4. HYPOTHESIS

4.1 疑似的時間通信の実現可能性について

 翌日、トルウは、学術組合の図書館にゆく、と宣言した。

「うええ、また文献調査ぁ?」

「昨日のは、まあ、僕が言うのもなんだけど、文献調査じゃない。威力偵察だ」

「それよりさ、昨日、ロムステットで冷脈の吐出口? の気配だかなんだか見つけたんでしょ? はやく水道局に教えてあげたらいいのに」

「万が一当たりだったら、僕はお役ご免で、この都市から追い出されちゃうじゃないか。折角、パスカルの手がかりをつかみかけたっていうのに」

「手がかり? パスカルの生まれた家ってところで? それとも出国記録のない異端審問官? まさかまだパスカルが生きてるとか、思ってるわけ?」

「いや、まあ」プリズマティカの勢いにたじたじになりながらも、トルウはハッキリと答えた。「その可能性もあると思ってる。死んでいたとしても、パスカルが遺したものには近づいているような気がするんだ」

 結局パスカルなのか。プリズマティカはトルウの執念に対して半ばあきれていた。

 昨日のプリズマティカの『身体を張った潜入調査』の結果について、トルウの泊まっているホテルのロビーで報告したときも、結局同じような議論の流れだったのだ。

「ラ・ローシュは騎士修道会の総本部がある都市だ。猶予はないってどういうことだろう。マイヨール総長は一週間は待つって言ってくれたんだけどね。その『お方』ってのはいよいよさっぱりわからなけど」

「その『お方』っていうのが、異端審問官じゃないの?」

「その異端審問官とやらがアルジェンティナに住み着いて、平和な余生を過ごしている可能性はある。だが、もし、その審問官がパスカルの殺害を目的としてこの都市に来たのだとすれば、目的を達成すれば出て行くだろう。パスカルの殺害に失敗したか、返り討ちに遭った可能性もあるけど」

「でもパスカルは死んだんでしょ? 共倒れか」

「まあ、そういうことになってるけどね」


組合の図書館は、以前は学寮毎にあったが、五年前に一カ所に一カ所にまとめられ、フォジフォスのいる学寮とは離れた場所にある四階建ての新しい建物になっていた。装飾を廃した現代的モダンなものではなく、ごく最近はやり始めた生物的な曲線とガラス窓を多用した個性的な外観になっている。時代がかった大きな正面扉から中に入ると、広々としたロビーがあり、正面の受付の頭上には字面が威圧的なラテン語の文をあしらった凝ったレリーフが飾られていた。

 「君は公開されている資料からパスカルが著者になっているものを片端から調べてくれ。帝国アカデミーの論文なんかは、どこにでもあるし調べたからいいや。マイスタ資格の審査論文とか,組合内の学術的ではない出版物とか、小数部しか印刷されなかったものがここにはあるはずだ」

 そう言って、小さな目録のカードがぎっしり詰まった棚の前にプリズマティカを連れて行き、A(アー)の著者項目からALPHAの著者名を引き、目録の読み方と、図書館のどこにその資料がありそうかを教えた。そして自分は、閉架資料を調べたいから、と言って、石筆とノートを一冊渡してさっさとどこかに消えてしまう。トルウの説明はわかりやすかったが、プリズマティカは覚えきれず、結局、係の人を見つけて何度が尋ねることになってしまった。

 高い天井まで届く大きな本棚が並んだ書架と、それらに見下ろされるように置かれた閲覧室には、用意された椅子の八割方が埋まっていた。十代前半の橙色のマントをまとった年少の組合員から赤いローブの教授クラスの高位のマイスタと思われる老人まで、スーツ姿の勤め人、北の地から来たらしい、プラチナ色の頭髪をした学生か研究者と思われる者、白い布を身体に巻き付けたサラセン人の女性、さらには、プリズマティカの住んでいるあたりの共同洗濯場にいそうな質素な身なりの中年の女性までが、真剣な様子で本をよみ、何かを書き付けていた。

 こんな立派な施設のある都市に住んでいたということに、今まで気づかなかったことに赤面しつつ、いままでも何度かロジェに一緒に図書館に行こうと誘われるたびに、あたしは勉強嫌いだから、と言って断っていたのを思い出す。

 今やっていることが勉強なのかどうか分からないが、少なくともかつては自分がそんなことをやるなんで想像もしなかったことであるのは違いなかった。

 トルウには要らないと言われたが、目録にあったパスカル・アルファの著作物をありたっけ取り出して閲覧室の机の上に山積みにする。最初のページを開くが、まずパスカル・アルファの名前がみつからない。そもそも目録に書いてあった論文の題目がない。まず、そこでプリズマティカはその本一冊全部がパスカルの書いた本だと思い込んでいたことに気づく。これは論文集なのだ。目次からようやくパスカルの名前を見つける。題目はこうだ。「古代ローマにおける入浴文化の継承と断絶」

 は?

 論文の本文は字ばかりで、図はおろか数式もない。

 パスカルはお風呂が好きだったのだろうか。

 次に持ってきた本では、もう少し効率よく該当のページを見つけることができた。この本には二本のパスカルの論文があることがわかった。

「人間の判断と期待の数値的表現に関する一考察」

「人間の判断の数値表現の実現性と実用性」

 見ると、樹形図のような絵があったり、一方で数字の一つも含まれていない文字だけの数式が延々と書き連ねてあったりして、プリズマティカの想像していたパスカルの仕事には近い。ふと気がついて「入浴文化」の方を見直してみると、発刊された年が今からわずか一〇年前だった。同姓同名の別人なのだ。 

 「正しい方」のパスカルの著作達は、数式以外の部分でさえもプリズマティカの理解を超えていた。それでもプリズマティカは集めた本を年代順に並べ直し、栞をはさみ、最初の概要の部分だけでも読んで、ノートに書いてゆくことにした。

 驚いたのは、自分でもちゃんと文章がかけるということだった。考えてみれば、この数ヶ月、自分の名前や住所以外の文字をまともに書いた記憶がない。ロジェの読む本やノートは徹底的に敬遠してきたし、少しでも知的な作業からは距離を置くようにしてきた。それは、自分が苦手だと思っていたからで、苦手だと思い込もうとしていたからだとわかった。なぜなら、そういった知的な活動や社会的な栄光はすべてロジェによって達成されなければならないから。自分がそれに手を出してしまうと、ロジェの分が失われてしまうかもしれないから。

 だが、プリズマティカは、今やその呪縛から逃れつつあった。ロジェはそんなプリズマティカの心の変化を喜んでくれたではないか。知的な作業を共有できるなら、それは今までよりももっと楽しいと、言ってくれたではないか。

 プリズマティカは石筆を握り直し、椅子に浅く腰掛けて背筋を伸ばし、作業を始めた。

「時間通信技術の基本概念」

「疑似的時間通信の実現可能性について」

 こうしてタイトルだけならべてみても、プリズマティカにもパスカルのやっていたことがおぼろげながら見えてくる。パスカルは、人間の考えそのものを数式で記述し、ある条件のもとではこう考える、という予測ができるはずだと思ったのだ。それをまず個人に適用し、次にもっと沢山の人間の集団に適用しようとした。だが、数式を作ることはできても、予測する時間が増え、対象となる人間が増えることで計算に膨大な時間がかかることに気づいた。そこでプリズマティカは、沢山の弟子達を使って(ちょっとまって、パスカルって当時何歳だったっけ?)彼らに算盤を与え、人海戦術で計算することまでした。当時、ようやく電気が街灯に使われ初めたばかりだったが、パスカルは、電気を使って自動算盤が作れるはずだという短い寄稿まで遺している。

「ああ、あの電気算盤って、この子が考えたものだったんだ」

 プリズマティカにとってパスカルは、どこか人間とかけ離れた姿の頭の異常に大きな子というイメージだったのが、少しずつ、プリズマティカと同年代の女の子というイメージに変わりつつあった。

それは、論文ではなく、当時の組合の仲間内の集まりか何かが出した数ページの冊子だった。その中の一ページにパスカルは論文というより随筆のようなものを書いていた。 

「今から二十年、三十年後の人々はどういう生活をしているのでしょうか。今から五十年前の人々は現代のことをどのように想像していたのでしょうか。五十年前の人々は、きっと今でも帝国は強力でその傘のもとに安定した社会が続いているだろうと思っていたのではないでしょうか。もし、そうでなければ、きっとその時代の人々はそうならないように何か手を打っていたはずです。予想ができなかったから、私達の現在は、こんな混迷の中にいるのだと思います。

「五十年後、この大陸のどこかに生活している一人の男の子のことを考えてしまいます。彼は長く続く戦争で父親を失い、母親からは捨てられて、荒廃した都市から都市へのさまよい歩いています。長い混乱の末、人々はお互いを助けるのではなく、傷つけることや妬むことだけが正しいと考えるようになっています。少なくなった食べ物を分配するのではなく、独占しようとしています。誰も男の子を助けようとはせず、自分より悲惨なその姿を見て喜んでいるありさまです。

「私は、その男の子を何とかして助けたいと思っています。まだ生まれてもいない彼ですが。私は軍人でも政治家でも沢山の富を持った商人でもありませんが、少しばかりは数字をつかって世の中を記述する力があります。その小さな力を使って、どうにかしてその男の子を救うための方法を考えてみたいと思っています。

        数象学寮マイスタ ロムステットのパスカル・アルファ」


 プリズマティカは理解した。きっとパスカルは、その想像の中の男の子に恋をしてしまったのだ。名前をつけたかもしれない。

 例えば、マティウス・トルウとか。

 その考えにプリズマティカはどきり、とする。

 パスカルは、誰にでもよいからと思って五十年後にメッセージを投げたのだろうか。実は最初からトルウにメッセージを投げたのではないだろうか。パスカルはトルウに尋ねただろう。君は幸せですか。ちゃんと食べていますか。夢はありますか。夢はかないましたか。

 好きな人はいますか。

 もし、パスカルの「未来予測」が一人の人間の行動を予測できるほどならば、回答は要らなかったはずだ。その回答を予測することも可能だろうから。

 プリズマティカはわからなくなった。だが、この五十年前の少女のことをもっと知りたいと思った。そのためには今のプリズマティカでは知識も能力も足りない。

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