「イワちゃん」
人は群れるものである。
何らかの集団に帰属し、『自分たち』を作るとともに『自分たちではないもの』も作る。
それはどのような年齢、どのような場所においても変わらない。孤立しているつもりでいてすら、何かに属している。
一つの集団の中にも幾つもの集団が出来る。力ある派閥、無力な寄り合い、様々だ。
一種の小さな社会である学校においても、いずれに所属するかは重要なことである。
「んー……あ、これなんていいんじゃない?」
千草はファッション誌をぱらぱらとめくると、二十歳ほどのモデルを指差した。正確には、その装いを示した。
「ええ~? ちょお、あたしには派手ちゃう?」
「そうでもないと思うけど。まあ、このままじゃなくて、できれば色は淡いのに変えた方がいいかもね」
尻込みするクラスメイトににこりと笑い、助言する。躊躇は一種の儀式であり、背を押して貰いたがっているのだということを千草は承知していた。
周囲に集まった他の女生徒達も口々に、やってみたらええやんと勧める。
生徒の作るグループというものは純粋な構成であることが多い。役に人が就くのではなく、人に自然と役が割り振られるのだ。中心人物は中心となるだけの何かを持っている。
如月千草もその一人だった。どのグループの中心というわけでもないのだが、替わりに交友そのものは派閥はおろか学年すら越えて広く、集まってくる人間は後を絶たない。
秀でた容姿も大きな魅力の一つではあるが、決して高嶺の花にはならない。付き合いは広く浅くがモットー、と公言し、誰とでも気さくに話すし、誘われれば遊びにも付き合う。無論陰口の一つや二つも叩かれるが、むしろそこに楽しそうに切り込んでゆく性質ですらある。
では本当に誰に対しても同じであるかと言えば、そういうわけでもない。例えば幼い頃からの友人であればやはり優先するし、他の誰かでは共有できないものを持っている相手とはそのことについての立ち入れぬ話もする。
「……じゃ、今日はあたしもこの辺でおさらば」
話の切れ目を見計らい、千草は鞄を手にして立ち上がった。
「また明日ね」
口々に返って来る別れの言葉にまとめて小さく手を振りつつ、教室を後にする。
教室を出てもまだ、別のクラスの知り合いに何度も手を振りながら、階段を下りて昇降口へ。
そこで、久しぶりの相手と出くわした。
「あら久しぶり、ストーカー君?」
「……誰がストーカーや」
ちょうど大きな靴を手に取った体勢で、同級生の男子が振り返った。
体躯に見合う低い声だが、口調はどちらかいえば柔和だ。下がり気味な細い双眸の与える印象のせいもあるかもしれない。
巨漢と言って構うまい。190cmを越える背丈に広い肩幅。頑丈そうな大きな顎にはちらほらと無精髭が残り、強い黒髪はごく短く、大雑把に切られている。
「それで、何か用か?」
「や、ただの偶然。見かけたから声かけただけよ?」
千草はきゃらきゃらと笑い、それから笑みを残したままに声だけ抑えた。
「でも折角だから手伝って欲しいことがあるかな、イワちゃん」
「……碌なことやない気がするが」
ぼやき、それでも和泉巌は立ち去ることはしなかった。替わりに促した。
「ともあれ、ここで話せる内容ちゃうんやろ。移動せんか」
小さな公園に似つかわしく、半ば地面に埋め込まれたタイヤも小さい。
それでも夕日に長く影を伸ばし、そして潰すようにしてその上に腰を下ろした巌の影は巨人のもののようだった。
一方、千草は向かいのジャングルジムに背を預け、にんまりと笑う。
「それにしても、考えてみたら今年に入って話すの初めてじゃない?」
「正月には話した」
「あ、そういえばイワちゃん姉様相手にしどろもどろやってた気もするかも」
「それで本題は?」
あまり触れられたくない過去なのか、不機嫌そうな声。
千草はもう一度喉の奥で笑い、それから切り出した。
「ちょっと懲らしめなきゃいけないかもしれないのがいるっぽいのよね」
「随分と不確定な言い方やな」
「まともに調べるのはこれからだからねー。とりあえず判ってるのは、『千年前に空飛ぶ城で世界各地を回って悪い奴を修正してた騎士団の生まれ変わり』ってやつが自分なんだって信じてる子がいるってこと」
巌はぴくりと眉を動かした。それだけで少なくとも千草が現時点で知っていることは理解したようだった。
「……つまり、その裏には何か変なんが湧いたっちゅうことか」
「そ。まあ、かもしれない、程度だけど。相変わらず話が早くて助かるわ」
千草は長々とした説明が嫌いではない。色々と反応を見ながら話をすることはむしろ好物だ。
だが、今日は時間がないのだ。
「それでこれから調べなきゃいけないのよ、それがどういう背景になってるのか、明日の夜までに」
「……それを手伝えと?」
「明後日乗り込むことになったら、それも一緒に行ってくれると嬉しいな」
にこりと、わざとらしいまでに輝く笑顔を向ける。
不慣れな男ならばそれだけで陥落させそうな勢いではあったが、実のところ手管としては随分と控え目なものだ。千草は必要とあらば保護欲を誘う演技も完璧にやってのける。
だが、必要なのは実際にその相手を動かすことのできる手である。こちらのことをよく知っている巌に全力で仕掛けたところで通じないのは判り切っている。
だから、使うのは別のものだ。
「お前らだけで片付けられん相手やほとんどおらんやろが」
「そりゃ、六人フルパワーで物理的に潰すなら朝飯前だけど、替わりに相手もひどいことになるわ。若葉とか絶対やり過ぎるもの」
頷き、巌用の台詞を付け加える。
「今回の事件、巻き込まれたのは紅葉なのよ。あの子ならなるべく穏便に済ませたがるの、分かるでしょ?」
「む……」
思惑通り、巌は苦悶にも似た表情を浮かべた。
以前から、氷雨と紅葉には弱いのである。
「しかしやな、おれが敵対組織の一員っちゅうことを忘れてへんか?」
「忘れてないわよ、ストーカー君?」
千草は猫のように悪戯っぽく笑う。
「でも協力せざるを得ない。違う?」
和泉家は古くからこの地に居を構える家であり、同時に荒水波に所属している。
荒水波は創設以来二千年、八岐大蛇を最大の敵と扱ってきた組織だ。八岐大蛇が拠点をここに定めたならば監視をつけるのは当たり前のこと。荒水波本部から送られて来た人員とともに、やはり和泉家もその役を担うこととなったのだ。
当然ながら並みの力量では務まるはずもない。巌自身もそのために中学時代に当たる三年間を荒水波本部で修行して過ごしたほどだ。
分かり切った監視ではある。何かあった際に制止するだけの力もない。しかしだからといって置かぬわけにもいかないのだ。
そして、監視とは千草たちを見張るだけでは済まされないのである。
巌は一度押し黙り、諦めたように肩を落とした。
「……しゃあない。けど情報収集は期待するな」
「まあ、そのあたりはあたしがメインでやるし。イワちゃんは主に虫除けやってくれればいいわよ。じゃ、早速行きましょうか」
商店街での聞き込みは、さすがにそううまくはいかないようだった。
何分扱うのが前世などという話題だ、それだけで胡散臭い。
それでなお、千草は話を引き出していた。ほとんどはにべもなく立ち去るだけなのだが、稀に反応を見せる相手がいたなら逃さない。ただ、それも気を引くために話をでっち上げている風ではあった。
巌が出てゆくのは本当にしつこい男が出て来たときだけだ。体格のお蔭か、無言で睨めば全員逃げてくれた。
だが巌は、これでいいのだろうかと、そう思わずにいられなかった。
千草に協力することを今更思い悩んでいるわけではない。
実のところ、昔から荒水波と<緋瞳の戦巫女>一派とは単純な敵対関係ではないのだ。
そもそも荒水波には二つの顔がある。
ひとつは八岐大蛇に対抗する組織としての顔。これは二千年前より続く本来のものであり、だからこそ何十年に一度か仕掛ける際には全力を注ぎ込む。十三年前こそ唐突な指令のせいで碌な準備もなく襲撃を強行せざるをえなかったが、それまでは十年以上を費やしての仕込みなど当たり前だった。こちらの顔は、明確な敵となる。
対してもうひとつの顔は、権力に拠らずにこの国を護る組織としてのものだ。
これは<緋瞳の戦巫女>の目的に逆らうものではない。<緋瞳の戦巫女>には地祇やその眷属たちに静かな暮らしをもたらし存在を保たせるという目的があった。彼らの行く末を案じてでもあるが、それとともに八岐大蛇復活の際の戦力とするためにだ。
利害は一致した。双方ともに望む平穏については、互いの行動や力を利用し合える。
荒水波は後者の共闘に前者の仕込みも隠し、あるいは巧く陥れ、あるいは逆手に取られながら、二千年間やって来たのだ。
彼女たちの動きを見張るという意味もある以上、協力そのものを責められることはまずあり得ないし、事実として責められたこともない。
ただ同時に、彼女たちと結果的に親しくなっていることは、やがて来るかもしれない裏切りの前提となる可能性は高いのだろう。
嫌いではない。本当に、彼女たちのことは嫌いではない。
以前とは違う。既に八岐大蛇は復活してしまっている。第九十七代スサノオも好意的だという。十三年前には計三百名ほど殺されたというが、巌自身には直接の恨みなどない。
できれば方針は変わっていて欲しい。ずっとこのままでいたい。それが本心だった。
いつしか当然に陽は落ちる。人工の明かりが街を照らし始める。
巌は千草に声をかけた。
「まだ続けるんか?」
「んー、効率が悪いのは分かってるんだけどね。どうせ本命は撫子が今日見つけてくれるかもしれない誰かなんだし」
見せないようにしてはいるが、疲労は明らかだ。声が必要以上に強い。
「なら、今日はもうこのあたりでやめてもええんやないかと思うが」
「あれれ、今日のイワちゃんてば優しい。好みは紅葉か……せめてあやめあたりかと思ってたけど、実はあたしがお目当て?」
「寝言は寝て言え」
にんまりとした笑みをぶっきらぼうに切って捨て、巌は密かにため息をついた。
冗談とはいえ何かと色恋に結び付けたがるのは千草の悪い癖だと思っている。慣れている自分ならばともかく、勘違いする者や、そこまではゆかずともその色に中てられる相手は決して少なくない。
「ともかく、もうええやろ」
「ふーむ……まあ、そうかもね。気力は明日にとっておきましょうか」
「そうしとけ」
空にはまだほんの少しだけ赤みが残ってはいるものの、時刻は間違いなく夜だ。あともう少しもすれば往来に酔っ払いも混じり始めることだろう。
「一応、おれも家の方で調べてはみるけど……まあ、期待はすんな」
「ついでに千草さんからのお願い。行方不明者がいないかとかも、警察に訊いてみてくれると嬉しいかも?」
甘い声、わざとらしい上目遣いの視線。
「無茶言うな。荒水波は国家権力とはそう仲良うもないんや」
溜め息一つ。
ずっと政権から独立したまま活動して来た荒水波は、むしろ疎まれていると言ってもいいほどだ。そういったものと親密なのは陰陽寮由来となる別の組織である。
それでも、一般人扱いをされてしまうであろう千草たちとは一線を画してはいるのだが。
「……ただの設定で済めばそれが、骨折り損が一番なんだけどね」
からかうような笑みを収め、千草が呟くように言う。
それは一番の本音なのだろう。能天気なほど陽気に振る舞うだけが如月千草という女なのではないことは巌にも分かっている。
「はっきりせんうちから思い悩んでもしゃあないやろ」
「ん……ごめんね。じゃあ帰るとしますか」
千草はすぐににこりと笑う。それは決して仮面ではないのだが。
巌は無言で社の方へ足を向ける。
「あれ、もしかして送ってくれるの?」
「要らんような気もするけどな」
小走りに追いかけて来る千草を振り返ることもなく返す。
千草は強い。例えば自分がやり合っても勝てるかどうかは非常に怪しいくらいなのだ。疲れている今でも不審者の一人や二人は軽々と返り討ちにできるだろうし、十や二十に追いかけられたとしても家まで容易く逃げ帰ることだろう。
くすりと笑う声がした。
「確かに必要はないけど……」
千草が並んだ。両手を腰の後ろで組み、こちらを見上げる。艶やかな髪が躍動的に跳ねた。
「あたし的にはポイント高いかな。うん、千草さんの好感度が一ポイント上がった」
「そんな珍妙なもんは要らん」
「ひどっ!? 千草さんの好感度が二ポイント下がったー」
ころころと変わる表情。
脇腹を軽くつねられたが巌は涼しい顔で流した。
見上げれば星が瞬いている。
一際明るいのは、宵の明星だ。
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