『罰を受けた男』
北風 嵐
(1)裕美(ひろみ)
これは不妊治療に協力しなかった男の物語である。如何に男が妊娠につて無知、無関心であるか。妊娠は女性の役割と思ってはいないだろうか?女性の卵子についてどれぐらいの知識があるだろうか?
***
S銀行横浜支店に勤める安水武史(39才)は、26才のとき、浜田翔子と結婚した。自転車で転倒して、マンションの側溝に足を取られ骨折で入院した。翔子はその時の看護師であった。足をギプスで固定され、退屈至極であったので、からかったのがきっかけだった。
翔子、25才であった。美人看護師揃いで有名な外科病棟では、余り目立たなかったが、武史は綺麗だと思った。仕事ぶりや言葉使いに歯切れがよかった。そこも気にいったところだった。テンポよい歯切れのある言葉だったが、どこかに患者思いが隠れ味としてあった。
結婚して暫くして妊娠を知った。「まさか?」と思った。武史は指を折ってみた、微妙であった。武史は翔子と結婚する前、3年ほど女性と同棲していたことがあった。同じ職場に勤める武史より3才歳上の女性だった。入行して間もなかった武史の仕事を何くれと面倒見てくれたのである。
彼女は同期の中では仕事も出来、課長のお気に入であった。名前を藤田裕美と云い、喋る言葉に関西訛りを残していた。顔は十人並みといったところだったが、そのプロプロポーションは並みではなかった。男性なら必ずウエストからヒップにかけてのラインには目がいった。
一度書類の山を抱えて、不機嫌な顔をしていたので、挨拶のつもりで「残業だったら、手伝いますよ」と軽く言ったら、「ありがとう、助かるわー」と答えが帰ってきてしまった。「人の助けなど借りません」と云う自立タイプだったので、そんな返事を予期していたのだが・・。
武史は実はその日、通勤電車で知り合った、チョット美人の女の子と初デートだった。仕方ない。携帯を入れて、次にして欲しいと言ったら、次はなしと断られてしまった。
その日、「遅くなってごめん、夜食ごちそうするわ」と、藤田裕美が行きつけの小料理屋に連れて行ってくれたのである。武史はビールだったが、彼女は吟醸の冷酒を飲んだ。
「日本酒党ですか」
「わたし、西宮の生まれやねん。父が灘の清酒会社に勤めていて、『酒は日本酒、冷酒は吟醸、和食には一番』が父の口癖で、それを小さいときから聴いていたから、日本酒党やねん」。仕事場で聞く言葉使いと違って、くつろいだ裕美は関西弁で喋った。 栃木生まれで、大学も東京だった武史には、その柔らかいイントネーションは心地よいものであった。
何となくその日、武史は裕美のマンションに泊まることになって、やがて裕美のマンションに一緒に住むことになってしまった。マンションは磯子区の山手にあって、海が見える2DKの綺麗なマンションで、川崎の武史の安アパートのとは雲泥の差であった。「父に頭金を出してもらって、長期ローンよ」と云ったが、なぜ東に来たかは云わなかった。
同じ職場で恋愛感情をバレないようにするのは以外にむつかしく、余計な緊張を強いられた。1年もした頃、裕美は「わたし、疲れたわ。結婚して家におりたい。早く子供も欲しいし…」と言い出した。思いの他、裕美は家庭的であった。料理も上手だったし、忙しい中でも家事はきちんとしていた。武史はゴミ出しを手伝えばそれでよかった。住み心地は満点であった。
そして何より3つ歳上の爛熟した肢体の夜の営みは、若い武史を捉えて離さなかった。結婚してもいいとは思ったが、最後の踏ん切りがもう一つつかなかった。「子供が生まれたら結婚しよう」と中途半端な答えを返してしまった。実際そうなったら、それでもいいと武史は思ってもいたのだ。
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