行あるのみだ。こっちは俺がやってやるよ」


 言われるままに、お里は翌朝いつもより早くジョンを連れだし、約束の場所に行くが、すぐにどこかの空き家に連れ込まれ、帯に手をかけられる。


お里 「何すんのよ!」

佐吉 「大きな声出すなって。隣近所が目を覚まさあ。その方が大変だぜ。言った

   ろ。先ずは色気ってもんを教えてやるさ」

お里 「嫌よ。こんなの聞いてない」

佐吉 「だから、男が振り向かねえんだよ。いつまでも生娘にこだわってんじゃね

   え。それが駄目だって言ってんだ」


 耳元でそう言われると、余計にでも体は動かなくなってしまう。だが、お里も負けてない。


お里 「もう一つの秘策って何よ」

佐吉 「すべては、俺に任せておけ」


 そして、佐吉は拮平に接触するも、拮平の反応は冷ややかだった。


佐吉 「話が違うじゃねえか」

お里 「何が違うのさ。私ゃ、全部話したよ。弥生のところへも言ったよ」

佐吉 「それで、何が変わった?」

お里 「変わったって、あんたが行けって言うから行ったんじゃないか」

佐吉 「俺だって、人形屋へも行ったさ。だが、なーにんも変わんねえ。つまりさ

   あ、これはよう、お前の読みが浅いってことだよ」

お里 「任せとけって、胸を叩いたの誰だい」

佐吉 「もうちょいと、どうにかなる話かと思ってたさ」

お里 「それじゃ、これからどうすんのさ。どうにかしてやるって言うから…」

佐吉 「そうだな、これからは、色気で迫るしかないか」


 と、お里を引き寄せようとするが、抵抗されてしまう。


お里 「何さ、色気色気って。ふん、自分だけいい思いしてさ」

佐吉 「だから、本当の色気ってもんを教えてやるって言ってじゃないか」

お里 「もう、いいよ。あんたなんか、当てにした私が馬鹿だった」


 と、お里は立ち上がろうとするが、すぐに、男に組み伏されてしまう。

  

佐吉 「今からはよ、男を十分に知った女の方がモテるんだよ」


 その後も、お里と佐吉の関係はズルズルと続いて行くが、まさか、あのお恭が白田屋へ乗り込んで来るとは思わなかった。お陰で、拮平に佐吉とのことを知られてしまった。いや、拮平だけなら何とか言い繕う自信もあった。そこへ、またも、隣の真之介がしゃしゃり出て来た。だが、ここでひるんでなるものかと、お里はひたすら泣きの涙を振りまいてみるも、真之介が相手ではそれも通用しない。

 ならばと、ここは素直に詫びて、真之介の退散を願うしかない。拮平だけなら、何とかなる。


お里 「申し訳ございません。私が悪うございました。私が馬鹿でした。これより

   は心を入れ替え、決して、男には近づきません。どうぞ、どうぞお慈悲でご

   ざいます。ここはお助け下さいませ」

拮平 「うん、助けると言うより、ここまで来たら俺も知らん顔できない。金払っ

   て、済ませるしかないだろ。その代わり」

----その代わり?

拮平 「店は辞めてもらう」

----辞めるって!


 まさか、まさか、あの、あの拮平が、そんなことを言うとは…。


お里 「そんな、そんなことになったら、私は行くとこがありません。どうぞ、こ

   こは、心を入れ替え一生懸命働きますので、旦那様の側に置いてくださいま

   せ。お願いです。お願いします!」                                              

 と、頭を下げるお里だったが、拮平の気持ちは揺らがなかった。


拮平  「心配しなくとも、働き口は世話してやるさ」

お里 「嫌です!お願いですから、ここに置いてください」

拮平 「俺、不倫とか嫌いだから。知らないで付き合ったのならともかく、知って

   てそういうことするか」

お里 「ですから、あれは、無理やり…」

拮平 「それなら、どうして」

お里 「そんなこと、恥ずかしくて言えません!」

拮平 「その後も続いてたじゃないか」

お里 「それは、言うことを聞かなければ、みんなにバラしすと脅されたんです。

   そんなことされたら、恥ずかし…」

拮平 「じゃ、今は恥ずかしくないのかい。いずれ、こう言うことになる想像くら

   い付いただろ」


 今、目の前にいる拮平は、お里が知っている今までの拮平ではなかった。


----いつの間に…。


 いつの間に、拮平はこんなにもはっきりと、ものを言うようになったのか。あの、のん気な若旦那はどこへ行ったのだろう…。

 そうだ、真之介だ。

 真之介が入れ知恵したに違いない。思えば、真之介は前から自分には冷たかった。

 そうだ、ここ一連の白田屋に起きたことは、すべて真之介が裏で糸を引いていたのだ。

 お芳との仲を焚き付け、拮平を家出させ、いずれは白田屋を乗っ取るつもりだったのだ。ただ、嘉平と沙月の死は想定外だった。それでも、それを利用し、きっと、この度の人形屋の娘との縁組も真之介が仕組んだに違いない。そう考えれば、すべてに辻褄が合う。

 いや、すべてはもう遅い。すべては真之介にしてやられたのだ。

 歌舞伎の悪役を赤面あかっつらという。実際顔は赤く塗られている。だが、本当の極悪の顔は青白い。今の真之介の顔がその極悪の顔に見えてならないお里だった。


----あれもこれも、持ってるくせに、こんな田舎出の娘にそこまでしなくたって…。


 と、自分のことは棚に上げ、真之介を恨んでしまうお里だった。

 いや、そうでも思わなければ、真之介を悪者にでもしなければ、お里は自分を保つことさえできない。もうすぐ、白田屋を追い出されるのだ。お縫を始めとする使用人たちの冷ややかな視線を浴びながら去らなければならないのだ。


拮平 「もういいから、部屋行ってな」


 仕方なく、うな垂れたままに立ち上がったお里だが、ここに来て、真之介の顔を睨みつけることが出来た。だからと言って、何が変わるわけでもない。階段の下ではお縫たちが待ち構えていた。


お縫 「ふん、玉の輿が、このザマかい」


 と、例によって、お縫が口火を切る。


女中 「下手に人を呪ったりするから、こんな目に合うんだよ。それにしても、相

   手が、あのお恭とか言う人の亭主とはさっ」

   「そう、散々、愚図だのろまだとこき下ろしてくせに。そんな女の亭主寝

   取って、怒鳴り込まれて、みっともないったらありゃしない」

   「ジョンの散歩にかこつけて、仕事怠けてるばかりと思っていたけど、とん

   でもないことやっててさ」

   「ほんと、ダシに使われたジョンがかわいそっ」

お縫 「いいねいいね。もっと言っておやり」


 またも お縫が合いの手を入れる。


女中 「いいえ、お縫さん。そろそろ夕飯の支度に取りかかりませんと」

   「そうですわ。何てたって、仕事が一番ですから」

   「私たち、忙しんです」

お縫 「まあ、あんたたち、何て真面目なの。もう、私、涙が出そう」

女中 「すべて、お縫さんの教えのお陰です。ねえー」

   「右に同じく」

   「左に同じくですわ」

 

 キャッキャと盛り上がる女中たちだった。


お里 「私、このままでは終わりませんから」

お縫 「あっ、そっ。どうぞ、ご勝手にぃ。さあ、みんな。誰かさんと違って、

   至って普通の私たちは台所へ行くしかないんだよ」

  「それしかないんですね」

  「やっぱり…」

  「そうなの…」


 と、お縫たちが台所へ向かえば、お里も付いて行く。


女中 「あら、お客様はどうぞ、そちらでごゆっくり」

   「そっ、大切な方ですもの。お帰りは、あちらぁ」

   「わからなければご案内致しますけど」


 仕方なく、お里が部屋に戻ろうとするその背に、容赦のない言葉がぶつけられ

る。


女中 「何さ、店の面汚し」

   「散々悪口言ってたくせに、人の亭主の寝取るなんてさ」

   「玉の輿どころか、とんだ泥舟じゃないか」

----何さ、一度くらいの失敗が何だって言うのさ。私ゃ、ここから這い上がって見せるから。絶対、這い上がってやる!


 そして、翌日もお恭と母はやって来た。


お恭 「やい、お里!どこに隠れやがった!出て来やがれ!昨日は貧血で駄目だったけ

   ど、今日は大丈夫だからさあ、さあ、落とし前付けてもらおうじゃないか!」

拮平 「あの、とにかく、ここは落ち着いてください」


 急ぎ、拮平がやって来た。


お恭 「これが、落ち着いていられるかいってんだ。旦那、これは私とお里のこと

   なんですから、何も知らない旦那は黙っててくださいな」

拮平 「いや、そうは申されましても、隣近所の手前もあり、店の信用にもかかわ

   ることですから。ここは、落ち着いて、先ずは話し合いを。そうでしょ、

   おっかさん」


 と、母親の方に救いを求める。


母  「そうだよ、お恭。どうやら、あのお芳と違って、こちらの旦那は話のわか

   る方のようだから、ここはまあ、一度、話を聞いてみようじゃないか」


 この時代、既婚女性の不倫はそれこそ命がけだった。怒り狂った夫が妻を殺害したとしても罪には問われない。だが、幾ら罪に問われないからと言って、妻と相手の男を殺しては、かわら版ネタになり、やはり、外聞が悪い。多くの場合、親族や身近な者が間に入り、示談(金)で済ませていた。

 逆に、既婚男性と娘の場合は罪に問われない。浮気は男の甲斐性と言われていたが、ヤキモチ焼きの女房は黙ってられない。そこで、乗り込んできた。

 困ったのは拮平。ここはやはり、金で解決するしかない。何とか、二両で手を打ってもらったが、お恭がお里に会わせろと言ってきかない。


お恭 「だから、最後に一言だけ言わせてくださいよ。そうでなきゃ、この気持ち

   治まりそうもないんで、お願いします」

拮平 「本当に一言だけですね」


 仕方なくお里を呼びにやるが、誰も一言で収まるとは思ってない。その頃には手代や小僧までが顔を覗かせていた。


お恭 「お里ぅ!よくも舐めた真似してくれたもんだね!」

お里 「何さ!愚図でのろまで病気持ちのくせして、そんなに大事な亭主なら、首に

   縄でも、わっ!」


 拮平はお里を叩いた。


拮平 「何てこと言うんだい!悪いのはお前の方じゃないか!」


 お里はショックだった。まさか、拮平が自分を叩くとは…。


お里 「だから、私は、無理やり。悪いのは佐吉の方なんです。わかってください

   よ」

拮平 「とにかく、こちらのおかみさんに謝りな」

お里 「嫌です。この女と別れて、私と一緒になるって言ったんですよ、それなの

   に…」


 と、泣き出したお里を、お恭は母親の制止を振り切り、思いっきり突き飛ばす。それは、日頃のスローテンポからは想像つかないほどの早業だった。お里もすぐに立ち上がり、お恭に掴みかかろうとするが、今度は女中たちがその腕を掴む。

 皆、このまま、お里がお恭にやられればいいと思ってのことだ。そして、お恭が振り上げた手を今度は拮平が掴む。


拮平 「おかみさん、もう、このくらいで。あとはこちらにお任せを」

お恭 「それじゃ、このお里をどうしてくれるんだい」

拮平 「どこか、遠くの宿場へでもやりますから」

お恭 「いずれは、宿場女郎か…。ふん、ザマア見やがれ」


 と、散々毒づきながらお恭母娘は帰って行った。  




 

   




































































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