036:メデューサの洞窟

 ほろほろ、ほろほろ、石が降る。

 ごうぅうと遠く地鳴りがすると、ほろほろ、ほろほろ、石が降る。

 メデューサ様が怒っている。メデューサ様が求めている。

 若い男をみな隠せ。

 メデューサ様に見つからぬように……。


 石が降る地上を避け地下に生活の場を求めるのは自然な流れで、そのうち住居だけでなく隣家との行き来も地下から直接行うようになったのも、当然のことと言える。そのうち、隣家がさらに隣家へと通路を延ばした結果、地下に網の目のような街ができあがった。地上にあるのは旅籠や地下に物資を持ち込む手間を省いた市場、さほど収穫が望めるわけではない痩せた畑に、牧草を求めて彷徨う牛飼い、羊飼いの姿くらいだ。汽車に揺られてやってきた通りすがりの旅人などは、旅籠の大きさに比して余りにも人も家屋もない街の様子にまず戸惑い、この街の伝説を知るのである。

 サージェイは街で一番高い場所……なんのことはない教会の鐘楼の上である……から街を見下ろしていた。肘をついて眺める視線はやがて、面積のわりに密度のうすい屋根を飛び越し、街がここから始まると主張するだけの簡素な塀を越え、高い木などどこにもない牧草地の先、サンメデューシアへと辿り着く。教会からでも見上げる程に巨大な山は、真っ青な空の下、黒々とした地表を威風堂々と見せていた。

 今日は地を響かせる唸りはない。聞こえてくるのは鐘楼を吹き抜ける風の甲高い悲鳴と、遠く街を掠めて走り去っていく汽車の警笛だけだった。いや、そして、もう一つ。

 サージェイはぱっと顔を輝かせて鐘楼を駆け下りた。間に合った。ただそれだけがうれしくて。

 街の主産業は農業でも酪農でもなかった。農業で生み出されるのは比較的手間がかからず、日持ちもしない野菜、果物類ばかりで、もっぱら女性の仕事。酪農は子供と年寄りの仕事で働き盛りの男達の仕事ではなかった。男達、特に、結婚をし子供を持った男達は、サンメデューシアの懐で石を削る。ここで出た石を商人を介して穀物に変えることでどうにか村は成り立っていた。

 その男達の帰還であった。幾台ものトラクターが、石を人を満載にして、草原の中を進む様子が鐘楼からは見て取れた。男達にとっては一週間ぶりの帰宅であり、サージェイ達若い……というよりはまだ幾分幼い……子供達にとっては、出発前最後の邂逅の機会でもあった。

 女は農業、年寄り子供は牛追い、羊追い。男達は石切。そして。サンメデューシアの中腹に住まうというメデューサが若い男を石に変えてバラバラにしてしまうと言う伝説のあるこの村では、未婚の『若い』男達は、街の外へ出稼ぎに出る。それがしきたりとなっていた。

 今年の出発は、明日。体の細いサージェイは幸い日曜学校でも成績もよく、首都の寄宿学校への入学が決まっていた。同じ年のドレイク、マイレンスは、同じ街で住み込みの仕事に決まっている。六年の間、成人し所帯を持つことが許されるまで彼等は街へ帰ることは許されず、従って親族や村に残る友人達と会うことが出来るのも明日限りだった。

 鐘楼を降り会堂横の階段を下りて、地下へ潜る。教会の地下にあたる部分は巨大な広場になっていた。いつもはがらんどうでしかない広場は、今は人で溢れていた。巨大な換気装置が唸りをあげてさえ美味しそうな匂いの立ちこめる中へ分け入り、サージェイは声を張る。

「帰ってきたよ、間に合ったんだ!」

 安堵と喜びと、そんな声を期待したサージェイは、並ぶ数々のご馳走に似合わない暗い雰囲気にようやく気づいた。母達は皆眉根をよせ、同じ歳頃の少女達は泣きそうな顔をしている。そして主役たる同輩の少年達に目をやれば、不安気な中、一際大きな体格のガジェッツが蒼白な顔で立っていた。

「ガジェッツ?」

 ごうぅうおぅ。

 近寄ろうとしたサージェイの足元から、いや、街を包む地の底からそれは響いてきた。誰も気にしない。それは街の日常にとけ込む音で、サージェイも、またかと思うくらいだった。ガジェッツ一人を除いては。

「やっぱり、俺、行く。連れ戻してくる!」

「ガジェッツ!」

「やめろ!」

「レミアーは女だぞ!?」

 同期の少年達の手など一人体格の良いガジェッツにはものの数ではなかった。行く手を阻む女達の手も留めることは出来ない。一人呆気にとられるサージェイの前で、ガジェッツは風のように広場を去って行ってしまった。その時になってようやく、サージェイは気づいた。……いつもガジェッツに張り付くようにそばにいるはずのレミアーの姿が広場のどこにもないことに。

「……レミアーは?」

「ガジェッツが行っちまうのがイヤだって……多分、サンメデューシアに……」

「父ちゃん達に見つかるだろうから、大丈夫だって言ったんだけど」

 レミアーは快活な少女だった。向こう見ずと言っても良い。ガジェッツと将来の約束を既にしたと少年達の間ではもっぱらの噂で、明日の出発についても一人反対し、拗ねていた。ガジェッツにしても、行きたくて行くわけではない。仕方がないんだと言い聞かせた……とサージェイは聞いていた。が。あえなく失敗していたと言うことか。

 レミアーは直前になり、いるかどうかも解らないメデューシアに会いに行ってしまった。ガジェッツは危険だからと、鉱山組が連れ戻してくれるからと言い聞かせられこの場にいたと言うことか。

 つまり。

 そこまで思い当たりようやくサージェイは、顔色をなくした。足元からは唸りが響いてくる。『メデューサ』が活動期に入ったのだ。

「車、借りるからっ!」

 言ったのは走り始めた後だった。ガジェッツと違い、力で女にさえも適わない。サージェイは行く手を阻む手をいくつも潜り抜け、地上へ出る。手近な輸送用のトラックを拝借し、エンジンを回した。


 ガジェッツはサージェイより遙かに足が速かったが、さすがに車には適わない。車の運転は出来なかったはずだから、体力に任せて飛び出したままに走っているはずだ。途中で拾えばいい。レミアーがいつ飛び出したのかは解らない。できればサンメデューシアに着く前につかまえたい。

 若い男が石にされるなど、サージェイはカケラも信じてはいなかった。教会では父なる神に逆らい魔のモノと約束を取り交わしたために蛇の髪を持ったというメデューサを実在するとして教えていたが、サージェイはハナから疑っていた。ものの本では父なる神が起こす奇跡だという虹が自然現象であると説いていたし、じょうろからこぼれる水でサージェイもそのことを確信した。夕焼けが赤く、月が満ちて欠けてまた満ちるのも、冬の空気が輝く理由も、サージェイはみな本で得た。そこには神なる意志はなく、いや、あったとしても、実際に起こる現象への介入などではなく、すべて説明可能なことでしかなかった。

 そして、サンメデューシアについても、人より多くの知識を持っているとサージェイは思う。

 サンメデューシアは活火山だった。遠い世界では、赤く燃えたぎる水を吹き出す火山もあると言うが、サンメデューシアが吐き出すのは今の所石ばかりだった。石は地面の遙か下で作られて、押し上げられ、吹き出されるものだという。燃えたぎる水が冷えて固まったものと同じだと書いてある本もあった。つまり、メデューサが石にした男の体、などではない。ただし、近づけば人が死ぬというのはあながちウソではないようだった。……それが今、穴ぼこだらけの土を固めただけの道をぼこんぼこんと時折シートから尻を浮かせながら進む理由だった。

 ガジェッツは街の出口の辺りであっさり見つかった。連れ戻しに来たのではないと解ると、ガジェッツはむしろ嬉々として乗り込んできた。……連れ戻しに来たと言ったら、サージェイを脅してすら、進ませたかも知れなかったが。

 鉱山組の車は、レミアーが捕まったかどうか確認するためには近寄らざる得なかった。乗り手を見て、唸りが響く中で地上にいることを、あまつさえサンメデューシアに向かおうとしている二人に、優しい言葉などかけるはずもなかった。

「いない」

 いち早く荷台を確認したガジェッツの言葉を信じ、サージェイはハンドルを切る。轍のない牧草地を今にも分解しそうな跳ね方で走り去るトラックに着いてこれる車はなかった。


 追っ手がかからないとは考えていなかった。できる限りの速度でアクセルを踏み続けるサージェイに、どうにかシートにしがみつき、前方ばかりをにらむガジェッツがフイに声をかけてきた。

「……怖くねぇの」

「何が!?」

 ばうんと車体が跳ねる。大きな石を踏んだのだろう。草はいよいよ少なくなり、そろそろ坑道へ続く山道にさしかかろうとしていた。さすがに速度を落とし、一度後を確認する。すぐに追いつかれて連れ戻されることだけはなさそうだった。

 メデューサの洞窟は坑道へ続く道の先にある。坑道までは車が使える。そこまで行っても見つからなければ、あとは歩くしかない。

「メデューサのところに行くんだぜ」

「君は!?」

「……レミアーが行くかもしれないのに、俺が黙ってられっかよ」

「僕らは石になっちゃうかもしれない。でも、伝説通りならレミアーは大丈夫。そうじゃないの!?」

「そんなん、わかるかよ!」

 子供の足ではサンメデューシアは少々遠い。女ばかりで冒険もなにもない。体も一人前の男なら、多少のことがあっても自力でどうにか出来る。家庭を持っているのなら、軽はずみなことはすまい。

 ものの本によれば……サージェイはさまざまな知識を知識としてしか知らなかった。それを情けなく想い、だからこそ、広い世界に憧れた……火山は時として有毒な空気を生み出すこともあるという。余りに強力な毒のために、神に見捨てられたとしか思えない地もあるという。

 軽はずみに、危険だと知れている場所へ行く可能性が高いのが、サージェイ達の年代である。

 サージェイは想像する。いつか、月食ですら神が介在しない現象であると知った夜に、考えたそのことを。

 サンメデューシアにもそんな場所があるとすれば、そして、幾人もの若者が帰らなかったとすれば。迷信深い人々は、どんな物語を作るのだろう。どんなしきたりを編み出すのだろう。村を街を保つために。子供達へ残すために。

「だからだよ!」

 若い男だからではない。そんな場所に行くのは若い男ばかりだったから。

「レミアー!」

「ガジェッツぅ!」

 最後に、思い切れずに逡巡していたレミアーはあっさりガジェッツの腕に収まった。


 帰り道、サージェイは一人だった。……いや、ガジェッツとレミアーは荷台にいた。二人の睦言をなんとはなしに耳に入れながら、ゆっくりと跳ねないように車を繰る。

「たった、六年じゃないか。絶対六年ぴったりで帰ってきて、そしたら結婚しよう」

「そんなの待てるわけないじゃない。ラインハムなんて、都会でそのまま結婚しちゃったわ。サージナは待ってたのに」

「俺は絶対、裏切らない」

「そんなの……。……いいわ、決めた。アタシも行く」

「え!?」

「アタシも首都に行くわ。針仕事とかお料理の仕事だったらできるもの。帰ってきても役に立つし」

「あ、えと、あーー」

 くすくすと声を立てないようにだけ気をつけてサージェイは笑った。

 実のところ、伝説の正体はそんなものだろうと思いつつ、迷信を打ち消す気はサージェイにはなかった。

 街は国境に近い僻地にあった。首都に行ける機会など……こんな伝説でもなければ与えられるわけがない。


 ごうぅぅおと相も変わらずメデューサは唸り、ぱらぱらと石が降り始めた。

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