第74話 花と団子

 そして、引っ越しも終わり、隣近所への挨拶も済ませた。


お駒 「いいかい、これからは、言葉使いにも気をつけるんだよ。この辺りにゃ

   芝居関係の人も住んでるからさ」

お夏 「姉さん、私だって、もう子供じゃないんだから、今までだってちゃんと

   やって来たじゃない。そんなこと今更言わなくったって」

お駒 「そうじゃないよ。清さん、夢之丞は私の父方の遠縁でお夏ちゃんとは子供

   の頃に会ったことがある、と言うことにしてるんだから。わかってるね」

お夏 「わかってる。大丈夫よ。夢之丞さんって呼べばいいんでしょ」

お駒 「それだけじゃないよ。この家にやって来た時でもあまり馴れ馴れしくして

   は駄目だよ。壁に耳あり、障子に目あり」

お夏 「えっ、ここって、誰か、覗くの?」

お駒 「別に覗くような人はいないけど、それくらい気をつけなってこと!念を押

   すけど、今までの様に大きな声で喧嘩なんかすんじゃないよ。さっきも言っ

   たけど、この辺りには中村座以外の芝居関係の人もいるんだから。うっかり

   耳にでも入ったら、駆け出しのくせに夢之丞はもう、市之丞の女の従妹に手

   を出してるって言いふらされちまうよ。夢さんは今が大事な時なんだから。

   そこんとこ、忘れないどくれ」

 

 今、夢之丞に女の噂はあってはならない。


お夏 「わかりました」

お駒 「おや、随分と物わかりいいじゃない」

お夏 「だって、清十郎、夢之丞と他人になって、また、結ばれるなんて。それも

   悪くないなって、うふふっ。それで、姉さん。ここの店賃たなちん(家賃)っていく

   ら?」

 

 いつか言うだろうと思ってたら、こんな話の後でもしれっと聞いてくるお夏だった。


お駒 「知らない」

お夏 「知らないって…。ああ、そう言うこと」

----ああ、早く私もそうなってみたい。

 

 と、夢之丞との未来を夢見るお夏だったが、現実はそんなに生易しいものではない。


お駒 「なに、ぼんやりしてんのさ。さっ、早く支度して!」

お夏 「えっ、なにか、あったでありんすか…。ああっ」

 

 そうだった。お駒と二人で、どこかへ出かけるのだった。


お駒 「ったく、しっかりしとくれ」

----えへへ、そう言うことは、姉さんがいるから安心してられるでありんす。


 それにしても、どこへ行くのだろうと付いて行けば、一丁ほど先の一軒の家の前でお駒の足が止まる。


お駒 「ごめんください」

 

 奥から初老の女が出てきた。


お銀 「まあ、これはお駒さん」

お駒 「お邪魔しますよ」

お銀 「さあ、どうぞ。あら、そちらが、お夏さんですか」

お駒 「そうです。さっ、挨拶なさい」

お夏 「は、はい。初めまして、お夏です。よろしくお願い致します」

お銀 「まあ、ご丁寧に。こちらこそ。それより、まずはお上がりくださいな」

 

 座敷に通されると、早速に辺りを見回すお夏だった。


お夏 「姉さん、ひょっとして、ここ」

お駒 「そうよ」

お夏 「まあ、そうならそうと言ってくれればいいのに」

 

 ここは市之丞の家だった。確かに近いと言っていたが、ここならほんの一走りではないか。


お夏 「今の人は?」

お駒 「お銀さん。まあ、今は女中さんだけど」

お夏 「えっ」

 

 何だ、女中だったのか。知らないものだから、丁寧に頭まで下げてしまった。


お駒 「ただの女中さんじゃないよ。この家のこと、役者のこと、何でも知ってる

   ような人だから」

 

 そうだ、夢之丞もこの家で暮らしてるのだ。ここは気に入られるようにした方がいい。その時、お銀が茶菓を持って来た。


お銀 「お引っ越しは大変でしたでしょ。もう、落ち着かれましたか」

お駒 「私は慣れておりますが、落ち着かないのが一人」

お銀 「まだ、お若いのですから、無理もありませんわ。それにしても、お夏さん

   もお可愛らしいこと」

お夏 「あら、いえ、そんな…」

----そこはもう一声、お美しいと言ってほしい!

 

 それにしても、お駒も随分と低姿勢ではないか。いくら、正式の夫婦でないとはいえ、市之丞とお駒の仲を知らぬ筈はない。何でも知っていると言ってたし、お夏のことも知っていた。

 その時、玄関の方で声がする。どうやら市之丞が帰って来たようだ。それなら、夢之丞も一緒だ。だが、帰って来たのは市之丞と付き人だけだった。


市之丞「お駒、来てたのかい」

お駒 「ええ、嫌われない程度に近くに来ましたよ」

市之丞「また、そんなこと言ってさ。これからは話が早くなりそうじゃないか」

お駒 「悪だくみするにはちょうど良い距離では」

市之丞「そうだな」

お夏 「あ、あの、兄さん、お帰りなさいませ」

 

 と、ここでやっと口を開くことが出来たお夏だった。


市之丞「ああ、お夏ちゃん、うちは初めてだったな」

お夏 「はい。あの、兄さん。夢之丞さんは」

 

 本当は夢之丞が一緒でないと知ってから、すぐにも聞きたかったのだが、それでもここまで辛抱していた。


市之丞「ああ、夢は踊りの稽古だよ」

お夏 「踊り…。そうなんですか」

市之丞「そう言うお夏ちゃんの端歌の方は」

 

 お夏は赤くなってうつむく。


お駒 「もう、とっくに止めてますよ」

 

 さすがのお夏も自分の下手さ加減に気が付き、止めると言った時の師匠の安堵した顔が今でも忘れられない。

 そして、お駒と共にお夏も夕食の膳の用意を手伝うが、それでも夢之丞はまだ帰ってこない。


----お前さん、夢之丞さん、早く帰ってきて…。


 その夢之丞が帰って来た頃には食事は終わっていた。


夢之丞「ただいま戻りました」

お夏 「夢之丞さん、お帰りなさい」

市之丞「お夏ちゃん、ここはいいさ」

お夏 「お前さん、お帰りなさい」

 

 と、やさしく言ったのに、夢之丞はお駒の前に座る。


夢之丞「姉さん、お夏がいつもお世話になっております」

お駒 「ええ、もう、それは楽しくお世話してますよ」

お夏 「もう、姉さんたら」

お銀 「夢之丞さん、食事はお部屋へお持ちしましょうか」

夢之丞「お願いします」

お銀 「では、お夏さん、お願いしますよ」

お夏 「はい!」



 翌日、お澄が一人の少女を連れて来た。


お民 「お民です。よろしくお願いします」

お澄 「こちらが、ご新造さん、それとお夏さん」

 

 新しい女中だった。


お夏 「お民ちゃん、いくつ」

お民 「十二です」

お夏 「そう、じゃあ、私と三つ違いね」

お民 「えっ」

 

 これには、当のお民のみならず、お駒もお澄も思わず固まってしまう。


お駒 「ちょいと、いくら何でも、それはサバ読み過ぎ」

お夏 「でも、姉さん、あっちが十八だもの。それなら私だって…」


 少しは、サバ読みたい。


お駒 「でも、さすがに十五はないよ」

お夏 「そう、かしら」

お澄 「ええ、それは、ちょっと…」

お夏 「それなら、十七」

お駒 「まあ、そうね」

お夏 「あら、それで、姉さんは幾つだったっけ」

お駒 「私のことはいいの。それより、お民ちゃんに笑われないよう、今まで以上

   にしっかりやることね」

お夏 「えっ、もう、私はお役御免では。そのためのお民ちゃんじゃないの」

お駒 「呆れた。もう、お民ちゃん一人に全部やらせる気になってる。駄目だよ。

   後で役割決めてあげるから、二人でやんなさい」

お夏 「はぁい」

 

 その夜、お夏はお駒の前に座る。


お夏 「姉さん、お願いがあるの。家のこと、しっかりやるから、聞いて!」

 

 いつにない真剣な顔のお夏であった。


お駒 「なに、どうしたの、私、忙しんだから早くして」

お夏 「お願い!姉さん、踊り習わせて」

お駒 「いいよ、やれば」

お夏 「……」

お駒 「どうしたの、やりたいんじゃないの」

お夏 「ええ、でも。あの、それはそのぅ」

お駒 「何さ、じれったいね」

お夏 「実は、夢之丞と同じ所で習いたいんです、ねえ、いいでしょ」

お駒 「そうね、頼んでみてあげるわ」

お夏 「えっ、まっ、わっ、嬉しい!姉さん、ありがとうございます。私、家のこ

   と、ちゃんとやりますから」

お駒 「それはいい心がけね。どちらもしっかりやって」

お夏 「はい!」

 

 昨日、久しぶりに会った夢之丞はすっかり役者らしくなっていた。会うまでは、あれも言おう、これも言おうと思っていたが、食事中と言うこともあって、会話もあまり弾まなかった。それなのに、食事が終わり、会話の糸口が見えた頃、お銀が呼びに来た。今夜はここに泊れるのではなかったのか…。


----役者の女房って、こんな思いしなきゃいけないのね、かわいそうな私…。


 だが、ふと思った。夢之丞が踊りの稽古をしていること。ならば、自分も。端唄は駄目だったけど、踊りなら…。それも、同じ師匠の許で。そして、いつか、二人して踊れたらと夢見るお夏は意を決して、お駒に頼むも拍子抜けするくらい容易く許可をもらえた。

 もう、嬉しくてどうしようもなく、夢之丞に負けないよう一生懸命やろうと思った。


お駒 「早く、掃除やっておしまいよ」

お夏 「でも、踊りの稽古は夜じゃ…」

お駒 「なに言っての。若い女が一人で夜道歩いて帰るつもり?」

お夏 「……」

お駒 「はぁ、夢さんと二人してと思ったりしてとは、そりゃ、無理と言うもの

   じゃわいなぁ。あのお師匠さんとこは、昼間は普通のお弟子とってるけど、

   夜はこの辺りの芝居関係の人たちだけ」


 それも、夜は大師匠やその側近が教え、昼間は娘の若師匠達が教えているのだ。


お夏 「ええっ」

お駒 「この間、挨拶に行った時に会ったじゃない」

 

 あれは挨拶だけだと思っていた。


お駒 「おや、もう、その気なくなった?それならそれで、私は構わないけど」

お夏 「いえいえ、今すぐ、準備します」

 

 当てが外れたお夏だったが、それでも夢之丞と同じ所で習えるのだ。また、唄は駄目だったが、容姿には自信がある。きっと、素晴らしい、美しいと称賛されるに違いない。


----ひょっとして、夢之丞さんとお似合いね、なーんて言われたりしちゃって…。


お駒 「なに、にやにやしてんのさ。いいこと、ちゃんと挨拶するんだよ」

お夏 「姉さん、お民ちゃんじゃないんだから、大丈夫よ。ちゃんとやりますった

   ら」

お駒 「お民ちゃんの方が心配いらないよ」

お夏 「もうっ!」

お駒 「それと、余計なことはしゃべらないこと。いいね、自分の立場、わかって

   るよね」

お夏 「わかってます!」

 

 それでも、お駒が用意してくれた若師匠への手土産を持ち、意気揚々と出かけるお夏だった。


お民 「お夏さんって、面白い人ですね」

お駒 「もう、大人なんだか、子供なんだか…。もう、どっちでもいいわ」

 


 その頃、繁次はなんでも屋に来ていた。 


繁次 「ごめんなさいよ」

お澄 「おや、誰かと思えば、げっ」

繁次 「なに、その、げって。どうしていつまでも、下の方の名前にこだわんのか

   ねえ。上の方の名前で呼べないの。それに、今日はまた、変なところで切っ

   てさ」

 

 いつもなら、繁次をゲジさん、蔭ではゲジゲジ、ゲジ野郎などと呼んでいるなんでも屋の三人だが、今日の繁次の側にいるのはこれまたいつもの伍助ではなく、若い男が会釈をしたので、一瞬ゲジは止めておこうと思ったが、既にゲは発音されてしまった。


お澄 「そちらは?」

繁次 「ああ、こいつね。俺の今度の新しい相棒。そういや、野郎たちは仕事か

   い。いいねえ、繁盛してて」

お澄 「暇なく働かないとうちはやってけないの。それより、伍助さん、本当にク

   ビにしたの」

繁次 「まあ、クビと言うより、俺の相棒は卒業って訳。人間、適材適所ってもの

   があってさ」

佐吉 「佐吉と言います」

お澄 「まあ、賢そうじゃないの。さあ、座って、今お茶入れるから」

繁次 「おや、お澄さん、お気に召しましたか、こいつ」

お澄 「そんなんじゃないけど、伍助みたいにチャラチャラしてないとこがいいな

   と思って」


 その時、戸が開いて、万吉と仙吉が帰って来た。


万吉 「おや、ゲジさん来てたの。それより、あのさ今、その先で伍助さんかわら

   版売りやってたけど」

仙吉 「それが何か、水を得た魚の様でさ。面白いこと言うから、かわら版よく売

   れてたよ」

万吉 「あれ、お隣は」

仙吉 「ひょっとして」

佐吉 「佐吉です。よろしくお願いします」

繁次 「俺の新しい相棒。伍助の奴は俺んとこ卒業して、その売りやってるって

   訳」

万吉 「そうだよね。その方が伍助さんにゃ合ってるわ」

繁次 「おい、万ちゃんよ。なんで、あいつが伍助さんで、俺がゲジなんだい」

万吉 「いや、別に、何となく」

仙吉 「そうっす、何か、しぜーんとそうなって、そう呼んでるだけ」

繁次 「だから、何度も言ってるじゃねえか。せめて、シゲって呼んでくれねえか

   な」

万吉 「ああ、気にしなくていいよ。俺達ゃ、この方が呼びやすいんだから」

仙吉 「そうそう、そう言うこと。それより、伍助さん、中々のものだったよ。

   ちょいと手元が狂って火元になるぅとかって」

 

 今日のかわら版のネタは市之丞から提供された、人気若手役者と蝋燭ろうそく問屋の娘が恋仲と言うものだった。


万吉 「今日のあれ、本当なの?」

繁次 「今日のネタって言えねえのかい。本当だよ。どうだい、俺の目の付けどこ

   ろ」

仙吉 「その点はすごいけどさ、ネタ元は市之丞さん」

お澄 「はい、お茶」

佐吉 「これはどうも、いただきます」

お澄 「ちょいと、ケジさん。何かい、今日は佐吉さんのお披露目に来たんじゃな

   いの。それを肝心の主役ほっぽり出して、辞めた伍助さんの話ばかりして

   さ。そりゃ、あんまりと言うもの。佐吉さんかわいそうじゃないの」

万吉 「そうだった、ごめんね、佐吉さんだっけ」

仙吉 「本当にごめん。あの俺、仙吉。この兄貴、万吉。似たような名前だけど、

   実の兄弟ってわけじゃないの」

繁次 「こりゃ、俺も悪かった。お澄さんの言うとおりだ。こちらの器量良しの姉

   さんがお澄さん。万吉さんの妹」

お澄 「よろしくね」

佐吉 「こちらこそ、よろしくお願いします。でも、色々楽しそうですね。俺も早く

   皆さんの仲間に入れたらなと思います」

お澄 「そんな、もう今日から仲間だから、気楽にしてよ」

 

 と、繁次から器量良しと言われ、機嫌のいいお澄だった。


お澄 「それにしても、そうならそうと知らせてくれたら、茶菓子くらい用意した

   のに、何もなくてごめんなさいね」

万吉 「そうだよな、俺たちだって知ってりゃ、団子くらい買って来たのに」

仙吉 「ほんと、ほんと。どっこからか団子が、やって来ないかなあ」

 

 だが、その団子は歩き始めていた。


お澄 「それはそうと、ゲジさんは何で伍助さんに見切り付けたわけ?あれだろ、

   あの伍助さんて親方が知り合いから頼まれたとか言ってなかった。あ、これ

   はさ、聞いとけば佐吉さんの参考にもなると思って」

繁次 「そうだな。あれはどうにも伍助の野郎があんまし調子こいてんで、俺が

   ちょいとした出まかせ言った訳。絶対しゃべるなよって」

お澄 「どんな出まかせ」

繁次 「なんてことないさ。あの白田屋の若旦那はでべそだと言ってみたの」

 

 これには、お澄たち三人は沈黙するしかない。三人とも拮平がでべそだと言うことは知っている。それを知らない繁次がでかませと言ってるのだから、このまま…。


繁次 「そしたらよ。あの野郎、よりによって、若旦那にそのこと言ってやがん

   の。まあ、当然若旦那にゃ怒られ、俺にも怒られたんだけど、本人にならい

   いと思ったとか抜かしてよ、これはもうどうしようもねえってんで、親方に

   直談判して…。まっ、俺はそれでよかったけど、今度は親方が伍助に何やら

   せようかと頭抱えてさ。義理ある人から頼まれたんだろうねえ。そんな時、

   真之介旦那が売りの方をやらせてみろって。さすが旦那だね、それがあの通

   りのどんぴしゃよ」

 

 なおも繁次は佐吉を見て言う。


繁次 「いいかい。こちらのなんでも屋の兄さん姉さん方は、口の堅いのを売りに

   商売しなさってんだ。こんななんでも屋でもそうなんだから、かわら版ての

   は凶悪事件も扱うんだから、さらに口が堅くなきゃいけねえ。だから、俺が

   言うなと言うことは、どんなくだらなねえことであっても、例え、親兄弟、

   惚れた女にも言っちゃいけねえんだよ。わかったな」

佐吉 「はい、わかりました」

万吉 「あの、ゲジさんよ。確かに俺んとこは小さななんでも屋だけど。だからっ

   て、そこへやって来てから、こんななんでも屋って言うかね」

仙吉 「そうだよ、少しゃ、言い方ってもんが」

繁次 「そりゃ、済まなかったなあ。何しろ、毎度おなじみ、人の不幸を飯の種に

   しているこの通りのゲジ野郎なもので。そんな風にいつも言われると、つ

   い、そうなっちまってよぅ」

お澄 「そんなことより、若旦那をでべそだなんて。あの若旦那さあ、ああ見えて

   意外に神経質と言うか…」

万吉 「そうだよ。もう、出まかせでもそんなこと言わない方がいいよ」

仙吉 「そうそう、うちの兄貴と姉さんは、若旦那とは幼馴染で、何でもよく

   知ってんですから」

お澄 「若旦那って、あれで傷つきやすい人よ」

佐吉 「お澄姉さんって、やさしい人なんですね」

 

 佐吉が言った。そして、団子はさらに近づいて来た。


お澄 「まあ、そうなのよ。よくわかったわね。もう、この辺りでやさしい人と言

   えば、なんでも屋のお澄さんってことなの。おほほほっ」

 

 繁次、万吉、仙吉は黙って横を向いていたが、器量良しの上にやさしいとまで言われては、何か買って来なければとお澄が腰を上げた時、戸が開く。

 団子、いや、拮平がやって来た。


お澄 「まあ、若旦那!今、お噂してたところですよ。さあさ、どうぞ」

拮平 「なんだい、皆揃ってるじゃないか。ほら、お澄の好きな、団子買って来て

   やったよ」

お澄 「まあ、うれしい。よかったわね、佐吉さん。今、新しいお茶、入れますか

   ら」

 

 と、お澄は台所へ向かう。


拮平 「おや、そっちの新顔は?お客には見えないけど」

繫次 「実は」

 

 と、繁次が口を開くが、拮平の方が早かった。


拮平 「実はさ。その先でゴンスケの野郎が今日はかわら版売ってたじゃないの。

   こりゃ、また、どうして。おい、団子食いなよ」

 

 拮平の中では、伍助はゴンスケになっている。また、万吉と仙吉は、でべそのことは言うなと繁次に合図を送る。


繁次 「ありがとうございます。実は、色々あって伍助は売りの方に回ったんです

   よ。それで、こいつが新しい相棒。おい、こちらが白田屋の若旦那だ。お前

   も付いてるぜ。団子まで頂いてよ」

佐吉 「ありがとうございます。お初にお目にかかります、佐吉と言います。若旦

   那のことは兄貴から、また、今はこちらの兄さん方から、若旦那の人となり

   を伺っておりました」

拮平 「おや、あのゴンスケと違って随分しっかりしてるじゃないの」

繁次 「ええ、これくらいでないと、かわら版は務まりませんや」

 

 その時、お澄が茶を運んできた。


お澄 「はい、お待たせ」

拮平 「しかし、何とかも使いようだね。あれなら最初からゴンスケに売りやらせ

   ときゃよかったじゃないの」

繁次 「ええ、まあ、ちょっと回り道しました」

拮平 「飛んだ、回り道だよ。犬の様にあちこち嗅ぎまわり、このあたしに、ろく

   でもないこと言ってさ」

佐吉 「本当ですよ。若旦那のこと、でべそだなんて言ったんでしょ」

 

 こともなげに言う佐吉だった。これにはお澄、万吉、仙吉はもちろん、繁次も思わず固まってしまう…。


佐吉 「ひどいですよね、若旦那にそんな出まかせ言うなんて。もう、繁次兄貴か

   らこっぴどく怒られ、それで、かわら版屋はお払い箱なりまして、その後は

   雑用やってたんですけど、こちらもさっぱりで。どうしようもないってん

   で、売りでもやらせてみようと言うことになったんだそうです」

拮平 「そ、そうなんだよ。あのゴンスケめ、とんでもない出まかせ言ってさ」

繁次 「いや、若旦那、本当に申し訳ありません。これは俺の監督不行き届きでし

   て。もう、金輪際、伍助の野郎は若旦那の六尺以内には近づけませんので。

   この件は、どうぞ、このくらいで…」

拮平 「そうかい。いや、あたしもさ、いつまでも根に持つような人間じゃない

   さ。ゲジゲジがそんなに言うんならいいとするわ」

 

 ゲシゲジと言われたのはムカつくけど、今はそんなことは言ってられない。


繁次 「ありがとうございます」

 

 もう、ほっとする四人だった。それにしても、一時はどうなる事かと心配してたが、うまい具合に繁次の出まかせを伍助の出まかせにすり替えた佐吉だった。


----佐吉、意外とやるじゃない。


 これが繁次たちの感想だった。


拮平 「それより、団子食いな」

 

 そうだった、これで安心して団子が食べられるというものだ。


拮平 「そうだ。お前達、へそはちゃんと洗ってるかい」

繁次 「えっ」

 

 また、へその話に逆戻りかと、口に入れた団子が喉に詰まりそうになる繁次だった。


拮平 「何かい、揃いも揃って、まだ、へそのゴマ取ると腹が痛くなるってそんな

   迷信、信じてんのかい」

仙吉 「あれって迷信ですか?」

拮平 「そうだよ、あんなの迷信だよ。それよか、きれいにした方がいいのっ」

 

 と、拮平は真之介からの受け売りを、例によって自分の知識の様にひけらかす。


拮平 「だからよ、今夜から風呂で手拭いでそぉっと拭いてみな。これが意外と汚

   れてて汚いのなんのって。本当だよ」

佐吉 「そうなんですか、では、今夜風呂入った時に」

拮平 「おい、ちょいと、待ちな。佐吉だったよな。早速にやるのはいいけどさ、

   これがやり過ぎちゃいけない。早くきれいにしようと思って、猿のラッキョ

   剥きみたいに必死こいてやると、今度は本当に腹が痛くなる。だから、毎日

   そっとやさしくしてやるんだよ。そしたら、そのへそが、これが今までの俺

   のへそかいって言うくらいきれいになって、もう、どうしようもないっ」

佐吉 「若旦那は物知りなんですね」

繁次 「あの、若旦那のご高説はありがたく拝聴させていただきました。しかし、

   今見れば、誰もかわら版持ってない、買ってないじゃないですか。あの、何

   ですかい、伍助の名調子聞いて素通りした…」

拮平 「その通りだけど」

繁次 「その通りって随分あっさり言うじゃない。そりゃ、若旦那は伍助にいい感

   情持ってないから、わかるにしても、仙、万ちゃん。二人して一枚くらい

   買ってくれてもいいんでないのかい」

万吉 「そんなことしなくても、書いた張本人に聞いた方が早いじゃない」

仙吉 「そうそう、で、今日のあの二人、これからどうなんの」

繫次 「それを知りたきゃ、買って読まんかい」

万吉 「たまにゃ、ネタ提供すんだから、そこは持ちつ持たれつじゃない」

 

 それを言われると繁次も弱いが、それはそれだ。


繫次 「それとこれとは別」

佐吉 「つまり、若旦那やこちらの兄さん方に買って読んでいただけるようなもの

   を書かなきゃいけないってことですね」

万吉 「その通り!」

仙吉 「いよっ、佐吉ちゃん!」

----何がその通りだ。この野郎、いいとこ取りしやがって…。

 

 この佐吉と言う男、まだ、子供っぽい顔しているのに思った以上にしたたかではないか。うるさいカラスがいなくなり、次にやって来たのはまだくちばしの黄色いスズメと思ってたら、とんだトンビの出現に驚きを隠せない繁次だった。


拮平 「はははっ、こりゃ、いいや。まあ、ゴンスケの野郎もでべそだもんな」

繁次 「あの、若旦那。お言葉ですけど、別に伍助はでべそじゃありませんので」

 

 ここは一応訂正して置かなければなるまい。


拮平 「いやさ、西の方のかなりの範囲で、でしゃばりのことをでべそって言うん

   だってさ」

仙吉 「あっ、それ、聞いたことがあります」

繁次 「へえ、そうなんだ」

万吉 「あっ、今、へ、そって言ったな」

佐吉 「ゲジ兄貴も駄洒落とか言うんですね」

繁次 「お前まで、ゲジと言うか」

 

 そして、拮平がぽつりと言った。


拮平 「真ちゃん、どうしてるかなあ…」

 






 

 






















  

 


    


 

   




                                                             

                              











  






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