11 空気感が違う

 わたしと夫それに百合&和臣の村瀬夫妻がT美術館の外に出ると空気感が違う。

 四人がともに見上げた目線の先に怪物がいる。

 何処から見ても人間のようだが、同時に植物でも鉱物でもある摩訶不思議な……。

 美術館の一階と二階の仕切り板と天井のガラスルーフを突き破って怪物がふわりと延び上がる。

 同時に仕切りとルーフの破片と砕片が舞い落ちる。

 明るい太陽の光にキラキラと耀きながら……。

「ホラ、見とれるな、怪我をするぞ」

 夫の吉正がわたしに叫ぶ。

 片腕を引っ張りながら、わたしを自分の方に引き寄せる。

「あのガラスに引き裂かれたら、実際のわたしも死ぬのかしら」

 と思わずわたしが問うと、

「それは知らんが、目の前で見る血は嫌いだ」

 と夫が答える。

「ああ、だからそれで……」

 とわたしが続ける。

「どのゲームでも、あなたはヒーローになれなかったわけね」

 一方、村瀬百合は憤慨している。

「アレはわたしの望みではない」

 が、同時にもう一方はアンビバレントにウットリしている。

「だけど陽の光の中にあった方がきれいなのは確かだ」

 その言葉を受けて怪物からわずかに人間性が減じる。

 一瞬のことだ。

 ついでガラスと仕切りの破片と砕片が数多く近くの地面とコンクリートに突き刺さる。

 その都度に揺れが起こり、一連の出来事に辺りの人々が目をまわす。

 多くはないが、少なくもない人数だ。

 老若男女が歪に混ざる。

 混ざった中では子供たちの方が怯えているように見える。

 逆に老人たちは無関心に通り過ぎる。

 が、その老人たちに巨大ガラス片が迫り、最初は首と身体を引き裂き大量の血を周囲に撒き散らすが、数秒後にそれが消えている。

 時間がすうっと巻き戻され、巨大ガラス片が老人たちに近づくに連れて何段階にも細かく割れ、最終的に彼と彼女たちに降り注ぐのは無害で角のないビー玉や色とりどりのおはじきの群。

 けれどもその代わりと言わんばかりに怯える子供たちの首と身体がスパリと裂け、母親か保護者の悲鳴や絶唱を背景音に赤い血を辺りに撒き散らす。

 が、わたしたちの足元まで転がってきた子供の首の表面には笑顔が浮かび……。

「わけがわからんな」

 そう言う夫のすぐ傍まで飛んできた笑った子供の首の口から剥き出した八重歯がわたしの左腕を傷つける。

「痛っ……」

「大丈夫か」

「体感的にはね。でも可笑しい」

 コートと服の袖口を捲くると十センチほどのまっすぐな赤い筋。

「でも、もう痒い……」

 見る間に血の色が茶色くなり、ついで傷跡がサインに変わる。

 Miki URABE。

 そう読める。

 だから諦めたように、

「どうやらここではわたしは浦辺美紀らしいわね」

 と言うと夫が怒る。

「当然だろう。さあ、アレから逃げるぞ。きみたちも続け……」

 何処か方向性を見失ったような村瀬夫妻を叱咤すると、わたしの腕を引っ張るように駆け始める。

 腕を引かれながら振り返るわたしの顔の直前まで、いつの間にかT美術館から抜け出た怪物の異形の顔(?)が迫り、それから何事もなかったかのように、すうと数十メートル遠ざかる。

 ついで動く怪物が手を触れる先、足が着く先が主として緑色の数値データに置き変わり、それらが風に舞うように消え去ると後に空白が現れる。

 その色が白に見えるのが冗談のようだ。

 やがて怪物の動きの延長線上まで空白化が広まり、やがてすべてが白くなる。

 たった四人の人間たちを除いて……。

「どうやら、わたしたちだけしかいなかったようね」

 何故か重力だけは維持されているらしいその空白の中でわたしが呟くと、

「さあて、どうかな……」

 夫が首を捻り疑問を呈する。

「ではアレは何だろう」

 対象物がなくなったので、もう大きさすら判別できなくなった怪物の向こう側から色が広がる。

 黄色とオレンジが、まるで砂漠か海のように何もない空間内を飾り始める。

 更にその向こうから人で塔で工事現場のような建物らしきモノが迫ってくる。

「ムチャクチャだな。だが……」

 わたしの腕を取ったまま呆れたように夫が口にし、

「愉しくないわけではないわね」

 夫の答を先取りして、わたしが指摘。

「しかし、あり得ないだろう。誰かの夢の中にでも入ったか」

「あるいは本当にこんな世界に住んでいる人の記憶と接触したのかしら……」

 そう言ってから思い出したが、現在世界のほぼすべての体感没入型ゲーム機器を牛耳る大手ゲーム会社のMAZEはMiraculously Amazing ZZZ Entertainment(奇跡のように驚くべきグーグーお眠り娯楽提供社)の略だ。

 だから、それが夢であっても可笑しくはない。

 ……と思う間もなく怪物と建物らしきモノが闘い始める。

「いや、違うな。舞っているんだ」

「あなた、またわたしの心を読んだのね。嫌な人。でもそれを聞いて考えが変わったわ」

「では交わっているとでも言うのかな。人間には考えられないような体位(ラーゲ)で……」

 そう推理してから夫がわたしの顔を見て微笑んだが、今その意味は問うまい。

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