3.2 もういいっ デザートもいらないっ

「ねえ、なんでパスカルは殺されなきゃいけなかったんだろう」

 広場に面した小さな食堂ビストロで早めの昼食をとりながら、プリズマティカは尋ねた。

 二人が食べているのは、この辺りの一般的な郷土料理シュークルートで、キャベツの酢漬けとジャガイモと腸詰め肉を煮込んだ実におおざっぱな代物だ。こんな田舎とはいえ、せっかく外で食事ができるんだから、もうちょっと別のものをと思ったプリズマティカだったが、いや、これがいいから、と半ばトルウに強制されて頼んだものだ。もちろん、プリズマティカはこの料理を何度も食べたことがある。でも結論を言えば、今まで食べた中では一番おいしかった。薄味で、しかし肉や野菜はとても柔らかく味がしみていた。時々ロジェが作ってくれるものよりもおいしいくらいだ。

「それは教皇庁がパスカルを異端認定したからって、いったろう」 

 こちらもおいしそうに食べながら、トルウが答えた。

「じゃあ、なんで教皇庁はパスカルを異端と認めたの」

「それは……」トルウは言葉を紡ごうとして息を吸ったが、結局たっぷり一〇秒も沈黙を続けた。その間にプリズマティカは親指大の腸詰めを丸ごと口にほおりこむ。トルウの解説が再開する。

「フランス王ナポレオン三世は、神聖ローマ帝国の混乱に乗じて欧州を制圧できると思っていた。フランスはその前の戦争で、周辺国に散々やられてたから、国民もやり返さなきゃやってられないって気分だったんだ。それを、プロイセンでもフランスでもデンマークでもオーストリアでもない、沢山の都市が集まって一つの体制を作ろうってよびかけたわけだから、都合が悪い。それでフランス王は、アビニヨンの教皇庁に圧力をかけて、パスカルを異端と認定させたんだ」

「そうなの? だって法王様ってキリスト教徒みんなを導いてくれる人だよ? 実は、パスカルの方が悪いってことはないのかな」

 トルウは、案の条、血相を変えて反論する。

「馬鹿なことを言うなよ。もしも五〇年前に戦争が起きていたら、何十万か何百万という人が死んで、ひょっとしたら今でもヨーロッパで戦争が続いていたかもしれないんだよ」

「戦争だったら今でも起きそうじゃん。ヨーロッパとオスマン帝国の戦争だよ。プロイセンとフランスの戦争なんかより、もっと大変なことになっちゃうよ。でも、もしパスカルが欧州連合を提唱しなかったら、ヨーロッパは今でも内輪で小競り合いを続けていて、オスマン帝国との争いも起きなかったかもしれないよね」

 トルウが恐い顔で空になった皿をにらみつけているのを見て、プリズマティカは、「……って思うんだけど」と遠慮がちに付け加えた。トルウは無理矢理という感じで笑顔を浮かべ、やがて言った。「教皇庁がそこまで考えていたとは思えないけど、そういう考え方もある。きみが自分でその考えに辿り着いたというなら、僕にはそれを否定する気はない」

 褒められているように聞こえる。でも、ちゃんとした議論にならないのは、多分プリズマティカの知識や考えが浅いからだろう。それをプリズマティカは少しだけ悔しく感じる。

 トルウは最後のパンの欠片を口に放りこんで、強引に話題を変えたように見えた。

「さて、デザートはどうする。林檎のパイとチョコレートのパイがあるみたいだけど」

「え? うーん」

「食べたいなら食べるべきだよ。なんせ、君ほどおいしそうにものを食べる女の子を初めて見た」

「……え?」

 プリズマティカは思わず口を押さえた。「そりゃ、おいしかったけど……」

 その言われようには、さすがに恥ずかしさを感じる。身だしなみに気を遣う方ではないが、それはそもそもそんなものにお金が掛けられないからで、お金さえあれば、もっと綺麗な格好をしたいし、色気より食い気と断言されるのは不本意だった。

「その点についてはロジェがうらやましいなあ。下水道で君にもらったドーナツも、そりゃおいしかったけど、君は本当においしそうに食べてたもんなあ」

「もういいっ。デザートもいらないっ」

 プリズマティカは椅子を蹴って立ち上がった。それが今の彼女のプライドだ。勢いで、そのまま店を飛び出す。それでも店の入り口においてあった三脚と天象儀は忘れずに持つ。

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