第26話 庭には二羽の…

兵馬 「姉上!何とお美しい!これであんな町人上がりの元へなど。ああ、勿体な

   い…」

 

 弟の兵馬は小さい頃から病弱であったとは言え、必要以上に祖母が甘やかしたものだから、物事をあまり深く考える事なく育ってしまった。

 顔合わせの場である「梅花亭」と言う料亭に着いた時にも、ひたすら気の付く弟をアピールしてくる。


兵馬 「いいですか、姉上、私が相手をよく見極めてから合図をしますから、顔を

   上げるのはそれからで」

ふみ 「余計なことです!」 

----誰が顔を伏せたりするものですか…。

 

 ここまで来たら、恥ずかしがってなどいられない。まずは自分の目でしっかりと相手を見てやるのだ。何と言っても自分は由緒ある旗本の娘なのだから、毅然としていようと思ったものの、梅花亭に着けば、やはり、伏し目がちになってしまう、ふみだった。 

 座敷に通されると、相手方の家族四人は座布団より降りて平伏していた。


お弓 「本田屋の家内にございます。本日はわざわざお運び頂き、誠にありがとう

   存じます。また、この度は多大なご縁を頂き…」 

 

 坂田に続いて真之介の母が挨拶をするも、かなり緊張している様子に、堪らず坂田が口添えをする。


坂田 「これ、お内儀。いずれ姻戚になる両家である。その様にかしこまらずと

   も。また、三浦殿は堅苦しいだけの御仁ではござらぬ。ほれ、真之介殿も

   顔を上げられよ」

播馬 「左様、気を楽になされよ」

お弓 「お気遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えまして…」

 

 と、お弓はほっとしたようだが、逆にふみは緊張した。もうすぐ、真之介が顔を上げる…。


真之介「本田真之介にございます」

ふみ 「ふみにございます」

 

 そして、互いに顔を見合せた時、なぜかふみの方が動揺してしまう。


真之介「昨日…」


 何事かと一同がいぶかる中、真之介が昨日の出来事を簡潔に語るが、その間、ふみは俯いたままだった。


播馬 「そのような事が…。帰宅しても何も申しませぬゆえ、存じませなんだ」

お弓 「まあ、拮平さんが…」

 

 今は落ち着きを取り戻したお弓が、思わず眉をひそめる。


真之介「この拮平とは、実家の隣の足袋屋の息子でして、町ゆく娘に声をかけるこ

   とは知られておりますが、まさか、武家のご息女に声をおかけするとは、夢

   にも思わぬことで、さぞ、不快な思いをなされたのではと、申し訳なく思っ

   ております」

善之助「兄さんが謝ることはないですよ。声をかけたのは拮平さんの方だし」

お弓 「善之助」


 お弓が善之助をたしなめる。


善之助「これは申し遅れました。弟の善之助にございます」

お伸 「妹の伸にございます」

兵馬 「あっ、弟の兵馬です!そうです。そう、兄上は何も悪くないです。善之助

   殿のおっしゃられる通りです」

利津 「いえいえ、これは、やはりご縁があったと言うことですよ」

 

 場を盛り上げる様に、坂田の妻が言った。


坂田 「左様、左様!これから夫婦になる二人が知らぬままに出会い、本日この席に

   てそのことを知る。幸先のよい話ではないですか。いや、めでたい。実にめ

   でたい」


 それにしても、あれからずっとふみが俯いたままなのが兵馬には不思議だった。最初はあんなにも毅然としていたのに。兵馬はふみの袖を引く。


----一体、いつまでうつむいてるんですか。でも、あの妹、かわいい…。



 その頃、例によって日頃の行いに顔をしかめられてるとはつゆ知らぬ拮平も、梅花亭の別座敷にいた。

 父の嘉平から、会わせたい人がいると言われて来たけど、座敷には誰もいなかった。てっきり見合いだと思ってた拮平は拍子抜けしてしまう。それでも、仲人のいない見合いも悪くないかと思ったり、逆に父の気にいった娘なら、余り期待しない方がいいのではと、あれこれ勝手な思いをめぐらしていた。

 それに引き換え、父の機嫌のいいこと。何か、そわそわして落ち着きがない。


拮平 「お父つぁん、まだかい」

嘉平 「いや、もうすぐ来るよ、うひひひひ」

----何、その気持ちの悪い笑い。

 

 それにしても遅い。拮平はもう、腹が減ってきた。これでは見合いの最中に腹が鳴ったらどうしよう。


-----なに、勿体付けて、待たせてやんだ。


 待ちくたびれ頃に、ようやく相手の娘がやって来た。


嘉平 「さあさあ、早く、こっちへこっちへ」

お芳 「遅くなりまして」

嘉平 「いやいや、私たちも今来たところだから」

 

 この辺の会話は予想の範囲であるから、気にしない拮平だったが、娘を一目見るなり、がっかりする。


----ええっ、いくらなんでもこれはないよ。幾つだいこの娘。とうに二十歳は過ぎてんじゃない。俺、二十歳以上は駄目だから。せめて、十九。それも美人限定で。


嘉平 「拮平、紹介するよ。こちら、お芳さんと言ってね。まあ、その、何で、

   そんなわけでさぁ…」

お芳 「よろしくお願いします」

拮平 「こちらこそ」

嘉平 「その、至って不愛想だけど、これで案外気のいい奴でね。私からもよろし

   く頼むね」

お芳 「いえ、私も無愛想ですから。よく取り澄ましてるなんて言われちゃって

   …」

嘉平 「そんなことないよ。お芳さんはすごく可愛いよ」

お芳 「まあ、そんなぁ」

----何なのさ、この展開。 

拮平 「ちょっと、失礼します」


 夕べ、飲みすぎたからとか言いながら拮平は部屋を出る。本当はこのまま帰りたかったけど、親父にいいように吹きこまれて来たであろうお芳に、あまりつれない態度も取りたくなかった。


拮平 「お父つぁん、ちょっと」  

嘉平 「何だい、あんまり失礼なことすんじゃないよ」

拮平 「失礼も何も、もう少し若いのいなかったのかい」

嘉平 「いや、十分若いじゃないか」

拮平 「幾つだい、あの女」

嘉平 「それがね…。二十三」

拮平 「やめてよ。せめて、二十歳までだよ、俺は」

嘉平 「いや、それでは、あんまり、ねぇ…」

 

 その後、拮平は本当に気分が悪く庭に出る。外の風に当たりたかった。 

 それにしても、どうして、あんな行き遅れの娘なんか押し付けられなければならないのだ。どうしていつも自分はこんな役回りばかりなんだろう。

 昨日は、いくら誤解だと言っても、真之介は信じてくれなかったし、今日は今日で、まさか自分の身にこんなことが起きるとは…。


----面白くない!

 

 その時である。少し先の木の間を何かが切れ切れに動いているのが見えた。


----何だろう。鳥のようにも見えたが、ここに、あんなきれいな鳥いたかな。


 気になったので、鳥を驚かせないようにそっと近づいて見ると、いた…。

 だが、それは鳥ではなく、若い男女だった。

 昼間から逢引とは興味をそそられる。拮平は、目を凝らした。


----あら、女の方は昨日の武家娘じゃない!これから、一体全体、楽しみぃ!


 その時、若侍が振り向いた。


----真ちゃん…。ああ、そうだったのね。はっ、そう言うことだったのね、あの野郎…。それにしても昨日の今日で、もう料亭に連れ込むとは、意外にやってくれるじゃないさ。真之介さんよ…。えっ、あらっ、なにぃ、もう手なんかお握りになっちゃったりして…。これって、ひょっとして、今夜、もう、お泊まり…。何なのさ、この電光石火の早業…。でも、お楽しみもここまでだよ。この拮平さんに見られたのが運のつき。そうは問屋が、行かせないよ。ようし。突撃だ!


 そして、拮平が足を踏み出そうとした時。


嘉平 「拮平や、拮平。料理が来たよ」

 

 父の声だ。また、その声に反応したかのように、拮平の腹が鳴る。

 とは言っても、真之介の方も気になる。どちらも、ものすごく気になる。だが、この梅花亭の料理は特に美味なのだ。楽しみにしてきたのに、それを明日に持ち越すわけにはいかない。また、これから真之介がいい思いをするのも癪だ。拮平の心は迷いつつも、足は料理の方へ向いて行く。


拮平 「覚えてろよ!」

   

 真之介とふみは、梅花亭の庭にいた。

 坂田の妻が二人で庭でも散策するようにと勧めてくれたのだ。ふみは少し戸惑っていたが、それでも黙って真之介について庭へ出る。だが、これは事前に真之介が坂田の妻に、ふみと二人で話をしたいと申し入れていた事だった。

 そして、真之介の歩が止まり振り返る。


真之介「あの、本当にこれでよろしいので」

 

 ふみには一瞬、何の事だかよくわからなかった。


真之介「私の家族をご覧になられたでしょう。あの通りの町方の者です。町方の中

   には、運よく金を手にした者がおります。私もその一人と言えます。そし

   て、その金で武士の地位を買いました。よって武士道の精神などと言う、高

   尚なものは持ち合わせてはおりません。それどころか、仕来たりすらおぼつ

   かない有様の、全くの張子の虎です。そんな張子の虎のところへ、お旗本の

   姫様が輿入れされてはご家名に傷が付きませぬか。いえ、所詮は呉服屋の嫁

   にございます。まあ、着るものには不自由致しませんが…。今日のお召し物

   はようお似合いで」

----いえ、この着物は、借り着…。 

真之介「こうして、着物を見る目は持っておりますが、それだけのことです。それ

   だけの男の元で一生を過ごされますか。姫様、今ならまだ間に合います。今

   なら引き返せます。一生の事です。軽挙妄動はお止め下さい。今、この時が

   最後の機会です。わずかな時間ですが、今一度お考え直しを!」

 

 ふみは混乱していた。坂田は真之介はこの縁談を喜んでいると言っていた。

 それなのに、真之介は考え直せと言う。

 いや、自分には引き返すという選択肢はなく、また、相手が昨日の若侍でよかったと安堵の気持ちがあったと言うのに…。

 その時、真之介がふみの手を握る。

 父や母が近くにいるとはいえ、こうして若い男と歩くことさえ初めての経験なのに、その男の問いかけにどうしようも出来ないでいるのに、まさか、手を握られるとは…。

 どうすればいいのかさえもわからない…。


真之介「どうして、声を上げられません!」

 

 昨日もふみにすれば、怒涛のような一日だった。

 従姉たちの嫌味につい動揺してしまい、久ともはぐれてしまった。そんな心細い時に声をかけて来た男。その男を追っ払ってくれた若侍。そんなこんなで屋敷に戻れば、明日は両家の顔合わせと知らされ、急ぎ、佐和の許へ着物を貸りに行く。夜になって、若侍のことを思い出し、きちんと礼を言うべきだったと少し後悔した。まさか、あの若侍が真之介だったとは…。


真之介「声をお上げ下さい!そして、私が不埒を働いたと言えばいいのです。それ

   で、すべて白紙に戻ります。後の事は何も心配なされますな」


 白紙に戻ると言われても、では、あの結納金はどうなるのだろう。もう、かなり使ってしまったようだが、もし、破談ともなれば…。


ふみ 「あの、それは…。それは、私がお気に召さないと言うことですか」

真之介「……!」

 

 思わず真之介は手を離す。今度は真之介の思考が止まりそうだった。

 そして…。

 男は再び女の手を引き、歩きだす。

 男の大きな歩幅に付いて行く女。

 
























































  
















































  










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