024:世界一重い羽

 醜いアヒルの子っていう、おとぎ話があるって聞いた。ヒトの世界に。

 僕のことかなって思ったけど、僕はアヒルじゃないし、白鳥でもない。そもそも僕には羽毛なんてなかった。

 普段はヒト里で暮らしてる。けれど、ヒトでもないよ。多分。ヒトの姿の時は僕らもヒトも何処も違いはないんだ。ヒトがヒトにしかなれないのが僕には不思議なくらい。ヒト里には僕ら以外にもヒト以外のモノがたくさん住んでいるから。たくさんと言っても、里に数体が普通みたいだったけど。

 ぴーひょろろ。

 とんびの声が響いてる。車の音の隙間に聞こえる。差し込む朝日が随分弱くなった。今日は空がとても高い。蒼い中に少しだけハケで掃いたような白い雲。とても気持ちがよさそうだ。僕の部屋から見えるのは、屋根の隙間から見える空くらいだったけど。

「蒼太、隆助、鹿子、朋香、ご飯よ!」

「はーい! 隆助、起きろ!」

 慌てて首を引っ込めて、まだむにむに言ってる隆助から布団をひっぺがした。

 ごろんと布団に引っ張られるまま床まで転がった隆助の足には、かぎ爪が出ていた。あーあ。寝ぼけてだしちまいやんの。まだまだだな。

「隆助、朝だぞ、先生に怒られるぞ」

 ごす。

 面倒でお腹を蹴ってみた。床でごつんと音をたてても目を開けなかった隆助が、ようやく目を開けた。ごしごし目をこすって……さすがにお腹をさすってる。

「……いてーよぉ」

「起きたんだから文句言うな」

「お前、馬鹿力なんだよー」

 もごもご言ったって知らない。隆助が起きなきゃ、僕だって連帯責任で怒られる。怒られればヘタすれば飯抜きで、それだけのことで、ただでさえ少ないご飯でも抜けるのは大問題で……重要な事だった。

「先いってるからな、足直して……二度寝するなよ」

「あっ」

 寝ぼけたままかぎ足で起きあがろうとして見事にすっころんだ音が聞こえたけど、無視することにした。


 冬休みが近くなると、学校はざわついてくる。期末試験やら終業式やら。ヒトの子たちは、クリスマスや正月の予定に余念がないし、先生たちもあたふたしている。僕らだって例外じゃない。

 『留学生』も親元に帰れる年に三回しかない機会だ。隆助も、鹿子も、朋香も、朝から浮かれっぱなしだ。支度なんて、先週末から始まっていた。学校の勉強も忘れるくらい、帰ったらどうするの、生え替わった羽根を見てもらうの、話している。

 先生は談話室の三人を部屋に帰すのに苦労して、僕は会話に加われずに……みんなの気分を削がないように聞いているので精一杯だった。

 すっかり片つけられた隆助の机の隣で、僕の机はいつも通りだった。

 終業式の朝は名残の雪が地面から舞い上がる蒼天で、妙なもこもこした雲が浮いているだけだった。僕は実はちょっと辛かったのだけど、頑張って学校へ行った。みんなは帰るなり荷物を抱えて四輪駆動の先生の車に飛び乗った。

 ヒトの子たちは駅へ向かう。僕らが……僕を除く三人が向かうのは山だ。山道をギリギリまで車で進んで、ヒトが居なくなった辺りに迎えが来ているのだという。迎えが来ている辺りまで行けば、もう、ヒトの姿でいる必要はなくて。青い空が待っているのだと、隆助は言っていた。

 そして僕は今、がらんとした『寮』で先生の帰りを待っている。先生は何人もの子供を産んで、子供はもうみんな独り立ちしたらしくて。先生の種族には里帰りはないって聞いた。だから、遠慮なく毎年いるのだけど。

 僕も、羽を思い切り広げたいのに。

 反射型のストーブの前で、腕を振ってみる。ストーブの火を消しかけて、慌てて止めた。隆助のように軽やかに振ったり出来ないし、朋香のように綺麗な色もしていない。随分前に先生も溜息をついたのを覚えてる。『気軽に羽を広げることも出来ないね』って。そして寂しそうに笑いながら言うんだ。『ヒトと一緒に暮らして行くんなら、必要ないモノだけれどね』って。

 僕らがのびのび生きられる場所は、もう、数えるほども残っていないから……。

 ――ずん。

 床に突き上げられた。がしゃりと音をたてて、食器棚が、テレビが、タンスが舞った。ストーブが倒れた。

 え、と目を見張る僕の前で、どくどくとストーブから液体がしみ出してくる。

 手を突いて浮いた腰が、ぶれた視界に耐えきれなかった。家がきしむ。液体に火がつく。そして、揺れが始まった。

 掴むところもなく、僕は転んだ。低い音が常に聞こえるようで頭が痛くて、背中にがんと、何かがあたった。目の前には火。ストーブの底とタンスから飛び出した引き出しと、煙と爆ぜる音と……。炎に飲まれる柱が見えた。

 揺れが止まったのはいつだったろう? 悲鳴が聞こえ始めたのは。子供の泣く声が聞こえる。僕をすっかり覆った炎の向こう……隣の家の十ヶ月になる省ちゃん?

 腕に力を入れてみた。がらがらと音がして、どうにか起きあがれそうだった。柱は案外脆くて、ぽきりと折れた。炎に巻かれて、柱は墨になりかけていた。服はすっかり燃えてしまっていた。

 けれど、僕は大丈夫だった。

 熱いけれど息も出来る。柱に押しつぶされかけたけど、打ち身くらいで変な傷みはどこにもない。隆助たちが、出かけた後で良かった。僕は一際丈夫だから……。

 からがらと、何かが崩れた。省ちゃんらしい声が……ヒステリックなものにかわった。

 そうだ。『寮』だけじゃない。揺れたんだ。村全体が、揺れたんだ。

 燃えているのも、崩れているのも、『寮』だけじゃない。省ちゃんちも、学校も、まだ出かけていないヒトの同級生たちも、みんな揺れて崩れて燃えて……!

 消防車の音は聞こえない。なっているのかも知れないけど、炎の音が大きくて。それに、何カ所もこうだったら、とてもじゃないけど、回りきれない。それとも、道がつぶれてしまっているだろうか?

 がらがらと、また音がした。省ちゃんの声が……途切れた。

「省ちゃん!」

 先生にきつく言われていたけど、僕は羽を大きくふるった。『何があっても』村の中で戻ってはイケナイと言われていたけど、重い羽をふるった。

 一振りで瓦礫をとばした。二振りで炎を消した。三振りで身体がふわりと浮いた。四振りで省ちゃんの家の上にでた。かぎ爪で瓦礫を掴むと、『寮』の上で離す。三~四回繰り返したら、省ちゃんと……省ちゃんのママがようやく見えた。

 ヒトは掴めない。力の加減が難しい。火はないから、多分平気だ。それより、村はどうなってる? みんな、みんなどうなっている?

 大きく羽を振った。悲鳴の中へ向かって。


「先生、僕……」

「蒼太は悪くないの。悪くない。でもね……」

 きゅっと先生は僕の頭を抱いた。先生の背中越しに、まだニュースが続いている。一週間前に起きた大地震の。大地震の現場に現れた翼竜の……僕のニュース。

 省ちゃんの家を後にした僕は、村中の火を消して瓦礫をどかして回った。すっかり火が見えなくなって、消防のヒトが遠くに見えるまで。……心配した先生が慌てて飛んで戻ってくるまで。

 先生に連れられるまま、ヒトの居ない山の頂上まで飛んだ僕を、今みたいに先生はしっかり抱き締めてくれた。……もうダメだと、泣きながら。

「一度ヒトの姿を見られてしまったら、もうダメなの。先生やみんなは大丈夫。けどね、蒼太は……蒼太は世界には居ないことになっているの」

 いつも冷静なアナウンサーが、ちょっとだけ驚いたように、焦ったようにニュースを読む。

『大地震で現れた巨大な翼竜について、専門家は……』

『……村付近を探索しておりますが……』

『翼竜を発見した場合……』

 地震の惨状の隣に、僕の顔写真が出ているニュースを、何度も見た。

 僕は、お尋ね者になってしまった。

 ――JAL564便、ネパール行きにご乗車の方は……。

「先生、僕、悪いことはしてないよね?」

 先生は僕を引きはがして、うんうんと何度も首をふってくれた。

「蒼太は良いことをしたの。けど……」

 またぽろぽろと涙をこぼした先生から、一歩離れた。

「なら、いいや。先生、今までありがと」

 ……多分、そうだと思っていた。僕には父さんも母さんも同族もいない。居るって聞いたこともない。……忘れ去られた火山の麓の洞窟の奥で、卵の僕は眠っていたのだと、聞いたことがある。

「蒼太……」

「僕、がんばるから。手紙くらいはきっと平気だよね。あ、山の奥に行ったら手紙もダメかな」

 世界で一番厳しい山の向こうへ行くことになった。ヒトなどいない、何もないところへ……。

「もう少し大人になって、みんな忘れたら、きっと帰ってくる」

 先生たちは来れないらしい。……鷹や鳶では超えられないほどの山なんだって。

 うんうんと、先生はまた、何度も頷いた。

「行ってきます。みんなに、よろしく」

 この重い羽を存分に広げることが出来る場所へ――。


 僕よりずっと重い機械の羽に乗って。

 寂しいけれど……実はそんなにイヤではなかった。

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