029:なぞなぞ砂時計

 下はテラスのように張り出した板の下から何処までも深く続いていて、上は天井よりも高く続いているのだろう。見えるのは円錐状に緩やかにカーブしたガラス管が一対。天井板の先は知れない。

 耳を澄ませば自分の呼気とともに確かにさらさらと砂を撫でる音が聞こえる。ガラス管の中を通っていくのは光の粒ほども細かな砂だ。

「誰が作ったのかも知れない。いつ終わるのかも知れない。そもそもどうやってひっくり返すのかも分からない。見事だろう」

 きゅっと床板が鳴いた。堂の案内人と名乗った白いローブの少女が自慢げに続ける。

「まずこの地にコレがあり、後から堂を建てた。砂時計が集まり始めたのはその後だ。もっとも、何処まで遡るかも知れない、そもそも過去か未来かも知れないいつかの出来事なのだがね」

「君は」

「ん?」

 僕は少女へ振り返った。少女の胸元の小さな砂時計が揺れて、さらりとできかけていた砂山が崩れた。

「君はいつから居るの」

 きょとんと僕を見返した少女は、ふと笑った。きゅっと音をさせ、僕に背を向ける。

「さてね。私もまた、砂にとらわれた者でしかないから」


 *


 その店は、最近流行りだしたサービスをもうずっと前から細々と続けている店で、店員は職人本人とお手伝いが一人居るだけの小さな店だった。

『愛する時を永遠に感じてみませんか』

 ロマンチックとも取れなくもないキャッチコピーがすべてを表している。宝石屑を集めたカラフルでおしゃれな砂、新婚旅行先の真白く耀く海岸の砂、生涯ただ一度踏むことが出来た甲子園の土。そんな変わった『砂』をガラス管へ封入した砂時計が店の主力商品だった。

 装飾品、記念の品は言うに及ばず、近頃では故人の遺灰、ペットの遺灰を砂とした時計の注文も少なくないらしい。

 だって、ロマンチックでしょう?

 職人の孫娘と名乗った手伝いの女性は柔らかい笑みを見せた。

 砂が落ち続ける間、亡くなったペットと一緒に時を数えることが出来るんですから。

 その言葉をえらく気に入ったのは僕ではなく母さんだった。そして僕の人生の大半で存在した猫のみいは砂時計になった……なるはずだった。


 僕が覚えているのは、みいを迎えに行った帰り道までだ。

 抱きかかえると胸からはみ出て顔までかかるほど巨大で、夏なら顔中体中に毛が張り付くほどももむもふもさもさしたみいは、僕の手のひらにのるサイズの五分計になった。

 僕はその五分計を袋から出して眺めていた。ひっくり返せばキラキラと日の光を反射する真っ白い砂がきらきらと落ちていく。

 信号待ちの交差点で。

 ナァ、とみいの声が聞こえた気がした。


 *


「砂時計が流れる間だけよみがえるなんてロマンチックな幻想も良いとこだ。そうは思わないか」

 先に立つ少女はちらりと僕へ視線をよこした。

 廊下の突き当たり、やたらと年代ものっぽい雰囲気のドアへと手をかける。

「……そんなことは分かってるさ。でも、思い出の品ってことならアリだと思うよ」

「思い出を否定する訳じゃないさ」

 さぁ、と僕を促してくる。……躊躇する理由なんて感じない。僕は遠慮なく部屋に踏み込んだ。

「ナァ!」

「え」

 重く、暖かいあしごたえ。むき出しのスネから感じるもふもふに、明確な既視感。

 蹴っても動じない重心。動じるのはむしろいつも僕の方で……。

「え、あ、ちょ、おま……」

 バランスを崩しかけた僕は、壁にすがってどうにか事なきを得た。

 ……むかつくほど軽やかな笑い声が響いている。

「みい!?」

 ひとまず少女を無視した。僕を見上げたはなぺちゃな顔の巨大な猫を、覚えていたままアタリをつけて差し込んだ手で持ち上げる。……覚えていたとおりの重量感。

「なんで、お前……」

 砂時計になったはず、なのに。

「幻想と言ったのはそういうことだよ。砂時計で一時だけよみがえる訳じゃない」

 みいを抱いたまま目を遣れば、少女はまだ涙目のまま僕をテーブルへと促した。

 時計庫とでも言えそうな部屋だった。入り口と奥のドアを覗き、壁には棚が作り付けられていて、無数の砂時計が棚の段に置かれていた。少女が指したテーブルには、今まさに流れ落ちている最中の時計が二つ。

 ……ひとつは、みいの砂時計だった。

「ナゴ?」

 僕はみいを抱えたままテーブルへ近寄る。砂時計を見る。さらさらと砂が流れていく。耳を澄ませば音も聞こえてくるだろう。

 みいの時計はあとわずかだ。もう一つは……もうしばらくは保つだろうか。

「……幻想じゃなくて、みいがここに居て、よみがえる訳じゃないって?」

「見ていれば分かる」

 見ていれば?

 天井間近、高い位置に取られた窓から差し込む光が、きらきらを砂を照らし出す。テーブルに描かれる影は砂の部分だけわずかに淡く見えるのは、それだけ砂が細かい証拠か。

 ふっと最後のひとつまみが落ちた。ふっと僕の手が軽くなった。

 顔にへばりつくもふもふがしびれるほどの重さが、もう、何処にもなかった。

「……みい、が」

「うん」

 少女はかたりと砂時計を回す。ふと足下にみいを感じた。

「……やっぱり『よみがえる』んじゃないか」

「そう言えなくもない。いや……解釈が違うのか」

「君の解釈って」

「……囚われている」

 にやりと少女は笑む。……十分にかわいらしい顔では、悪戯っぽい笑顔になっただけだったけど。

「今に、さ」

 ……今?

「……どういうこと?」

「束縛は好き? それとも、やはり君は自由を望むのかな?」

 少女はみいのものではない砂時計を……あとわずかで落ちきる砂時計をくるんとひっくり返した。

 僕は瞬きほどの間、ふわりと浮いた気が……気のせいだった、か?

「この猫は自由が良いそうだよ。さっき確かめた」

 よいしょ。かけ声付きで少女はみいを抱き上げる。幼い子どもが自分と変わらないサイズのぬいぐるみを抱き上げるかのように、少女がみいで埋まってしまう。

「ねこだー!」

 当たり前の感想を少女は漏らした。

「……束縛って何。何に縛られるの。自由ってどうなるの」

「そうだな。何も知らなければ答えようもないか」

 少女は一度言葉を切った。そうだなぁと、繰り返した。

「私がいつからいるのと、聞いたな」

「聞いたけど」

 分からない。……それが回答だったんじゃないのか?

「いつから居たかは分からない。いつまで居るかも分からない。でも、分かることが一つだけある」

 もったいぶった言い方だ。わかるか、とばかりによこしてくる視線も。

「……分からないよ」

 僕は、考えることが……あまり得意じゃない。

「簡単だよ。私もお前も今はまだこの猫も、囚われている。ここにあるすべての砂時計が何かを縛り付けている」

 ぐるり。みいを抱えたまま視線を巡らせる少女につられて僕も部屋を見渡した。

 棚に収まるすべての砂時計が、砂を落としきった状態で静かに陽光を反射している。きらきらきらきら。砂とガラスと時には台座が。時を止めた平穏のまま。

 ……落ちている時計は二つ。ここには三人。いやまて、砂時計は……三つ、だ。

 …………つまり、ぼく、は? 

「お前の母君はよほど砂時計を気に入ったらしいな。それがお前をここへ縛り付けることになるとも知らずに」

 みいの時計が落ちた。

 少女は何事もなかったかのように僕に向き直る。

「さぁ、選びたまえ」

 目の前の人物は単なる少女にしか見えない。悪戯っぽくくるくる動く瞳、ぷくりと桃色に盛り上がる形の良い唇、クラスの女子の誰よりすべやかな肌。

 ……けれど彼女は、知覚できないほどの昔から、落ちきる事などないかのような果てまで、囚われ縛られているのだ。

「僕、は……」


 ――永遠か、消滅か。

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