6.2 野生化したお菓子売りかもしれないしね

 トルウが迷路の半分までを着いた当日に踏破していたというのは本当らしかった。自分でも命綱をつけて途中まで入り込んだことのあるプリズマティカとしては、信じられないことだったが、いざ、その手際を見ると嘘でもトリックでもないことが分かった。

「この迷宮のポイントは二つ」

 左右の手にそれぞれ医者の使う聴診器ステソスコープのようなものを持ち、それがつながる右の腰につけた機械から伸びた管を左右の耳に入れている。また、さらに左の腰には先がラッパのように広がった銃のような機械を下げている。

「通路の床に仕掛けがあって、その先の通路が変わるという点だね。この仕掛けさえなければ、この迷宮はトポロジカルには実に単純だ。紙の上に描けたら、五歳児だって解けるだろう。だから」

 たった今、プリズマティカが踏み出した一歩がその通路を変える仕掛けを発動させたのは、間違いない。こん、という微かな音が天井から降ってきたと思うと、電気銃の基底音のような低い地鳴りが鳴ってやがて消える。その間にトルウは聴診器をすばやく床や壁にあて、機械のつまみを回し、得られた数値からその仕掛け扉がここからどの位置にあるかを計算して地図に書き込んだ。

「微妙な角度で曲がっている通路のせいで進む方向が分からなくなるのがもう一つの問題。これは、音波探知機を使ってなるべく正確な角度を出して、積算してゆく。ここから音を出して、返ってくる音の時間や強さを調べてね」

 トルウはラッパ銃をプリズマティカマティカに差し出した。

「やってみるか?」

「うん!」

 プリズマティカは音波探知機から伸びる管を左右の耳に入れる。トルウがボタンを押すと、小さな金属の板を叩いたような甲高い音が鳴り、ついで二秒ほど遅れて、今度は小さな音が鳴った。少しだけラッパの向きを変えてボタンを押すと、今度は返ってくる音が小さく・遅くなった。

「今ので違いがわかるとは上出来だ。距離はここのメータで読む。距離だけを測るなら、こうやってつまみを回せば、人間の耳に聞こえない音になって、もっと精度が出る。ああ、この道も先の方で曲がっているね」

「左の方にも別の入り口があるから、そこに繋がっているんじゃないかしら」

「なるほど。迷宮全体の大きさからすると、ここはまっすぐだな。ああ、これを見なよ」

トルウは通路に敷き詰められた煉瓦状の石を指さす。

「通路の左右で使っている石の輝き方が違う。通路が湾曲しているのをまっすぐなようにみせかけているんだ。細かい細工だなあ」

「ねえ、トルウ。この迷宮ってそもそも何のためにつくられたんだと思う?」

「きみはどう思うの?」

「そうね。やっぱり中に秘密の宝ものとか隠すため?」

「迷路は、その道筋が暗号キーになるから、確かに金庫みたいな役目を果たすこともできる。でも、それはあまりにも効率が悪いよ。丈夫な建物の中とか、目立たないところに隠しておくべきだ。この迷宮は、迷宮があること自体は誰だって知ってるわけなんだから」

「だからトルウはどう思うの?」

「娯楽施設だったんじゃないかな」

「え? 遊園地みたいなもの?」

「冷脈を掘り当てるまでに深い穴を掘る必要があったんだろう。そうやってできた地下の空間を利用して、市民の憩いの場を作った、とか」

「えー? ローマ時代に? ってかこの下水道が市民の憩いの場?」

「下水道になったのはもっと後の時代じゃないか? あの奇妙な生き物達は、動物園にいた見せ物の生き残りじゃないか、とか、ほら、こないだ見た、荷車を引いた『騎士』なんかは、荷車の中にお菓子やお土産を売って、観光客相手に歩いていたんじゃないかとか」

「いやあ、でも……」プリズマティカは絶句した。そんな突拍子もない説は聞いたこともなかったが、色褪せた壁画や、妙に凝った造りの装飾など、思い当たる節がいくつもあった。だが、それはあまりに壮大なテーマで、ここで議論すべきことではないように思えてきた。「まあ、あなたの想像力はすごいと思うわ」

「なんだよ、君が訊いたんだろ。だいたい……」

 プリズマティカはしっというように人差し指を口にあてた。トルウもすぐに気づいた。石畳を叩くような音。足音のようにも聞こえた。そして高回転のモータ音。プリズマティカは立ち上がり耳を澄ますが、すぐに音は聞こえなくなった。辿ってきた道の方に目をこらすが何も見えない。電気銃を肩から下ろし電源を入れた。

「それはまだいい。後をつけられているのはわかった」

「アントレイヴァスかしら」

「わからない」

「野生化したお菓子売りかもしれないしね」

 そうして二時間もの間、二人は地図を記し、道を選んだ。何度も階段を上り、下ったが、そのたびにトルウは正確の高度差を測り、細かい字で地図を記入していった。プリズマティカも何度かまねしてやっているうちに、簡単な分岐であれば傾斜計と慣性方位計、音波探知機を使って正しい方向を知ることができるようになった。だが、いくら早く道を選んでも追跡している相手がいれば、それを振り切れるわけではない。それに、よどんでいた下水の流れが一方向を示すようになり、選んだ道はそれと一致するようになってきた。

そして何度目かの角を曲がってから撃った音波探知機から返ってきたのはそれまでとは全く違う強烈な反射だった。

 トルウが冷光灯を掲げて小走りに前に進むと、やがて正面に、閉ざされた大きな扉がぼんやりと浮かび上がった。大きなかんぬきがかけられ、鋲で縁取られた両手に余るほどの大きな南京錠カデナが掛けられている。扉の下は人間の腕が通りそうな小さな孔がいくつか開いていて、そこから水が流れ出している。天井には何本もの黒いケーブルが牽かれて、その隙間に冷光灯が灯っている。これは明らかにローマ時代のものではない。

「プリズマティカ」

「了解!」

 プリズマティカは、電気銃の電源を入れ、スイッチを最小距離放電にセットする。ぶん、といううなりが大きな銃身から発せされる。銃の先端を慎重に鍵の上に載せて、ゴーグルを下ろす。「目つぶっていて」

 ばん、という雷にも似た大きな音が鳴りひびき、ついで、ごとり、という重い音とともに、赤熱して熔解した南京錠が石床におちた。

「よし、うまいぞ。かんぬきを溶接されたら面倒になるところだった」

 トルウは錆びの浮いたかんぬきを嫌な音を立てながら引き抜き、扉に手をかけて手前に引っ張ろうとした、そのとき。

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