ぐしゃうんの海外旅行記

ぐしゃうん

アメリカ旅行 序章

2001年9月11日、アメリカ・ニューヨークのワールド・トレード・センターに旅客機が突っ込んだ。文字通り、その事件は世界を変えてしまった。当時中学生だった私は、その事件について英語の感想文を書き、レシテーション暗唱コンテストに参加した。

感想文のテーマは宗教の二面性についてだった。タイトルは“How can we unite?”。宗教には、マザー・テレサのように世界を救う善なる力もあれば、アルカイダのように世界をドン底に叩き落とす悪なる力もある。そんな宗教がうごめく中で、我々人類はどのように一つになれば良いのだろうということを問いかける内容だった。その内容が学内では高く評価され、中学校の代表として市のレシテーションコンテストに出ることになった。しかし、いざ市のコンテストに出る段になって、私は熱を持ってその文章を読めなくなってしまっていた。

理由は2つあった。1つは、学内の選考をするに当たって、先生たちからの評価は高かったものの、同級生たちからの評価は全く良くなかったことだ。学年の生徒全員の前で暗唱する機会があったのだが、そもそも英語なのに加え、内容が中学生には難しかったこともあり、ほとんどの同級生が無関心だった。「どうすれば皆が一つになれるか」という問いかけをしている時に、誰もが無関心になっている姿に直面するのは、精神的にとても堪えた。

2つ目の理由は、自分が本当はアメリカのことも宗教のことも何も分かっていないという後ろめたさだった。英語指導をしてくれたネイティブの先生ですらニュージーランド人で、アメリカ人と同じ衝撃を911事件に感じているようには思えなかった。既にインターネットが普及し始めていた時代で、私の家にもADSLが通っていたが、当時はまだYouTubeもなく、アメリカ人の生の価値観を理解することは難しかった。アメリカ在住だという人とMSNチャットで話したことはあるが、本当にアメリカ人かも分からないし、テロや宗教の話なんてテーマとして持ち出すことはなかった。無知ゆえに、イノセントな文章が評価されていたのだと思うが、徐々に自分が話していることは嘘を前提にした虚像なのではないかと思うようになっていた。

結果、市のレシテーションコンテストでは、ほとんど私の暗唱は評価されなかった。メッセージと対照的に、私の態度に力強さが全く無かったというのが大きな理由だった。確か大賞は「私はおにぎりが好き」みたいな内容を話した人が受賞していた。


アメリカとテロとの戦いはそれからも留まるところを知らず、私の修学旅行の旅行先も、国際情勢を鑑みてという理由で、ハワイから九州に変更になってしまった。アメリカという国へ触れられるかもしれなかったチャンスを、私はテロによって取り上げられてしまったのである。(後にハワイを訪れた際に、そこはアメリカを知るには不適切な場所だと思い知るのであるが…)


それから5年後、2006年になっても状況は変わらなかった。アメリカはイラク戦争の終わらせ方が見えなくなっており、戦争の大義は何なのか、最早テロとの戦いなのかということすら、よく分からなくなっていた。極端なことを言えば、私が暗唱したような「宗教の力」が911のメインテーマではないのだ、ということを既に時が証明していた。


私は大学生になっていた。「アメリカはいつテロが起こるか分からない恐い国だ」という固定観念が、未だ根強く日本には蔓延し続けていた。しかし、それも本当なのか?もう固定観念のせいで、ムダに労力を割くのはイヤだという思いがあった。これまで少なからず、私の人生に影響してきたアメリカという国に対しては、実際にそこを見て、人にあって、固定観念なんてものは一つでも減らしたほうがいい。自分で自分の人生をコントロールするために、それはとても大切なことに思えた。私は夏休みを利用して、アメリカ西海岸オレゴン州にある大学に短期留学することにした。初めての海外旅行は、40日間に渡る長いものになることが決まった。

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