第29話 手のひら返し

ふみ 「本当にありがとうございました。お陰で助かりましたわ」

 

 ふみは佐和に心からの礼を言い、持参した菓子折を差し出した。新しい足袋と半襟も用意したし、菓子は家来の妻に高級菓子を頼んだ。本当はふみが買いに行きたかったが、この前の様にはぐれてはいけないと言うことで、あの日以来、ふみは外出禁止になった。それでも、佐和の着物だけは自分で返しに行きたかった。いくら何でも借りる時だけやってきて、返す時は人任せなど出来ない。


佐和 「それは何よりでしたわ。で、お相手の方はいかがでした?」

ふみ 「それが…。よくわからないのです」

佐和 「わからないって、お話はされなかったのですか」

ふみ 「少し、致しましたけど、どうも、あまりのり気ではないようなのです」

佐和 「それは…」

ふみ 「坂田のおじさまからは先方は喜んでいると聞かされていたのですけど…」

佐和 「それは仲人口と言うものです。やはり…、身分の違いを気にされていらっ

   しゃるのでは…」

 

 ふみは頷いた。


佐和 「でも、ふみ殿のお気持ちはどうなのです。その方の印象は?」

ふみ 「……。もう、決まったことですから…」

佐和 「そうですか、安心しましたわ」

ふみ 「あの、安心だなんて。正直、私は不安なのです。不安ばかりですのに」

佐和 「婚礼前はだれでも不安になるものです」

ふみ 「佐和殿には不安などなかったのでは」

佐和 「いいえ、私も不安でした。何か、勢いでここまで来てしまったけど、本当

   にこれでよかったのかしら、なんて思ったりしたものです。それより、お相

   手の真之介殿のことを聞かせてくださいな」

 

 梅花亭の庭でのことは、ふみにとっては衝撃的な出来事だったし、佐和に借りた着物を真之介が似合うと言ってくれたことは、到底言えないことだった。


ふみ 「そんな、別に、何もないです」

久  「姫様」

佐和 「えっ、何かおありになって?」  

ふみ 「はい、少し…。でも、あの様なこと。わざわざお話しするほどのことで

   も…」

佐和 「あら、どんなことでもよろしいので、聞かせて下さいませ。いえ、近頃は

   夫との会話に困るのです。ふみ殿の夢を壊すようで申し訳ないのですけど、

   夫婦も二年近くなりますとときめきもなくなり、話題に困ることもあるので

   す。近頃はほら、あの無様な髷切り事件があり、その後はふみ殿の輿入れと

   続きましたので、私としましても随分助かっておりますの。ですので、どの

   様なことでも、是非」


 言い渋るふみに代わり、久がふみと真之介が初めて出会った時のことを話し始めるも、ふみは恥ずかしくて俯いていた。


佐和 「まあ、素敵なお話ではありませんか。まるで、絵物語のようではないです

   か」

ふみ 「そんな…。ただの偶然です」

佐和 「あら、物語って偶然から始まるものですわ」

久  「はい。でも、うちの源助と来たら、お相手のことを知っていながら、私に

   も黙っているのですから」

 

 と、今も不服そうに言う久だった。


佐和 「それは、久が知れば顔に出ると思ったからではないですか」

久  「源助にもそのように言われました…」

佐和 「ほほほっ、ふみ殿も真之介殿もさぞ驚かれたことでしょう。でも、良

   かったではないですか。きっと、いつまでもいい思い出話になりますわ。あ

   の、何でしたら、もう一度お会いになってみれば。お節介かもしれませんけ

   ど、私から坂田のおばさまに話してみましょうか」

 

ふみ 「そんな……」

佐和 「あら、そのお顔、満更でもなさそうではないですか」

 

 ふみはますます顔を上げられなくなってしまう。  

 帰り道で思った。佐和はあの様に言ってたけど、自分もいつかは佐和のように、妻としての落ち着きを持てるようになるのだろうか…。

 それでも、佐和のお陰で不安の中にも、希望が見えて来た。

 だが、そんな暖かい気持ちで帰宅したふみを迎えたのは、とんだ冷水だった。


絹江 「あら~、ふみ殿、お帰りなさいませ」

雪江 「お邪魔してます」


 どうしてこの二人が、わが座敷で茶を飲み、菓子を食べ散らかしているのかとっさには理解しかねた。その菓子も佐和に手土産にしたものと同じもので、一つは佐和に一つはみんなで食べようと思って二箱買ったものだった。


ふみ 「お越しなされませ」

絹江 「まあ、そのように他人行儀にされなくとも、私たちは身内、血のつな

   がった従姉妹ではありませんか」

雪江 「絹江、それよりご挨拶が先ですわ」

絹江 「そうでしたわね、姉上」

二人 「ふみ殿、この度は誠におめでとうございます」

 

 二人の声は合っていた。絹江が練習のし甲斐があったような顔をしている。


ふみ 「ありがとうございます。でも、お祝いのお言葉は先日頂きました」

雪江 「いえいえ、あれはちょっとした立ち話ではないですか」

絹江 「こう言うことは、やはりきちんとしませんと。あ、正式なお祝いは後日改

   めて、姑が」

 

 この絹江の「姑が」はその部分だけ、いつも強調される。


雪江 「今日は私たちはお手伝いに参りましたの」

ふみ 「お手伝いとは?」

雪江 「まあ、おとぼけになって、婚礼のお支度の事じゃないですか」

絹江 「そうですわ、何と言っても叔母様は病み上がりの身。ご無理なさってもと

   思いまして」

絹江 「嫁入り道具やお着物、ああ、お着物は先方で…」

ふみ 「はい、それらのことはすべて、坂田のおば様が取り計らって下さいますの

   で、ご心配頂かなくとも…」

 

 これは事実だった。

 

加代 「お気遣いはうれしいのですが、私もこの通り元気になりましたので、お気

   持ちだけで結構です」


 母も言った。二人は不服そうな顔を見せたものの、その後もあれこれ詮索した挙句、残りの菓子をかっさらう様にしてやっと帰って行った。


加代 「佐和殿には、きちんとお礼出来たの」

ふみ 「はい、いつまでも変らないのはあの方だけです」

加代 「ふみ、気をつけてあげられなくてごめんなさいね」

ふみ 「いえ、私ももう大人ですから。大丈夫です」


 これからは自分がしっかりしなくてはいけないのだ。 

 それにしても、雪江と絹江の、まさに手のひらを返してきた裏には、一体何があったと言うのだろう。 


 帰り道、またも気の治まらない絹江だった。


絹江 「姉上、何ですか、ふみのあの態度。折角私たちが訪ねて行ってやったと

   言うに」

雪江 「只の気負いですよ。絹江、何度も言うようですけど、焦ってはいけませ

   ん。特に、ふみの様に大人しいだけが取り柄の人間は、意外と頑固が面があ

   るものです。その頑固さを取り除くにはそれ相応の時間が必要なのです」

絹江 「でも、姉上、私たちは苦労が絶えないって言うのに、毎日毎日姑にはいび

   られ、夫は無関心。挙句はあんなふみのご機嫌取りをしなくてはいけないだ

   なんて…」

雪江 「それが、私たちの持って生まれた定めなのです。今更嘆いても仕方ありま

   せん」

絹江 「そうですけど、やはり納得がいきません。金に目が眩んで、にわか侍のと

   ころへ輿入れするなんて、もう、親戚付き合いをやめたいくらいですのに、

   それを皆して持ち上げるのですから、世も末ですわ」

雪江 「今の世の中、武士は食わねど高楊枝なんて誰もやりません。背に腹は代え

   られない。いいえ、ほら、もうあんないい菓子があったではないですか」

絹江 「でも、姉上、菓子掴むの早かったですね」

雪江 「何てこと言うの!人間てそんなものですよ。今の世、金を持っている者が勝

   ちなのです。気持ちを切り替えなさい。忘れたのですか、こう言う時は!」

絹江 「手のひら、ひらひら」

雪江 「両手ひらひら」

絹江 「手のひらは何のためにある」

雪江 「返すため」

絹江 「いつでもどこでも」

雪江 「返すためのもの」

絹江 「ひらひらひらぁぁぁ」

雪江 「やりますか!」

絹江 「やりましょう!」

二人 「手のひら返し!」


 そんな二人が着いた先は、真之介の家だった。家の様子を見に来たのだ。


絹江 「おや、こちらは改築ですか」

雪江 「そう。きっとあれこれ注文付けたのでしょ」

絹江 「やはり、旗本屋敷より狭いですものね、その分、きれいにしてもらわなけ

   れば」

雪江 「でも、聞いたのですけど、真之介って、商人でしょ。だから、家の中には

   色々珍しいものがあるそうですよ。異国のものとか」

絹江 「でも、呉服屋ですよ」

雪江 「そこは付き合いというものがあるでしょ」

絹江 「あら、呉服屋って、呉服屋としか付き合わないのでは」

雪江 「もう、絹江ったら、世事に疎いのだから。商人だけでなく、役人とも付き

   合いがあって当然でしょ。とにかくこの男、交際範囲が広いのです」

絹江 「ああ、金がすべての品のない付き合い」

雪江 「そんな品より、いい着物着て、おいしいもの食べて、珍しい物に囲まれ、

   さらに、姑もいないのですから、もう、ふみはわが世の春ですよ」

絹江 「羨ましいですか」

雪江 「そりゃ…」

絹江 「確かに姑がいないのは羨ましい限りですが、私はいくら贅沢が出来たとし

   ても、死んでも呉服屋の嫁になり下がる気はありません!」

雪江 「でも昔、夜逃げしたり、娘が身売りした旗本もいるって言う話、聞いたこ

   とあるでしょ」

絹江 「それも本当かどうか…。ふみにしたって、態のいい身売りじゃないです

   か」

雪江 「しっ!声が大きいです」

絹江 「いいじゃないですか、聞こえたって、本当のことですから」

雪江 「だめですよ。これからの付き合いもあるでしょ」 

絹江 「こんな事なら、仁神の側室になればよかったのに。それを…」

雪江 「仁神はあの様な事になってしまったじゃないですか」

絹江 「だから、その前に!」


 もし、ふみが側室に行った後で、仁神安行の髷が切られたなら、そのことを散々笑うことが出来たのだ。


雪江 「過ぎたことを言っても仕方ありませんわよ。思うようにいかないのが人の

   世の常です」

絹江 「ええ、姑だけでなく身内の恥にも泣かされるのですから」 


 雪江と絹江の侍女たちは、いつものことであるものの、いやしくも旗本の奥方が道端での悪口三昧。その方が品がないと思わずにはいられなかった。






















 



 
















  

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