第六章 ゆれるブランコ

三日月が言った言葉が、花音をとらえて離さなかった。

父にも、以前よりとげとげしく接することしかできなかった。

どんどん嫌な自分になっていく。

ふと、あの人のことを考えた。

あの人もそうだったのかな、どんどん嫌な自分になっていって、私を置いて行ったのかな。

不思議に三日月に会いたくなった。

外は雨、久しぶりのたくさんの雨、外を見えなくする曇りガラス。雨の音だけが静かな部屋に響いている。

「ほんと、安普請なんだから。」

と思わず声に出してみる。

父と二人になってから、クリスマスやお正月、お雛祭りも嫌いだ。

楽しそうな家族連れを見ると、自分と比べてしまう。


珍しく早く帰った父と晩御飯を言葉少なに済ませて部屋に入った。

花音は、寝る前に本を読む。

小さな頃から一人の時間が多かったので本は大好きだ。

花音を過去や知らない国やたくさんの人たちのところに連れて行ってくれる。

ここじゃないどこかに行きたかった。

花音にとって、本は友達だ。

雨の音がやみ、外から月の光が差し込む部屋で花音は不思議な音を聞いた。

部屋全体が、もやがかかったようにぼんやり黄色。

「こんばんは。花音さん。」

品のいい静かな声は、花音の体に染み込んだ。

差し出された手を、何のためらいもなく掴んだ。

「ぼくは、下弦と申します。三日月様がお待ちです。」

と言うなり花音は窓の外に出ていた。

空に浮かんで見た家は、思っていたほどひどくもなく、それなりにかわいくさえ見えた。

小さな窓も,はげかけた屋根の色も、今どき畳の部屋も、月明かりを通してみると美しかった。


下弦の手のぬくもりが、忘れたかったものを思い出させるようで、思わず手を振り払ってしまった。

「駄目です。僕から手を放しては、花音さん。」

下弦の引きつった叫びのような声が、あたりを覆った。

花音は、次の瞬間、ふんわり誰かに受け止められていた。

それは紛れもなく、三日月の腕。

三日月は、そばに控えるようにいる二人に向かって、ぞっとする声で言った。

「何をしている。

あれほど注意するように言ったではないか。

いくら夢の中とはいえ怪我をしたらどうする。

戻れなくなったらどうする。」

そういうと静かに、花音をおろした。

「花音。

私の手伝いをしてくれている、下弦と上弦だ。

下弦を許してやってくれ。

花音が気に入っていたベンチを作ってくれた二人だ。

すわり心地はどうだった。

彼らが、花音のことを思って夜を徹して作ったのだ。

下弦たちは、昼、姿を現すことはできない。

だから、今日、花音に会えることをとても楽しみにしていた。

そして、先走って、下弦が花音を迎えに行ってしまった。

気になって後を追った。

間に合ってよかった。」


すまなそうに頭を下げたままの下弦は、武道の人のような服を着ている。

一度見学に行った、合気道の人が着ていた服装と似ている。

袴は下弦が紺色で、上弦はえんじ色、二人が並ぶと何とも言えず清らかで、すがすがしい空気があたりに漂う。

『この人たちのほうが、三日月より偉いんじゃないの。

なんか、かっこいいし。』

「ちゃんと聞こえてるぞ。」

その声を聞こえなかったふりをして、

「私が、突然手を離したの、下弦さんが悪いんじゃない。」

「今日は素直だな。

いつもこうだと、いいのだが。」

とまた、おじいさんが孫娘を見るような顔で笑った。

その笑顔に少し見とれた自分を、認めたくなくて難しい顔をして聞いた。

「今日は着流し、なんか江戸時代の人みたい。

けっこう似合うのね。

それってヨモギ色って言うのかしら、薄く黄色の格子が入ってる。

あれ、金色の糸も織り込まれてる。

なんか高そうな着物。」

「気に入っている。

今日は、服のことを花音に言われたくはないが…」

といった三日月の言葉に、花音は自分の服を見た。

パジャマだ。

そりゃそうでしょう。

だって寝ようととしてたんだから、しかたない。

「そうだ。

服など何でもいい。

私たちの世界では、外見に意味はない。

花音が、何を着てようとも私には同じことだ。」

そういって歩き出した三日月のあとを、仕方なく付いていくと、目の前に三日月の形のブランコが座って下さいとでもいうように、揺れていた。

ここがどこかも、三日月が誰かもどうでもよくなるくらい、魅力的なブランコだった。


今でも、花音は、公園でブランコに乗りたい衝動に駆られるが、人の目が気になって乗ることが出来ない。

高校生になってから、一度だけ、誰もいないことを確かめて、一つだけぽつんと忘れられたような、ブランコに乗ってみた。

幼いころと同じように、空につながっている気がした。

「あの。

子どもと代わってもらえます。」

と突然、4歳ぐらいの子どもを連れた母親が言った。

目には不信感が漂っていた。

理解できないとでも言いたげで、冷たい目だった。

あわてて飛び降りて、逃げるようにその場を去った。

その日以来、決してブランコには近づかない。


三日月の形のブラン。

ゆらゆら揺れて、座るところはまるで雲のように、ふわふわしてる。

着流しの三日月が並んで座る。

何人でも座れそうなブランコ。

『下弦たちも座ればいいのに。』

「そうか。

二人が気に入ったのだな。」

当たり前のように三日月が返事をした。

「私、小さな頃のこといろいろ思い出した。

悔しいけど、三日月に会ってしまったから、思い出した。

たくさんのこと。」

「それはよかった。

過去を見つめて、受け入れて、花音は大人になるのだ。」

「じゃ教えて。

私、ずっといい子だった。

母を悲しませたくなくて、おねだりも、わがままも言わない子だった。」

「それで。」

「それなのに、あの人はいなくなった。」

「残されたものはつらいと言いたいのか。」

「やっぱり、三日月に言ってもわからない。」

「花音が、いい子でお母さんは救われた。

愛情いっぱいの瞳で見つめる花音がいたから、長い間頑張れた。

そうは思わないのか。」

「じゃ、私はどうなるの。」

「花音は、人の悲しみを知る17歳になった。

ぬいぐるみの中にいても、泣きそうな子や、寂しげな子にはすぐに気が付く。

飴を握らせ、笑顔にする力を持つ。

それでは駄目か。」

花音は、ゆっくり揺れるブランコの動きに、体を合わせて幼いころ感じた大きな広がる気持ちを受け止めていた。

「私、決めていることがあるの。

結婚はしない。

二人で生きることが、あんな時間を過ごすことなら、誰とも結婚したくない。」

「早々と逃げるのか。

私から走って逃げたように。」

「そうよ。

これ以上傷つくのはたくさん。」

気持ちいいブランコの上で、揺れに身をまかせてもう三日月と話したくなかった。

「また日を改めたほうがよさそうだ。」

そういわれたような気がした。


布団の中から見た天井は、いつものように冴えない。

窓から入る、朝日に思わず目をつぶった。










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