040x:悪魔のルール

 彼は確かに勝った。あの一瞬を私は覚えている。

 すべてを手に入れた。それが勝者の権利だから。

 そして、消えた。


 *


 ――今はいつ。何ターン目。

 問いかけは宙に消えた。いや、そもそも音にもならなかった、誰にも届かなかった。……多分、それが正解だ。

 すぐ隣でキーを叩く雅巳の様子は先刻までと何も違うところもない。聞こえていたらきっと何か反応してくれるだろうから。

 パラと視界に埃が入り、雅巳を思いきり突き飛ばした。ぶほと漏れる声が聞こえそうな様子で雅巳がデスクに突っ込み、正対する力で私は後ろへ飛んだ。

 落ちてくる影。零れる陽光。

 てろりと光を跳ね返す粘液質に覆われた皮膚。平たく突き出たあご。骨張って突き出た関節。

 ……三日月のように細い虹彩。

 ――非常識なっ。

 反射的に打ち込む弾丸は陽性弾。陰性の魔物の胸に突き刺さると、押しつぶされるかのように魔物の姿が歪んだ。

 空間がねじ曲がる。ビリと一度空気が震えたのは、音として認識出来ないヤツの断末魔だったのか。

「……昼間出てくるなんてな」

「腕の良い召還士(サモナー)が残っているのね」

 咳き込みながら雅巳が振り返った頃には、負の圧力で爆縮された魔物だったものがころんと床に落ちる所だった。


 それをどう言うのかと問われれば、ゲームだと答える以外に方法を知らない。ただしテレビゲームのように何度もやり直せる遊戯ではない。一生に一度、自分の生をかけて戦い抜く試合のようなものだ。

 ゲームであるから勝負があり、勝者がいる。敗者は命を落とすこともあれば、生き延びることもある。

 流行(ながれ)は敗者に絶命を求めない勝者だった。

 真希と相棒の雅巳は流行との一騎打ちで負け、ゲーム参加資格を失った。流行はそのまま一度も負けることなく頂点を極め、そして、消えた。

 真希が覚えているのは満足そうな、けれどまだ物足りない、そんな流行の表情であり、審判へと優勝者の権利である『望み』を告げた、その口元だけだった。

 ……前回のターンでの話である。


「だから、ばれてるって事だろ」

 神経質そうに眼鏡を指で押しあげる。真希は雅巳を天才だと思っている。能力も、その態度もだ。

 貧乏揺すり。カンに触るが、雅巳と友好な関係で付き合うためには大切なことが一つだけあると真希は身体の芯から染みていた。

 ……スタイルに口を挿まないこと。

「そうとも限らない。手当たり次第に放ったって事もあり得るし、私単体を指定したって可能性もない訳じゃない」

「手当たり次第はないよ。そんなの単なるコストの無駄じゃないか」

 うん。私は頷く。

 ゲーム開始当初ならまだしも、プレイヤーもだいぶ減った。こんな時に適当な『アジト』へわざわざ召還しなければならない魔物を放り込むなんて正気じゃない。

「真希をって言うけど、そんなヘマしたわけ」

「覚えはないけど」

 ココがばれたと考えるよりは、その方が可能性が高い。

 個人指定は、個人認証か、もしくはフィジカルフラグメント……つまり、私の髪の毛やら爪の先やらを入手している必要がある。……それなら、ないとも言い切れない。

 ……引きこもりの典型のような雅巳がターゲットと言う可能性は、フィジカルサイドではゼロに等しいので考えない。

「私のフィジカルなら、何度もやられることはないわ。だからあんたは集中して」

 椅子を蹴っ飛ばしてやる。椅子のキャスターが魔物と一緒に降り注いだ破片を踏んで、ガチリと音をたてた。

 ブツブツとまだ口の中で何かを呟きながら、雅巳は端末へ向き直る。

 真希が雅巳の扱いを心得ているのと同様に、雅巳も真希の逆鱗を知っている。……良い関係だと真希は思う。

 出会ったのがこんな場所ではなく、日常(リアル)であったなら。


 だから。

 終わりにしよう。


 そうか。

 もう一つ可能性があった。

 天井の大穴から差し込む目が眩むほどの光を凝視し、真希は愛用する銃を構える。陰性弾を込めようとして、陽性弾を選んだ。

 陰ると同時に発砲する。当たると同時に爆散した。

 キーを打つリズムが、一瞬だけ、崩れた。

 次は陰、その次は陽、次は振り返ってフィジカル、今度はプラズマ。

 連射してステップで避けた。ひねると同時に宙を舞う。

 連撃の隙間で、実包を向けた。部屋の奥へ……雅巳へ。

 背中を向けながらも、雅巳はそろりと手を上げた。キーボードから手を放し、後頭部で指を組む。

 ……こんな時まで、こちらの呼吸を知っている。

「……残りのプレイヤー数は?」

「二人、かな」

「なかなか腕の良い召還士(サモナー)だわね」

「一杯喰わされた?」

「……三杯くらい、かな」

 そして引き金を引いた。


 クリアしたゲームというのは、まるで終わりの世界のようだと真希は思う。

 プレイヤーはもはや真希一人。日常(リアル)とは異なる世界の広野は草が生え替わることもなく、錯視の産物だろう肌で感じるのではない風が吹き抜けていくだけだ。

 瞬間移動のコマンドを拒否し、自分の足で地面を歩く。何度となく行き来した道を、ただただ進んでいく。

 それでも体感で三時間も歩けばその場所に着く。

 ゴルゴダを思わせる丘。頂上に立つ十字がそこが特別であると物語る。

 神と子が交わりし場所。ならば、袂を分かつのもやはりその場所であるべきだろうか。

「審判。私が今回の勝者だ」

 叫ぶ必要などないだろう。審判は遍くゲームを見ているのだから。

 それでも、叫んだ。知らぬなど、決して言わせないために。

「私の望みは……!」


 すべてを、捨てること。


 *


 手に入らないものすべてを願った。

 貪欲だった。

 無知だった。

 妬んだ。

 さげずんだ。

 うらやんだ。

 傲慢だった。

 すべてを憎み、

 すべてを愛した。


 気が付くとここにいた。

 果てしないゲームの中に。


 望めば。いや、望まなければ。

 また、ゲームは始まる。

 だから私は、拒否した。


 ゲームを。

 ……あの頃の自分を。


 *


 目覚ましの音で目を開けた。

 カーテンの隙間から零れる光がまぶしくて、布団を顔まで引き上げた。


 だるい。


 階下から母親の声がする。遅刻するわよとお決まりの台詞。

 熱っぽいわけじゃない。だるいだけ。

 いつもだるい。ただ、それだけ。


 あと五分。

 思いながら、携帯端末を引っ張り込む。

 しょぼつく目を薄く開け、見知らぬ友人達のおしゃべりの記録を追う。


 ――流行は叩き出されたんでしょ。


 えと、瞬きした。


 ――雅巳が就職活動してるってほんと?

 ――無理じゃね?


 がばりと起き上がった。

 朝の光の中で輝度を上げた小さな画面で、文字が躍る。


 ――フリーズしたんだもん、リアルで生きてかないとどこにもいる場所なんかないんだからさ。


 端末をおいた。怒声に変わりそうな母親の声に、はぁいと気が抜けた……けれど、ちゃんとした声の……返事をした。


 *


 自分を拒否した真希は、リアルの自分を手に入れた。

 天の邪鬼な悪魔のルールで。

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