掌編集

あきら るりの

アイスクリームの煮物

 ……玄関を開けてまず目に入ったのは混沌の海だった。

 いやそれは大げさだけど、1Kのアパートの台所に焦げ付いた鍋や放りっぱなしのボウル、卵の殻や正しく調理されなかった食材の残骸が山積になっていれば誰でもまず絶句すると思う。


 腐れ縁の悪友から電話がかかってきたのは午前10時。普通なら問題ない時間ではあるんだけれど、

「……あんた、あたしに恨みでもあるのか」

 看護士を職業とし、夜勤明けで寝付いたばかりのあたしは、名乗った『奴』に地の底から響くような声で第一声を返した。

 電話の向こうの『奴』は慌てふためいて謝り倒し、続けて夜勤明けと知っていて叩き起こした理由を力いっぱい説明し、最後には泣きそうな声でSOSを訴えてきたもんだから、徐々に目が覚めてきたあたしは最終的にほだされて約1時間後に『奴』のアパートに行くと約束して電話を切ったのだ。

 ある程度の惨状は想像していたとはいえ、ここまでくると『よくもまあ』という感じだ。

「……で? あたしは何をすればいいの、プリンを作ればいい訳?」

「いや、作るのは俺じゃなきゃいけないんだ、お前は後ろで技術指導をだな」

 すごくほっとした顔であたしを出迎えた『奴』は、とても嬉しそうに話し掛けてくる。

「……ほお、『技術指導』をとな。あたしは高いぞ」

「いや、もう助けてくれるんなら」

「思いっきりしごくぞ」

「……覚悟の上で」

「睡眠時間を削ってるんだからな、『割増手当て』付きで」

「わかりました、『先生』」

 緩んだ顔が段々固まってきたような。あたしは『奴』のそんな反応を楽しんでから、号令をかけた。

「じゃ、まず最初に。その台所を片付けるように」

「……モノが完成してからじゃダメ?」

 恐る恐るお伺いをたててくる『奴』に、あたしはにっこり笑って、

「ダ・メ」

 と首を横に振る。そして、大きく息を吸って。

「お菓子作りをなめるな、材料の計量は正確に、手順は端折らず順番通り・時間通り、それなくして勝利はありえん !! 」

「はい !! 」

 『奴』はびしっと直立不動であたしに敬礼のカタチをとり、慌てて台所を片付け始めた。ノリのいい奴。そういえばこいつは体育会系だった。

 あたしは部屋の奥に上がり込み、お膳の上においてある緑茶のティーバッグを空いてるマグカップにいれ、湯沸しポットのお湯を注ぐ。そして、てきぱきと動く『奴』を見て────大きく溜息をついた。


 『奴』があたしの同級生でもある同僚の看護士の女の子と付き合いはじめたのは今年の春。

 あたしは病院内でのごくごく身内の飲み会の席で『奴』に彼女を紹介するように頼まれ、橋渡しをした。ちょっとごつい感じの『奴』と見た目儚げだけども実はしっかり者の彼女との組合せはどうかな、と思ったけれどもそんな心配は無用だったようで、二人はつつがなくお付き合いを続けている。

 この間、彼女は風邪をこじらせ数日前から休みをとっており────案の定『奴』は仕事中はごまかしているものの、患者に見えない奥の部屋ではやたらそわそわして────昨日の夕方、入れ替わりに病院に入ったあたしに

「今からちょっと見舞いいってくるわ」

と挨拶して帰っていったのだ。

 その彼女の肝心の病状だが……高熱を出し、なかなかそれが下がらないようだった。

「それでよ、あいつが……『パパの作ったプリンが食べたい』とかうわごとみたいに言ったんだ」

 さっきの電話で『奴』が涙を誘われたように大げさに語った。

 彼女の家の境遇については、あたしも片鱗ながら聞いている。確かお父さんが早くに亡くなって、お母さんが一人で育ててくれた、とか言っていた。

「頼むよ、俺にプリンの作り方を教えてくれぇ」

 ……まるでどこかのラブコメの漫画のような展開。そんなことを思いながら2人の仲人のような立場であるあたしは、ついつい『教えてやる』と返事をしてしまったのだった。


 30分後。ほぼ綺麗になった台所をみてあたしは指揮官よろしく頷き、次の号令を下した。

「はい、じゃ、ここに材料を並べて」

 やつがいそいそと食材を並べ始める。牛乳、卵、砂糖。

「そしたらまず計量」

 そういった途端、奴は頭を捻ってあたしに訊ねた。

「なぁ、牛乳500mlってどうやって計ったらいいんだろ」

「……さっきはどうしたのよ」

「コップ1杯で約200mlって聞いたことがあった気がしたから、これで」

 と硝子のコップを差し出す『奴』。────あたしはつい脱力した。とはいえ、普通男の一人暮らしで計量カップを置いてある家はないだろうな。

 溜息をついて、鞄を漁る。『こんなこともあろうかと』という奴だ。

「使え」

 取り出して渡すと、『奴』は恭しくそれを受け取った。

「おお、これが『伝説の計量カップ』 ! 」

「何だその『伝説の』って」

 軽口を叩きながら、材料を計り、鍋に全部それを入れようとする。

「いきなり全部混ぜるな~~ !! 」

 びくっとする『奴』の背中。

「卵は室温でしばらく放置 !  先にこれを牛乳に溶かして ! 」

 あたしは鞄からバニラシュガーを取り出し、『奴』に渡す。

「へぇ、いい匂いがするなぁ」

 『奴』が感心しながら牛乳にバニラシュガーを注ぎ入れ、混ぜる。

「牛乳を火にかけて。沸騰させちゃだめだかんね」

「はいはい」

 と最初は余裕を見せていたものの、

「次、卵と砂糖。泡立てちゃだめだから」

「牛乳と卵を合わせる。一気に合わせちゃだめよ、少し入れて混ぜて、を繰り返して」

「あくでてない? 出てたら漉して」

「冷えすぎないうちに容器に入れて」

 と矢継ぎ早に指示を出すうちに『奴』の背中がだんだんあせってくるのが分かる。

「蒸すわよ。レンジじゃ煮えちゃうじゃない。……じゃ、その鍋蒸し器に使おう」

 最後はあたしがしゃしゃり出て、そこにあるもので簡易蒸し器をつくって火にかけた。

「……あとは?」

「蒸しあがるのを待つの。そうね……30分から40分はかかるわね」

 そういうと。『奴』はお膳のあたしの正面の位置に座り……いきなり床にぐたっと延びた。

「……」

「疲れた ? 」

「俺はお菓子作りをなめていた……」

「──まぁ少し休みなさい」

「んー……」

 『奴』はしばらく天井を見ながら深呼吸をしていたが、やがて首だけあたしのほうに向けて訊く。

「しかしお前がこんなにお菓子作り詳しいって意外だったなぁ」

「……昔、ちょっと凝ってたことがあるからね」

 むかぁしむかし。好きな男の子のために、一生懸命勉強した。その恋は伝えることすら出来ず、お菓子を作ってあげることなどとうに叶わずに終わったけれど。

「そっかぁ。ここまで当てにしていた訳じゃなかったけど、助かったよ」

「礼はちゃんと出来上がってからにしなさいな」

 そういうと、『奴』ははは、と笑う。

「お前、本当にいい奴だなぁ」

 それはこっちの台詞だ。風邪引いた彼女の為の我儘につきあって、こんなにわたわたしながらプリン作ってやろうってんだから。

 ……昔のラブコメの漫画なら、ここで砂糖と塩をすり返るくらいのことをするんだろうけど、あたしは幸いなことにそこまで性格は悪くない。

「あ、そうだ、冷蔵庫に俺の失敗作あるんだけどさ」

「捨ててなかったの」

「冷やしたら固まるのかなぁって、冷蔵庫の中入れっぱなしだったんだ」

 『奴』はよっこらせ、と起き上がって冷蔵庫から『失敗作』を持ってくる。

 クリーム色の液体。あたしはそれを見て……持ち上げて、揺らして──何だ、固まってないじゃん──口をつける。

「アイスクリームの煮物 ? 」

 何だそれぇ、と言って『奴』が笑った。


 次の日。

「よ」

 後ろから肩を叩かれ、あたしは振り返る。

「昨日はありがとな。すっげぇ喜んでくれた」

「良かったわね」

「今度、メシでも奢ったる。何でも言え」

「グリル○○○のコースがいいなぁ」

 そう応えると、『奴』の顔が笑顔のまま固まった。

「……ぼったくってねぇか?」

「最初から『高い』って言った。『割増手当ても込みで』って」

 ひえー、といいつつ、『奴』の顔はまんざらでもない。うん、好きな娘の笑顔を見られたら嬉しくってしょうがないよね。

「明日は多分復帰できるって言ってたぞ」

「よかった、助かる」

「じゃ俺、いくわ。……あれだけうまいお菓子が作れたら、お前に惚れられた男はきっとお得だな」

「有難う」


 廊下を歩く背中を見ながら。

 ……それを惚れた男に披露する機会は、こんなカタチにしかならなかったんだけど、ね。

 けれど……『奴』が笑ってるから、まあいいや。

 そして、あたしは『戦友』から自分の役職に戻って、反対の方向を向いて歩き始めた。

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