第25話 婚前鬱 二

 旗本の娘はそのほとんどを屋敷の中で過ごす。なので、男とは父や兄弟、後は親戚とわずかの家来くらいしか知らずに育つ。そして、年頃になれば少し石高の低い家に嫁ぐ。その方が「来てあげたのよ」と優位に立てるからだ。

 中でもふみが嫁ぐのはお目見得以下の御家人、それも元は商人。

 ここまで来ると、さっぱりイメージがつかめない。希望としては、坂田の妻が言った子供のころから知っている、性格は良い、婿にしたいなどだった。話半分に聞いても悪くは無さそうだ。父のように気難しくはないにしても、弟・兵馬のように軽すぎるのも…。

 だが、すでに決まったこと。今更思い悩んでも致し方ないと思うものの、つい、欝々としてしまうが、余り思い悩むのも良くない。

 そんな気晴らしと欲しいものもあり町に行ってみたいと思った。その町には、真之介の実家の呉服屋もある。ならば、その実家を見てみたい…。

 父に許可を取り、久と下男の源助を供に久しぶりの私的な外出だった。

 町のざわめきが聞こえてくると、それだけで気持ちも浮き立ってくる。


雪江 「おや、ふみ殿ではないですか」


 その声は、ある意味、今一番聞きたくない声だった。


ふみ 「これは雪江殿、絹江殿、御無沙汰を致しております」

 

 ふみの父方の従姉姉妹で姉の雪江は、ふみより四歳上、妹の絹江が二歳上だった。


絹江 「まあ、それはお互い様です。そうそう、ふみ殿この度、やっと輿入れが

   お決まりになったそうですね。全くもって、おめでたいことで」

ふみ 「ありがとうございます」

雪江 「それはもう私たちも心配しておりましたのよ。あなただけ行き遅れになる

   のではないかと。でも、ようございましたわね。何とか間に合って」

絹江 「お相手の方の実家は呉服屋で大層お金持ちだと言うではありませんか」

雪江 「輿入れなされば、緞子どんすの布団に金紗きんしゃのお寝間着ですわね。きっといい夢が見

   られますわ。ほんと、お羨ましい」

 

 人通りがあると言うのに、周囲に聞えよがしに声を張り上げる。二人に付いている侍女たちでさえ、すまなそうな顔をしている。侍女は久とも顔見知りであり、いつも気のきつい主人の気まぐれに振り回されて大変だと愚痴を聞かされる。その時は、自分が仕える主人がふみで良かったと思ったが、この状況をどう仕様も出来ない自分が情けなかった。


雪江 「ねえ、ふみ殿、今度は私たちにも着物の一枚くらい分けてくださいまし」

 

 この雪江からは何一つ貰ったことなど無く、子供の頃人形を取られたことがある。


絹江 「いいえ、姉上。ふみ殿は早速のお買い物が忙しくてそれどころではないの

   ですわ。うかうかしていると、この町の店、全部買い占められてしまいます

   わ」

雪江 「絹江、それは仕方ないですわ。私たちは貧乏旗本ですから、どうすること

   もできません」

侍女 「あ、あの、奥方様、そろそろ、お行きになりませんと…」

 

 たまらず雪江付きの侍女が言った。


雪江 「そうですね。これ以上、折角のふみ殿のお買い物のお邪魔をしても」

絹江 「では、たんと、お買いものなさいませ。たーんと。呉服屋の…」

 

 これはさすがの雪江も絹江の袖を引っ張っる。

 会釈をしてふみが去れば、その後姿を忌々しそうに見つめる雪江と絹江だった。


絹江 「姉上、私の言ったとおりでしょ。成金がうれしくて金を使いにやってく

   るって」

雪江 「ええ、でも、陰では何を言っても構いませんけど、面と向っては、少しは

   考えないと」

絹江 「あら、何遠慮することがあると言うのです。私は本当のことを言っただけ

   じゃないですか。そうでしょ。由緒ある私たちの血筋に町人の血が入るので

   すよ。おお、いやだいやだ。これからは肩身の狭い思いをすると言うに、あ

   のふみときたら平気な顔して、これが黙っていられますか!」

雪江 「そこは、それ、本音と建前は使い分けするものです」

絹江 「でも、また姑から嫌味三昧ですわ。只でさえ、私たちは姑に泣かされてお

   りますに…」

雪江 「でも絹江、焦ってはいけません。これから、いくらでも…」

 

 姉妹の堂々巡りのような話は、その後も飽きることなく続けられた。

 

 一方のふみは、いやな気分を振り払うように近くの小間物屋に飛び込んでいた。そこには色とりどりの櫛や簪が並べられていたが、ふみは眺めるだけで店を出てしまう。そして、しばらく歩いてから、やっと気が付く。

 なんと、側に久と源助がいないのだ。周囲を見回してもそれらしき姿も見えず、今来た道を引き返すも四つ角に来ると、もうどの道やらわからない。

 そこへ、地方から来たらしい団体に弾かれるように脇道へ追いやられてしまい、また、通りかかった女に道を聞こうとしたが、すぐに通り過ぎて行った。

 ここは、どこ…。 

 ふみは木の側に佇むしかなかった。 

 本当はすぐにも誰かに道を尋ねなければいけないのに、なぜか、こんな時に雪江と絹江から受けたひどい言葉を思い返してしまう…。


男  「あの、お嬢様、いえ、姫様…」

 

 その声に思わず振り向けば、そこには満面の笑みの商人風の若い男が立っていた。


男  「何か、お困りのことでも。いえ、その、私は決して怪しいものではござい

   ません。でも、その、ちょっと…」


 身なりは悪くないが、いやに馴れ馴れしい様子が気味悪い。それでも人通りもあるので、取り敢えず道を聞いてみようと思った時。


若侍 「これ、町人。武家の御息女に無礼を働くでない。不埒者めが、早く失せ

   ろ。早く行け」

 

 男はすごすごとその場を去るが、物陰から様子を伺う。


若侍 「どうなされました。このようなところにお一人とは」

ふみ 「……」

下男 「あの、お供の方と、はぐれられたのですか」


 ふみはうなづくのがやっとだった。


若侍 「それはお困りですね。これ、その辺りに町駕籠はおらぬか」

下男 「見てまいります」


 その時、どこからか「姫様」と呼ぶ声がした。


若侍 「ご心配なさいますな。駕籠が参りましたら、あの者にお屋敷まで送らせ

   ます。あ、申し遅れました。私は…」

久  「あぁ、姫様…」

 

 息を切らした久がやって来た。


久  「よかった、ようございました。申し訳ございません。あら、まぁ…」

 

 久が側の若侍に気付き、わからないままに礼を述べる。

 

久  「あ、あの、これはどうも、その、ありがとうございます」

 

 源助の方は下男から事情を聞かされたが、すぐに互いの素性に気付いてしまう。暗黙のうちに「黙っておきましょう」と言うことになった。

 これが、真之介とふみの出会いだった。


源助 「これはこれは、危ないところをありがとうございました。後ほど…。い

   え、先を急ぎますもので、これにて失礼させて頂きます。本当にありがと

   うございました。さあさ、早く帰りませんと殿様に叱られますよ。さあ、

   早く。失礼致します」

 

 源助の強引さに戸惑いながらも、ふみは若侍に一礼をする。


真之介「お気をつけて」

 

 真之介の声を背に、久とともに源助に押されるようにその場を去るが、憤懣やるかたないのは久だった。


久  「源助!今のは何ですか。せめてお名前くらい伺って、きちんとお礼を申し

   上げねば、それこそ殿様に叱られるではないですか」

源助 「久様、そんなことおっしゃられましても。姫様、何卒、このことはご内聞

   に。殿様に知られますと、私たちがお目玉を食らいますもので、そうで

   しょ、久様」

 

 久は名残惜しそうに振り返るが、そこには若侍の姿は無かった。  

 ふみ達が去ると、真之介はわざとらしく隠れている拮平をつまみ出す。


真之介「拮平!依りによって武家娘に声をかけるとは、この身の程知らずが!」

拮平 「い、いや、違うのよ。それ誤解」

真之介「何が誤解だ。一緒にいたのが、供の者だったからいいようなもの。あれが

   父や兄なら、只では済まぬわ」

拮平 「だから、言ってるじゃない、誤解だって、本当だって」

真之介「お前にどんな誤解があると言うのか」

拮平 「実はあの姫様ね。何かね、ものすごく悩んでらっしゃって。ひょっとして

   身投げでもなさられるんじゃないかと思って、それでお声をお掛けあそばし

   たような次第でして」

 

 拮平は分が悪くなると、必要以上に言葉が馬鹿丁寧になる。


真之介「何を悩んでいたか知らぬが、武家娘が身投げなどせぬわ。それにこの昼日

   中、あんな浅い川に、一体どこの誰が飛び込むと言うのだ」

拮平 「いや、だからさ、それくらい何か深いお悩みをお抱えなされて、あらせら

   れていたようなのでございまして」

真之介「供の者とはぐれて、道もわからず不安だったんだろ」

拮平 「あら、真様って、意外と女のことわかってないお方でございますわね」

真之介「うるさい!そう言うお前に何がわかる。ああ、お前の心配などして損した。

   気分悪い。忠助、帰るぞ!」

 

 結納の後の真之介も鬱々と過ごしていた。


忠助 「旦那さま、先ほどの姫様、中々お美しい方でしたね」

真之介「ああ」

 

 真之介の不機嫌も今日までかと思うと忠助は笑みがこぼれそうになり、あわてて横を向く。


----明日か…。


 明日は三浦家との顔合わせの日だった。真之介にとって、明日が最後の「機会」なのだ。


 帰宅したふみは、母の多加から思いがけない話を聞く。

 何と、明日、本田家との顔合わせがあると言うのだ。


ふみ 「そんな、明日とはまた急な…」

加代 「いえ、話は前からあったのですが、父上がふみは行かない方がよい。ふ

   みには黙っておくようにとおっしゃられて…」

ふみ 「どうして私が行ってはいけないのです。私の輿入れ先ではございません

   か」

加代 「それが、何も知らないまま、輿入れした方がいいだろうとおっしゃって」

 

 会えば、相手に落胆するかもしれないという父なりの配慮かもしれないが、ふみは相手の真之介に会ってみたかった。きっと真之介も同じ気持ちに違いない。


ふみ 「行きます。参ります」

加代 「でもね、ふみ…」

 

 ふみは立ち上がった。すぐにでも明日の支度をしなければと、箪笥を開け、愕然とする。

 着て行くものが無い…。

 唯一あるのが結納の時に来た着物。それでは坂田の妻に結納金をあんなに貰っておきながら、着物も用意できなかったのかと思われてしまう。後で事情を話せばわかってくれる人だけど、その場でそのように思われるのが嫌だった。

 ふみは久を連れて再度外出する。


 隣家の佐和はふみより一歳年下だが、去年輿入れした。それも親の決めた相手と言うのではなく、偶然に出会い名も知らぬままに互いに心惹かれ、紆余曲折あったものの結ばれたと言う夢のような婚姻だった。

 ちょうど去年の今頃、婚礼を控えた佐和が相手の侍と楽しそうに歩いているのを見た。その時は羨ましさより、妬ましかった。さらに、佐和の着ていた着物がものすごく素敵だった。最愛の人に加え、きれいな着物を着た幸せいっぱいの佐和に比べ、先の見えない自分の境遇が恨めしかったものだ。

 あの時の着物を貸して欲しかった。佐和のような相思相愛の婚姻は希有なことだが、自分は打算で輿入れする。それでも相手に対する期待もあり、また、あの着物を着れば、自分も佐和の幸せのおすそ分けに与れるかも知れない…。


ふみ 「ですから、父が…。なにしろ明日の事なので、どうしようもなくて…。

   いえ、お金ならありますの。あの、よろしければ、あの着物、譲っていただ

   けませんか。それで、これで、佐和殿は新しい着物を…」

   

 金包みを差し出そうとする、ふみの手を止めるように、佐和はにっこりと笑う。


佐和 「わかりました。あの着物は誰にもお譲りできません。でも、お貸し致し

   ます」

ふみ 「ありがとうございます!」

佐和 「いいえ、他ならぬふみ殿のお幸せのためですもの。着物も喜びますわ」

 

 きっと、思い出の着物なのだ。


久  「姫様…」


 帰宅して、風呂敷包みを開いた久が言う。そこには着物と帯一式の他に、新しい足袋と半襟も入っていた。

 ふみは佐和のやさしさに思わず涙がこぼれそうになった。ふみの家の事情を知っている佐和の気遣いがこの上なくうれしかった。

 それに引き換え、わが従姉妹の底意地の悪さよ。今日は足袋や半襟も買うつもりで出かけたのに、口の他は何も出さない従姉妹に会ってしまったばかりに、肝心のものは買わず仕舞いだった。

 その夜、ふみは衣紋掛けにかけられた着物を眺めていた。明日はこれを着て、真之介に会うのだ。 

 きっと、明日はいい日…。








































 






















 

  

 





























































  

 


  

 














 

 


 
























 


 

























 


 

 

 


 







 

 


 





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