10 人で塔で工事現場のようで

 カンバスの中に描かれていたのは抽象画で人で塔で工事現場のようだ。

 瑠璃の目にはそう見える。

 背景は黄色とオレンジの砂漠か海で、どうやっても砂漠とも海とも断定できない。

 それで仄香に意見を聞く。

「オマエにはアレが何に見える」

「えっ」

 仄香が見たのも人で塔で工事現場のようで背景は黄色とオレンジの砂漠か海。

 だから正直に瑠璃に告げると、

「わっちの鑑賞眼が可笑しいわけではないのだな」

 満足そうに瑠璃が答える。

 その直後に発見。

「ねえあれ、和臣さんの名前じゃない」

 模写における署名のルールを瑠璃は知らないが、他人の名前を騙れば贋作扱いされるのが必定だろう。

 が、本人の署名があれば習作中の模写と看做されるはずだ。

「で、どう、違う」

 それで仄香が絵に近づく。

 指摘されれば、確かにKazuomi MURASEのサインがある。

 だから、 

「ああ本当だ。気付かなかった」

 と素直に驚く。

「見たことないの」

「あればさすがに気付くわよ」

「……ということはアンタが帰った後の作か」

「そうなるのかな」

「いつだろうな」

「年代表記はないわね」

「元の絵の題名は何と……」

「確か ” Nacimiento durante un viento fuerte” 『強風中の誕生』かな」

「風吹いてないじゃん」

「吹いているわよ。でも建物(?)の中ね」

「どれどれ……」

 それで瑠璃が絵を覗き込むと確かに感じる。

「何、それ、ヘン」

 頬から鼻にかけての湿り気を右掌で再確認しながら首を捻る。

 いったいどういった仕掛けだろうかと瑠璃が再度建物(?)に顔を近づけると、

「危ない」

 と仄香が瑠璃を引き戻す。

 訳がわからず瑠璃が仄香を見遣ると、その隙に絵自体がわずかに変化。

 人で塔で工事現場のような建物(?)の内部が揺らぎ始める。

 緩いが眩暈を誘うような点滅感で……。

 やがて背景がゆっくりと遠退いて行き、つまり建物(?)自体が近づいて来て……。

「危ない」

 今度は瑠璃が仄香を引き戻す。

 が、引き戻された現実世界の方にも違和感があり……。

「何だと思う」

 と瑠璃。

「さあ、わからないわ」

 と仄香。

 冷静になって辺りを窺えば強風に吹かれているのは自分たちの方だ。

 芸術家Sの記念館には日常時間が流れている。

 けれども、だとしたら、あの入口ドアのところで固まっている人形はなんだろう。

 最初は人だったはずだ。

 瑠璃にも仄香にも記憶がある。

 記念館の館長で且つ本日は見まわり警備員でもある初老の男。

 が、同時にSの人形のようにも見えてくる。

 もっともそちらの記憶はまだ浅くて薄っぺらいが、確実に醸成されているようだ。

 瑠璃と仄香の記憶の中に……。

だから人形がSの容姿に近づいてくる。

 ……と、すぐさま館長の姿に戻ってゆうるりと動く。

 一方カンバス中の建物(?)はそこから抜け出たいように身を捩るが、こちらはカンバスの力の方が強いらしい。

 けれども風はカンバスから吹き溢れる。

 砂漠の砂の匂いと海の塩の匂いがブレンドされて……。

 それはまだ弱い流れでしかないが、時間とともに徐々に強くなっていく感じがする。

「呼んでいるのかしら」

「誰が……」

「実は知っているんでしょ」

「ああ、和臣さんか」

「そう。死ぬのなら、こっちの方がいいかもね」

「死ぬのに良いも悪いもあるかよ」

「ううん。泥水に飲まれるよりはずっとマシ」

「自分じゃ、覚えてもいないくせに……」

「そうね、覚えていない。だから良かったのかも……」

「バカ!」

「時期的にどれくらいずれるんだろう」

「こっちの方が十年くらい早いんじゃないかな」

「そう」

「正確な日付は覚えてないよ」

「あっ、人がいる」

 そのとき建物の中を人物が動く。

ついで不意に風の流れが人の手の形に変わり……。

「瑠璃、さよならだね……」

「ダメよ」

「だってさ」

「いいえ、ダメダメ。相手がまだ誰だかわからない」

「だって他には……」

「そうにしたって確認できるまで、わっちはアンタを一人にしない!」

 そう叫んで瑠璃が仄香を抱きしめる。

 今更のようだが細過ぎる身体だな、と瑠璃が思う。

 ……と感じる間もなく仄香とともに建物(?)の中に摘み取られるが、もちろん瑠璃に悔いはない。

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