第22話 花も嵐も… 一
坂田 「いやあ、めでたい、実にめでたい」
真之介が帰宅するのを待ってたかのように、坂田がやって来た。そして、いつものように、めでたコールから始まる。
真之介「これは坂田様。ようこそお越しくださいました。また、この度は色々お骨
折り頂きありがとうございました。つきましては…」
坂田は端から、真之介の挨拶など聞いてない。
坂田 「喜べ、真之介殿。結納は明後日の大安吉日と決まった。いやあ、めでた
い」
真之介「ええっ!…。あの、坂田様、それは、そのお話は…」
坂田 「なに、いささか急なことではあるが、お主、いや、婿殿はそこへ座ってお
れば良い。後のことは、仲人であるこの坂田にすべてお任せあれ。よって、
何も心配はいらぬ」
真之介「坂田様!あのお話は白紙に戻していただくようお願いしたではございませぬ
か。あちら様が私との話を受けられたのは、仁神のことがあった故のいわば
苦肉の策。しかし、その仁神はあのような次第と相成り…。坂田様も仁神の
噂をご存じでは」
坂田 「それはまあ、聞いておる」
真之介「ならば、私はもう用済みでは」
坂田 「真之介殿!」
旗本の威厳はどこへやら、日頃はへらへらとした感じの坂田だったが、この時は真顔になっていた。真之介も坂田の真顔を見るのは初めてだった。
坂田 「私は常々、本田真之介という男を評価してきた。若いのに中々の人物で
ある。故に、これまでも、これからも支援を惜しむものではない。だが、
やはり、武士としてはまだ半人前と言わずばなるまい!商人とは約束事には
書付けを残し、それを証文と致す。いや、それは良い。しかるに!武士とは
例え口約束であろうと、
ある。しかるに、お主も今は武士の席に並ぶ身、ここのところをしかと心得
られよ」
真之介「それは一々ごもっともな仰せにございます。ですが、私はこの通りのにわ
か者。その様な者にお気遣いは無用に願います。あの、私は何と言われても
構いませぬゆえ、あちら様のよろしいような理由にてお断りくださる様、お
願い申したではございませんか。また、これは滅多なことでございます!」
真之介が仁神安行の髷を切るという凶行に及んだ一番の理由は、妹お伸のためではあるが、ふみと言う武家娘のためでもあった。あんな男に見初められたばかりに、商人上がりのにわか武士のところへ泣く泣く嫁入りとは、あまりにも気の毒である。
安行の失態が広まった頃、坂田にふみとの事は白紙に戻してくれるよう頼んだ。何より、その時は坂田も納得してくれたではないか。真之介にとっては、ふみとの事は既に終わったことであった。
それがいきなり、結納とは…。
坂田 「そのことであるが、私も一応、三浦殿のご意向を伺ってみた。確かに仁神
家より、ふみ殿を側室にと言う申し出はあった。あったが、これはきっぱり
とお断りを致したそうだ。故に、この度の騒動が仁神であろうとなかろうと
当方とは何の関わりもないと仰せられた。よって、この縁談を進めることに
何ら異存はない。何より、ふみ殿が行くと申されておるのだ。あのふみ殿に
そこまで思われるとは、お主はまたとない果報者である。これがめでたいと
言わずして、何をめでたいと言わんや」
真之介「いえいえ、それはやはり釣り合いませぬ。私は所詮は呉服屋にございま
す。それでは三浦様のご家名に傷が付きは致しませぬか。どうか、不釣り
合いなことはお取り止め頂きたく、平にお願い申し上げる次第でござい
ます」
坂田 「左様か、嫌なのか…。まあ、嫌なものは仕方ない。それは一生の問題であ
るゆえ、私も嫌なものを無理に押し付ける気はない。いや、失礼致した」
坂田は立ち上がる。
坂田 「では、これより、ふみ殿のところへ参り真之介と言う男、ふみ殿など死ん
でも嫌だと申しておったと伝えねばなるまい」
真之介は慌てる。
真之介「いえ、あの、決して、そのようなことでは」
坂田 「いやいや、気に召さるな。これも仲人の務めであるによって。仲人と言う
ものは良いことばかりではないことも承知しておるで、何も構うことはな
い。ないが、ただ、誇り高き武士の娘。自ら行くと申したに嫌と言われて
は…。この後、どうなされることやら」
真之介「……」
坂田 「よもや、自害など…。ああ、今宵、美しき花が蕾のまま散り果てるとは、
くっくくく…」
坂田の供侍も一緒に嘆いている。
自害…。
これには、さすがの真之介も返す言葉がない。そして、一瞬の逡巡の後、真之介は決心する。
真之介「お待ちください坂田様。お待ちを」
坂田 「何でござるか。私も嫌なことは早く片づけたいでな。無用な止めだてを致
すではない」
真之介「承知致しました。このお話、お受け致します」
坂田 「それは誠か、二言はあるまいな!」
真之介「ございません!」
坂田は供侍と顔を見合わせる。
----聞いたか。
----しかと、聞きました!
坂田 「然らば、そのように取り計らう」
真之介「但し!」
坂田 「何である」
真之介「その前に、一度お引き合わせを」
坂田 「心配致すな。本当に美しい姫である。嘘ではない」
供侍も必死にアピールしている。
真之介「私は呉服屋にございます。お会い致さねば、どの様な色柄がお似合いにな
られるのかわかりませぬゆえ。似合いもしないものを差し上げては、私の名
折れにございます」
坂田 「左様か。いや、まずは結納が先である。その後で」
供侍 「おめでとうございます!」
坂田 「いやあ、めでたい、実にめでたい」
坂田が帰った後、どうしようもなくその場に崩れ落ちてしまう真之介だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます