第54話 お夏清十郎

仙吉 「あれっ!あれっ?あれぇ」

万吉 「何だよ、急に素っ頓狂な声出しやがって、びっくりするじゃねえか」

仙吉 「いや、兄貴、あれ…。あそこにいるの、旦那…」

 

 万吉も仙吉の視線の先を追う。


万吉 「あれっ!まあ!何てこと」


 思わず駆け出した万吉に仙吉も続く。


万吉 「旦那!どうなされたんです!そのいえ、そのお姿」

仙吉 「ほんと!へーえ、ひょっとして、何かの余興?仮装大会かなんかあるんす

   か」

万吉 「そんなのあったかなぁ。まあ、どっちにしても、随分、思い切ったことな

   さったもんですねえ」

仙吉 「でも、旦那は何着ても、サマになりやすからね」

清十郎「ん?お前たち、誰だい」

万吉 「えっ!?」

仙吉 「ええっ…。あっ、こりゃ、とんだ人違い」

万吉 「まあ、すみませんね、兄さん。あんまり知り合いに似てたもので、つい」

清十郎「ふぅん、そうかい」

仙吉 「そう言う訳なんで、すいやせん」

清十郎「いいってことよ」

万吉 「失礼しました」

仙吉 「どうもぅ」


 万吉と仙吉は男から離れる。


仙吉 「それにしても、良く似てやしたね」

万吉 「ああ、本当に」

仙吉 「まあ、世の中には自分と似た人間が三人いるって言いやすから。その一人

   発見!早速、旦那に教えなくっちゃ」

万吉 「うん…」

仙吉 「どうしたんす、兄貴」

万吉 「だけどよ、あんなに顔が似てるのに随分違うなって。ほら、観相学とかあ

   るだろ。それなら、あそこまで違うかなって思ってさ」

仙吉 「そりゃ、生まれたところが違うとか、干支が違うとか、とかとかって、観

   相見なら言うんでしょうよ」

万吉 「だけどさ。あの男の風体見たか。あれはどう見ても遊び人、風来坊だ。着

   てるものだってシケてたし。旦那のあの顔じゃ、どんな境遇にあっても、真

   面目にやってると思うけどさ」

仙吉 「つまり、観相なんて、当てにならないってことっすか」

万吉 「まあなぁ…」

 

 一方の真之介に良く似た男の方はイラついていた。


清十郎「ったく、お夏の奴、遅せぇなぁ…」

お夏 「お前さん」

清十郎「おぅ、お夏。遅かったじゃねぇか。で、どうだったい」

お夏 「うん、姉さんさ、やっぱり引っ越してた」

清十郎「じゃ、どうすんだい」

お夏 「心配しなくていいよ。引っ越し先聞いて来たから。それにそんなに遠く

   じゃないし、行って見ようよ」

清十郎「そうかい」

 

 ほっとした清十郎とお夏は歩き出す。


清十郎「実は今しがた、俺に似た野郎と間違われてな。さすが、江戸の町は人が多

   いや。俺みたいないい男に似た奴と早々に出くわすとはな。でも、旦那って

   呼んでたから。そいつはいい暮らししてんだよなあ。同じような顔してどう

   してこうも違っちまったんだろうな。俺ってつくづく、ついてねぇんだな」

お夏 「じゃ、そのついてない男と一緒にいる私ゃどうなのさ」

清十郎「つまり、俺たちは、似た者…か」

お夏 「そういうことになるのかねぇ…」

 

 と、心の中では、身の不運を互いに相手になすり付ける二人だった。


清十郎「そういや、お前に姉さんなんていたかなあ。あんまし、聞いたことねぇ

   なぁって思って」

お夏 「うん、姉さんっても、従姉の姉さん。でもさ、その姉さん、私のこと可愛

   がってくれてさ、それがまた面倒身のいいきれいな姉さんっ」

清十郎「その姉さんて、そんなにいい女か」

お夏 「そりゃ、私の従姉だもの。あっ、お前さん、変な気起こすんじゃないよ」

清十郎「何だい、まだ会ってもねえのによ。それに、そんないい姉さんなら、旦那

   いるだろ」

お夏 「うん。この前会った時は役者と付き合ってたけど、今はどうなんだろ」

清十郎「ふうん」

お夏 「何さ、散々聞きたがったくせに、随分気のない返事だね」

清十郎「それより、ちと腹減ってな」

お夏 「何だい、男のくせに」

清十郎「男でも、腹減る時ゃ、減るさ。それにしてもまだかい。もう、随分歩いた

   じゃねえか」

お夏 「うん、この辺りだと思うんだけど…」

 

 ふと見ると、二人の前を一人の女が歩いていた。


----こりゃ、後姿のいい女。だけどよ、こんなのに限って前から見りゃ大したことないんだよな。でも、ちょいと気になるんだよなぁ…。


 男とは空腹でも、女のことは気になる。


清十郎「おい、ちょいと、あの人に聞いてみろい」

お夏 「そうだね」

 

 お夏は前を行く女に駆け寄る。


お夏 「すいません、ちょっとお尋ねします」

 

 女は立ち止り、お夏と顔が合う。


お駒 「お夏ちゃん」

お夏 「姉さん!」

お駒 「どうしたのよ。よくここがわかったわね」

お夏 「姉さんの前の家行ったのよ。そしたら、この辺りに引っ越したって。それ

   でやって来たと言う訳。でも、ここで姉さんに会えてよかったぁ。実は…」

----はらっ、こりゃまた、きれいなお姉さんじゃござんせんか。後ろから見ても良かったけど、前から見ればまた一段といいじゃないのっ。


お夏 「お前さん、何ぼんやりしてんのさ。お駒姉さんよ。さっ挨拶して」

清十郎「えっ、こちらが。こりゃ、また、お初にお目にかかりやす。清十郎と申し

   ます。よろしくぅ。はぁ…」

 

 お駒は思わず自分の目を疑った。そこにはいたのは、真之介ではないか。だが、似て非なるものであることはすぐに気付いた…。


清十郎「お夏から姉さんのお噂は常々聞いておりやす。ほんと!お噂通りの…」

お駒 「まぁ、こんなところで立ち話もなんだからさ、続きはうちでゆっくりと、

   すぐそこだから」


 お駒の家は、本当にすぐそこだった。


----へぇ、羽振りの良さそうな家じゃねぇか。


 黒塀の一軒屋で庭に小さな池もある。


お駒 「お照ちゃん」

お照 「お帰りなさいませ」

 

 お駒はお照に小声で何か言った後、お夏と清十郎を座敷へ通す。


お駒 「おばさんたち、みんな元気にしてる?それより、あんたたちは?」


 と、茶を入れながら、お駒は言う。


お夏 「まあ、そう言うことなの…」

お駒 「そう、で、祝言は?」

お夏 「それは、まだ…」

お駒 「反対されたのかい」

お夏 「そう言う訳じゃなくて…。この清十郎が江戸見物したいって言うもんだか

   らぁ」

清十郎「いいえ、お夏が姉さんに会いたいって言うもんだから、一緒に…」

お夏 「何さ、お前さんが江戸へ行ってみたいって言ったんじゃないか」

清十郎「そう言う、お前も江戸は久し振りとか言ってたじゃねえか」

お夏 「そうだけどさぁ。元はと言えば」

清十郎「うまい!」

 

 茶を飲み干した清十郎が言う。その声に反応したかのように、お夏も茶を飲む。


お夏 「おいしい…」

 

 何より二人とも空腹だった。

 茶腹も一時とか言うが、この一杯の茶で二人の胃袋は余計にくすぐられてしまった。それでも来た早々、何か食べたいとも言えない。


清十郎「熱っ!」

 

 二杯目の茶を一口飲んだ清十郎が声を上げる。


清十郎「いえ、最初のがぬるかったもんで、そのつもりで飲んだら熱くて」

お駒 「一杯目は喉が渇いているからぬるめ。二杯目はお茶のおいしさを味わうた

   めに熱めに入れるの」

清十郎「そうなんですか。ほんと、熱い茶もうまいですね」

お駒 「まあ、ゆっくり飲んでて。もうすぐ、蕎麦が来るからさ」

----蕎麦!

 

 お夏と清十郎は思わず顔を見合わせる。

 やがて、蕎麦といなり寿司が二人の前にやって来た。


お駒 「急なことで何もなくてさ」

お夏 「あら、姉さんのは」

お駒 「私はさっき食べたとこだから、どうぞ」

 

 と、お駒が部屋を出て行くと、早速にいなり寿司にかぶりつく二人だった。 

 そして、夕刻近くお駒は自分と市之丞の着物を出し、二人に湯に行く様にと、お夏に湯銭を握らせる。


お駒 「髪も洗っといでよ」

お夏 「姉さん…」


 すべて、見通されているようだった。


清十郎「いい湯だったな。久しぶりにさっぱりしたぜ。それにしても、よく気の付

   く姉さんだな」

お夏 「だろぅ。お前さんよかったね。私と一緒でさ」

清十郎「ああ、今度ばかりは、お夏様様だ」

 

 だが、湯から帰った二人はまたしても驚く。夕食の膳には刺身や煮物などのご馳走が所狭しと並べられていた。


お夏 「姉さん、私たち何一つ持って来た訳じゃなし、こんなにしてくれなくても

   いいのに…」

清十郎「そうですよ、姉さん。酒はありがたいけど、肴はメザシだって…」

お駒 「まあ、いいじゃないの。今夜だけだからさ。私も、久しぶりにお夏ちゃん

   に会えてうれしいし、それに気持ちだけの二人のお祝いよ」

お夏 「お祝いたって…」

清十郎「そうですか。じゃ、遠慮なく。まあ、先ずは姉さんから」

お夏 「姉さんは、飲まないのっ」

清十郎「えっ、全然?全く?皆目?一滴も?」

お夏 「そうっ」

清十郎「はぁ。こんないい姉さんが全くお飲みにならねぇとは…。勿体ねぇなぁ。

   姉さんがほろっと酔ったところなんて、見てみたかったのになぁ」

お夏 「お前さん」

 

 お夏が盃を差し出す。


清十郎「あっ、はいはい、そうでした」

お夏 「返事は一回。酒は駆け付け三杯っと」

 

 三杯飲んだお夏は素早く刺身を一切れ食べる。


お夏 「おいひぃ…。ああ、もう、たまらんわぁ」

清十郎「あの、お夏さん。自分だけ飲んで食べて、俺にゃ酌してくれないんですか

   い」

お夏 「そうだった。忘れてた」


 と、一杯だけ酌をするお夏だった。


お夏 「後は自分でやって」

清十郎「はいはい、のはい」

お夏 「おっ、何とかごまかした」

清十郎「いや、しかし、さっきはああ言いましたけど、姉さん。肴がうまいと酒も

   また一段とうまくて、きれいな姉さんがいなさって…。ははっ、こりゃ言う

   ことなし」

お夏 「本当。お前さんにとっちゃ、この世の極楽だね」

清十郎「その通り!」

お夏 「それもこれも」

清十郎「はい、お夏さんのお陰です」

お夏 「よろしい!」

 

 そんな二人を笑いながら眺めているお駒だったが、ある思いがよぎっていた。


 翌朝、いつまで経っても起きて来ない二人の様子が気になり、お駒が襖を少し開けて見れば、清十郎はもちろん、お夏もすごい寝相で転がっていた。

 やがて、起き出して来たが、さすがに清十郎は恐縮している。


清十郎「どうも、朝寝なんかしてしちまいまして」

お駒 「疲れてたんだろ」

清十郎「ええ、まあ…」

お駒 「朝ごはん食べたら、髪結いに行っといでよ」

清十郎「何から何まで、お世話になります」

 

 昨日洗った清十郎の髪は簡単に髷が結ってあるだけだった。

 その清十郎が床屋から戻って来た。見れば見るほど、真之介そっくりだ。


清十郎「お夏は?」

お駒 「まだだよ。おや、いい男の一丁出来上がりだね」

清十郎「お陰さまで」


 どうしても、清十郎の顔に目が行くお駒だった。


清十郎「あの、姉さん。ひょっとして、俺の顔に何か付いてるんですかい」

お駒 「いえね、あんたによく似た人、知ってるもんで。おあがりよ」

清十郎「こりゃ、どうも」

 

 と、出された煎餅を齧りながら、清十郎は昨日の話をする。


清十郎「ああ、それそれ。実は、江戸に来た早々に間違われましてね。旦那とか

   言ってから、どこかの旦那衆ですか」

お駒 「侍だよ」

清十郎「へえ、侍ねぇ。で、姉さん、侍なんぞとお知り合いで」

お駒 「ちょいとね」

清十郎「へぇー。でも、どういうもんか、俺は侍と言うものが苦手でして。いえ、

   別に二本差しが恐いとかじゃなくて、やたら威張りくさってんのが、どうも

   虫が好かねぇんですよ」

お駒 「そんな人ばかりじゃないよ」

清十郎「まぁ、そうでしょうけど。でも、そんなに似てるんなら、一度会ってみた

   いもんですね」

お駒 「そのうち、会えるさ」

清十郎「しかし、会った途端に、似てるとは無礼であるとか何とかで、切りつけら

   れたりしませんか」

お駒 「そりゃないよ。確かに侍には無礼打ちが許されてるけど、刀はむやみに抜

   いていいってものでもないし、理由もなく刀を抜いたとなれば罰せらるよ」

清十郎「はぁ、そう言うもんすか。さすが姉さん、何でもよくご存じだ」

----あんたが知らなさすぎなんだよ。顔は似てても中身は違う…。

 

 その時、戸が開く音がした。お夏か買い物に行ったお照が帰って来たのだろうと思っていると、襖が開く。


市之丞「なんだい!こりゃ」

 

 そこに立っていたのは市之丞だった。


市之丞「お駒!お前って奴は!」

お駒 「おや、お前さん」

市之丞「お前さんじゃないよ!何だい!このザマは!昼日中から、若い男引っ張り込む

   とは一体どういう了見だい!ふん、あたしがお前から離れられないとか思って

   の当てつけかい!」

お駒 「ちょいと、違うよ、違うんだってばさ」

市之丞「何が違うもんかい!あっ!それにこの着物、あたしのじゃないか!何だぁ、市

   さんに似合うと思ってとか何とか言ったくせに、もう!他の男に着せてんのか

   い!ああ、お前がこんな女だったとは思わなかったよ!」

お駒 「お前さん、ちいっとは、落ち着きなよ!もう、人の話も聞かないで、いい加

   減におしよ」

市之丞「それはこっちの台詞だよ!これが落ち着いてられなんぞ居られるかい!ああ、

   そりゃ、ここまで来れたのはお前のお陰だよ。だからって、それだって、何

   をしてもいいってもんじゃないだろ。昨日、楽日を迎えてこうしてやって来

   たんじゃないか。今日だってさ、誘いを断って断って、やっとの思いで来た

   と言うのに!」

----何さ、周りからせっつかれて、しぶしぶ、やって来たんだろ。

市之丞「それが何だ!そんな思いして来て見りゃ、とんだ修羅場が待っていよう

   たぁ、お釈迦様でも!」

お駒 「だから、違うって言ってんだろ!!」

 

 すっと立ち上がったお駒から、ものすごい声が発せられた。

 それまでは、煎餅を持ったまま、呆気にとられていただけの清十郎だったが、お駒の迫力ある声に、思わず煎餅を取り落としてしまう。


お駒 「お前さん、男だろ。役者だろ。少しは相手の話を聞けないのかい。そり

   ゃ、誤解する気持ちもわかるけどさ。ここで、この通り座ってるだけじゃな

   いか。それで、違うって言ってんのに、聞く耳とやらは、どこかの女のとこ

   へでも置いて来たのかい!ええっ!」

市之丞「誤解も何も、この状況どう説明すんだい!こいつにあたしの着物まで着せて

   んじゃないか」

清十郎「あの、兄さん。違うんで、本当に違いますんで」

市之丞「うるさい!間男から兄さんなんて言われる筋合いはないわ!」

お駒 「お前さん!まだ、下らんこと言って!良くお聞き!この人は、ほら、私の従妹

   のお夏の亭主だよ。会ったことあるだろ。お夏に」

市之丞「会ったことたあるけどさ。お夏はまだ子供じゃないか」

お駒 「子供がいつまでも、子供なもんかい。もう、大人になってるよ」

市之丞「だからって、そのお夏の亭主に、どうしてあたしの着物なんか着せてんだ

   よ。ああ、それでごまかせたとでも思ってんのかい!いいかい、ふん、あたし

   にゃ、その手は通じないよ」

お駒 「呆れた…。中村市之丞がここまで馬鹿だとは思わなかったよ」

清十郎「あの、いえ、本当なんです。俺はこちらの姉さんの従妹のお夏の亭主で清

   十郎と申しやして。この着物は、夕べ、姉さんが貸して下さったんです。何

   しろ、文無しの着たきり雀なもんで…」

市之丞「じゃ、そのお夏はどこ行ったんだい。お照もいない、さては追い出した

   か」

お駒 「お夏ちゃんは髪結いに行って、お照ちゃんは買い物だよ」

お夏 「あのぅ。ちょっとよろしいでしょうか」


 その時、お夏が襖から顔を覗かせていた。だが、これで終わらなかった。


清十郎「お夏!お前、遅かったじゃねぇか!お陰でこっちは大変なんだよぅ!」

お夏 「だって、女の髪結いは男と違って時間かかるし、ちょいと込んでたし」

清十郎「帰ったなら帰ったって、早く言いやがれ!」

お夏 「言ったさ!それが帰ったらいきなり怒鳴り声が聞こえてさ。それでも声掛け

   たのに誰も気付いてくれないし、そんでもって、お夏お夏って私の大安売り

   やってたじゃないか!」

お駒 「そうだったね。お前さん、ほら、お夏だよ」

市之丞「お夏?この子が?」

お駒 「そうだよ」

お夏 「あら、まあ、兄さんじゃございませんか。ご無沙汰してます。まあ、お夏

   ですよ。お忘れになったのですか」

 

 そう言われても市之丞がお夏に会ったのは一度だけ、それもほんの短い時間。


市之丞「いや、随分、感じが違うからさ」

 

 確か、その時のお夏は丈の短い着物を気にしていた。だから、子供の様に思ってしまっていた。


お駒 「だから、子供はいつまでも子供じゃないんだよ。この通り、亭主まで」

市之丞「じゃ、本当に、こいつがその亭主?」

清十郎「へぃ、俺がお夏の亭主の清十郎と言うケチな野郎でして」

市之丞「さっき、聞いたよ。ふん、ケチなのかい」

清十郎「いや、あの、それは…」

 

 へりくだって言ったのに通じなかったのかと、一瞬がっくりする清十郎だった。


お夏 「で、何があったんですか」

清十郎「それがよ、俺が髪結い床から帰って、姉さんとここで煎餅飲みながら、茶

   食ってたと思いねぇ」

お夏 「茶は飲んで、煎餅は食うんだろ」

清十郎「そんなとこ、つっこむな!とにかく飲んだり食ったりしてたらな、こちらの

   兄さんが。まあ、俺がこの通りのいい男なんで、ちょいと誤解しなすったと

   言う訳よ」

お夏 「あの、兄さん。うちの亭主、本当にろくでなしですけど」

清十郎「おいっ!自分の亭主つかまえて、ろくでなしとは何だ!」

お夏 「だって、ろくでなしじゃないか。お前さんのどこが、ろくでなしじゃな

   いって言えるんだい」

清十郎「そりゃ、まあ…。んなことより、ろくでなしじゃねぇ、俺がどうしたって

   言うんだよ」

お夏 「いえね、それが。この私にベタ惚れでして。それに、姉さんがこんなろく

   でなしなんぞ相手にするもんですか」

清十郎「そのろくでなしを相手にしてるのは、一体、どこの誰だい!」

お夏 「そりゃ、お前さんがあまりに熱心だから、かわいそうになってさ」

清十郎「ふん!聞いてりゃ欠伸が出るわ!あら、お夏清十郎なんて、語呂がいいわね

   なんて、しなだれかかってきやがったくせによぅ!」

お夏 「なんだって!」

清十郎「なんだよ!ふん!」

お夏 「ふん!」

市之丞「いやいや、中々、息が合ってるじゃないか」

お夏 「兄さん!」

清十郎「兄さん!」


 と、二人が同時に声を発したのも束の間。


お夏 「ああぁぁぁぁぁ」

 

 今度はお夏が素っ頓狂な声を上げる。お夏が清十郎の落とした煎餅を踏みそうになったのだ。片足を上げバランスを崩しそうになり、清十郎と共に煎餅の器に突っ込んでしまう。

 砕け散る煎餅…。

 早速に飛び散らかした煎餅を拾い集めるお夏と清十郎だったが、騒ぎを聞き付けたお照が手早く片付けてくれた。そして、お駒は市之丞と話があるからと、お夏と清十郎に外へ出てくれるようにと言う。


清十郎「はぁ…。そう言うことか」

 

 歩きながら清十郎が言う。


お夏 「何さ、そう言うことって」

清十郎「そうだろ。昼間っから男と女。やることは決まってんだろ」

お夏 「あっ、それって、ひょっとしてお前さん、やっぱり姉さんに」

清十郎「よせやい!また蒸し返すつもりか。確かに俺は、ろくでなしかもしれねぇ

   が、そのろくでなしでもさ、人の女に手ぇ出した事だけはねぇわ。それに

   よ、これだけ良くしてもらってんじゃないか。お前こそ、妙な勘ぐりは止め

   な」

お夏 「そうだね。これは私がちょいと言いすぎたよ」

清十郎「わかりゃいいさ。それにしても、夜まで待てないのかよ、あの二人…」

お夏 「お前さん、それこそ妙な勘ぐりだよ。お照ちゃんがいるじゃないの。そう

   だ、お照ちゃんから聞いたんだけどさ」

 

 朝、お夏と清十郎はお照と共に髪結いに向かった。清十郎の床屋はわりと近くにあったが、女の髪結いまでは少し距離があり、その道すがら、お夏はお照から最近のお駒の様子を聞いた。


お夏 「だからさ、あの中村市之丞って役者ね。以前はそれほどでもなかったんだ

   けど、今は戯作物も書いたりして、二足の草鞋を履いてる役者って、人気出

   てるって」

清十郎「へぇ、一人で役者と戯作者ねぇ」

お夏 「でもさ、それじゃ大変だってんで、姉さんが口述筆記てのをやってるそう

   だよ」

清十郎「こうじゅつ、ひき?」

お夏 「口述筆記だよ。うん、何でも、口でしゃべったことをそのまま紙に書くん

   だって」

清十郎「へえー」

 

 お照はお駒が一人で書いていることは当然知っているが、そこは心得たもので、いくらお駒の従妹であるとは言え、そう簡単に事実を告げたりはしない。


清十郎「だがよ、口で言ったことを書き写すのって大変じゃねぇか。口で言うのは

   早ぇが、書くのはそんなに早くは書けねぇよな」

お夏 「うん、でもさ、姉さんてあれで文才あるんだよ。子供の頃から、お話作る

   のうまくてさ。頼まれて恋文の代筆なんかしてたりして。そうだ、いつだっ

   たか、その恋文を私が貰ってさ、二人して大笑いしたことあったなぁ」

清十郎「ああ、さいですか」

お夏 「何だい、たったそれだけ」

清十郎「するってぇと、今頃、兄さんと姉さんは。一生懸命、その口うつし、じゃ

   なく口述、ひき、とやらで口と筆を合わせてなさるのかねぇ」

お夏 「そうだと思うよ。けど、最近は二人して話の筋なんかも考えてるって、

   お照ちゃん言ってた」

清十郎「ふーん」  

 

 翌日、お駒は改めてお夏と清十郎を伴い、町へと繰り出す。清十郎は女の買い物に付き合うのが苦手らしく、途中から別行動をとる。

 お駒とお夏が小間物屋の店先であれこれ品定めをしていた時だった。お夏はいきなり腕を掴まれ、もう、何が何だかわからないままにものすごい力で路地に引きずり込まれてしまう。


真之介「ついに、気でも触れたか!」

 

 壁を背に逃げ場のない状況に追い込まれ時、男が声を発したが、一体、何が起きたと言うのだ。どうして自分がこんな目に会わなければいけないと言うのだ。それでも恐る恐る顔を上げて見れば、一人の侍がお夏を睨んでいた。


お夏 「……!」

 

 だが、よく見ればそれは清十郎ではないか。


お夏 「ああ、びっくりした。何だい、お前さんじゃないか。もう、心の臓が止ま

   るかと思ったよ。それにしても一体どうしたのさ、その格好。兄さんにでも

   借りたのかい。でも、中々似合ってんじゃない」

真之介「これ、気は確かか!この様な姿になりおって、しかも町をうろつくとは…。

   かくなる上は、かくなる上は…。どうしてくれよう…」

お夏 「お前さんこそ、一体どうしたと言うんだい」

真之介「ああ、ついに狂いおったか…」

 

 異様に興奮状態の侍に、ふと違和感を覚えるお夏だった。


----えっ?この侍、誰…。

お駒 「お夏ちゃん!」

 

 その時、お駒が駆け寄って来た。


お駒 「違うの!違うの!違うったら!このお侍、清十郎さんじゃないよ!」

----ああ、やっぱり…。ええっ!

お駒 「旦那、申し訳ありません。この子、私の従妹でお夏って言います。この

   お夏の亭主が旦那に似てるんですよ。本当にそっくりで、それで、間違えて

   しまったんですよ」

お夏 「いやいや、姉さん、違うよ!違うったら!私じゃない。私からじゃないよ。

   この、こちらのお侍が、私の腕、お引っ張りになられて、ここまでお連れに

   なられて…」

お駒 「えっ、それって、本当なんですか?」

真之介「この女、姉さんの従妹…」

 

 侍は真之介だった。 


お駒 「ええ…。えっ、どう言うことなんです。旦那がこのお夏を?」

真之介「……」

お駒 「どうかされました」 

真之介「いや、申し訳ない。済まぬ。とんだ人違いをしてしまった」

お駒 「どなたとお間違えに?」

真之介「それより、私と誰が似ていると?」

お駒 「ああ、このお夏の亭主にですよ」

真之介「……!!」

 

 真之介は言葉も出ない…。


お駒 「本当にもう、瓜二つなんで。だから、私はお夏が自分の亭主と間違えたの

   だとばっかり…」

 

 お駒はお夏に櫛でも買ってやろうと小間物屋へ誘い、お夏も楽しそうに見て回っていた。良さそうな櫛があったので、お夏に声をかけるも姿が見えない。店内にも隣の店にもお夏の姿はなかった。それにしても、お夏が黙ってどこかへ行くとは思えず探していると、なんと、お夏は真之介といるではないか。

 これはきっと、真之介を清十郎と勘違いしたのだと思った。だが、お夏が勘違いしたのではなかった。

 だとすると、真之介は誰とお夏を見間違えたと言うのだろう…。

 真之介が意を決したように口を開く。


真之介「それが、この女、私の妻と良く似ておるのだ」

お駒 「えっ…」

 

 さすがのお駒もこれには驚くしかなかった。そう言えば、お夏も髪結いから出てところで、大店のご新造風の母娘に声を掛けられ、人違いされたと話していた。その時は江戸の人の多さに盛り上がったものだが、今のお夏はきょとんとしたままだ。


お駒 「でも…」

 

 お駒の言わんとすることはわかる。顔が似ているだけで、真之介がその女の腕を掴み、こんな路地へ連れ込むとは信じ難いことだった。


真之介「前にも話したと思うが、私の妻は旗本の娘だ。それが私の様なにわか侍の

   ところに輿入れして来た。当然町方のことなど何も知らぬし、私の実家にも

   なじめないだろうと思っていたが、妻は母や妹だけでなく、店の者とも気さ

   くに話をする。それは良いことなのだが、近頃では商売にも興味を持ち始め

   たようで、いささか困惑しておるような次第で…」

お駒 「そうだったのですか。それは…」


 と、お駒は言ったが、お夏にはその意味が良くわからない。嫁が義実家になじみ、興味を持つ事がそんなにいけない事だろうか…。


真之介「今し方、この、お夏とやらの姿を見た時、ついに、ここまでやりおったか

   と頭に血が上って、つい、手荒なことをしてしまい。これは済まなかった」

お駒 「そうでしたか。いいえ、気になさることはありませんよ。このお夏、顔は

   奥方様に似てるかもしれませんけど、中身は至って能天気なだけですから」

真之介「しかし、この女の亭主が私に似て、妻も似てるとは…」

お駒 「本当に…」

お夏 「ええっえぇぇ」

 

 ここにきて、お夏が奇声を上げる。


お駒 「どうしたのよ。すごい声出して、びっくりするじゃない」

お夏 「でもさ、うちの清十郎が侍になったら、こうなのかと思ったら…。で、私

   が旗本の娘…。なんだか夢みたい…。はぁ、格好いい」

お駒 「何を寝言言ってんのさ。すみませんね、失礼なことばかり言って。この通

   りの世間知らずですから、どうぞ、お気になさらずに」

真之介「いや、しかし、この様な偶然もあるんだな。では、私に似た亭主によろし

   くな」

お夏 「はいっ」

 

 と言った時のお夏の顔は、ふみにそっくりだった…。


お夏 「私とよく似た奥方様にも、よろしく」

真之介「ああ」

 

 と言ったが、ふみに言える筈はない。そのことを知れば、それこそふみは舞い上がってしまうのでは…。さらに、お夏の亭主の事も知れば、そんなことにでもなれば、また、どんないたずら心を起こすやもしれない。何しろ、今のふみは好奇心の塊なのだ。それが、まだ、真之介の周囲で起こっているだけならよいが、舅の播馬の耳にでも入れば…。

 ふみに対し、常に一歩引いている実家の母とは違うのだ。只でさえ、気に入らぬ婿が大事なそれも旗本である我が娘を、ろくでもないことに巻き込んだと怒りを買うのは目に見えている。真之介はこの舅がやはり苦手なのだ。

 名残惜しそうにしているお夏を、お駒が引きずるようにその場を去る。


お夏 「本当…。格好いいったらありゃしない…」

 

 元の小間物屋に戻ってきても、くしかんざしもそっちのけの状態だ。


お夏「はぁ。うちのろくでなしが、あんなに格好いいとは…」

 

 と、ため息をつく始末。


お駒 「だから、あの人は清さんじゃないの!一緒にすんじゃないよ」

お夏 「でもぅ、そっくりだもの…。ああ、ひょっとして、私、清十郎に惚れ直す

   かも…」

お駒 「それはいいけどさ」

お夏 「うちの清十郎様はいずこへ」

 

 その頃、清十郎はとんでもない光景を目にしていた。


清十郎「兄さん…」

 

 市之丞がいたので、声をかけようと思ったが側には女がいた。


----さすが役者は違うな。


 別にこの程度のこと、お駒に言いつける気はない。お駒もその当たりのことは承知しているようだった。何とも羨ましい限り…。


----今時の女は少しくらい顔が良くても、文無しには寄ってこねぇや。特に江戸の女は、金に鼻が利くようだぜ。いいなぁ、兄さんはよ。


 だが、女の顔を見てびっくりする。


----えっ!?何で?


 その女はどう見ても、市之丞より年上ではないか。それに取り立てて美しいと言う訳でもなく至って普通の顔立ち、また、身なりも普通なのだ。


----兄さん、何で、あんな年増と…。姉さんの様ないい女がいるのに、若くもねぇ、金持ちの後家でもなさげな女と…。そりゃ、ちと、酔狂じゃござんせんか。


 そして、市之丞と女は歩き出す。自然と清十郎も後を追う。行き先の見当はつくが、それでも一応確認しておきたい。その二人が出会い茶屋へ入って行くのを見届けた清十郎はすぐにその場を離れる。男が一人でうろつくような場所ではない。


----はあぁ。男と女ってわからねぇもんだなぁ。それにしてもよ、仮にも役者だろ。例え据膳にしても、よりによってあんな年増を相手にしなくても…。これじゃ、姉さんがかわいそうというもんじゃござんせんか。


 若い女ならともかく、年増女に寝とられたとあっては、それこそお駒のプライドが許さないだろう。また、清十郎自身もお夏にも言えない秘密を抱え込んでしまった。こんな事なら、面白くなくても、お駒とお夏の買い物に付き合うんだったと、後悔しきりの清十郎だったが、次の瞬間、その腕がふいに絡め取られる。正確には後ろから脇に手が差し入れられ、そのまま腕に巻きつきしな垂れかかる女。

 これはお夏だと思い横を見れば、知らない色っぽい目つきの女が、清十郎の腕にぶら下がらんばかりに体を寄せている。咄嗟のことで声も出ない。


----何だ、この女!

静奴 「あら、今日はどうなさったんです。あぁ、いえ、どうしたの。似合ってるけ

    ど」

 

 清十郎はそれでもあまり回らない頭をフル回転させる。どうやら、この女は自分と似ている侍と清十郎を間違えたようだ。それにしても、侍と町人の見分けがつかないとは。

 だが、清十郎も自分に似た侍のことは気になる。そこで、少し、様子を見ようかと思ったのも束の間、女は腕をからませたまま、ずんずんと清十郎を引っ張っていく。


----えっ、何々。この展開。


 そして、引きずられるように行った先は、なんと市之丞が女と入った出会い茶屋ではないか。


----ああっ!駄目!駄目だよ!ここは駄目だよ!やばい!やばいぜ!


 こんなとこで鉢合わせした日には、大変なことになる。


市之丞「この野郎!居候の分際で、昼間っから女とこんなとこへしけ込やがって!」


 市之丞から怒鳴られるはともかく、きっとお夏からもお駒からも吊るしあげられることだろう。


----わぁ!てぇへんだ。なんとかしろい! 


 だが、ついに出会い茶屋の入り口まで来てしまった。














  
















































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