025:螺旋階段のからくり

「ここだ。ライザ」

「開ければ、いいのね?」

「うん」

 金属の扉に手をかけた。ぴっと走る静電気に似た、なにか。

 あぁ、これではロイは触れないわ。触ったとたんに……こわれてしまう。

 軽く押すときぃと鳴く。私なら開けられる……こんなに簡単に。

「ありがとう、ライザ。……この上だよ」

 肩に乗ったロイの手。こんなに冷たい。もう、暖かさを保つこともできない。

 こつんこつんと響く音。入り口から差し込むほんの少しの日の光に、壁に沿った石造りの螺旋階段が浮かび上がる。床があるはずの場所には、ただ暗闇があるだけ、で。

 軽いロイの足音がその上を渡っていく。


「待って」

「早くおいでよ」

 光に慣れた目には中は暗黒のように暗かった。灯台のように高台に建った石造りの建物には窓一つない。ロイの足音には、迷いがない。いつも。いま、も。あのとき、も。

 私は一歩踏み出すことすら、こんなにも悩むというのに。

 えい。踏み出した一歩は、硬い確かな段を踏んだ。

「あ」

「ロイ!?」

 ぐらり、傾いだロイの背中を夢中で支えた。良かった、後ろで。中の方だったら、手が届かなかったかもしれないもの。

「大丈夫?」

「うん。ありがと、ライザ。もうちょっとぐらい、いけるよ」

「ロイ……」

 すっかり暗く見えなくなった壁に手をついて、ロイの背中は離れていった。ざらり。手の中に『砂』が残った--。

 もう後わずか。ロイがこの姿でいられるのも。砂をきゅっと、握りしめた。

 こんとんたん。音が響く。規則正しく、二つの音が幾重にもなって。さほど遠くない終わりまで。

 あまり高くはない、塔。螺旋を描く階段も、永遠に続くモノじゃない。

 軽い足音が、止まった。

「ライザ。ここ、だよ」

「開ければいいの?」

「開けるだけでいい」

 開けてはいけない。……それは、予感。けど、否は言えない。もう一度二人で来られないことくらい、わかってる。だから……。

 壁に張り付いたロイの前を過ぎて、入り口を同じ金属の扉に、手をかけた。


 午後の遅い光の渦が深く深く差し込んだ。

 湿気を帯びた空気が、ふわりと浮いた。

 光が風を生んだ。音を鳴らしくるり螺旋を巡った風は、遙か遙かな地面から、土を巻き上げて吹き抜けた。

 光が土を照らす。土は埃になる前に、輝き消える。消えて再び風をうみ、塔の底を目指していく。

 風は力。見えない力。光と土から生まれた力。

 巡る力。世界に満ちる力。


「ライザ、わかる?」

「これって」

「うん。井戸だよ。僕らの。わかるかい?」

 ふわんと笑う。私の大好きな笑み。けれど、今は。……いやだ、そんな風に笑わないで。今にも風に浚われそう、で。

「ロイ、手が!」

 着古した上着の袖。肘から先がだらんと垂れて。見ている今にも……砂が、こぼれていく。

「うん……間に合って、よかった」

「いやだ、どうして!?」

 ここにはこんなに力があふれているのに。

 手を伸ばす。袖を押さえる。……これ以上、こぼれてしまわないように。

 私は力を捕まえられない。使い方を知らない。遙か昔、教わることを拒んで、逃げ出してしまったから。

 ロイは力を使えない。出て行く力を止められない。――出来損ないと、言われていた。

「仕方がないよ。旅団を出たら、こうなるしかないんだから」

「でも、だって、ねぇ!?」

 掴んだ袖のすきまから、さらさらさらさら……こぼれていく。

 こぼれた砂は舞い上がり、『力』に戻って……吹き抜ける。

「誰かがやらなきゃいけなくて、マスターには時間がなくて。僕はライザに見せたかった」

 ――世界が生まれるところを、見に行こう。

 泣いていたかつての私に綺麗な白い手を差し出してくれた、ロイ。まだ小さかった私に、もう一つの世界をくれた。

 けど。

「ごめんなさい。街に行きたいなんて言ったから……!」

 私のわがままが、ロイの命を、削った。

 亜人のロイに、『神』の結界は重すぎると知っていた、のに。

「違うよ。今の世界はちょっとだけ、僕らには生きにくいんだ。地の力と空の力が混じって、世界の力になる。もう少し力が均一なら、もう少し……生きやすいのにね」

 ざらり。たまった砂が空に溶けた。……ない手をロイが挙げた。私の髪を撫でるように、袖が動く。

 何度も何度も撫でてくれた優しい、手。

 私の黒い巻き毛を好きだと言ってくれた手。優しいくせして、力強い、手。ずっとそばにいてくれると、信じたかった、のに。

「ライザ。マスターはずっと待ってる。君が戻ってくるのを。君は出来損ないなんかじゃないよ。僕とは違う。ただちょっと……恐がりなだけなんだ」

 力の一つも扱えない。精霊の一人も呼び出せない。妖精たちにはバカにされ、泣くしかできなかった、あのころ。……今も大して変わらないというのに。

「ほら。世界の始まりはこんなに綺麗なんだ。君の髪によく似合う」

「いらない、そんなもの。ロイがいてくれれば……!」

「僕は消えないよ。ただちょっと……ほどけるだけ。マスターの力がほどけてしまうだけ。だから……」

「ロ、イ……?」

 ごうと一際大きく、風が鳴る。……ロイの影をさらって。

 ふわんと、かたちをなくした袖が、私の手の中に落ちて、きた。

「!?」

 なにか、聞こえた気がした。塔の中心から。

 キンと高い音。コーンと優しい音。幾層も連なる、音階。

 螺旋階段の隙間。風が抜けたそこから、幾筋も連なる音が響く。音は塔の中に満ち、圧を持つほども大きなまとまりをみせる。

 それは、世界の奏でる――音楽。

 不意に視界が滲んだ。優しく、暖かく、私を包み混む。いつもロイがしてくれたように……。

「これは、あなたの遺言? 精霊使いになれと言うの?」

 つらくて逃げ出した修行の日々。けれど、今は。……それだけが、私とロイをつなぐもの。


 日が落ちると、急速に風はやんだ。力の生成が終わったのだと、感じた。

 扉をそのままにして、私は塔を降りた。

 闇の中に、白い影が凝る。……師匠は何でもお見通しなのね。

「ライザ、マスターがお待ちよ」

 はい。ロイの服をかかえて、白い鳥に従って、私は歩き出した。

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