041:剣の時間

 ――剣は力だ。

 中断に構えた剣を立て、刃越しに相手を見据える。乱戦の中、奇跡のように空いた隙間を駆け抜ける。

「やぁっ!」

 力任せに押し込んだ。相手の剣は細い。俺の剣を止めるどころか、受けることもできずに砕け散る。

 悲鳴が俺の耳元を通り過ぎた。

「やぁ……!」

 背後から聞こえた声に、頭をかち割ったばかりの剣を無造作に突き出した。鈍い手応え。やがてなま暖かくぬめりを帯びた液体が手元をぬらした。

 遠くドラの音が響く。

 夕日が生み出すつかの間の色は、戦いの最中の俺の所行そのものだった。


「ばっかじゃないの」

 小娘……としか見えない女が、座り込み俺を見上げてくる。スカートでも掃いてれば犯してやったモノを、色気も素っ気もない軍服なんぞを着ている。もっとも、太股で着られた裾から生えるのは、やっぱり青っちろいガキにしか見えない、肉付きの悪い脚だけだったが。

「誰がバカ……いだだっっ」

「痛いのは生きてるからよ。男でしょ」

 座らされた俺の腕を包帯で縛りあげたのは顔見知りの看護婦だ。こっちは色気満々、妙齢の綺麗どころだが、その手腕は並の男ではかなわない。どんな戦場を生き抜いた男でも彼女をモノにすることはできないと噂されている……ある意味百戦錬磨といえよう。

「バカでしょ。わかってんの。腕が折れてんのよ? 何でこれで動けるわけ。……何人殺したわけ」

「んなもん、数えてられるか」

 戦場は生きるか死ぬか。腕が折れているからといって立ち止まることはできない。剣を持つその腕が動けばいい。敵をなぎ倒して進むだけだ。

「怖くないの」

「ハン……ッ」

 怖かったらこんなところには居ない。怖いなんて感情を持っていたら、こんな前線では一日とて生きられない。

「怖くなくても痛いのよね。メイちゃんが心配しなくても、当分は後衛よ」

「……!」

 涼しい顔して縛り上げた腕を叩きやがった。

 前線で敵兵を震え上がらせてきた俺の眼光を、看護婦は平気な顔して受け止めた。


「どうして君は前線を志願したの」

「……なんでてめぇに話さなきゃならん」

 勝手に宿舎に付いてきた小娘は、勝手に椅子を引っ張り出してきて座り込んだ。追い出そうかとも考えたが、どうせ鍵は壊れている。そしてもう、億劫だった。

 勝手にしろとベッドにどうにか転がり込む。怠い……熱が出始めていた。

「敵を切った時には何を思うの? 相手も同じ人間なのよ。良心の呵責とかはないの?」

 聞き慣れない甲高い声が耳障りだった。きゃんきゃんと騒ぐ子犬のようで。

「この戦いに意味はあると思う? 戦う意味をあなたは見いだしてるの?」

 正直鬱陶しかった。だから、クチを閉じさせる意味も込めて言ってやった。

「……俺は望んでここにいる。おまえに話すことなんか、ない」

 毛布をかぶってさて、ふるえを感じた。意識が闇の底をのぞいている……。

「……話したくなきゃ無理にとは言わないけど。……あたしは、戦場のすべてを知りたいの」

「……わかる、わけがない……」

 そう、返せたかどうか。

 俺の意識はそこで急速に遠のいた。

 ……そう、わかるわけがないのだ。善良な市民を装う、記者なんかに。


 俺の故郷は国境近くの山間に位置した。一言で言えば、ど田舎だ。国や近隣の情報といえば王立広報局の支社の支社があるだけで、新聞なんてモノは見たことも聞いたこともなかった。

 だから、誰も知らなかった。

 近頃、狩りのための罠がはずされていることが多くなった意味を。見知らぬ外国人を沢でよく見かけるようになった意味を。

 開戦の報を聞くより先に、滅した村の存在意義を――。

 隣村までたまたま行商に出ていた俺は何を逃れ、その足で兵役を志願した。……それ以外、何ができたというのだ?


「知らないということは、愚かしいことだと思わない?」

 小娘は何も知らない目で俺を見る。何を考えているんだか、前線に出られない俺に一日中ひっついている。

 戦闘開始のドラにひるんだ瞳をし、こんなところまで届く鬨の声におびえ、それでも去ろうとしない。

 ……片手を使えない俺を手伝ってくれるのはありがたかったが。

 小娘は首都の人間なのだろう。言葉になまりがない。手足もきれいで土仕事の気配はない。透き通るような薄い金の髪や前線には似つかわしくない柔らかそうな肌は、屋外労働を知らない者のそれだ。

 拙い食事をそれでも義務のように流し込んでいた右手を、おいた。……食器が鳴った。

 びくりと俺を見上げてくる。

 真っ正面から、見返した。

「それは、知らないヤツは愚かだったから死んでも仕方ないと、でも」

「知ろうとしないなら、愚かだわ」

 逃げずに見返してきたことだけはほめてやる。隠しから取り出したナイフをぴたりと小娘の頬にあてた。

「……知らないお前が言うな」

 ……切り刻まなかったのは、最後の理性の賜物だった。


 怪我の療養。そんな題目が付いたとしてやることなどない。

 実際、当分の間剣をもてない俺の仕事は補給車待ちで、いったん後衛に戻されるのは確実だった。

 日が落ちる頃ドラが響く。ドラを合図に今日の戦いは終了となる。敵も味方も明かり無しでは戦えない、戦わない。

 どやどやと足音が響くのを寝床でただ聞きながら、ごろりと苦労して寝返りを打った。

「悪かったわ。あんた、あの村の出身だったのね」

 いつの間にか小娘がいた。……足音に紛れて、気配に気づかなかったようだった。

「謝られることじゃないな。それは事実で、あんたはうかつで愚かだっただけだ」

 小娘はこくりと、頷いた。

「あたしは、そんな状況を無くしたいの。知らないから死んでしまったとか、知らないから罪はないとか。そんな……そんな言い訳をさせたくないの」

 そうか、と、俺は再び寝返りをうつ。小娘の信念など知らない。興味もない。

 すがるような小娘を見たくなかった。

「この戦いは、この国の王様と隣の国の王様の兄弟喧嘩から始まったの。それを広報局は領土侵略だなんて大義名分を掲げて国民を煽っている。……なんで、王様たちの喧嘩で死ななきゃならないの。みんなそれを知って判断すべきだわ。国民一人一人が。ねぇ……」

 小娘が言葉を切った。俺は反射的に身を起こした。

「……ドラ?」

 立てかけてあった剣をひっつかむ。小娘をベッドへ押しやった。

「夜襲だ。いいか。この部屋を一歩も出るな」

「……や、しゅう?」

「お前の理想論など、俺は知らない。この戦いの原因が何かなんて、俺は知らない」

 鎧をひっつかむ。どうにか腕を通し、脇を締める。

「でも……!」

「俺の村は焼かれた。今、目の前に敵がいる。いいか――」

 窓から差し込む月光に浮かび上がる、小娘を見据えた。

 おびえたような視線が、返ってきた。

「……今は、剣の時間だ」


 俺はドアを蹴り開け、バンガローを出る。

 月明かりが照らし出す、目の前の脅威へ向けて。


 ――信念が本物なら、生き延びることだ。


 口の中だけで、つぶやいた。

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