039:キノコの誘惑
――はい、『まじっく☆まっしゅるーむ』です。
――ディナーのご予約ですね。はい、承っております。
――お料理はなんになさいますか?
――え? この地域の特産は何かって? この地方の特産はなんと言ってもキノコです。香の茸、味も茸、感の茸。なんでもございます。
――あら、そんな普通のモノは食べ飽きた。困りましたね。いくら産地といっても、世の中にないキノコなんてありませんわ。
――……どうしてその名をご存じなんですか。
――え? このお店で食べたって人に直接聞いた?
――……口止めしたのに。
――いえ、なんでもありませんわ。……お客さま、あらかじめお断り致しますが、あれはやめた方が無難かと存じます。とくに、キノコ好きの方なら絶対に。
――そうではありません。そうでは、ありません。
――美味しいとは聞いております。
――いえ、私どもは誰一人あれを食べたことはございませんもので。
――もともとはお客様が是非にと持ち込まれましたもので、里では観賞用として栽培していたものです。観賞用としてなら、お譲りすることに問題がございませんが……。
――そうまでおっしゃるなら、念のため証明書をお書き頂けますか?
――いえ、滅相もございません。それだけ、後悔していらっしゃる方が多いという事でございます。
――かしこまりました。……どうぞ、後悔なされませんよう。
*
当日は満月で、空には雲一つなかった。ほのかに涼しい風は心地よく、お客様をお迎えするには絶好の日だった。キッチンには本日のメインディッシュの下ごしらえが終わっていた。付け合わせも、スープも、最後の仕上げを待つばかりで、お客様の到着を今か今かと待ちわびていた。
腕によりをかけた最高の出来の料理達とは対照的に、私はキャンセルされることを願っていた。コックというより、キノコ好きの一人として。
けれど、かすかに聞こえ始めたエンジンの音が、私の願いを無惨にも打ち砕いた。
黒塗りの高級車がお店の前に静かに停車する。私はエプロンをはずして、絶望のままに入り口を出た。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
「やぁ。料理はできているかい?」
「……ご希望通りのものを用意できたかと」
「それは楽しみだ」
先に立ってお客様を案内した。月の見えない部屋の奥、空気清浄機吹き出し口前の特等席へ。若い紳士は不思議そうな顔をした。どんなお店でも、こんな月の綺麗な夜は、窓辺の席を用意するものだ。けれど、何も言わずに私が引いた椅子に腰掛けた。……少しでも察してくれたらと思わずにはいられない。
前菜。スープ。魚料理。メインディッシュは肉料理と、それ。デザートまでたどり着けないと思うけど、季節果物のシャーベットを用意した。コーヒーと、あれも用意して。
さぁ、召し上がれ。
「どれもこれも美味しいね。わざわざ来たかいがあったよ」
「次はメインディッシュでございます」
「待ってました!」
高級牛のサーロインステーキをレアで。こってりとした赤ワインのソースは、ステーキとそれに、かかっている。この地方でしか取れないと言う幻のキノコ。粉の茸。鮮やかな色と肉厚の笠。ぽってりとした外観は、見ている分にはかわいらしい。……一体誰なの? これを食べようなんて言いだしたのは。
「サーロインステーキと粉の茸のグリエです」
そっとお皿を置き、私は脇に下がる。手の届くところ、けれど、お客様から見えないそこに、それがあることを確かめた。
ティッシュペーパーと、ゴーグルと、立体マスク。
「……!!」
お客様は言葉もないよう。どの方もそうだった。……至福の時。
そして、それが始まる。
「……ぶえっくしょん!!」
もったいつけたように飛び出たくしゃみを皮切りに、後から後から止めどなくくしゃみが出る。おそらく涙も出ているだろう。流れ出して止まらないはずだ。
「お客様、ご入り用でしょうか?」
すっと差し出したティッシュはひったくられた。
*
至福の時を時をもたらすという、粉の茸。濃厚な味はキノコ好きにはたまらないものときく。ただし。濃厚すぎるその味は、ひとたび体内に取り入れると、凶悪なアレルギー反応を引き起こすという。総てのキノコの放つ、胞子に対して。
粉の茸による最高の幸福は、平穏なキノコ料理と引き替えなのだ。
――はい、『まじっく☆まっしゅるーむ』です。
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