(2)子作り

 俄然、裕美は子作りに熱心になった。彼女のそれは、本来長所に属することなのだろうが、過ぎたるは何とかというように、その集中力は桁違いであった。仕事が出来る理由、課長が重宝して離さない理由が分かった。

 まず、食生活から・・女性の身体に良いものだけでない。強精剤は無論、これは、精子の数を増やす食べ物だとか、料理上手はまず、味付けや季節感よりそちらが優先するようになった。運動などはしなかったのに、生活習慣も大事と朝のジョギングを始めた。たくさんではなかったが吸っていた煙草もピタリと止めた。本棚には妊娠成功マニュアル本がずらりと並んだ。


 夜、ベッドの上で武史は裕美からラブシーンの前に30分ほどレクチャーを受けることになった。

「あのね、卵子は生まれたときから数が決まっているのネ。成長して25才ぐらいがピークで、30才を過ぎると急に老化するの。40才で妊娠成功なんて奇跡的なことなのヨ」

 精子は高校生の時、生物部の友達がいて、自分の精子を見せて貰ったことがある。健気にしっぽをふる小さな自分の分身の姿が何だか可憐に思えた。卵子も精子のように再生産されているものだと武史は思っていた。知らなかった。


 一定周期に一個ずつ排卵されて、のべつくまなしに、出逢っているわけでないことを習った。裕美は子作りのタイミングとして最適なのは、排卵日の3日前から排卵後すぐの5日間だと言って、このタイミングを逃さないために基礎体温表なるものを熱心につけだした。

「今日からがいいタイミングなのよ」と云って、こんな時は激しく燃えたが、卵子と出逢わない周期には何だかもう一つのように武史には感じられた。

 武史は裕美の少し肉付きのいい肢体が好きであった。その肢体をくねらせる曲線をほのかな灯りの中で見るのが好きであった。それを、電気を消して真っ暗にすると言うのである。

「根拠は?」と訊いた武史に、裕美はハウツー本のページを見せた。


 すべての部屋の明かりを消して、しばし暗闇の恐怖を味わう。しかる後、真っ暗な中で、手さぐりで事に及ぶことを作者は提案していた。その提案の根拠は、1965年に起きたニューヨークの大停電である。

同年11月9日の夜間、ニューヨークを中心にアメリカで大規模な停電が起こり、復旧に翌日までかかるという事件があった。その約270日後、ニューヨークの産院はどこも満員。大停電の夜に事に励んだ夫婦がたくさんいたのである。さらに、停電の興奮が女性の予定外の排卵を促したことが、出産ラッシュに繋がったというのである。事実が語っているのである。武史は従うしかなかった。灯りも消えたが、武史の夜の楽しみも一つ消えたのである。

 

そのように懸命の努力を2年もしたのであるが、妊娠の兆候はさらさらなかった。裕美が医学書らしき物を持ち出してきて、「協力してぇー」と言った事柄には、さすがに武史は絶句した。

 医学書らしきものには、マスターベーションのすすめが説かれてあった。

《それは、生物学的にかなり理にかなった子作り法です。というのも、マスターベーションをすることによって、古い精子を追い出すことができるからです。SEXの前日あたりに夫がマスターベーションしておくと、本番では新鮮な精子が出るので、受精率が高くなります》と書かれてあったのである。

協力を約束したが、武史は何だか自分が子を作る為の単なる牡的な生き物に過ぎないような気持になっていった。


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