082:氷の花火

 逃げて逃げて逃げた先に待っていた場所は、争いごともなく住めるという点ではまさに安住の地だった。

 夏でも平均気温が零度に届かず、草の一つも生えることのない永久凍土。常に飢えた肉食獣が徘徊する、地平まで続く雪原。昼間には幻のように幾つもの太陽が現れ、夜には空一面が緑や青や赤や黄色に染め抜かれる極寒の極北地方。

 ──争う人などいない地の果てだった。


 ラウラは仕留めたセイウチを橇に繋ぎ、犬たちを叱咤する。忠実な犬たちは、三桁を超える重量にもめげず、懸命に走る。目印の無い平原を太陽の位置をたよりに小一時間も走れば、視界の隅に人工物らしきものが目に入る。

 思わず、ため息が漏れた。

 今日も、無事、帰ってくることが出来た。

 犬たちを人工物へ向かわせる。近づくにつれ、巨大なテントの形状が見て取れる。ラウラは橇をテントの脇に停め、テントを無造作にまくり上げた。

「ただいま戻りました」

「姫様」

 炎が揺れ、ラウラは急いでテントに入る。奥から聞こえたねぎらう声に、外出用の重装備を解いていく。

「取れた」

 ひょっこり奥から少年が顔を出した。訛りの強い言葉と浅黒い肌は、争いを好まない先住の民であることを示している。

「あぁ、コレでしばらくは狩りに出なくても済むだろう」

 ラウラがすっかり装備を解き終わる頃、反対に少年は入り口から滑り出るように出て行った。セイウチの始末を付けてくれるのだろう。かちんこちんに凍り付いても、放置しておけば狼の餌食になる……暮らし初めてまず真っ先に思い知ったコトだ。

「お帰りなさいませ。ささ、どうぞおくつろぎを」

 訛りの少ない公用語だった。

 暮らし初めて一年も経つというのに、ラウラとは異なり白いままの肌に、細いままの頬。……そして、どことなく、陰鬱な表情。

 父王付の側近の様子は、今日も良い報告が無いことを物語っていた。

「……まずは、ご挨拶を」

 ラウラは軽く頷くだけに留めた。


 国を追われた父王は、革命軍から逃げて逃げてようやくこの地に辿り着き、程なく体調を崩した。

 真夏でも全てが凍り付く地。厳しすぎると近衛隊に難色を示された程の強行軍。国とは異なる食事に文化。

 残してきた者達からの報告は日を追うごとに厳しい内容となり、やがて途切れがちになった。王族の行方を血眼になって探していると、噂ばかりが入ってくる。

 身体に心に負担しかない暮らしは、老い先をさらに短くしたようだった。


 ──私が健勝であることが唯一の救いと言えるだろうか。それとも。

 ラウラは側近の報告を聞き流しつつ、ぼんやりと思う。

 楽より剣を好んだ。茶や遊戯より近衛に混じって飛び跳ねることを優先した。社交界のダンスより、狐狩りを楽しんだ。王国に汲みしない先住民に受け入れられた理由の一つはラウラの狩りのうまさだったことは否めない。

 狩りをして、食糧を提供する。

 その代わりに、父王とこんなところまで着いてきた側近、そして、ラウラ自身の身の保障を買ったのだ。

 父王は倒れ反論する力をなくす直前まで反対した。王家の者がすることではない、として。いつか国に帰った際に、女王たらんとすべきだと。

 側近は皆、押し黙った。……選択肢がないことを彼ら自身は、知っていた。

「……ですから、王がこの地におわすことが知られるのも時間の問題かと」

「あぁ」

 耳を澄ますまでもなく、氷嵐の巻き起こす音ばかりが聞こえてくる。

 氷嵐は始まれば数日続くこともある。今日の獲物では数日保つかどうか。その前に嵐が明けてくれれば良いのだが。

「この一年で、飛行機械の油も相当に強化されたとの情報もあります。北方に逃げ込んだコトをかぎつけ、氷嵐の中でも耐えられるようなものを作り出しているとか」

 側近の声にいらだちが混じる。

「近衛軍は反革命派をまとめ上げつつあります。いいですか、期を見て我らは国に帰るのです。革命軍は国をまとめ上げることは出来ず、市民の中にはそれを不満に思う者も……」

 ふと、ラウラは側近を見る。側近の手の中には、狩りに出ている最中に受け取ったという報告書が握られている。報告書には王家の印。それは王家に汲みする人間が、王家と自分たちの身の上を愁えて寄越したものだ。

 ため息がひとつ。

「……もういい。疲れた。今日はもう寝る」

 ラウラは立ち上がる。

 残された側近はやかましく騒ぎ立てるが、ラウラの為に区切られた寝所へまでは追ってこなかった。

 ため息をもう一つ。漏れ入る明かりが全ての部屋で、暖かさと簡易さを追求した硬く粗雑なベッドへ腰を下ろす。

 そこでようやく、尻の下でかさりと音を立てたものに気付いた。


 今ここで殺すか、ないものとして放っておくか、どちらかにして欲しい。

 かつてラウラはそう叫んだ。

 どちらも出来ない。男は苦渋に満ちた顔でそう返した。

 殺すことなんて出来ない。見逃したら……君は世界の裏側まで逃げてしまうだろう。

 その通りだったと笑うべきだろうか。


 二日が経過し、空は見事に晴れ上がった。今日を逃しては食糧が底をつく。

 側近が騒ぎ立てるのを尻目に、先住民の少年に手伝わせ、身支度する。

 異変は犬たちを橇に繋いでいる最中に起きた。


 嵐とは異なる規則的な異音。見上げた空、音が進んだ先に巨大な鳥──飛行機械。

 ──何故、放っておいてくれないのか。

 王宮を逃れ、城壁を出たところで、それに会った。一瞬のうちに間を詰め、ばらばらと爆弾を落としていった。

 畑が燃えた。実りを迎えた麦が燃えた。逃げ惑う虫が燃え朽ちた。

 ラウラ達一行は、命中率の低さに救われただけだった。遠く旋回し、戻ってくるまでのわずかな間。後続機に最期を悟った。

 ……後続機が先発機を邪魔するような進路を取っていると、気付くまで。

 二機の進路が縺れ、手間取っている間に森へ逃げ込むことで、九死に一生を得た。

 その時の飛行機械に見えた。見る間に迫ってくる。

 氷原に隠れる場所があるはずもない。まして、移動式とはいえ、テントはそう簡単に動かせるものではない。

 飛行機械を初めて見るのだろう、あんぐりと口を開けた少年の腕をひっつかみ、ラウラは気休め程度の陰に身を寄せる。犬たちが騒ぐ。綱が引かれ、ちぎれ、ばらばらと逃げていく。

 見間違えることのない目標を確かめるように、ゆっくりと飛行機械は旋回する。

 ──逃げるか、さもなくば……待っていて。

 唐突に言葉が浮かんだ。二日前、しわくしゃになって、ラウラの手元に届いた手紙。王宮の印のない、走り書きの差出人の名前すらない手紙だった。

 少年が遣いぱしりで訪れた街で、渡されたものだった。

 日付は三ヶ月も前で。筆跡は焦って乱れた……けれど、見慣れたものだった。

 ──逃げられるわけないじゃない。

 ラウラは思う。

 ──でももう……待てそうにない。

 そこで、異変に気付いた。

 音が、二つあった。


 ラウラは反射的に立ち上がった。先発機とは反対方向、遠く南の空の中に。

 確かに黒い影があった。

 見る間に影は近づいてくる。近づいてきて鳥に似た形をとる。

 すっかり子細が見える頃、ラウラの真上で先発機とすれ違った。

 二台の飛行機械は即座に反転し、再びすれ違う。軌跡が絡まる。絡まるたび、細やかな閃光が幾つも見える。……度重なる同型機の交差に、どちらがどちらなのか、すぐに判らなくなった。

 幾度目かの交差の末、ふいにぽんと、異音が響いた。片方から煙が上がり、見る間に失速する。もう片方が止めをささんと追いかける。完全に真後ろを取った、その瞬間。

 ラウラには何が起きたのか、ついに判らなかった。


 追いかけていた機体が雪玉にくるまれたように白くなった。

 煙を噴いていた機体が、雪原に下りていく。

 雪玉のような機体はふらふらと姿勢を崩し。

 爆発した。


 一瞬の輝きと、爆散する白い破片。

 放射状に広がりながら、陽光をキラキラと反射する。

 爆音が届いてもなお、余韻のように耀き続け。

 まるでそれは……花火のように。


 少年に袖を引かれて気が付いた。

 興奮状態の少年は、現地の言葉で爆発の方を示す。

 いや、違う。

「助けに行こうって言うのね?」

 先住の民は助け合う民。

 敵などいない。助け合わなくては生きていけない、こんな地だから。

 ラウラは犬を集める。ちぎれた紐を少年に手伝われながら換え、戻ってきた犬を褒めながら繋ぎ留める。

「行こうか」

 生き残ったのが敵ならば、もう敵対する気はないのだと告げに。

 後続機の方ならば……待っているのではなく、迎えに。


 争いのない氷原を、駆ける。

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