第55話 愛のサンカ

静奴 「まあ!なんて、私は美しいのでしょ…。愛の力は偉大。愛によって、こうし

   て光り輝いている私…。ああ、愛こそすべて…。あの夜、あの方は言った。

   どこへ行くと言うのだ。勝手に手の届かぬ遠くへ行くでない。行く時は二人

   一緒。お前一人で行かせてなるものかぁっ。例え、この世で結ばれぬとして

   も、そっちへ行ってはならぬ!行ってはならぬぅ!ああ、今思い出しても、胸

   が熱くなる…。そうなのよ、そうなのよぉん!初めから結ばれない約束のあな

   たと私…。でも、それでもいいの。それでも変わらない二人だもの。そし

   て、いえ、だからこそ!こうして、私はよみがえったの!あと一歩であの世に

   足が、と、その時、ひしと掴まれたこの手よ。行かせてなるものか!いえ、

   もう私は駄目なの。いや、行かせてなるものか、いえ、そのお気持ちだけ

   で…。いや、行かせられぬ。ああ!その言葉だけで嬉しい私…。それでも

   尚、尚、尚っ!離してはくださらぬ、その力強い手。やがて、その手によっ

   て、引き戻されたのでしたあぁぁ。ああ、愛こそすべて!例え、この世で結ば

   れぬ二人だとしても、思い合う心の糸の強さよ。その時、高らかに鳴り響

   く、愛のサンカ…。再びこの世に引き戻され。こうして、鏡に映る一人の美

   しい女…。その名は静奴、いえ、お静、静かなお静…。ああ、よよよのよ」

 

 と、その場にへたり込むが、自分では崩れ落ちたと思っている静奴であった。


女中 「ほんと、いつまでやってんだろうねぇ」

 

 さっきから障子の隙間から覗いている置き屋の雑用係のおばさんにも気が付かない静奴だった。


静奴 「でもでも、この美しさをさらに際立たせるためのかんざしくしこうがいが見当た

   らない…。えっ、どうしてどうして。泥棒?いやぁ!もうぅ!おばさん!ちょっ

   と来て!大いに変わるの大変よ!おばさん!」

女中 「さっきからここにいますけど」

静奴 「あっ、あのね、泥棒が入ってね。私の簪、櫛、笄がごっそり無くなってん

   の。早く、番屋へ。あっ、目明しの銭無しの平太親分の方が早いわ、だか

   ら、すぐ呼んできて!」

----おのれはあの夜のことを忘れたのかや!

 

 そう、あれから、大変だったのだ…。


女中 「静奴さん。よもや、あの夜の事。お忘れじゃないでしょうね」

静奴 「あの夜のことって、あの夜のことでしょ?忘れる訳ないじゃないの。まあ、

   いやだわ。おばさんまで、あら、恥ずかし」

女中 「何が恥ずかしがる年でもなかろうに」

静奴 「それは、いくらおばさんでも、あんまりじゃない」

女中 「まあ、それは置いといてと。あの夜、いとしの真様の許へお連れしたのは

   一体、誰でしたかしらねっ」

静奴 「そ、そりゃ、おばさんだけど」

女中 「それなのに、今も聞いてりゃ何です。まるで、真様一人がこの世に連れ戻

   したとか何とかかんとかって。それこそ、あんまりって言うもんじゃござん

   せんこと。静奴さん!あの夜、何て言ったか、よもやお忘れじゃないだろうね

   え。私が死んだら、簪櫛笄全部あげるから、後生だから、最後のお願いだか

   ら、真様のとこまで連れてけえて、それこそ死に物狂いで頼んだのはどこの

   どなたでしたかしら、さあ!」

静奴 「そうね、そんなこと言った様な気もするけど、それは私が死んだらってこ

   とでしょ。でも、私はこうして生きてるじゃないの。生きてるんだから、そ

   れは無しよ。死んだらってことよ。ああっ!てことは、おばさんが…。ひど

   い!盗ったもの、早く返してよ!」

女中 「盗ったんじゃなくて、貰ったんですよ」

静奴 「貰ったって、勝手に貰わないでよ。あれは私の物なのよ、それを窃盗と言

   うのよ」

女中 「だからぁ!全部じゃなくて、半分貰いましたよ」

静奴 「半分じゃなくて、七、八割方ないじゃない!それでも窃盗よ!」

女中 「いいえ、これは当然の報酬です。だってそうでしょ。この私が真様の許

   へ、この私が手を取ってお連れ致したんですよ。そのことによって、静奴さ

   んは死なずにこうして生きてるんですから、言わば、私も命の恩人の一人。

   それでも遠慮して半分だけにしたのに、それを盗人呼ばわりするとは、あ

   あ!静奴さんがこんな恩知らずとは思いませんでしたよ!それに、あの後、大

   変だったんだから。私ゃお母さんや女将さんから、それはもう、散々叱られ

   ましたよ!それもこれも静奴さんの為と思って耐えたと言うのに、これくらい

   安いもんじゃないですかね!それでも、私を泥棒呼ばわりすんなら、いっそ、

   真様のとこ行って、洗いざらい全部ぶちまけちまいますよ!」

 

 そう、静奴も知らぬ事があるのだ。


静奴 「わかったわよ。わかりました」

女中 「まあ、わかってくれれたらそれでいいけど」

静奴 「でも、私にとっては、芸者にとっては大切な物なの。なくては困るの」

女中 「だから、全部、取っ、貰った訳じゃないでしょ」

----何さ、それもいいものばかり持ってったくせに。

 

 そう思いながらも、静奴は財布から金を取りだす。


静奴 「じゃあ、これでお願い。ねっ、私にとっては大事なものだけど、おばさん

   にはこっちの方が…」

 

 と、金を握らせる静奴。  


女中 「それは、まあ…。ちょいと、静奴さん。あらぁ、静奴さんの命の値段て、

   たったの二両ですか」

静奴 「二両ってどういうこと」

女中 「これ一両小判でしょ。命の恩人が二人いて、その一人に一両だから、静奴

   さんの命の値段は二両ってとこなんですね」

静奴 「失礼ね。私の命はそれこそ、千両万両、いいえ!値段なんぞついてたまるも

   んですか!それほどの価値あるものだけど、だからって、千両の金を持った人

   間なんて、この世にどれくらいいると思ってんの!どう考えたって私がそんな

   大金持ってる訳ないでしょ。だからぁ、もう、困らせないでよ」

女中 「でも、一両じゃあねえ」

 

 仕方なく静奴はもう一両出す。


女中 「もう一声!」

静奴 「もう…。足元見るんだから…」

女中 「まあ、足元なんか見ちゃいませんよ。私が見てるのは今日もお美しい静奴

   さんのお顔だけです」

静奴 「あら、そうお」

女中 「そうですよ」

静奴 「じゃ、もう清水の舞台から飛び降りたつもりで、もう一両出すから、先に

   私のとこから持ってった物返してよ」

女中 「はいはい、今持ってきますから、交換てことで」

 

 と、何とか簪類を取り戻した静奴だったが、何か割り切れない気持ちだった。


----愛って、お金がかかるのねえ。

静奴 「ねえ、ちょっと、おばさん」

 

 三両受け取って上機嫌のおばさんは思わずギクリとする。ひょっとして、また、何かこじつけて、この三両取り返そうとしてるのでは。しまった。もっと早くに静奴の前から消えるのだった。


----いいえ、何があってもこの金は私のものよ。決して、手放すもんですか!

静奴 「どうかしら」


 と、ポーズを決める静奴。


女中 「ええ、お似合いですよ」

静奴 「あら、似合うとかじゃなく、私が着たのだから似合うに決まってるけど、

   そうじゃなくて。どう?これで町方の女に見えるかしら」

 

 そう言われてみれば、今日の静奴は部屋着ではなく町行く女の様な着物だった。


女中 「まあ、また、一段と」

静奴 「でも、本当に町方に見えるかしら。普通の女って、こんな感じかしら」

女中 「ええ、どこから見ても、町娘ですよ」

静奴 「まぁ、町娘だなんて、おほほほほっ」

 

 芸者にしては煽てにのりやすい静奴だった。


女中 「では、今から?」

静奴 「ええ、ちょいと、気晴らしに町に出て見ようと思って」

女中 「あまり、遅くならないでくださいよ」

静奴 「大丈夫よ、ちょいとぶら付いて来るだけだから」

 

 と、出かける静奴の後姿が消えそうな頃、おばさんは言う。


女中 「本当に何も覚えてないんだから。あれから大変だったのに…」

 

 あの夜、何とか真之介の座敷までたどり着いた静奴は、死ぬ死ぬのオンパレードで真之介に迫り、挙句は逃げる真之介をものすごい力で引き寄せ、その上に倒れ込み、気を失う…?

 だが、そんな二人が重なったところを見た若い芸者が悲鳴を上げる。その声で密花や他の芸者たちが駆け付け、静奴を引き離そうとするが、それにしても力の抜けてしまった人間は重いこと。やっとの思いでそれこそ引き剥がすと言った方が早かった。

 こちらもやっと解放された真之介だが、それでも、あの死ぬ死ぬ攻撃がまだ耳から離れない…。


女中 「寝てます…。申し訳ございません!」

 

 恐縮しきりの女中達は急ぎ静奴を引きずるように連れ出す。


蜜花 「本当に申し訳ございません」

 

 密花すら恐縮している。そして、静奴の「病状」が語られる。

 何のことはない。只の飲みすぎでくたばっていただけなのだ。それも二日酔いレベルではなく、ろくに食べもしないで酒ばかり飲んでいては体を壊すと言うものだ。特にここのところ、真之介が妻を迎えた苛々も手伝って酒量が増え、ついにはダウンしてしまった。

 そこは、ポジティブとネガティブを器用に使い分けられる静奴のこと。いつものことながら医者に呆れられたことは、既に見放された、余命わずか。真之介に会えないのは権高い妻が邪魔していると、脳内変換はとどまるところを知らない…。

 その真之介が妻と共にお茶屋にやって来たということは内緒にしていた筈なのに、誰かが耳に入れたようだ。そして、次に一人でやって来た事も静奴の地獄耳が聞き逃す筈なく、おばさんを買収して、真之介に会いに行くもそこでもまたダウン…。

 おばさんは茶屋の女将や置き屋のお母さんからこってり油を絞られる。それからの静奴は酒が抜けるまで厳しい管理下に置かれるが、抜けてしまえばいつもの静奴でしかない。お母さんの小言などどこ吹く風。

 そして、なぜか今日は昼の町を歩いて見たくなった。


静奴 「まあ、いいお天気だこと。こんな時に真様と一緒なら、どんなにいいかし

   ら…。おや、あれは…。もしや、いいえ、絶対、真様!」

 

 見れば今日の真之介は、いつものきりっとした侍姿ではなく、町人髷でぶらぶらしているではないか。


静奴 「きっと、あの武家嫁とじゃ、息が詰まるのだわ。言わんこっちゃあない」

 

 だから、たまにはこんな姿で歩きたくなったのだと勝手に解釈。そして、後ろから、そぅーと近づき、脇の下から手を入れ腕を絡め取る。ここまでくればもう離さない、離すものかと腕を掴んだまま速足で歩きだす。

 だが、それは真之介ではなく、清十郎と言うよく似た男だった。

 慌てたのは清十郎。ついに待ち合いの入り口まで来てしまった。


----駄目だ、駄目だ。ここは駄目だ。何とかしろぃ、おい!清十郎!


 そこへ、女中が出て来たので、ここは侍の振りして言った。


清十郎「厠へ」

 

 清十郎は必死で女中に目でも訴え厠へ案内させる。


清十郎「頼む、人違いなんだよ。似てるだけだからと言っても、あの女信じちゃく

   れねぇんだよ。頼むから草履持って来てくれよ!この通り!」

 

 と、女中にありったけの金を握らせ、清十郎は必死で逃げる。


清十郎「あぁ…。なんだい、俺に似てる奴よぅ。侍のくせして、素人だか玄人だ

   か、どっちつかずの、ひょっとしてオカマか?そんなのと付き合ってんのか

   い。まあ、男と女は思案の沙汰って言うわな。兄さんだって、あんな女と。

   ああ、今日は何て日だよう…」

 

 それでも、ホッとしつつ清十郎が帰って見ればお照だけだった。


清十郎「姉さんとお夏はまだかい」

お照 「ええ、まだですよ。ご一緒じゃなかったんですか」

清十郎「ああ、別行動…。あ、お照ちゃん、何か食いものないかい。ちと、腹減っ

   たわ」

お照 「冷ご飯と佃煮ならありますよ」

清十郎「それ、頼む」

 

 清十郎が茶漬けをかき込んでいると、お駒とお夏が帰って来た。


お駒 「ああ、疲れた」

 

 お駒がげんなりした様な顔をしている。それに引き換え、まだ夢見心地なお夏だった。


清十郎「姉さん、お帰りなさい。ちょいと、腹減ったんで勝手に頂いてます」

お夏 「ああ、百年の恋も冷める…」

 

 と、思わず、座り込むお夏だった。


清十郎「何だ、帰る早々、ろくでもないこと言いやがってよ」

お夏 「あのさ、お前さん。私、会っちゃったんだよ」

清十郎「誰に」

お夏 「ああ、今思い出しても頭がくらくらしそう…。それなのに、帰って見りゃ

   このザマかい」

清十郎「だから、何なんだよぅ。さっきから何言ってんだか、訳わかんねぇや」

お駒 「お夏ちゃん、もっとわかるように言っておやりよ」

お夏 「そうだった。この馬鹿にはじっくり噛み砕いて言ってやらないと、何でも

   この茶漬けのように早とちりして、流し込んでしまうんだから」

清十郎「うるせっ」

 

 清十郎も市之丞の事、変な女のことが未消化のまま苛ついていた。


お夏 「それがさ、お前さんにそっくりな侍に会ったんだよ」

清十郎「ええっ!そいつ、どこにいたんだ」

お夏 「それだけじゃないんだよ。なんと、なんと、その侍の奥方がさ、これま

   た、私にそっくりなんだって」

清十郎「おい、よせやい。そこまで作り話すんじゃねぇよ。そんな作り話はよ、

   どっかもの好きな戯作者…」

 

 お駒が笑っている。


お夏 「それが姉さんもびっくりの本当の話なんだからさぁ」

清十郎「よくわかんねぇ」

お夏 「今、わかるように話すからさ」

 

 と、咳払いするお夏。


お夏 「さても、私と姉さんが小間物屋の店先で、あれにしようかこれがいいわと

   迷ってた時。いきなり腕を掴まれたお夏さんは、路地へと引きずり込まれた

   のありました。もう、何が何だかわからないままに、壁ドン。何を血迷うた

   か、これ、奥。その声に見上げれば、それが何とお前さんではないの。いえ

   いえ、もっといい男。でもさ、私はまたお前さんが兄さんにでも頼んで侍の

   格好してんのかと思っちゃってさ。そこへ、現れたる正義の味方。姉さんど

   うぞ」

お駒 「あいよ、私はさ、お夏ちゃんがその侍を清さんだと思って、後を付けてた

   とばっかり思ってさ。それがそうではなくて、その侍は自分の奥方だと思っ

   たそう。それくらいお夏ちゃんも似てるんだって」

清十郎「けど、姉さん。似てるったって、いくらなんでも武家の奥方がこんな恰好

   で、そこいら歩いている何てことはねぇでしょうに。侍のくせにそそっかし

   い野郎だな」 

 

 お駒は真之介とその妻の話を聞かせる。


清十郎「へっ、道楽侍か」

お夏 「でもさ、すごく格好良かった…。お前さんも侍になればあんなに、でも、

   ないか。やはり、茶漬けがお似合いにて候か」

清十郎「うるせっ、侍だって茶漬けくらい食うだろ。ああ、金持ちだから、茶漬け

   なんぞ食わねぇか。そりゃ、悪かったな」

お夏 「でも、私が旗本の娘だったら…。さぞかし…」

清十郎「さぞかし、何だよ」

お夏 「うふふふふっ」

清十郎「つまり、向こうは金持ち侍で、その嫁が旗本の娘か」

お夏 「ああ、どうして、夫婦して顔は似ているのに、こんなにも境遇が違うのだ

   ろうねぇ。よよよよよ」

 

 だが、ここにきて、清十郎が珍しく考え込んでいる。


清十郎「待てよ、ちょ待てよ。ひょっとして、ひょひょっとしてさ。これ、双子っ

   てことねえか」

お夏 「双子?」

清十郎「そうよ。双子は畜生腹なんて普通でも忌み嫌われるだろ。それが旗本や大

   店ともなりゃ、尚の事よ。双子なんてとんでもねぇってんで、人知れず里子

   に出す。ところが悪いことは出来ねぇもんで、因果は回る糸車。手繰り手繰

   られ、その里子に出された弟と妹が夫婦になり、片や兄と姉も夫婦になり、

   画してこの兄弟姉妹の夫婦は巡り合うのでした」

お夏 「えっ!じゃ、私が旗本の娘?」

清十郎「俺は呉服屋から侍に、ならないとしても、大店の若旦那」

お夏 「まあ!どうしましょ!ねぇ、どうしよ、どうしよ、どうしたらいい、お前さ

   んっ」

清十郎「慌てるねぃ、とにかく、俺たちに運が向いて来たということよ。今更、旗

   本の娘や呉服屋の主人になれる訳じゃねぇが、真相を知った日にゃ、向こう

   さんも知らん顔は出来めぇ。まあ、そこそこのこたぁ…」

お夏 「あぁ、何てこと…。道理で私ゃ品があると思ってた。そういうことだった

   のね。これ、清十郎、茶を持て、なーんて」

清十郎「あの、お夏さん。それは後で。先ずは、のり込む方が先じゃないの」

お夏 「そうだった」

清十郎「いざ行かん、我が産まれしふるさとへ!お夏!」

お夏 「お前さん!」

清十郎「そして、高らかに鳴り響く、愛のサンカ!」

お夏 「幸せが二人を待っている!」

清十郎「もう、苦労はさせねえ」

お夏 「その言葉、待ってたよ」

清十郎「今から、のり込むんだ!」

お夏 「あいよ!」


 その時、お夏に紙つぶてが当たる。


お駒 「何いつまで馬鹿やってんだい!そんな夢みたいなこと、ある訳ないわ。それ

   に、私はお夏ちゃんが生まれた日の事、覚えてるよ。そんな話はこれっぽっ

   ちもなかったよ」

お夏 「そ、そんな…」

清十郎「するってぇと、残るは俺一人、でもいいや」

お駒 「それもない。あのさぁ、世の中はね、そんなに口の堅い人ばかりじゃない

   んだよ。人口に戸は立てられないって言うだろ。そう言う話はどこからか漏

   れるものさ。仮に事実とすれば、あの真之介旦那が放っておくものかい。そ

   れこそ、草の根分けても探し出すわ」


 それでも諦められない顔の清十郎だった。


お駒 「何よりさぁ、いくらもの好きな戯作者だって、そこまではやらないよ」

清十郎「いや、それは、そのぅ」

お駒 「そんなことより、清さん。お前も男だろ。男ならもっとしっかりおしよ。

   何をいつまで、ふらふらしてんだい」

清十郎「いや、それも、その、俺だって…。あの、口入屋どこでしょうか」

 

 と、場所を聞いて出かけようとする。


お駒 「お待ちよ」

清十郎「へい、何でしょう、姉さん」

お駒 「もう、夕暮れだよ。明日におし」

 

 翌日、清十郎が出かけようとした時、お駒が小銭を渡す。


お駒 「出かけるときは少しは持ってなきゃぁね」

清十郎「あっ、こりゃどうも。もう、姉さんには敵わねぇや。すべて、お見通しな

   んだから」

お夏 「まあ、姉さん、いいのに。こんな奴に持たせたらすぐに使っちまいます

   よ。ほんと、すみませんねぇ。お前さん、今度、無駄使いしたら、承知しな

   いからね」

清十郎「へい、わかっておりやす」

 

 と、急ぎ外に出る清十郎だった。


清十郎「何が無駄使いだ。俺っち、昨日は大変だったんだから」

 

 市之丞の事も気になるが、やはり、あの女のことも気になる、と言うことは、あの真之介と言う、自分によく似た男がやはり気になる。

 そんなことを思いながら歩いていると、前から市之丞がやって来たではないか。


----そういや、俺は兄さんとも縁があるなぁ。


清十郎「兄さん!」

市之丞「おや、清十郎さんじゃないか、これからどこへ」

清十郎「へぇ。そうだ、兄さん。あの、何か、俺に出来るような仕事ありませんか

   ね。その、下足番でも何でも…」

市之丞「そうかい。付いてきな」

清十郎「えっ!?あの、兄さん。今から姉さんのところへ行かれるんじゃあ」

市之丞「そのつもりだったけど、善は急げだ」

 

 何が善がわからないままに、市之丞の後に付いて行くしかない清十郎だった。


清十郎「いや、でも、姉さんがお待ちかねじゃ」

市之丞「もう、そんな、気遣いする年でもないさ」 

清十郎「そうですか」

 

 清十郎にすれば、早速にも昨日の年増女の事を聞いてみたかったのだが、それもいきなりでは市之丞も気分が悪いだろうから、先ずは仕事の話でもしてと思ったに過ぎなかった。それなのに、自分の女のところへ転がり込んだ従妹の亭主の仕事を優先してくれるとは…。


----やっぱり、姉さんが惚れるだけのことはあるぜ。


 そして、着いた先は芝居小屋だった。期待に胸がはずむ清十郎。


----これはきっと、贔屓の客の案内なんぞするんじゃないのかい。金持ちの女房や芸

者衆の…。俺っていい男だから。

清十郎「えっ、本当に下足番」

市之丞「ちょうど、下足番のとっつぁんが一人腰が痛いんで辞めたいってさ。渡り

   に船とはこの事だよ」

 

 期待が膨らんでいただけに、落胆も大きかった。はずみで下足番と言っただけなのに…。


市之丞「おや、不足なのかい」

清十郎「いえいえ、そんなことたぁ…」

市之丞「何だい、いいケツしてんじゃないか。そうだ、馬の足でもやるかい?」

清十郎「いや、それは…。あの下足番で結構です。やらせて頂きやす」

市之丞「よう、とっつぁん。新入り連れて来たからさ、教えてやっとくれ」

 

 初老の下足番がやって来た。


下足番「これは、また、お若い方で」

清十郎「あ、ど、どうも、初めまして」

市之丞「清十郎って言うんだよ。頼むね」

下足番「へい、よろしゅうございます」

座頭 「市さん、ちょいと」

市之丞「これは座頭」

座頭 「誰だい、あの男」  

市之丞「ああ、お駒の従妹の亭主でして、仕事がねぇってんで下足番にでもと思い

   ましてね。いいでしょ」 

 

 座頭は清十郎を見ている。


座頭 「いい顔してるじゃないか」

市之丞「ああ、駄目ですよ。確かに見てくれはいいけど、がさつなだけのどうしよ

   うもない野郎でして。どうせ、博打かなんぞでやらかして、女房の縁でお駒

   んとこへ転がり込んで来たような奴ですから」

座頭 「うーん、確かに見てくれはいいんだよね」

市之丞「まあ、読み書きくらいは出来るようですけど、芝居のしの字もわかっちゃ

   あいませんよ」

座頭 「いいから、ちょいと、ここへ連れてきとくれ」

 

 市之丞は清十郎を呼び、教えてやるよと言う感じで言う。


市之丞「こちらはこの一座の頭。座頭さんだ」

清十郎「あ、これはどうも、清十郎と言いやす。この度は兄さんのお世話で…」

 

 座頭は清十郎と言う名前だけ聞くと歩き出す。市之丞が付いて来いと言うので、よくわからないままに後に続けば、そこは稽古場だった。それくらいは清十郎にもわかる。


----ええっ!馬の足…。


 座頭は改めて清十郎の体つきを見る。


座頭 「うん、いいね。ちょいと歩いてみな」

清十郎「へっ?」

市之丞「歩くんだよ」

清十郎「へ、へぃ」

 

 だが、改まって歩けと言われると、妙に緊張してしまう。


市之丞「もっと、普通に歩けないのかい」


 と、市之丞に言われて、その様に歩いているつもりなのに、どうしていいかわからない清十郎だった。


市之丞「このザマですよ」

座頭 「まあ、教えてやっとくれ」

市之丞「えっ、本当にこいつを?」

座頭 「歩かせてみるだけさ」

市之丞「はあ…」

 

 市之丞は今一納得できない。


座頭 「近頃はさ、女の客の目が肥えてさ、少しでも見てくれのいいのがいいん

   だってさ」

市之丞「でも、もう若いって年でもないし…」

座頭 「幾つだい」

市之丞「確か、二十三とか」

座頭 「まだ、十八くらいでいけそうだね。とにかく一度板の上を歩かせて見ると

   しよう」

 

 頼むよと言って、座頭は去っていく。


市之丞「仕方ねぇなぁ」

清十郎「あの、兄さん、さっきも言いましたように、馬の足は…」

市之丞「馬じゃねぇよ。人間だよ」

清十郎「人間て。えっ、まさか俺が役者に?」

市之丞「とにかく、明後日初日だから。しっかりやるんだよ」

清十郎「ええっ!そんな。一体、何やるんです。そんなの無理っす」

市之丞「歩くだけだよ。通行人役」

清十郎「まあ、それなら」

市之丞「だけどさ、板の上を歩くだけでも大変なんだよ。いいかい、歩くってのは

   腰で歩くんだよ」

清十郎「あの、お言葉ですけど、兄さん。歩くってぇのはどんなお偉い方でも、足

   を互い違いに出せば歩けるんじゃ」

市之丞「その足はどこに付いてる」

清十郎「えっ、足、足はぁ。胴体にくっついてて、こりゃ、どうだいって」

市之丞「下手な駄洒落は無しだよ。人はさぁ、腰がしっかりしてないと歩けないの

   さ。さっきも言ったけどさ、普段道を歩くのと、舞台を歩くんじゃ歩き方が

   違うんだよ。腰で歩くんだよ、さっ、やってみな」

 

 それからは散々行ったり来たりさせられる。


市之丞「今日はこれくらいにしようか」

 

 やっと帰れると市之丞の後に続く清十郎。


市之丞「なに、もう帰る気になってんだい。下足番もちゃんとやるんだよ」

清十郎「えっ、役者やるんじゃ」

市之丞「当分掛け持ちだよ。それにさ、役者やりたきゃ、先ずはその言葉使い直す

   ことだね」

清十郎「へぃ、いえ、はい」

市之丞「とっつぁん、待たせたね」

 

 置き去りにされる清十郎に、下足番の男は言う。


下足番「早く、こっちへ来なよ」

清十郎「はい」

 

 元気のない清十郎だった。










































  





















































 



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