誰のせいでもない雨が

船は港を出る前に沈んだと

早すぎる伝令が火を止めにくる

私たちの船は 永く火の海を

沈みきれずに燃えている

-中島みゆき「誰のせいでもない雨が」


日和った元闘士の心情を感傷的な鑑賞用に手際良く捌いた傑作です。しかし、学園闘争の当事者より多分十年以上(下手したら二十年近く?)若い私ですら、本作発表当時はまだ「これ、センチメンタリズムで消費していいネタなんかい?」って戸惑いはハッキリありましたねぇ。でも、ノンポリの悲しさ、結局のどかに消費させて貰いましたが(笑)。当事者だった人等にしたら「ざけんなよ」って感じだったんじゃないのかなぁwww


今の私はもう全然戸惑わないですけどね。創作する人にしてみりゃ、現実なんて丸ごとネタに過ぎないんだろうと思ってるので。ネタなんか何でもいいんだ、捌き方至上主義、みたいな。


ところで、この記事を書くきっかけになったのは、ウェブの記事でこの歌を「難解」と表現してるものがあって、ふーん、と思ったことです。時代背景に馴染みがないといまいちピンと来ないんでしょうね。記事書いてた人も、ネタが学園闘争だってのは、理屈的には理解してたみたいですが、なんかあんまりピンと来てなかったみたいです、冒頭に引用した三番のでだしとか。私達からすると、「闘争の季節が過ぎ」なんてしたり顔で総括してるマスコミや世間をよそに(闘いはまだ終わっちゃいない、私達の心の中では)と思ってる団塊の胸の内を、メタファーと言うには余りにも直接的に綴った平叙文的な平歌部にしか思えないんですが、学園闘争が歴史の教科書の中の話な人が読むと、もっといろんな読み方ができて、あれこれ想像できちゃうのでその分難解になるのかもです。


それは悪いことじゃなく、むしろ面白いことだと思います。発表当時の背景から切り離して、別な背景や前景と組み合わせた時に何が見えてくるのかを楽しむってのは、表現作品享受の愉悦の重要な部分ですよね。


作者の意図も、時代背景も超えて、読者の恣意、別な時代、別な場所、別な社会の中で別な光や影を落とす。そのふれ幅の大きさが、作品としてのポテンシャルなのかも知れませんね。

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