夜明け前にはマジックが要った

随分むかしの話ですけど、サルマン・ラシュディの「真夜中の子供たち」を読んだ時、あ、「夜明け前」に欠けてたのはこれか、と思いました。叢からのアングルで天下国家をフレームに収めようなんて軽業に挑むなら、マジックやら何やら飛道具つかわなきゃ無理じゃん、と。


マジックリアリズムという時のリアリズムって何でしょう。普通に考えれば、リアルに描く/リアルを描くことあたりかなぁ、とおもいますが、案外、リアルの中にイズムを見出す無理芸の謂いだったりして、という気もします。リアルなリアルなんて、実は描くにも値しない、単なるカオスなんだけど、それだと人の頭や心では処理しづらいので、無理やりその中にイズムを幻視しようとしてる。そもそもの企図が無茶なので、素手では到底、立ち向かえなくて、そこを補う手段として、マジック登場、みたいな。


そんな風にマジックリアリズムを考えると、「百年の孤独」って、実は全然マジックリアリズムじゃないかもと思います。あの作品でのガルシア・マルケス、リアルなんか眼中に無い感じですよね?。ただの法螺話好きなオッサン、ってノリで。


でも、純文学が物語をとうに見切った一方で、ビジネス界がストーリーテリングという名の安いイズムに淫する今、オッサンの繰り出すオヤジギャグで精力絶倫な法螺話の方が健康的かもしれません。

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