(5)親子

 浜田翔子の母、果歩は助産婦の資格である産婦人科のクリニックに勤めていた。そのクリニックは不妊治療で有名なとこであった。父は商社マンだったが、翔子が小学校5年の時、胃がんで亡くなった。お嬢さん育ちで専業主婦だった果歩は思わない事態に慌てたが、仕事を持つことを決意し、1年、医療系の予備校に通い、看護学校に入学した。実家からの援助の話もきっぱり断り、その間の費用は全て父の退職金を宛てた。

 翔子はその時から、掃除、台所と主婦をこなした。果歩は学校が休みの日以外、看護学校の生徒になりきり、勉強もしたが、学生生活を楽しんだ。久しぶりの学校は新鮮で楽しく、もう1年行きたいと助産婦の資格を取ったのだった。翔子は果歩を助けたいと思ったのだろう、健気だった。


 可哀想に思うときもあったが、果歩は割り切った。この子は今鍛えるべきだと思った。本人がやる気のあるときに責任を持たすべきだと考えたのである。中学生になると翔子はいっぱしの主婦気取りで果歩に命令するようになった。このことによって翔子はてきぱきと目の前のことをこなす能力を獲得したし、そのことは今の看護師の仕事にも生きている。

 果歩が卒業して看護師として就職する時には、翔子は高校生になって、看護学校志望を口にするようになっていた。果歩の学校の本などを盗み読みしている内にそうなってしまったのである。特に『解剖生理学』に関心を持った。人体の不思議。最初は精子と卵子の結合で一つの細胞からスタートして、幾十兆の細胞の織り成す世界に魅せられたのである。ミトコンドリアとは何者なのか?医学部を考えないでもなかったが、残念ながら翔子の学力と家の経済力ではどうしょうもなかった。看護学校で十分であった。


 結婚するまでは果歩と一緒に住んでいた。武史は無理をして銀行ローンでマンションを買った。「お母さんも一緒に住んだら」と言ってくれたが、果歩は「一人が気楽でいい、歳を取ったらよろしく」と云って同居を断った。

 母、果歩と同居の時は、診療科は違うが同じ看護師同士、家でもつい仕事の話になってしまう。果歩は勉強家だった。翔子はその点はあまり褒められたものではなかった。果歩のおかげで産科については結構詳しくなって、同僚の相談に乗ることもあった。

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