083:無色の夏

 ターゲットは全て人形だった。にんぎょう。ひとがた。

 壊れて暴走を始めた人形にそっと近づいて、ナイフの一振りで動力を断つのが僕の仕事だった。旦那様にとって、壊れた人形は邪魔者以外の何者でもなくて、旦那様が邪魔だと思う人形を始末するのが僕らの役割だった。

「良くやったな」

 旦那様の大きな手が僕の頭にぽんと乗ると、優しく撫でてくださった。仕事を上手にこなした時だけ、旦那様は誉めてくださる。

 今日も、仲間の視線が心地良い。

「トティの仕事はいつも確実だ。無駄がない。皆も励めよ」

「はい」

「……はい!」

 みんなと一緒に僕も上気した顔のままで返事をする。手の中の感触を忘れないようにゆっくり拳を握りしめて。

 また、明日も修練だ。次の仕事も誉められるように。


「トティ、また誉められたのね! すごいわ」

 部屋を出るなりペールの声が降ってきた。二歳年上のペールは、僕より背が高くて、高い声はいつも上から降ってきた。

「あたし、いつも上手く出来ないのよね。人形ったら、暴れるんだもの」

 横に並んで歩き出す。今日の仕事は終わりだった。部屋を出た仲間はみんなバラバラに、揃って同じ方向へ向かう。僕らも自然と同じ方へ足を向ける。……食堂へ。

「暴れる前にやるんだよ。後から近づいて、必ず急所を一突きにするんだ」

「うんうん」

「上手く行くとね、ナイフを抜くとぴゅっと体液が吹き出してくるんだ」

 僕は握った手を開いて、また閉じた。いつでも思い出せる馴染んだナイフのグリップ。僅かな手応えと、その後に続く堅い手応え。ナイフを抜いた後に、間隔を刻んで吹き出す体液。頽れていく人形の身体。

「そうなるともう、暴れてる暇なんかないよ」

 ペールを見上げる。感心したような目で、ペールが僕を見返してくる。

「やっぱり首が楽かしら。胴だと騒がれてしまうのよね」

「そうだね。喉を潰せば声は出ないし、確実だから」

「でも、気付かれないように近づくのも難しいわ」

「そこを狙うのが腕って、やつさ」

 にやりと笑って見せた。完敗と、ペールは肩をすくめて見せた。

「さすがね、真似できないわ」

 当然と、僕は笑って見返した。


 暑い日だった。

 その日も僕は仕事だった。バディはペール。ターゲットの人形は二体。割り振りは腕の差で決めた。俺が男。ペールが女。

 女の方が力が弱いし、見ていた限り注意散漫で近づくのは簡単そうだった。対して男は、いつも背後を伺っているようだった。

 僕らは港で別れ、僕は建物の屋根を伝って、音をたてずに男を追った。ペールは海岸の方へ走っていった。

 僕にとってはいつもと何も変わらない仕事だった。月の光の切れる一瞬に背後に降り立てば、もう終わりだ。

 少しだけ背伸びをして、ナイフを引き寄せるように突き立てる。ぐっとくぐもった音を残して、降ってくる身体をすいと避けた。

 引き抜けば、どくんどくんと吹き出す体液。さらりと吹き出し、とろりと溜まる黒っぽい体液。人形の心臓が動かなくなるのを見て、足音も残さずに立ち去った。

 一人の仕事なら、もうあとは帰るだけだった。ターゲットじゃない人形に見つからないように速やかに。

 けれど、今日は別れた港に舞い戻った。待ち合わせは別れた場所。月の光の下で、ペールを待つ。


 大きな月だった。概要のぽっと灯った光を覆い隠すような、明るい月だった。

 よく見れば、明るく暗くてんでに輝く星々は、今日は月の背後に隠れていた。

 別れた時に中天にあった月が、空の半ば程まで降りてきても、ペールは戻ってこなかった。

 さすがにおかしい。いくらペールでも、こんなに時間が掛かるわけはない。

 僕は倉庫の屋根で身を起こした。波止場に弾ける波を見て、波に僅かに揺れるボートを見て、そして決めた。

 すれ違いになってしまうかも知れない。けれどやっぱり、心配だった。

 ペールの去った方向を思い出し、音もなく地面に降りる。辺りを伺いながら、駆け抜ける。

 幸いにも探すまでもなくペールの姿を見つける事ができた。港からしばらく海沿いに走った先、砂浜の上に見知った影があった。月明かりに濃い影が、鮮やかに砂の上に落ちていた。

「ペール」

「……」

 ペールの側には、ちょっと太い人形が事切れてだらしなく伸びていた。

 首に筋があって、胴にも傷があった。首で上手く行かなくて、容易な腹でとどめを刺したのだろう。手順はイマイチだったけれど、目的は達している。十分だ。

「ペール、終わったんだろう? 帰ろう」

「……人形が……」

「え?」

 ペールの目は人形の腹に向いていた。しとめるのに時間は掛からなかったのだろう。赤い体液は既に渇き始めていて、色の変わった砂の上に、拭かれないままのナイフが転がっていた。

「首、上手く切れなくて、すぐに胴を刺したの。黙るまで随分かかっちゃったわ」

「そう。でも、結果が良ければ大丈夫だよ」

 ペールの目は、人形の腹に注がれたままだった。

「人形のクセにって思って、言ったの。トティはもう、終わっているだろうし、私も早く帰りたかったから、思わずでちゃったの」

「うん。でも、所詮最後に人形が聞くだけだろ?」

「……人形はどっちだって、言ったの」

「……」

 人形の砂に埋まりかけた顔へ視線が動いた。月の作る影は長くなり、人形の顔を覆い始めた。

 そして、ほのかに地平線が明るくなってくる……。

「お前の方が、人を人形のように殺すおまえの方が、感情も何も全部無くした、人形じゃないか。どうせアイツに命じられたんだろう、疑うことを知らないお人形が、何を偉そうに」

 訥々とペールは呟く。人形の喋る言葉を映したかのように。

「……ペール。人形の言う事なんか」

「……」

 ぶつぶつと呟く。僕には届かない声で、おそらく人形の言葉の続きを。

 ペールに僕の声は届かない。

「ペール、疲れて居るんだよ。変なこと言われて、ショックだったんだろう? ねぇ、ペール」

 どんどん空は明るくなってくる。影に沈んだ人形の顔が唐突に光の中に浮かび上がる。……夜明けだ。

「ペール、帰ろう!?」

 強引に引いた肩に、ペールはようやく顔を上げた。定まらない焦点が、空を仰ぐ。

「あたしたちは生きてる。自分の足で立って、手でいろいろなものを作り上げて、頭で考えて。笑って、怒って、泣いて生きてる。人形はあんた達のほうだ。人の死にも泣かずにショックも受けずにただ、殺し続ける殺人マシーン。あんた達に涙はないのか? あたしは哀しい。あの人ともう二度と会えない事が哀しい。ココで身動きもままならないあたしが哀しい。死にたくない。まだ、やりのこした事があるのに」

「ペール」

 ぱん。

 頬を張った。もう限界だった。

 日が出れば、僕らの闇に似せた姿を隠しておく事ができない。ターゲットでない人形が起きだしてくる。

 張られたペールは勢いのままに顔を背け、その方が小刻みにふるえ始める。

「……私たち、人を殺していたの!? 人形ではないの!?」

「……人形だよ。人の姿をした、人形だよ。壊れた人形。そう、旦那様は言っているじゃないか」

 どす黒い液体がてらてらと新しい光を反射していた。白さを増した空には、影を持たない雲が浮かび、今日も良い天気だと、暑くなるのだと告げていた。

「でもっ。血は紅いの! 私たちと同じ。泣いていたの。同じ風に」

「気のせいだよ。人形はまねるだけだ……さ、帰ろう」

「でもっ!」

 食い下がるペールに、いらっとした。もう、僕に残された時間も無かった。この時間ならまだどうにか帰り着く事はできるだろうけれど……。

 そして同時に、頭の隅で冷静な声を聞いていた。

 ――ペールも壊れたんだ。

「ペール。かえろう?」

「トティっ!」

 目の前で透明な液体が流れされた。無駄な水分の消費だ。人形の身体の約八〇%は水分だという。けれど、その八〇%は必要なモノだろうに。

 壊れた人形は、処分しなくては。

「……トティ、一緒に、逃げよう?」

 慣れたグリップを意識する頃には、ペールだった人形は砂の上に倒れていた。

 声も漏らさず、無駄な音を立てることなく。

 ナイフを引き抜けば、黒々と光る体液が、リズミカルに吹き出してきた。


 ターゲットは全て人形。にんぎょう、ひとがた。

 人の血は紅いと言う。ならば、黒い液体を吹き出すモノはみんな人形。

 ターゲットも、ペールも、きっと、僕も。

 白い太陽が灰色の空を昇っていく。


 気が付いた時には、僕の周りに色はなかった。

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