「対極」
人形作りを生業とする、古い家系だ。鎌倉の頃には既にあったと伝えられる。
ただし、職人の家ではない。霊木を削り、組み合わせ、磨き、化粧を施して衣を着せ、術を施して戦闘人形とする、そのような業を脈々と伝える術者の家だ。
その一員として涼河は生を受け、十五の歳には有象無象の一人となった。
お前に人形作りの才はない、と切り捨てられたのである。病で片目を失っていたことも、もしかすると影響していたか。
珍しいことではない。むしろ後継として認められ、珠込となることを許されるのは一世代に三名程度のものだ。それ以外を占める大多数は馬込と名乗り、珠込を支えることになる。
しかし涼河は、自分が無用の半端ものであると確定されたときに家を捨てた。
閉鎖的な環境に愛着はなかったし、使われるだけの人生は耐えがたい。ならばたとえ野垂れ死ぬことになろうとも、と。
それから三十年近く、様々な人の間を巡った。中でも、最初に齧ったのが修験道だったことが後の方向性を決めた。
修験道は山岳信仰から始まって仏教、陰陽道に道教まで混淆した体系だ。涼河はその多系統を並立させる技術に目を付けたのだ。
涼河に並み以上の術才はない。霊力もやはり平凡な術者の範疇を出るものではない。身体能力に優れるわけでも武才に溢れているわけでもない。
術者の力量は才の占める割合が高い。芸術にも似て、天性と感性が何よりもものを言う。涼河は決して一流と呼ばれるようにはなり得ないのだ。
だから、視点そのものを変えた。高みや深みを目指すのではなく、広く浅く広げた薄紙を引いて相手を転がすような。
有名どころばかりではなく、それこそ鄙びた集落の呪詛なども、ほんの初歩だけではあるものの蒐集していった。
多系統を操る才もやはりあるわけではないので、すべての呪の効力を落としながら、それでもひとつの術体系が確かに完成した。
弱く、弱いがゆえに相手に侮らせる。しかしその実、数多の系統の複合であるがためにまとめて無効化するには極めて強力な力が必要となる。危機感を抱かせぬうちにじわじわと首を絞めてゆく毒である。
そこへさらに自分以外の力も加える。たとえば香の原料となる霊木がそうだ。家の秘伝などと言ったのは偽りである。
そして力ある物品の対価として、今回の年若い少年少女などはある。
馬込涼河は一般的には外道と呼ばれる類の人間だ。望んだわけではなく流れによる必然からそうなっただけではあるが、同時にそうである自分を忌まわしく思いはしない。
力を求めるには金が要り、金のために悪行に身を浸し、力をもってその悪を成す。そこに戸惑いはない。
求めるものは当初より己が生の証明であり、善悪など犬の餌にでもくれてやるべきものでしかないのだ。
術者社会の闇にあって、馬込涼河は決して一流とは呼ばれない。だが、密やかに一流を食い殺す男である。
なぜか一向に効果を表さぬ香の中、指を鳴らした残響も消えて幾許か。
聞こえて来たのは遠くの破壊音だった。
「事実は火を見るよりも明らかではないでしょうか」
紅葉が淡々と告げる。
確かに、涼河の予定を裏切る音である。
しかし侵入者はいないはずなのだ。顔には出さぬまま今一度結界の様子を確認して。
愕然とした。
結界自体はやはり今も健在だ。だが、意識に伝わって来る条件が書き換えられている。
招かれた者だけを通すはずが、人間でありさえすれば無条件に入れるように変更されていた。
まさかと思う。破るならまだしも書き換えなど容易くできるはずはない。結界もまた、幾つもの体系を複合して構築されたものなのだ。そして少女はまともに術など使っていない、これも確認できる限りでは事実である。
しかしどのようにしてか結界の条件を上書きし、香を完全に打ち払ったのも現実なのだ。おそらくは同様にして自分を制圧することも可能なのだろう。
涼河は迷わなかった。先ほど高らかに指を鳴らした際にそれとは逆の手、手品と同じく一方に注意を引いてもう一方で準備を整える、そんな手管で取り出しておいた三枚の呪符を投げつけた。
予め呪力を込めておくことで本来よりも高い効力を発揮する、しかもそれぞれ催涙、束縛、幻覚と異なる術が解放される。
対する紅葉は一言だった。
「まつろわぬものはこれに」
凛、と。さほど大きくはないのに圧倒するほど強く響く言葉。
呪符はその言葉に耐えられず、塵となる。
嫌でも理解できた。先ほど自らが口にした軽口が事実だったのだ。これこそが香を退け、おそらくは結界に干渉した。
「……言霊遣いか!」
苦鳴が漏れる。
言葉には力が宿る。術者でなくともそこには僅かに呪力が宿る。呪文と呼ばれるものもこれを利用して成り立つのだ。それを極限まで高めて術の域にまで昇華させるのが言霊遣いである。
しかしそれならば分かる。言霊は未分化で、そのため術法体系に囚われない。長い年月の中で研鑽されて来た術と比べれば効力は遥かに弱くなるが、これ以上ないほどに自在だ。複数の体系を編み込んだがために弱くなってしまった呪法など誂えたような獲物である。
「大人しくしてください」
またも凛とした声。
身体が重い。脂汗が浮く。
「今までは……手加減していたのか……」
喋るのも億劫だ。涼河とてこういったときのための護符を身につけていたというのに、それは懐で早々に儚く崩れ落ちていた。
ぞっとする。いかに言霊遣いと言えどこの威は異常だ。弱いはずの言霊で、腕利きの術者すら正面から屈服させかねない。
しかしそれでも焦りはなかった。元より正面から戦わぬことを選んだ身なのだ。
「不思議なものだな。実に滑稽だ」
心身を苛む苦痛を堪え、嘲笑を浮かべて見せる。
「神聖騎士団ときた。世界を救う存在ときた。空想にしてももう少し身の程を知るべきだと常々思っていたのだがね。付き合う身にもなって欲しいものだ」
目の前の少女が優秀な術者であるのは分かる。霊力や術才を除いたとしても、敵陣へ乗り込んでおきながらひどく冷静にこちらの言葉を捌く姿は、それだけで称賛に値する。
なにせ、まだ十四やそこらのはずなのだ。
そう、そして。
彼女は十四やそこらの、知り合いを案じて首を突っ込んで来た少女なのだ。
背景に不明な点は多くとも、今この時に間違いないと推測できる要素はある。
「手軽に特別が欲しいのは分かるがね、普通に、人並みのことすらできない自分に特別なことが成し遂げられるとでも思っているのかねえ?」
賭けではある。唐突に不自然な言葉を投げかけてみたところで、大抵の人間は気にも留めないか、あるいは不快な雑音として意識的に締め出すかすることだろう。
だが、親しくもないクラスメイトを助けようと勇気を振り絞って乗り込んで来たらしき、心優しい少女ならばどうだろうか。
「彼女は飛び抜けて酷いね。喋り方まで変えて今の自分を否定したいらしい」
無言のうちに紅葉の肩が揺れた。可憐なくちびるが引き結ばれる。
耐えていることを見てとり、涼河はいっそう煽るように続けた。耐えるということは、つまり。
「ああ、でも前世を男という設定にしたのはせめてもの良心なのかな。さすがにあの男だか女だか判らない哀れな面相で美女と申告するほど面の皮は厚くなかったらしい」
「……そんなに……可笑しいですか?」
耐えるということはつまり、限度を越えたなら耐えられなくなるということで。
「こんなのは自分じゃないって、自分はもっと素敵なはずだって……苦しむ姿がそんなに可笑しいんですか?」
「それは努力によって自分自身を磨こうとすべきところだろう。空想に逃げ込んでどうするんだね。現に私は君たちくらいの歳で自分を変えようとして、実際に変えて来たんだがね」
涼河にとっては本当にどうでもいい、ただの方便に過ぎない言葉だったが、なまじ事実であるがために重みを持つ。
そしてその重みは紅葉を大きく打った。
打ちのめされたわけではない。そんな正しくてありふれて今更益体もない意見は疾うに承知で、それでも言わずにいられなかったのだ。
もっと許されていい。もっと優しくていい。そう思う。
「でも……!」
重ねようとする言葉は未熟の証。
涼河の意見はどうでもいいのだ。認めさせる必要などないのだ。自身の中で練り上げて、やがて己の意思を構成するひとつとして確立させればそれでいいのだ。
先ほどまで、紅葉は涼河へ向けて無駄な言葉を一切発していなかった。
今は違う。呪縛は緩み、自由な時間までも与えてしまった。
どれほどの才、いかほどの力を持とうとも、己自身に惑う年頃の少女である。制御しきれぬ自分を持て余す子供である。付け入る隙は確かにここにあり、馬込涼河は笑う。
笑って、切り札を露わにした。
眼帯が毟り取られる。左眼は本当に病で失ったものだが、なにもそのままにしておく必要はない。
現れたのは義眼だ。虹彩代わりに薄い緑柱石を、水晶体にはエメラルドを、そして眼底には術式を。
人造魔眼。高い金を払って手に入れた逸品である。眼帯に覆われているときにはひたすらに呪力を溜め込み、解放された瞬間に眼底に彫り込まれた術を起動させる。
この人造魔眼が行使するのは重圧の術法、ただ標的の精神に漠然とした負荷をかけるだけの単純な術だ。
本来あまり出力の要らない術を過剰なまでに溜め込まれた膨大な呪力で後押しすることにより、とてつもない衝撃を与えることが可能となる。
単純で強いという特性は涼河自身の術とは正反対、ゆえにこそそれを越えて来た相手に対する切り札たりうるのだ。
眩い緑。
輝きが紅葉を襲った。
それは先ほどの言霊による防護をも貫き、紅葉は声もなく華奢な身を折る。
たかが重圧、されど重圧。これほどの強度ともなれば常人なら発狂する。運が良ければその前に喪神、耐えたとしても数分はまともに動けない。
そうなれば、あとは煮るなり焼くなりどうとでも。石化だの疑似未来視だのと気取った力ではこの確かさは得られない。
どうとでもできる、その状況を作り出して、涼河はぎりと奥歯を鳴らした。
迷うこともなくドアを開け、脱兎の如く逃げ出す。
確かにとどめを差しておくことはできるかもしれない。他の侵入者に対する人質にすることもできたかもしれない。
しかし涼河は状況を悲観していた。想定されるあらゆる敵を侮っていなかった。
自ら行使する言霊以外に少女が何の備えもしていないとは思えない。ほんの少しの正気があれば一言で自分を死に至らしめることができるのかもしれない。人質にしたとしても、それが通用するとは限らない。
この屋敷も受けている依頼も何もかもを捨てて全力で逃げる。
最大の札こそ切ってしまったもののまだ幾つかの手札を残している、そんな今の状況だから逃げ切れる可能性は高いはずだ。
そして、少なくともその選択は間違いではなかった。
呼吸ふたつ。
全身が冷たくなり、世界が見えなくなる。
落ちてゆくような錯覚に、すべてを失いそうになる恐怖に、だからこそ紅葉は踏みとどまった。
ぼやけたかつての記憶は、決して忘れてしまったわけではない。
たった呼吸ふたつでもう、可憐なくちびるが呟いた。
「わたしは望む」
それは己の言葉の持つ本来の威力を解き放つための鍵だ。
そして続けるのは、勾玉へと封じられる前に七人で確かめ合ったもの。
「まつろわぬものはこれに」
この十と一言は力の及ぶ限りありとあらゆるものに抗う。周囲に存在して干渉して来るすべてのもの、重圧の呪が、香が、呪紋が、隠しカメラが、皆ことごとく消し飛ばされた。
強過ぎる力の余波を受け、紙縒りが解ける。解放された黒髪が幾筋か白い頬にかかる様は幼くもどこか艶めかしく。
紅葉は背を伸ばし、くちびるを噛み締めた。
「……ごめんなさい」
泣き出しそうに囁く声がこぼした言葉を、紅葉自身は傲慢なものだと思う。なぜならば、それはなるたけ穏便に制しようなどと考えていたことへの謝罪だからだ。
紅葉は言霊遣いではない。巫女としての素質である世界そのものへの親和を核に、幻視や言霊などあらゆる術法の大基盤となる要素を用いて我流の一体系を成す始祖である。こと術才だけを見るならば、年端も行かぬからこそ言霊を本来の威力で行使したときには長姉のような手加減がまだできないでいる、そんなものを欠点として挙げるしかない領域にいる。
胸へ招き入れるように右手で虚空を掻く。その手の内には世界に満ちる力が溢れ流れるほど掬われて目に映るまでの煌めきとなり、すぐに十体の真白な鼠が床へと跳び下りる。
続いて五羽の雀、三頭の犬、最後に虎。
「お願い」
祈るような吐息。紅葉はまだ望んでいる。
誰もがもっと許されていい。
虚空より打ち出された式神は、命を果たすべく目にも留まらぬ速さで散った。
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