ろくでなし子:性表現自由化要

ろくでなし子の件を見聞きして、私は「作り手と受け手と被写体の合意の下での性表現・性器表現の流通は合法化されるべきである」という結論に至りました。


最初にあの件を聞いた時、「なぜ逮捕されなきゃいけないんだ」と思いました。別に街中で画像の配布を受け手の意志に反して行ったわけじゃない。ネットからのプル操作という、受け手の意志的行為を伴わなければ届かない形での配信なんだし、第三者が法的強制力行使して介入とか、大きなお世話だろ、と。


当時通ってたグンジョーリリックスという歌詞投稿サイトの掲示板でそう言ったところ、ある人が、でも日本の法に照らして、それは当たり前だといいました。


その通りだな、と思いました。無修正のアダルトビデオ流通はどうも法的に取り締まられているみたいです。アダルトビデオとろくでなし子の作品を警察に区別しろったって、そりゃ無理でしょう。創作意図・表現意図に踏み込んでの区別なんて、恣意的判断になる危険が高いし、そもそも警察がそんな判断したら却って僭越の誹りを受けるでしょう。


となると、冒頭の法改定が要るかな、と。


ただ、未成年被写体については、本人の同意に関わらず禁止が無難でしょうね。合意が捏造される危険が高いと思います。「捏造の危険は、成年被写体にだって充分あるだろう」と言われたら、それはその通りなのですが、そこを恐れて、本当に合意してる被写体の主体的判断まで法的に介入しちゃうのはやりすぎだと思います。


ところで、ろくでなし子の関係者の一人である北原みのりは、ロリコンコンテンツについては、法規制も辞さない厳しい姿勢をとっています。三次元被写体を用いたコンテンツは当然として、二次元ロリコンコンテンツについても同様の態度をとっています。二次元の中にロリコンという性的ファンタジーが存在することそれ自体が、既にして人を傷つけている側面を持っている、というのです。これには唸ってしまいました。例えば、ロリコンという自身の性的嗜好を二次元世界で満たす自由を奪われる私の痛みと、幼少期に三次元での性的虐待経験を抱えた人が、二次元におけるロリコンというダークファンタジーの存在を見聞して受ける痛みと、どっちが優先されるべきなのか。他人にとっては論を待たない自明な議題かもしれませんが、1ロリコンである私にとってはなかなか難しい問題です。


ちなみに、前述のサイトでの議論では、女性器を表現のモチーフにすることのくだらなさに力点を置く論者が多かったですが、そこは明確に違うと思いましたね。


まず、チンコとマンコの発語禁忌性を比べた時に、後者のが未だに不当に高いと私は感じるし、そのことは女性を汚れとみる差別的発想と無関係じゃないと私は直観するし、仮にそういう時代状況があるのであれば、女性器をモチーフにすることは表現行為として立派に意義があると私は思います。


それと、もう一つ大事なのは、作品のくだらなさを議論するのは、下らない作品を発表する自由が完全に確立された後でしょう、現在の社会はまだそんな幸福な状況には全然なってませんよ、現にろくでなし子、逮捕されてんじゃないですか、ってことです。


「じゃあ聞くが、黒人やユダヤ人や韓国人をなぶりごろしにする小説があったとして、それを発表できる社会は、そんなに幸福なのか?」って言われると、そこはうーんと唸っちゃって、先の北原みのりの意見を考えるところに戻っちゃいますね、私は。私にはとても難しい問題です。何処までが許される変態なのか、は。

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