呪(まじな)う言葉

 ヒトは常に呪い呪われている。


 †


 聞き返した俺の声は我ながら非常に間抜けだった。彼女が小さな声で『ごめんね』と頭を下げて足早に走り去ったあとも何を言われたのか良くわからず、渡り廊下の真ん中でただ立ち尽くす。

 俺としては一世一代の──当り前だ、初めて女の子を誘うという人生の中でも重要な一大イベントのはずで。

 けれど俺の勇気に対して返ってきた返事は俺には理解できず──また彼女の気持ちも分からず、このあとどうすればいいのかも予想つかず、ただ呆然としている自分がひたすら間抜けのようで。

 教えてくれ、一体彼女は何を言ったんだ?


 しかし一生このクラブハウスに繋がる廊下で立ち尽くしているわけにもいかないし、これ以上間抜けな様子を行きかう同級生達に見せるのも限界がある。

 溜息一つ。深く。息を吸って。


「おい」


 心臓が跳ね上がる。振り返ると悪友がニヤニヤ笑いながら手を振っていた。


「──何だよ」


 何気なく返したつもりの言葉は、先程の落胆が祟ってか多少不機嫌に寄っていた。


「振られたかぁ」


 聞いてたのかよ。


「おっと」


 悪友はおどけたように両手を軽く上げる。


「そんなに怒るなよ、たまたま聴こえちまったんだ、わざとじゃねえから」

「そうかよ」


 参った。憎まれ口しか出てこない。

 餓鬼くせえったら……


「お前あーゆータイプが好みだったのか。意外だ」

「何がだ」

「だって、普段読んでるマンガとかさ」

「二次元の趣味と現実を同一に語るな」

「まあま、親友といたしましては幾らでも励ましてあげましょうとも」


 冗談めいた感じで肩をばんばんと叩く。いいけど痛えよ。

 返事の仕方が分からなくなって黙り込むと、悪友の顔が段々真顔になってくる。


「何だぁ、マジか?」

「……わかんねえよ」

「わかんねえって何が」

「彼女が何を言いたかったのかわかんねえよ」


 †


 彼女とはクラスは違うものの、同じクラブに所属している。ちなみに漫研。

 どちらかというと技量のない分を努力でカバーしている俺とは違い、彼女は絵の技量もストーリー構築もかなり高水準にある漫画を描く。

 でも、それだけじゃなくて彼女は何と言うか、細かい気遣いが素敵なヒトだ。

 というわけで俺はクラブに所属してから2年目、段々自分の気持ちを自覚しつつあったわけだが──

 今日はクラブハウス解禁の日だった。何の意味があるのか知らないが、テスト期間中はクラブハウスに入ってはいけないという規則がこの学校にはあり……つまりはその間は部活動は一切出来ない。1週間ぶりの彼女との再会だった。しかも数日後には学校は夏休みに入ってしまう。そうすると、またしばらくは彼女に会えないわけで。

 だから、俺は勇気を振り絞ったのだ。クラブハウスに繋がる渡り廊下へ、HR終了後にクラブハウスに向かうであろう彼女に先回りして。

 ……なんだけど。


「早めに行って、部室へ風を通そうと思って」


 1週間も締めっぱなしにしていたからすごいことになっているわよね、と微笑んだ彼女に、俺は夏休みに予定があるかまず訊ねた。


「お盆には父の実家に帰るけど、特に合宿以外には予定はないわよ」

「あの……」


 言葉の切れはおのずと悪くなったが、俺は必死になって彼女を映画に誘ったのだ。

 彼女の顔が微かに曇ったのは、その瞬間だった。


「──どうして?」

「あの、俺……高岡のこと、その……気に、なってるから」


 一生懸命話していた俺の言葉はトーンダウンする。──彼女の表情に合わせて。


「幾谷君」


 ようやく出てきた彼女の返事は消え入りそうに小さかった。


「わたし、きっとつまらないから」


 言葉を失った俺を残して彼女は小さく『ごめんね』といって部室へ向かって足早に去ってしまったのだ。

 そして、俺はその場に立ち尽くすしかなく。


 †


「……はあ。なるほどねえ」


 購買の自販機で買ってきたブリックパックのコーヒーをずずっと飲み干し、悪友は空を見上げた。


「そりゃ確かに訳わからんわな」

「だろ?」


 ストローをさしたままだったブリックパックのオレンジジュースで口を潤して俺は悪友に同意を求める。


「んー、でも1つだけ分かっていることがある」

「何だよ」

「お前、まだ振られていないってこと」

「……どこをどうやったらそういう結論になるわけ」


 あれだけ拒否られたってのに。


「だって高岡さん、お前については何も言ってないじゃん。『自分と付き合っても面白くないよ』って言っただけで」


 熟考。確かに言っていない。言っていないけれども──


「もう1回くらい当たってみろよ。砕けるのはそれからでもいいだろ」

「……砕けるのが前提なのかよ」

「二死満塁ってところじゃねーの?」


 無責任にもそう言い放ち、にしししと悪友は笑う。


「お前、俺のこと可哀想だと思うなら素直に応援しろよ」

「いや、お前に先に彼女を作られたら俺達の友情もここまでだし」

「なんだそりゃあ」


 繰り広げられる戯言に笑い声が自然と零れた。


 †


「……あの……幾、谷くん」


 部活が終わって解散したあと。予想を裏切って、彼女が校門の前で待っていた。


「さっきは……ごめん。動転しちゃって」

「いや」


 そういう展開になるとは想像していなかったため途惑いながらも返事をする。


「失礼だよね、幾ら何でも……あれから、きちんと話さないと、って」


 うあ。振られるの確定か。俺。


「あのね、嬉しかったよ。私」


 ゆっくり、言葉を区切って話す彼女。


「けどね、一緒に映画を見に行っても、つまらないと思うんだ」

「何が?」

「わたしと、一緒に行っても」


 その言葉を聴いた途端、違和感に気がついた。


「高岡」


 顔を上げた彼女に、俺は問う。


「何でつまらないと思うの?」

「何でって……」

「つまらないかどうかって、高岡が決めることじゃないんじゃないの?」

「……でも」

「俺さ。高岡と今までだって、好きな漫画のこととか、描く漫画のこととか、いろんなこと今までだって話してるじゃない。それで俺が高岡のことつまらないとか思ってたら、高岡に告白しようとか映画誘おうとか考えないよ」

「……」

「……まあ、高岡が俺のこと興味ないとか、嫌いとか思っているんだったらしょうがねえけどさ」

「そんなことないよ。──全く、ないよ」


 一緒に並んで歩いていた歩調がどんどん遅くなり──ほぼ同時に立ち止まる。


「そんなんじゃないよ……」

「じゃ、教えてよ。何でダメなのか」


 口調と裏腹に、心臓は破裂直前だった。

 でも、あいまいにしたくはなかった。


「──前ね」


 長い沈黙のあと、彼女がぽつりぽつりと話しだす。


「同じクラスの女の子達に、合コンに誘われたの。頭数揃えるだけだからって言われて……いるだけでいい、っていわれたから」

「うん」

「でも、何かずっと話しかけてくる男の子がいて……その子に好きな映画とか、俳優とか聞かれて」

「……うん」

「でもね、私あまり映画とか見にいくほうじゃなくて……お話を見るより、自分で作るほうが好きだから。それに、俳優とか顔覚えられないし」

「……まあ外人とかは余りよくわからないよね」

「……外人だからとかあんまり関係なくて……私、ヒトの顔覚えるの苦手なの。名前は大丈夫なんだけど……顔と名前一致させるのにすごい時間かかるんだ」


 同じクラスでまだ覚えていないヒトがいるし……と彼女は苦笑する。

 そういえばそうだった。俺もなかなか名前覚えてもらえなくて……さっきも疑問形で呼ばれた気がするし。

 名前をなかなか覚えてもらえなくてちょっとやきもきしたもんだけど、そうか覚えられなかったのは顔なのか……それはそれで切ないけど。


「だからその人の質問にもうまく答えられなくて、正直に答えていたらね、言われたの。『つまらない女』って」


 ……思考停止。


「だから、誘ってくれたのは嬉しいんだけど、幾谷君がっかりするんじゃないかな、って……」

「……ちょっと待ってよ」

「?」

「それ、高岡悪くないじゃんよ。ただ単に見込みないなと思ったそいつが単に自分のつまらなさ棚に上げて高岡に棄て台詞吐いただけじゃねえかよ」


 高岡さんは一気に喋りだした俺にびっくりしたのか、驚いた表情のまま固まっていた。


「……高岡はつまらなくなんかないよ」


 言いながら、言葉のもつ力に驚かされる。ヒトはこんなに簡単に呪われる。


「約1年間、同じクラブってだけの付き合いだけどさ……」


 慎重に言葉を選びながら。


「合コンで会ったとかいうそいつと、俺とさ。どっちが信じられる?」

「……」


 彼女は答えない。まあ信じてほしいのはやまやまだけど、即答もむずかしいだろう。簡単に解けないからこそ、呪いなんだろうし。

 だから。最後の勇気。


「だまされたと思って、俺と一緒に映画行ってもらえませんか。そのあとは画材屋めぐりでも何でも」


 彼女が微笑む。




 返って来た言葉は、夕方の空に小さく響いて消えた。

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