1.4 あんただけでも逃げろって言ったのに!
一番近いゲートと言っても、トルウが入り込んだらしい川岸の側溝は下水道から上るのは難しく、かといって、どうやら水道局の敷地の中に現れるのも困るらしく、しばらく途中の浄化槽の掃除をしながら二人旅となった。
トルウはプリズマティカに助けられ、汚水まみれで側道に這い上がったときこそ、一生分の人生の悲哀を味わったかのような情けない顔をしていたが、しばらく歩いているうちに、独り言をいったり、プリズマティカに都市の事を尋ねたり、聞いてもいないのにここまでの旅の話をしたりと、たちまち調子づいてきた。引きずらない性格らしい。
「しかし、この下水道は本当にすばらしい。これだけの規模のものは、まず大陸一だろうな。プリズマティカ、君はこの下水道がなんのために造られたかわかるかい?」
なーにが、わかるかい? だ。
「下水なんて、うんこやおしっこを流すために決まってるでしょう」
「下水がなんのためにあるかといえばその通りだ。(ああ、もう少し女の子らしい言葉遣いをすべきだと思うけどね)でも、この下水道は、もともと下水道として造られたものじゃないね」
「え? どういうこと?」
「さっき通ったところなんて明らかに五〇年以上前の造りだ。当時の下水道技術なんて、生活排水を集めて川に流すのが精いっぱいだったろう。とするとローマ時代の地下墓地かな? それにしては大きいな」
「ああ、なるほど。それなら冷脈だわ」
プリズマティカは、立ち止まり、左手で壁をたたいた。
「この都市の地下にはとても温度の低い太い冷脈が通っていて、それをこのぶっとい五本のダクトで引き上げて、発電所で電気を作ったりしてる。もちろん、地下墓地もあるけど」
「おかしいな。このアルジェンティナが教科書の通りにローマ植民都市に発するのだとすれば、冷脈の吐出口がこんなに地下深いところにあるなんてありえない。当時の掘削技術からすれば、都市はもっと地脈が地表に近いところに築かれるだろうからね。すると考えられるのは……」
ぶつぶつと訳のわからないことを呟くトルウをプリズマティカは無視することにした。
しかし、帝国地理院と言えば、辺境の未開の地を調べたり、飛行船団を駆って海の向こうの未知の大陸を探したり、それこそ新たな地脈やミスリルの鉱脈を探すのが仕事のはずだ。なんでこんな都市の地下で汚水まみれになっているのだろうか。
「ねえ、トルウ、あんたこの町に何しにきたの?」
「え? ああ、下水道の地図を作りに」
トルウの口調にはあまり元気がなかった。プリズマティカはつい、意地悪をしたくなる。
「へえ、地理院って最近はそんなことまでするんだ。辺境の開拓とか、極地探検とか、そういうことが専門じゃないの?」
するとトルウは驚いたように目を見はり、しかし、すぐに苦笑して首を左右に振った。
「……自然の洞窟や古い地下坑道の地図作りには、高い技術が必要なんだぞ。それだって地理院の立派な仕事なんだから」
「……ああ、わかった。あんたは下っ端で、こんな仕事しかもらえなかった、と」
「いや、だから」
トルウは吸った息をそのままため息に変え、小さく言った。「まあ、間違いじゃないか」
「その高度な技術をもってしても道に迷うほど大変なとこなんだ、この下水道」
「うるさい。ちょっとした下見だって言ったろう」
「地図だったら、あたし持ってるよ。なんでわざわざ作るの? 見せてあげようか?」
そういって、プリズマティカは、首から下げた地図ケースをトルウの方に差し出した。トルウは、プリズマティカとの距離が一定線を越えないようにとでも言うのか、手を伸ばしてケースを取ると、「ほら、ここだな」といって、地図上のある一点を指さした。
「ここは……空白地帯(ブラン)だけど?」
「何も無いってこと?」
「そうじゃないけど。入っちゃいけないし、入れない。……あたしは秘密の冷脈の吐出口があるって聞いたことがあるけど、入ったら二度と出てこられないっていうわ。すごい迷路になってるの」
「なるほどね」
そういって上着の内ポケットからずぶ濡れで今にも破れそうな地図を取り出した。かろうじて広げたプリズマティカの持っているのと同じ下水道の地図を目にして、プリズマティカは驚愕する。
「え、うそ、これあんたが……」
空白地帯を示す箇所には、ペンで道が書き込まれていたのだ。その線は空白地帯の中心にこそ達していないが、うねうねと曲がりながら半分以上の距離を進んでいる。
「まあ、地理院の技術をもってすれば、こんなものは朝飯前、と言いたいところだが、正直ちょっと手応えはあった」
「空白地帯をここまで行けて、なんでここで迷うかな……」
「教訓一。油断大敵。で、まあその地図を完成させるのが、アルジェンティナ政府から地理院が請け負った仕事というわけだ」
「ああ、じゃあ、空白地帯に冷脈の吐出口があるって噂は本当なのね」
「へえ? どうしてそう思うの?」
「ここんところ、電力やお湯の供給量が低下しているの。貧しい家なんかじゃ、薪を燃やして煮炊きしてることころもあるわ。だから最近、街中が妙に煙たくて」
「ははあ、天気のわりに視程が悪かったのはそのせいか」
「だからみんな言ってる。アルジェンティナの冷脈が尽きはじめたんじゃないかって。だってブルージュでも、ミラノでも、プラハでも冷脈の温度が上がってるんでしょ? それで、政府は冷脈の突出口のある空白地帯への地図を作らせようとしているのね」
「なるほどねえ。じゃあ、そういうことにしておくか。こっちとしては、それでこの都市で大手を振って調査ができればいいわけだから」
プリズマティカは思わず目を細めてトルウを見た。「なに? なんか人に言えない悪いことでもするつもり?」
「まあ、今のところ秘密だな」
「ねえ、おなか空かない?」
「は? いや、そりゃ、まあ、ちょっとは。でも唐突になにを」
「ドーナツあげるよ」
プリズマティカは、立ち止まり、背嚢からパン屋のおばさんにもらった袋を取り出し、中から油紙に包まれたドーナツを二つ取り出した。溶けた粉砂糖でコーティングされた柔らかそうなリングが覗いている。
まあ、まあと言いながらプリズマティカは強引にお茶会を開始し、二人は乾いた通路の壁際に座り込み、ドーナツにぱくついた。トルウは最初、怪訝そうな顔で匂いをかいでいたが、一口たべて、目を丸くした。まるでその無礼な態度を詫びるかのように大きくうなずくと、「これはうまい」と叫んだ。
「綿飴のような繊細さ! 小麦粉生地(メーウェタイヒ)でもましてイースト生地(ヘーフェタイヒ)でもないな。しかも何という甘さ。これもきっと生地のせいだな」
「で、本当は何しにここにきたって?」
トルウは、プリズマティカをにらみつけ、かじりかけのドーナッツを見つめ、にやりと笑って言った。
「じゃあ、この美味いドーナツのお礼に教えてあげる」
トルウは、そこで言葉を切り、誰も聞いてるわけでもないだろうに、声を潜めた。
「パスカル・アルファに会いに来たんだ」
パスカル・アルファですって! などと、プリズマティカは叫んだりはしなかった。その代わり、眉を顰めて聞き返した。「誰それ?」
トルウは、口を半開きにして「はあ?」と情けない声を出した。
「パスカル知らないの? 学校で習ってないの?」
「学校行ってない」
「基礎学校だって習うだろ」
「あんまり記憶ない」
やれやれ、トルウは頭を掻きながら、調子狂うなあ、とつぶやき、気の乗らない様子で講釈をたれた。「パスカル・アルファは、ここアルジェンティナの事象学組合の出身で、欧州連合の生みの親といわれる人だよ。五〇年前にパスカルが書いた論文は、神聖ローマ帝国やフランス諸国連合が強大化すれば、何年も続く戦争が起きて何百万という人が死ぬと、わかりやすく説明した。それで都市や国々は話し合いの席につき、今の欧州連合が生まれたんだ」
「へえ、それはちょっとした英雄さんね」
「しかもそのとき、時間通信器を使って、未来と会話したというんだ」
「……なんか急に話が嘘くさくなってきたんですけど」
「最後には欧州連合に反対する連中に殺されてしまったけどね」
「ええと、良くわからないけど、お墓参りってこと? 言っとくけど、この都市では死んだ人は氷漬けにして地下の冷脈に流すから、お墓はないよ」
「お墓はなくてもゆかりの場所とかはあるだろ」トルウは、ひらひらと手を振って言った。「とにかく、このアルジェンティナはパスカル・アルファが生まれた土地だ。君はもっと誇りに思っていい」
「あたしそういう先祖の誇りとか興味ないから」
プリズマティアが蓮っ葉な口調で突き放すと、トルウは、なぜか安心したように微笑んだ。
そのときだった。重い石と金属をこすり合わせるような音がどこか遠くの方で聞こえた。突然の異様な音に、トルウは背筋を伸ばして聞き耳をたてる仕草をし、プリズマティカははじかれたように立ち上がると、すぐさま背嚢を背負い上げた。
「やばい、こんなところでお茶してる場合じゃない。逃げるよ」
理由は聞かずにトルウも立ち上がった。プリズマティカは下水の水面に冷光灯をあてて流れの異常を読み、耳を澄まし、「こっち」と言って、元来たのとは逆の方向に走り出した。だが、音は次第に大きくなってゆく。方向を間違えたか、とプリズマティカは一瞬立ち止まったが、音は後から聞こえてくるのは確かだった。貴重な時間を無駄にしたかもしれない。もうすこしで右に折れる支流があるはず、そこに逃げ込めば追ってくることはまずないだろう。しかし、耳障りな物音はますます近くなる。速い。連中は下水の中ではなく、側道を歩いてくるのだ。これは多分、間に合わないだろう。プリズマティカは覚悟を決め、景気づけのつもりでトルウに言った。「あなた運が良いわね。初日にあいつに会えるなんて」
「それは本当に良いことなのかい? まあ、生き残れたら君を信じることにするよ」
走るのを止め、立ち止まって後を振り向く。
プリズマティカは電気銃の電源を入れた。まず、あいつには利かないが、やってみて損はない。一方、トルウは懐から拳銃を取り出して、残弾数を数え、安全装置を外した。
やがてそれは前方の通路の暗闇から姿を現した。甲冑をつけた大柄な人間のようなシルエット。何か重い物を引きずるような音は、そのいかにも重そうな足取りと、実際に荷車か橇のようなものを引っ張っているためだ。それは、プリズマティカ達の手前五メートルほどの所で立ち止まると、橇の引き手を降ろしてプリズマティカに向き直った。その黒い甲冑の表面には細かい傷やへこみが沢山あるが、錆や腐食は見あたらない。人間なら顔に当たる部分にはぽっかりと大きな穴がひとつ空いているだけで、いわば究極の無表情だ。だが、この個体には右腕の肘から先が無かった。これは本当に運がよかったかもしれない。
「おい、あれは『騎士』じゃないか! まいったな。生きて動いてるのを見るのは初めてだよ。アルジェンティナに現存していたなんて……」
「言ったでしょ、あんたは運がいい」
「じゃあ、基本的な戦略を教えてくれないかな」
「破壊する。さもなければ下水の中に落とす。這い上がって来る前に逃げる」
「破壊できるの?」
「あたし達の得物じゃ、多分、無理」
「ははあ」
トルウは間の抜けた返事をしたが、その直後には訓練された者らしい姿勢で銃を構え、『騎士』の顔の真ん中の穴に向かって銃弾を二発撃ち込んだ。一発は顎のあたりに当たって甲高い音と共にはじかれ、もう一発は確かに穴の中に飛び込んだが、何かに噛みこまれるような鈍い音を立てただけだった。
それが戦闘の合図となった。『騎士(ランスロ)』は突然身体をかがめるとプリズマティカの方に走り出した。それを予期していたプリズマティカは必殺を念じて電気銃を放つ。青白い電弧が相手の胴体に着地し、轟音とともに金属の焼ける匂いが立ちこめた。手応えがあった。しかし、胸のあたりに掌ほどの大きさのただれができただけで、ダメージを受けた様子がない。左腕で殴りかかってくるところをプリズマティカは間一髪ですり抜けた。その間にトルウは、大きく後に下がり、トルウとプリズマティカで、『騎士』を前後に挟みこむようになる。プリズマティカは、気がつくと、すぐ傍らに『騎士』の引っ張っていた荷車があることに気づいた。中は空っぽである。プリズマティカは電気銃を傍らに置き、腰からスピアナイフを抜いた。甲冑のつなぎ目を狙って倒したという話を聞いたことがあったからだ。
「トルウ、一人で逃げて!」
ナイフを腰だめにして、叫びながら突進する。『騎士』は大きく左手を振り回して、プリズマティカを狙う。直前に右にステップして腕を躱し、そのまま腰の隙間にナイフを……。しかし、その回避が勢いを削ぎ、『騎士』に別の動作を許すことになる。一回は振り抜かれた左腕がすさまじい勢いで戻って来てプリズマティカの肩を掠めた。
「あうっ」
それはほんの少しかすった程度だったが、プリズマティカははじき飛ばされて通路の壁際に転がった。トルウが慌てて駆け寄り、プリズマティカを助け起こす。しかし、その時には、もう『騎士』は二人の方を振り向き、一歩、二歩と近づいてくるところだった。
プリズマティカは肩の痛みに顔をしかめながら、もう一度立ち上がろうとした。トルウが短く叫んだ。
「プリズマティカ、逃げよう」
「逃げ切れないから戦ってるんでしょ! あんただけでも逃げろって言ったのに!」
スピアナイフを握り直し、姿勢を低くして暴風のような腕から身を守る。トルウを背後にしながら、ああ、どうせ死ぬんだったら、ロジェを守って死ぬならいいのに、と本気で悔しくなった。こんなどこの馬の骨とも分からない奴のためになんか死んでたまるか!
気合いとともに一歩を踏み出した時だった。
「フロリーヌ、カトルサンドゥソワソンヌイ」
聞き覚えのある、しわがれた男の声が通路に響いたとき、なぜ彼がここにいるのかと思うよりも、ああ、その方法か、と心の中で手を叩いた。ナイフをしまい、体勢を低く。反撃を怖れず、全身をバネにして、相手の腰の下あたりに思い切り体当たりする。根を張った大木にぶち当たるような感覚だが、相手の上半身はぐらりと傾いてうつむけに床に倒れた。すぐに立ち上がろうとするが、失敗する。未だに無くなった右手を使って身体を支えようとするからだ。振り返りざまにナイフを抜き、大胆に近づいて振りかぶり、渾身の力をこめてかかとの所に突き立てる。鈍い金属音とともに、刃が何かに噛みこまれる手応えがあった。素早く飛び退る。トルウにこっちに来いと手招きし、立ち上がる『騎士』の動作を見つめる。一歩を踏み出した『騎士』の上体が僅かに傾く。そして騎士自身が自分の身体を確かめるような動作でもう一歩。やった、ナイフは利いている。さっきのような速さでは走れないはずだ。プリズマティカは叫んだ。「よし、トルウ、逃げるわよ」
しかし、傍らにトルウはいなかった。トルウはいつの間にか移動し、『騎士』の引いていた荷車を、顔をゆがめながら渾身の力で押している。そして、動きだし、勢いのついたそれを、下水の本道の中に突き落とした。
その時の『騎士』の動きは滑稽だった。もちろん、そう見えただけかもしれない。プリズマティカの脇をすり抜け、びっこをひきながら荷車の方に走ってゆくと、躊躇無く下水の本道の中に飛び込んだ。ゆっくりと流されてゆく荷車を追いかけようとするが、『騎士』の腰までの暈がある流れの中で身体の安定を保つことができないのか、何度か転んで姿が見えなくなる。やがて、荷車と『騎士』の姿は真っ暗闇のトンネルの向こうに消えて行った。
「油断したようやの、プリズマティカ」
しわがれた声の持ち主が、『騎士』の去った方とは反対側の側道から姿を現す。ひょろりと背が高く、短い灰色の頭髪を持った、やせこけた老人である。しかし、丸首のシャツの上に覗く首や鎖骨の辺りには、精錬された鋼鐵のような密度の高い筋肉が張り付いていることがわかる。
「ニック! ありがとう、助けてくれて」
プリズマティカは老人に駆け寄る。トルウは首を傾げていぶかしげな表情を見せるが、気にしない。
「『騎士』を相手にするにはナイフより鉄の棍棒や。電気銃やって使い道はある。捨てるのはちと早かったな」
「そんなあ、教えてくれなかったじゃない!」
「『騎士』は東方に行けばまだまだおる。サラセンでは、とっ捕まえて人の言うことをきかせるようにすることもあるそうや。……で、なんや、また新しい男をみつけたんか?」
そう言って老人は顎でトルウを示した。プリズマティカは、一瞬、違うっ、と叫びかけてそれをのみ込んだ。うふん、としなを作って、「そうよ、そこで拾ったの。ちょっと臭うけど、いい男でしょ」
「マティウス・トルウと申します」
ちらりとプリズマティカを見る目には、このじいさん、じつは、何もしてないんじゃない? という疑問が混じっているので、プリズマティカは答えてやる。「ニックは、あたしのお師匠さんみたいな人よ。この仕事を始めた最初の二ヶ月はつきっきりで戦いの方法を教えてもらったの。さっきのアドバイスもドンぴしゃだったわ」
トルウは、ふーん、と納得したようなしないような顔をしている。
「わしは、ニコロ・デルピエロ。もう、半世紀もここで下水の掃除人をやっとる。トルウ、お前さんは地図作成組合の?」
「はい」
「さよけ。さっきの奴は『騎士』と呼ばれとる化け物や。全部で何体いるのかわからへんが、ローマ時代の
「ここが
「おそらく、そやろな。今の事象学組合がどんなに気張ってもあんな精緻な自動人形はよう作れん。で、地理院がここに来たいうのは、この下水道の地図を作るのが狙いかね」
トルウはまたプリズマティカをちらりと見る。こいつは信頼できるのか、と訊いているように見えるが、客観的に言って、初対面のあたしを信頼した時点で、あんたの警戒心のなさはどうしようもないレベルだよ、と言いたくなる。というわけで、とりあえず頷いてやると、トルウはさらりと答えた。
「ええ、まあ、そんなところです」
「せいぜい、気張るんやな。空白地帯にはこんな連中や化け物どもは少ないが、あの迷路はそれ自体が化け物やで。地理院の技は聞くに及ぶが、ここでは星も見えんし磁石も狂う」
「はあ、まあ、そこはどうにか」
トルウの答えは、余裕しゃくしゃくという感じだ。よほど自信があるのだろう、とプリズマティカは思った。
「さて、お前さん達、ここが今日はわしの分担だってことは承知してたんやろな」
「あ」
プリズマティカは思わず口を押さえ、頭を下げた「それは、それは申し訳ありませんでした。こいつを、そのトルウを地上まで案内しようと思って」
「木戸銭は払ってもらえるんかの?」
好々爺然としていたニコロの顔に好色そうな表情が一瞬浮かぶ。トルウが息を呑んで表情を険しくするのがわかったが、もちろん無視して、ニコロに笑いかける。「もちろん、次の機会にね」
「楽しみじゃな」
もちろん、プリズマティカは分かっている。今度、街で会ったときにお茶の一杯もつきあえば良い。ニコロにとっては年寄りの思い出話を話せる格好の場かもしれないが、プリズマティカにとっては、彼の波乱に富んだ人生のエピソードを楽しみ、戦いで生き残るための術を学ぶ格好の場であったのだ。
トルウには、真実は話さないでおくとしよう。もっとも、今日限り、彼と会うことはもうないだろうが。
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