042:墓場に棲む者
古寺の坊主が死んだ。敵方のお侍を匿ったって聞いた。
殿様は慈悲のない人で、寺だろうとなんだろうと、見逃しはしなかった。
変事が起きはじめたのは、そのころからだった。
お供え物が、消え始めた。
夜な夜な怪しい影が現れ始めた。寺の裏の墓場の奥、お侍の首を洗った井戸の辺りから。
祟りだとみんな恐れた。物の怪だと、噂が広がった。
供養塔を立てても変事は収まらず、けれど、変異はそれだけだった。
いつしか変異は”おさむらいさま”の仕業とされて、誰も確かめることなく十の年を重ねた。
*
騒ぎは、酔っぱらった与松が女の物の怪を見た事から始まった。
夜も更けきり、まん丸の月が天上にかかる頃合いに、寺の方へと歩み去る女の物の怪を見たという。
*
廃寺の社屋はもう誰も近寄らない。十年も主なしでは寂れる一方だったし、殿様が変わるまで廃寺には近寄るなと言われていた。坊主と殺されたお侍の供養は、隣村の坊主がやってくれたから、村はずれの寺になんて、行く必要もなかった。
俺だってもう随分長い間来ていなかった。
だから本当に久々に見た寺は、記憶よりもずっと小さくずっと崩れそうで、屋根になびく青いススキがたった一本、寂しそうにそよいでいた。
「やっぱりやめようよ。絶対良くないことが起きるってばー」
かさりぺたりと釣り合わない音を響かせて、佐吉が石段を上がってくる。
鍬を二本担いでもびくともしない力自慢の村の横綱だというのに、出てくる言葉は情けないものばかりだ。今だって、切れた鼻緒にこだわって、なのに、まだ俺の後ろをついてくる。
「一人で行くって言ってるだろーが。嫌なら帰れ」
「一人でなんて言うなよぅ」
つまり一人じゃ帰れないと。
「じゃぁ、ついてくればいいだろう」
まだ何か言いたげな佐吉をそのままに、俺は敗れた戸のスキマから廃屋をのぞき込んだ。頼りない月の光はさっぱり届かず、松明を入れてしまうと覗くスキマが開かない。どうにか戸をどかせないものだろうか。
「あれ?」
がたんと音をたてはしたものの戸は苦もなく開いてしまった。
まぁいいか。考える手間が省けたってモンだ。土足のまま失礼するとしようか。
上がり込んだそこは、記憶に違わず本堂だった。掲げた松明の明かりに懐かしい如来様が揺れていた。
そういえば。俺はこの如来様が好きだった。廃寺になる少し前に、両親ともに戦でなくした俺は、如来像の暖かい顔に、慰められたりしたものだった。
あの時、俺の側にいた坊主ももうこの世にはいなかったが。菓子を盗んで叱られたのも、裏へ回り込んで、かくれんぼしたのも、そういえば、ここだった。
かくれんぼ。そう。お侍が駆け込んできたあの日も、如来様の影に俺と……。
「耕助ぇ~入るのか~!?」
如来様の影に何かを見た気がして、俺は目をこらした。けれど、それは幻影だったようだった。今はただ、手入れされることもなく、そこには埃が……なかった。
「耕助ぇ。土足なんて罰あたるぞー!」
俺は慌てて如来様の脇へ回り込んだ。子供頃はすいすい抜けられた場所も、さすがに今はキツイ。それでもたどり着いた先は、思った通り埃もなく、それどころか綺麗に磨き込まれてさえいた。
まるで今でもなお誰かが棲んでいるかのようだった。
「佐吉」
「なんだよぅ」
「お前、そこにいろ。俺、一回りしてくる」
「えー!」
文句なんか聞かなかった。本堂正面へ戻り、今度は右手の襖を引いた。襖は破れた外観とは裏腹に、音もなくするりと開いた。……きちんとロウが塗られている。
『またロウ塗り?』
かつて誰かに、聞いた気がする。
『こうすると、音がしなくなるって、知ってた!?』
そう答えた声は、誰のものだったか……。
台所も、坊主の部屋も、外から見た寂れ具合からはほど遠く、どこも綺麗に手入れされていた。
誰かが住み着いていることは、もう疑いようもなかった。それも、ただ軒を借りているだけじゃない。ちゃんと住んで暮らしている。そういう趣があった。
奇妙な話だ。使われていそうな布団の一枚も着物の一枚も見つからないのに、埃のついていない蝋燭の燃えかすだったり、ほんのり他より暖かい灰だったり、そんな端々に生活の臭いがした。
けれど、誰が?
台所の戸棚の中、坊主の部屋の押入れ、離れの厠、納戸の戸の陰まで見渡して、けれど猫の子一匹見つけることが出来なかった。どこに隠れたのだろう。それとも、出歩いているのか? 物の怪なんだろうか。それとも、世捨て人が住み着いたのか?
それすらもわからなかった。
「耕助ぇ。遅いじゃないかぁ」
相変わらずきょときょとと落ち尽きなく、佐吉はあちらこちらを眺め回していた。
でかい図体を小突いてどかし、俺は本堂の縁側から降りる。
「座敷わらしに連れて行かれたかと思ったよぅ」
「なんだそりゃ」
物の怪ならわかるが、よりによってわらしとは。
来年には二十にもなるってのに、それはないだろう。
「だって、耕助、昔わらしに連れてかれそうになったろ? 大人になったってもしかしたらーとか、思うじゃんか」
「はぁ?」
初耳だった。俺がわらしに?
きょとんと見返した俺を、嘘などつけなさそうな小さな目が見つめていた。
「父ちゃんや母ちゃんが言ってたぜ? 耕助の父ちゃん母ちゃんが死んだのも、耕助が坊主しかしない寺に入り浸るのも、わらしに見込まれちまったからだって。お侍さんの件がなければ、きっとわらしに連れて行かれたに違いねぇって」
「ちげーよ。俺が寺に入り浸ったのは、女の子がいたからで……」
「女の子?」
あれ? そうだ。そんな子がいた。
お侍事件の一年くらい前だったか。村が戦渦に巻き込まれる少し前、兵役にかり出されていた父ちゃんが突然戻ってきた。こっそりと綺麗な着物を着た女の子を一人連れて。
女の子は坊主に預けられた。村の誰にも秘密のまま。俺は、そう、坊主と二人で寂しそうな女の子を見かねて、畑仕事をさぼっては寺に通ったんだった。父ちゃん母ちゃんが、戦に巻き込まれて死んだ後も。
けど、坊主が死んだ日を堺に、俺は寺へ上がることもなくなった。
……あの子は、どうしたんだろう?
追っ手に、見つかったのだろうか。
「耕ちゃん、お前、やっぱり、わらしに……!」
はと、俺は顔を上げた。そうだ。思い出した。かくれんぼだ。
絶対見つからない隠れ場所。あの子はそういっていたはずだ。
「佐吉、お前は帰れ!」
俺はくるりと佐吉に背を向けると、今度はわらじを脱ぎ捨てて本堂へ上がり込んだ。
「え、あ、耕ちゃん!?」
「俺は、座敷わらしに会いに行く!」
「耕ちゃんっ!」
たいまつの火の粉が散るのも構わず、駆けた。
台所の土間へと降りる縁台の下。かがんでもなかなか見えず、腹這いにならなければ通れないそこに、小さな戸がついていた。戸を開けると、身をかがめてやっと通れるくらいの小さな穴が続いている。中は暗い。
入れるだろうか。少し悩んで、結局松明を消した。松明を持って入れる大きさではなかったし、そのままおいておく気にもなれなかった。
雨戸の落ちた窓から差し込む薄い月明かりを頼りに、俺は穴へとはいずっていく。
入って身体がすべて穴に入ったくらいのところで、急に穴は深くなった。腕を伸ばせばようやくつくぐらいの所に地面はあり、その先に僅かな明かりが見えた。
引きずるようにして広い場所へと身を出すと、俺はごくりとつばをのんだ。
手をかければ音もなく、戸が開く。
……怯えきった目だった。勝ち気で芯の強さを感じさせるじゃじゃ馬のはずだった。
女の子ではなかった。十の月日を経てすその短い着物からはみ出る腕やふくらはぎは、ふくよかで柔らかそうに見え、押さえきれない豊満な胸の前で白い指先を合わせていた。
切りそろえられていたはずのおかっぱは、ぼさぼさと荒れて、流れていた。
それでも、彼女の面影があった。
「小夜?」
問いかけるように紡いだ言葉に、女は目を見開いた。顔を洗い、紅をさせば、村の誰より綺麗になるだろう顔に、大粒の涙が流れた。
「耕ちゃん……!」
*
明け方になり、俺たちは隠し部屋を出た。
もう時代は変わった。十年も生き延びた小夜を日の下に連れ出したかった。
顔を洗い、髪をくしけずり、いい着物を着せてやりたかった。
あのころの、ちょっとお高くとまった世間知らずな小娘に、もう一度会いたかった。
そう思ったのは、間違いだったのだろうか。
*
欲しくもない金貨の山が、誰が待つわけでもない小汚い俺一人だけの住処に置かれていた。
埃をかぶって、盗人に一枚、二枚と持ち去られるまで、金貨はそのままだった。
物の怪はいなくなった。
けれどそれが良かったのかどうか、俺にはわからない。
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